桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第十話

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◆◇◆◇◆◇
「おや? わっちの部屋にこんなに可愛らしい柄の座布団ありんしたかねぇと思えば、景一じゃないかい。そんな隅っこで丸まってちゃ座布団と間違える。どうしたんだい? 客に好かねえ事をされたのかい?」
「錦姉様。ウチ……」
 ウチは錦姉様の部屋の隅っこで泣いてた。勝手に部屋に入ってたのに怒ってへんみたい。それどころか、座布団と間違えるって言いながら笑ってる。ウチは昨晩の事を一生懸命話す。姉様は頷きながら聞いてくれてた。聞き終わったらウチをぎゅうっと抱き締めてくれた。
「よぉくわかりんした。景一は何も悪くない。だから泣くのはやめて笑いなんし」
「ごめんなさい」
「わっちも昔似たようなことをされたもんでありんす。好いた男の目の前で犯されて失神しているのを見られるのは嫌だが、心の何処かで見ていて欲しいとも思っちまう。男の方はあんまり気にしてないもんさね。それに、あの坊ちゃまだろ? それなら、お前さんの身体を気遣ってくれただけさ」
「でも……すごく怖かったやの…………」
「そう見えるのも仕方ないねぇ。宗次郎様も言ってたんだが、坊ちゃまの表情はあの子の母親が亡くなってから、ほとんど変わらないんだ。怒ってんだか楽しんでんだかわからない。まあ、そんなに気にしなくとも良いさね」
「もう来てくれへんかったら、どないしょ……」
 視界が滲む。涙が溢れてしまう。姉様はウチを更に強くぎゅうっと抱き締めて、胸に埋めさせてくれて、頭をぽんぽん撫でてくれる。ウチは姉様の背に腕を回して縋りつく。
 あったかくて、良い香りがして、落ち着くの。
「すっかり心を食われてしまったんだねぇ。そんなに小焼坊ちゃまの事が好きかい?」
「あ、うぅ……ウチ……」
「別に人を好きになるのは悪い事じゃないさ。ただ、弄ばれて捨てられる覚悟はできてるかい?」
「小焼様は……そんな……」
「そうだねぇ。あの坊ちゃまの性格だと他人を弄ぶことはまず無いざんしょ。でもね景一、わっちらと違って、坊ちゃまは自由に見合いもできるし、所帯を持つこともできる。それを覚えておきなんし」
「はい、やの……」
 ウチは女郎やから、自由に見合いもできへんし、所帯に入ることもできへん。小焼様がウチの知らない女と夫婦になるってこともある。嫌や……それは嫌やの……。
「それにしても、どうしてそんなに坊ちゃまにほの字なんだい?」
「ウチを助けてくれたから……優しくしてくれたから……ウチ、悪い子やのに……頭撫でてくれたの……」
「ははぁ。なるほどねぇ。わっちにゃどうでも良い事でありんすな。それより、文乃ふみのが今なら湯屋が空いてると言ってたから行こうじゃないかい」
「はい、やの」
 ウチは自分の部屋から花柄の糠袋と手拭いと桶を持って来る。姉様は紫色の蝶柄の糠袋を桶の中に入れて待っててくれた。
 ともゑ屋を出たら、空には薄く白い雲が広がっていたけど、切れ間から青空が見えてた。
「景一と空の色は似ているねぇ」
「似てる……?」
「あっはっはっは。青くて綺麗ってことでありんす」
 姉様は笑いながら言う。ウチはなんだか恥ずかしくなって俯く。
 湯屋への道はそこかしこに女郎がいて、草履の音が静かに鳴ってる。通り道に猫が二匹おった。大きい猫が小さい猫に噛みつきながら腰を振ってる。交合してるの邪魔してごめんなさいやの。
 お風呂の中は湯気でもうもうとしてた。文乃姉様が錦姉様に伝えたように空いてる。いつも人が沢山おるのに、今はそんなにおらへん。両手で数えられるくらい。洗い場に腰を落ち着けて、桶に湯を汲み、身体を洗い流す。糠袋を身体に滑らせる。ウチの使ってる糠袋には、もち米の糠と烏瓜の実が入ってる。肌がすべすべになるからって文乃姉様が縫うてくれた。脚を開いて股間に湯をかける。
「景一。ちゃんと洗ったかい?」
「ふぇっ、姉様、だめっ」
「ちゃんと始末しない方がわっちは駄目だと思うけどねぇ」
「んっ、んんっ」
 錦姉様は指でウチの中を掻き回す。昨晩の名残が溢れてくる。それとは別に蜜も溢れてしまう。ウチは口を手で塞ぐ。湯気でウチらが何してるか周りの人にはわからんくても、声は洗い場に響いてしまう。やがてウチは達してしもて、尻もちをついた。
「おっと危なし、御開帳。なむあみだぶつ」
「うぅぅ……錦姉様いじわるやの」
「あっはっはっは。こりゃ悪かったねぇ。頭は打ってないかい?」
「うん……」
「おや? よく見たら、痣が多いねぇ。歯形までついてるじゃないかい。痛かったろ? 痛いならきちんと言わないといけないさね。後で首に巻く布をやるから、巻いておきんしょ」
「わかりました、やの」
 痛いって何やろ? 頬をつねっても少し熱く感じるだけ。胸の頂を摘まんだら痺れる感じがするだけ。
 柘榴口を屈み入ると湯煙で薄暗かった。錦姉様が「はぐれちまうから」と言って手を掴んでくれた。先に湯船に浸かってる人に頭を下げる。
冷者ひえものでございんす」
「ごめんなさい……」
 姉様とウチは並んでお湯に浸かった。姉様は「わっちはのぼせやすいから先に出るよ」と言って出てったけど、ウチはじんわり汗ばむくらいに温まってから出た。
 脱衣所に入ると、錦姉様はウチの知らない女の人と談笑してた。ウチがあがってきたことに気付いてへんみたい。ウチは身体を手早く拭いて、薄い紫色の着物を着て、お話に夢中の姉様に声をかける。
「錦姉様」
「ああ、あがったかい。……こちらは小間物屋の平松屋の女将で、おつるさんでありんす」
「本当に景一ちゃんは青い娘なのねぇ。いっつも、人が多くて見れなかったのよぉ」
「あ、あうぅ……」
「おつるさんはね、中臣屋の宗次郎様の姉様。小焼坊ちゃまの伯母と言った方がわかりやすいかい?」
「小焼様の……?」
「そう! 小焼ちゃんはあたいの可愛い甥よ。昨日なんて、好きな女の子の為に飴を買いたいらしくって、飴細工の店の前で困ってたから、つい買ってあげちゃったわ」
「へぇ。坊ちゃまが飴をねぇ……」
 錦姉様はにこにこしながらウチを見る。飴……ウチの為に買ってくれたんかな? 昨日一言も話してくれへんかった……。そうやとしたら、ウチ、嬉しい……。
「あの子、母親のアンチェちゃんが亡くなってから誰とも深く接さずにいてねぇ。ずぅっと気になってたんだけど、気になる女の子ができたようで、あたいは嬉しいの。櫛を贈りたいって想えるような子ができて、本当に良かったわぁ」
「あ、あの、ウ、ウチ……小焼様から……櫛貰いました、やの」
「あらぁ、景一ちゃんが小焼ちゃんの想い人なのね! 可愛いわねぇー。お似合いだわぁ」
 おつるさんはウチの頭を手拭いでわしわし拭いてくれた。なんか嬉しくなって頬が緩んでしまう。
 この人はウチの事を「妖怪」とか「小鬼」とか言わへんで受け入れてくれる。嬉しい。
「あたいはそろそろ店に戻るわね。またともゑ屋に寄らせてもらうわ」
「わっちの黄楊櫛が欠けちまってるから、新しいの持ってきてくんなんし」
「任せておいて! 景一ちゃんも楽しみにしててね」
「は、はい、やの」
 それじゃあねっ! と言いながらおつるさんは去っていった。宗次郎様の姉様なだけあって、豪快に笑う姿がそっくりやったやの。ちょっとだけ休憩してから湯屋を出た。
「せっかくだから麦湯でも飲んでいこうかねぇ」
「うん。あ……」
「どうかしたかい?」
 脚の間をにゅるっと粘ついた感覚がしたと思ったら、地面に赤色が落ちた。
 月の経水ものが来たみたい。
 姉様は気付いたようで「こりゃあしばらく休業でありんす」と言った。そのまま見世に帰りそうになったから、ウチは慌てて姉様の手を引いた。ウチの所為で姉様が麦湯飲まれへん。ウチ、悪い子やの。
「錦姉様、麦湯飲みに行こ? ウチはええから、行こ?」
「お前さんが良くても、わっちは良くないよ。着物を汚しちまったら勿体ないさね。それだけ上等な着物を貰ってるんだ。客に悪い」
「でも……」
「麦湯はまた今度にするさ。まずは見世に戻っておうまをしな。ついでに内所に言いなんし」
「はい、やの……」
「泣かなくて良いのさ。ああ、ほんにお前さんは泣き虫でありんすなぁ」
 涙がぶわぁっと溢れる。道の真ん中やからこっちを見て笑ってる人もおった。姉様に手を引かれて、泣きながら見世に戻った。番頭の平八さんが帳簿を置いて駆け寄ってきた。
「錦さん、どうかしやすた?」
「いんや。道すがら身体が汚れちまってね。驚いて泣いてるだけでありんす」
「ああ。……おまえ、ちっこいのに、きちんとなるんだなぁ」
「はうぅ」
「ほら景一。早く部屋に行っておうまをしなんし」
「はい、やの」
 ウチは自分の部屋に入る。
 御簾紙を折りたたんでぼぼに当てて帯を締める。手に血がついてしもた。鉄の香りがする。舐めたら少し苦くて甘かった。……ウチ、何してるんやろ。
 一階に下りる。内所から姉様が出てきた。楼主にお話をしてくれたみたいやの。
「とりあえず二日だけ休めるようになりんした。お前さんは今売れてるからねぇ、そう休ませたくないってのがあのタヌキジジイの言い分さ。鍋墨でも飲んで早く終わらせろってさ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「泣く必要は無いさ。女なら誰もがなるもんだからねぇ。突出しから、ずっと休まずにいたんだ、ここいらで少し休みな。ああ、そうだ、お前さんの首に巻く布を出してやらないとねぇ」
「わかりました、やの」
「よし。そんなら平八が麦湯を買ってきてくんなしたから、わっちの部屋で飲もうじゃないかい」
「は、はい!」
 平八さんが麦湯の入ったちろりを抱えて笑ってた。ウチも嬉しくなって、笑った。

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