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第三章 過去が背中を追いかけてくる

閑話 リディ、少女時代の終わり

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「で、出遅れた……」

 アディにパーティの申し入れをしようと、謹慎明けにギルドを訪れていたリディは、物陰から顔を出すことも出来ずに、壁に寄り掛かった。
 カスハがアディへ駆け寄ったときに、一瞬止めるべきか躊躇したのだ。
 その一瞬の迷いが境目だった。
 ロージィとカスハが繰り広げた舌戦に、リディは踏み込めなかった。
 入れてくれるろくなパーティもなくなったと言われれば否定のしようもないし、たった一歳とはいえ、アディより年上なのも間違いない。
 おばさん呼ばわりされているカスハとだってひとつしか違わないのだから、アディやロージィにしてみれば一歳でも年上ならおばさんなのだろう。多分、きっと、おそらく。
 行き遅れ、という言葉はリディにこそ、ぐっさりときた。
 平民ならばいざ知らず、幼少時から婚約者がいることも珍しくない貴族であれば、17歳で婚約者もいないリディなど、間違いなく行き遅れ予備軍なのだ。

 それにロージィとカスハの口論に、他人事のような顔をして迷惑そうにしていている姿を見て、アディへの謝罪や詫びは無用だと悟った。
 関わること自体が迷惑なのだ。
 そうでなければアディも怒るなり仲裁するなりしているだろう。
 もはやアディとリディたちの道は違え、無関係となっている。
 それを無理に近づけようとしてはならない。

 フローリディーナ=アースファジュ、17歳。
 幼少時からの愛称をリディ。
 間違いなくこのフレメミア王国における貴族家の血を継ぐ令嬢のひとりであった。

 リディの生家は、先祖代々由緒正しい古くからの騎士爵家だ。
 騎士爵家はあくまで一代貴族であって、継嗣相続が可能な爵位ではない。
 だが、由緒正しい、ここがミソだ。
 男子に生まれれば騎士を目指し、嫡男は自力で騎士爵を得るべく努力する。女子であれば、血縁により関係を強化すべく他家へと嫁ぐことになる。また、迎え入れる時も貴族家の子女であり、時には上位貴族家との縁を繋ぐことも多かった。
 リディの祖母の代など、子爵家に嫁いだ者の娘が伯爵家に嫁いだとかで、高位貴族とすら縁が出来ていた。

 そのような家に生まれて『騎士』というギフトを得たにもかかわらず、リディは女だった。
 
 無論、女性であっても、女騎士を目指すという道もあっただろう。
 ただ残念なことに直近の血縁に女性で騎士となったものはおらず、またその縁故もなかった。そして父母も、婦女子は家に入るべしという意識の強い思考をしていた。

 なので、どれほどリディが剣技を磨こうとも、それは将来騎士を産み育てる基礎としか見なされず、むしろリディ自身は身体を動かすことをこそ好んでいたのに、淑女たるべしとの教育を詰め込まれた。

 12の時に2つ年上の幼馴染が婚約者となったのだが、この婚約者がリディの目から見るとナヨナヨとした少年だった。
 もっとも、親兄弟の男子がみな脳筋騎士というリディの置かれていた環境からすると、大抵の貴族男性はナヨナヨしていることになってしまうのだが、ギフトを得る前から騎士に憧れていたリディにとってはありえなかった。

 男のくせに。
 私だって男に生まれていたら、誰よりも強い騎士になったのに。
 せっかく男に生まれたくせに、自分を鍛え上げもしないなんて信じられない。

 婚約者が下手に年が近い幼馴染なのがいけなかった。
 また何かにつけ騎士の真似事に勤しみ、婚約者にもしきりに鍛練を勧めてくるリディは、年齢以上に幼く感じられた。
 次兄の友人でもあった彼は、リディのことを妹だとしか思えず、婚約を結んでいるにも関わらず、他の女性と恋をした。
 本人たちばかり秘密のつもりの恋路はすぐに周知のものとなったが、大人たちは若いうちなんてそんなものだとさして気にも留めなかった。
 そのこともリディの怒りに拍車を掛けた。

 自分だって望んだ婚約ではないのに、相手ばかりが被害者みたいな顔をして気持ちよく悲恋に酔い、大人たちはまるで微笑ましいものを見るように、リディを宥めるばかり。
 いい加減堪りかねたリディは14になってすぐ出奔した。
 以来一度も実家に帰っていない。

   ◇ ◇ ◇

「っく、不覚……」

 リディは臨時パーティを組んだ相手に騙され、身ぐるみを剥がされてしまった。
 身ぐるみを剥がされただけで済んだのは幸いだっただろう。
 これがもっと悪質な相手であれば、自身すらどこかに売り飛ばされるか、骨の髄までしゃぶられている。
 家を出奔して一年ほどは、冒険者見習の傍ら、家から持ちだした物を売ったりして食い繋いで、それなりに危険な目にあったりしていた。
 けれど『暁の星』に入ってからこっちは、ほとんど他人に騙されたりすることもなく過ごせていた。
 運が良かったのかもしれないし、だからこそルファナ商会に引っかかったことを考えると、逆に運が悪かったのかもしれない。
 そして、ひとりになってまた騙された。
 防具も持っていかれて簡素な衣服だけとなっていたので、致し方なく冒険者ギルドに戻り、預けていた金で何とか最低限の装備を揃えた。
 こんなにもギルドに銀行機能があったこと、自身が無駄遣いをする性質ではなかったことに感謝したことはなかった。

 装備が最低限となってしまっては、危険性の低い依頼を中心にひとりで地道に稼いでいくしかない。
 本当ならば、冒険者はここから始めるのだ、ということに気が付いたとき、ふと実家のことを思い出した。
 気が付けば、心の芯のどこかがぽっきりと折れていた。

 もちろん装備が最低限になったと言っても、上がったレベルや、得た知識までなくなるわけではない。
 ファラネーサは、王都フレムダンジュからさほど遠くない。
 どうにか旅費を溜めるのは難しくなかった。

 王都へ戻ってきたはいいけれど、今さら家族に合わせる顔もない。
 貴族街の端にある実家の近くまでやってきて、だんだん足が重くなった。
 婚約も何も放りだし、家を飛び出した自分など、既に家族を名乗るのもおこがましい。
 どうしようかと迷っていたら、門の中からメイドが飛び出してきた。

「お嬢様! お嬢様ではありませんか! よくぞお戻りに!」

 涙ながらに握った手を離すまいとしているのは、兄が赤ん坊の頃からこの家に勤めてくれているメイドだ。
 振り払うこともできずに、引きずられるようにして屋敷へと足を踏み入れた。
 踏み入れた瞬間何かあるのではないかと思ったが、そんなものは杞憂で全く当たり前に玄関をくぐり、令嬢の帰還を告げるメイドの大音声に慄いた。
 大事にはされていたのだ、きっと。
 あの時、誰にも黙って飛び出すべきでは、多分なかった。

「家を出るくらいなら、何故話してくれなかった」

 帰宅するなりリディを抱きしめた次兄は、リディの元婚約者とは絶交したらしい。
 家同士のつながりも断絶したそうだ。
 話さなかったも何も、若いうちはだの、男って奴はだのと言って、元婚約者を庇わなかった者は誰一人としていないのに、何をいまさら。

 きちんと相談をしなかったと責められて、リディは考え直した。
 アディの件では大いに反省するところだが、婚約者の件に関して自責の念を覚えるのは違う。
 きちんと相談すべきだったのは間違いない。
 だが、相談すべきは婚約者をどう変えるかではなく、自分自身がどうしたいかだったのだ。

「家を出てから私は、冒険者となりました。それなりに戦えると自負しております。いずこかの家で護衛を探しているご令嬢を見つけてください」

 数年失踪していた下位貴族の令嬢を娶ろうという奇特な相手はそういない。
 また女騎士への道を選ぶにせよ、正規の騎士として訓練を受けるような年齢はとうに過ぎてしまっている。
 だから、今となってはリディの選べる道はそう多くはない。

 リディは世間知らずであることをようやく自覚した。
 令嬢としても騎士としても、冒険者としても、学ぶべきことを学んできていない。
 他人に強くなることを求める前に、きっとリディにはもっとすべきことがあった。
 何をすべきかから目を反らし、他人にばかり求めていた。
 自分がやりたいことしかしてこなかった癖に、他人に対して自分の思うようでないと見下してきた。
 自分では見下しているつもりなどなかったけれど、能力も適性も違う相手に、このぐらいなら出来るはずだと押し付けるのは見下しているのとどこが違ったのか。
 まして、強くなりたいと望む仲間がいたのなら、とも成長する道だってあったはずだったのに、リディは手を貸さず、そのくせ彼らの能力を甘受してきた。

(……これからだ。これから私は変わろう)

 何者としても中途半端。
 リディはこれからフローリディーナとしての人生を改めて歩むことに決めた。
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