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8・冷血公爵の幼馴染

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 以前は、朗らかで社交的だった。以前は黒髪だった。以前は寒い部屋を好んでいたりはしなかった。

 得た情報から私は昔のシルヴァンを想像しようとしたけれど、どうにもうまくいかない。

 彼は今24歳だと聞いた。髪の色が変化し始めたのが9年前だと言っていたから、15歳の時に病気になったのだろうか?

 人好きのする王家の貴公子の少年が、冷血と呼ばれる風変わりな引きこもりになるには、いったい何があったのだろう。



 私はシルヴァンの半歩後ろについて庭園を歩いた。まだ肌寒いので私は外套を着ているけれど、彼は室内着のままだ。銀の髪を無造作に束ねて広い背中に垂らしている。体格は良いし力も強く、長患いをしているようには見えないのだけれど……。



 庭園はよく手入れされている。北部でしかも冬なので花は少ないけれど、薄い雪化粧で飾られた樹木は綺麗に刈り込まれて枯れ枝など見当たらない。曇り空をツグミらしい小さな影が横切った。小道でシルヴァンは足を止め、足元の花を摘んだ。



「この色も似合う」



 そう言うと彼は手を伸ばして私の髪に紫色の花を挿す。



「あ、ありがとう……」



 彼は時々予告もなくこんな風に私に触れて来るので私はその度にどきっとしてしまう。宮廷風の礼儀ならば恋人同士でもない限り失礼な振る舞いだと思うけれど、ここは宮廷ではないし、私は二度と宮廷に戻ることもない。

 それに、彼は私の肌に直接触れないようにいつも気を付けている。指が冷たくて不快な気にさせるからだと自分で言っていた。彼が私に触れたのは、私を雪山から助けた時と私が死のうとしたのを止めた時だけだ。別に触れて欲しいなんて訳ではないけど、手が冷たいくらい気にしないのに、とも思う。



 シルヴァンは私をじっと見て、



「これも悪くはないが、あの時の赤い花はもっと……」



 と言いかける。



「あの時?」

「いや。何でもない」



 しまったというようにシルヴァンは視線を逸らして歩き出す。



「あの時、ってなに」

「何でもないと言っているだろう」

「花を、誰かに贈ったことがあるの?」

「……誰だって、それくらいのことはあるだろう。おまえには関係ない」



 強めの拒絶に私はそれ以上何も言えなくなる。時折、こうした事がある。いつだってシルヴァンは不器用だけれど優しいのに、その過去に触れるような話になると私を立ち入らせようとしない。



「……私、赤は嫌いだわ。特に、赤い花は」

「え」



 何でもない呟きに、シルヴァンは反応した。



「いつ、から?」

「え? そんな事わからないわ。子どもの頃からじゃないかしら」



 何かが嫌いと言われて、いつから? なんて普通知りたがるだろうか? 人の好みなんて自然に定まるものではないだろうか? とにかく私は赤が嫌いなのだ。



 もしかして、と私は思う。

 シルヴァンには、赤い花を贈った相手がいたのではないだろうか。

 私は、私なりに、どうして彼がこんなに私を大事にしてくれるのかを考え続けていた。彼が過去に私をどこかで見知っていたのには違いなさそうだけれど、私にその覚えがないということは、せいぜい挨拶程度の関係だった筈だ。

 でも、



『おまえがナイフを刺すまで、おまえの顔を見ていていいか。少しでも長くおまえを見ていたい』

『女性の寝室に入ってはいけないと言われていたが、おまえの顔が見たくて俺は入ってしまった』

『アリアンナの顔を見たら元気になる』



 シルヴァンはいつも私の顔をじっと見つめてくる。私の為に命を捨ててもいいと言う程私を思ってくれるのは、もしかしたら、私が、誰かに似ているからではないのだろうか。昔、赤い花を贈った、いまは遠い女性がいて、私はそのひとの身代わりなのではないだろうか。そう思えば、助けてくれた事、優しく手厚くしてくれる事、何もかも辻褄が合うじゃない……。私に、昔の事を教えてくれない訳も。

 そのひとはもうこの世にはいなくて、シルヴァンはそのひとの手で死にたいと思った事があったのかも知れない。

 でも、いまは私を護って生きたいと言ってくれる。その代わり、私を赤い花で飾りたくて、私の好みを気にするのかも知れない……。



「どうした、アリアンナ?」



 いつの間にか私は足を止めて考え込んでいた。その私の顔を、シルヴァンは心配そうに覗きこんでいる。表情は変わらないけれど、心配しているのはなんとなくわかる。



「あ。いいえ、なんでもないわ」



 そうだ。理由がなんであろうと、シルヴァンは私を大事にしてくれる。だったら、それでいいではないの。私にはシルヴァンしか頼る相手はいない。シルヴァンの話し相手も嫌ではない。ならば恩に報いる為にも、余計な勘ぐりはせずにシルヴァンが望む振る舞いをしてあげれば良い……赤い花だけは嫌だけれども。



「身体が冷えたのではないか? 館に戻ろうか?」

「いえ、大丈夫よ。花を、ありがとう」



 私は髪に挿された紫の花に触れて笑って見せた。シルヴァンは私の様子を見て嬉しそうになった。



 ――その時、不意に離れた場所から、知らない声がした。



「おーい、ユーグ!」



 私はびくっとしてしまう。私は匿われている身なのだ。知らない人は常に怖い。助けられたばかりの頃は死んでも構わない気でいたけれど、静かで優しい暮らしに慣れるとそれを失うのが恐ろしくなっていた。



「大丈夫だアリアンナ。あれは俺の友人だ。信頼出来るやつだ」

「友人?」



 このひと月、館を訪ねて来る人といえば、仕事関係の人以外は彼のいとこのレジーヌくらいで、冷血公爵と呼ばれる彼には友人なんていないのだろうと思っていたので、私は少し驚いた。



「むかし、俺が病気になってから、一年以上来客とは会えずに、殆どの友とは疎遠になった。皆は、以前の俺を忘れ、俺に関する不吉な噂を鵜呑みにして俺に近付かなくなったんだ。俺の方でも、そんな奴らと無理に付き合いたいとは思わなかったので、噂は放置していた。だが、あいつだけは俺との友誼を忘れないでいてくれた。おい、リカルド、ここだ!」

「よう、ユーグ。久しぶりだな」



 焦茶の髪の長身の男性が庭園の小道をこちらに向かって歩いて来た。シルヴァンに笑いかけると、次に私に向き直った。



「アンベール侯爵令嬢アリアンナ様。僕はリカルド・ローレンと申します。此の度の御身に降りかかった災難には心から悲憤を覚えております」



 彼は私に向かって丁寧に腰を屈め、優雅な動作で手をとって挨拶した。



「ローレン……ローレン侯爵家の?」

「僕は分家の伯爵の息子です。けれど、宮廷でご挨拶申し上げた事はありますよ」

「まあ、ごめんなさい、すぐに思い出せなくて。確かに貴男には見覚えがありますわ。私の友人たちがよく噂にしていましたわ」



 言われてみれば、私は彼を知っていた。お洒落で社交上手な美男子として多くの令嬢たちの憧れの的――ただ、宮廷にはたまにしか姿を見せていない筈だし、私は王太子の婚約者で美男子なんかに興味はなかったから、殆ど話をした事もない。それでも本当は彼ほど目立つ人をすぐに思い出せないなんて、これまでの私にはなかったことだけれど、あの忌まわしい宮廷にまつわる様々な思い出を私は封じてしまいたかったし、そこで見知った人がシルヴァンの友人としてここに現れるなんて想像していなかったので、わからなかった。



「僕は半年の期限で隣国に留学していまして、陛下暗殺の報を聞いて慌てて帰国したのです。もっと早くお父上の件を知ってユーグに伝える事が出来ていたら……」

「ここは僻地みたいなものだからな。リカルドが知らせを持って来るまで、俺はアンベール侯の投獄の事を知らなかったんだ」



 口惜しそうな表情のリカルドの言葉をシルヴァンが引き取った。



「リカルドさまは父をご存知でしたの?」

「はい。何かと目をかけて頂いて、大変恩義を感じています」



 ここにも、私の知らない、父の支援者がいたようだった。彼の名前も父から聞いた覚えはない。一体どういう繋がりなのだろう。



「アリアンナ様」

「様なんてよして下さいな。私はもう王太子の婚約者ではないし、侯爵令嬢ですらありません。ただの居候なんですわ」

「おいたわしいが、では僕の事もリカルドとお呼び捨て下さい。僕はユーグの幼馴染で、ユーグが公爵位を継いでからも彼の好意で子どもの頃と変わらぬ付き合いをさせて貰っています。ユーグの大切な人なら、僕にとっても大切な人です。僕に対して警戒なさる必要はありません」



 人好きのする笑顔で彼は言う。



「アリアンナ。リカルドには俺と同じような態度で接して欲しい。リカルドも……二人が仲良くなれば、俺は嬉しい。リカルドは暫くこの地を離れていたが、こうして戻って来たのでこれからはちょくちょく顔を見せてくれると思う。こいつは女の喜ぶような気の利いた話もうまいから、俺よりも退屈しない話し相手になるだろう」

「私はべつに退屈してはいないけれど、あなたがそう仰るなら。よろしくお願いします、リカルド」

「こちらこそ、お近づきになれて光栄です、アリアンナ」



 ……シルヴァンの朴訥な言動に慣れて来ていたので、都会風の物腰のリカルドに私はすぐに親しみを感じる事が出来なかった。でも、シルヴァンの望みは出来るだけ叶えてあげたいと思った。

 それと同時に、どうしてわざわざ、他の男性と私を親しくさせたいのだろう、とあまり意識もせずに小さな疑問が心の隅に引っかかってもいた。
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