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ばいばいイヌリンちゃん

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イヌリンが家出して何日も何日も過ぎた。
まるで、ぜんぶ夢だったみたいにさっぱりいなくなってしまった。
元の世界に帰って幸せにしているなら何よりだけれど、イヌリンの暮らしていた世界はもうどこにもない。
それなら、イヌリンは一体どこへ行ってしまったのだろうか。
初めて出会った橋を毎日通っているけれどイヌリンと出会うことはない。
イヌリン、イヌリン、イヌリン。

「イヌリンちゃん……」

「誰それ?」

今はお昼休み。
セテラはオカズのししゃもを箸で摘まんだまま、ぽろりとイヌリンを口からこぼした。
机を合わせて向かいに座るミヤが目をパチクリさせている。

「また風邪気味か?」

「え、ううん。平気だよ」

隣に座る絵音が気遣って、セテラの白米の上に、ちょこんと唐揚げを乗せてあげた。

「これでも食べて元気だして」

絵音の向かいに座る真理亜は、セテラの白米の上に明太子を乗せてあげた。

「何か悩んでることがあるなら聞くよ?」

「うん、ありがとうね。絵音ちゃん。真理亜ちゃん」

唐揚げと明太子の組み合わせはなかなかの珍味で、セテラはほんの少し笑顔を取り戻した。

「ミヤもこれあげる」

ミヤはセテラの白米の上に苦手な黒豆をぜんぶ乗せてあげた。
セテラは何も言わずに一つだけミヤの白米に返した。
ミヤはまた譲ろうとしたけれど、絵音が厳しい顔をするので諦めて、苦手な黒豆は白米の中に箸で埋めてしまった。

「悩みはね」

セテラは水筒の蓋に注いだお茶を一口飲んで、ふう、と溜め息を吐いてから、思い切って悩みを打ち明けることにした。

「大切なものを無くして、ちょっと寂しいんだ」

「大切なものって、セテラはあんまり物を買わないよね」

真理亜の言うように、セテラはあまり物を欲しがらない子だった。
お小遣いは基本的に貯金して、友達と遊ぶのに使う子だった。

「ハンカチでもなくしたの?それとも誰かからのプレゼントとか」

絵音の言うことは残念ながら的外れで、セテラは頭を振った。
まさか超合金チコリーなるものが生きていて家出したなんて間違っても言えない。
変な子だと思われかねない。
そう思われるのは構わないけれど、魔法のことは秘密だから。

「困ったね。話してくれなきゃ私たちにはどうしようもないよ」

「ごめんね絵音ちゃん、みんな。もう少ししたら元気になると思うから」

突然、ミヤが音を立てて箸を置き、とても思い詰めた顔をした。
そして大げさに咳払いして、厳かっぽく提案した。

「セテラ、ミヤと散歩しよう」

「いいね」

「じゃあ、みんなでまた買い物に行こう」

「ダメだな。ミヤと二人で行く」

「どうして?」

「真理亜、いいか。二人きりじゃないと話せないこともあるだろう」

「ミヤは、もしかしてセテラが失恋したと思ってるの?」

絵音の推測にミヤは三度も頷いた。

「そうに決まってる。な?」

「ううん。違う」

「じゃあ、知らない」

「ええ!」

そう言われては、それはそれでショックだった。
セテラはもっと落ち込んでしまった。
心のどこかでイヌリンに嫌われたのではと考えていたから、友達からの見捨てるような一言はセテラの心を抉るのに十分だった。

「セテラ泣かないで」

絵音は慰めるように背中を擦ってくれた。

「泣きはしないけど、傷付いたもん」

セテラは頬を膨らませて黒豆を残さずチマチマ返却してやった。
ミヤは反省したようで、ごめんな、と一粒口に入れる度に呟いた。
彼女なりの罪滅ぼしらしい。
それは十二回も続いた。

「ミヤはセテラのことが好きだからな」

涙目になっているミヤがちょっと可哀想で、でもなんだか可愛らしくて、セテラはミヤの白米の上に子持ちししゃもを乗せてあげた。

「ミヤちゃん、ありがとう。元気出たかも」

ミヤは子持ちししゃもを頬張って、まるで赤子のように微笑んだ。
そのやり取りを見て和んだ絵音と真理亜は顔を見合わせてクスッと笑った。

「ようし!お弁当をしっかり食べて、運動の日に向けて練習をがんばるぞ!」

セテラは意気込んで、ご飯を口に掻き込んだ。

「じゃあ、リレーの練習しよう。みんなでおいかけっこしようよ」

「私、運動の日が近いからしばらくスイミングスクールを休むの。だから今日は私も追いかけるよ」

絵音が言うと、真理亜がそれを厳しく制止した。

「だめ。私が追いかける」

「あ、追いかけるのはいつも真理亜の役目だったね」

「うん!」

「じゃあミヤは隠れる」

「じゃあ私は見つける」

ミヤとセテラは、かくれんぼをするつもりらしい。
絵音は「これじゃあバラバラじゃない」と呆れながら言った。
その日の夕方。
公園で、結局二チームに別れてそれぞれに遊ぶことになった。
もう運動の日に向けての練習でもリレーの練習でも何でもない。
それでも友達と遊ぶのは心から楽しかった。
鬱々とした気持ちを晴らしてくれた。
セテラはミヤを探しながらもイヌリンが隠れていないか探してみた。
しかし、どちらも見つけることは出来なかった。
二人とも隠れるのが得意だった。
イヌリンはいつまで隠れているつもりだろう。
ひとりで寂しくないだろうか。

「セテラ」

「ひゃあ!真理亜ちゃん!」

考え事をしているところ、いきなり後ろから肩を叩かれて、セテラは飛び上がるほど驚いた。

「驚かせてごめんね」

「ううん。どうしたの?」

「もし見つからなくても諦めちゃだめだよ。セテラにとって、とっても大切なものなんでしょう」

「学校での話?」

「うん。だって、今も探しているみたいだったから」

セテラは、また心配をかけたことが申し訳なくって目を落として俯いた。
真理亜はそんなセテラの頬を人指し指でぐいと押し上げた。
笑顔を作るように。

「元気な気持ちまで無くしちゃ、だめ、だからね」

真理亜はとびっきりの笑顔で言って、また絵音を追いかけに戻った。
彼女の柔らかな笑顔に照らされたセテラは明るさを取り戻した。

「私、決めた」

たとえ見つからなくてもいつまでも探してやろう。
だって大切な友達だから。

「ミヤ!みっけ!」

ミヤは危なっかしいことに木の上に隠れていた。
それなら、イヌリンはもしかしたら地面の下かも知れない。

「何してるんだ?」

数日後の休日。
セテラがスコップで庭を穴だらけにしていると、パパが興味深そうに声をかけてきた。

「探し物」

「庭に何か埋めたの?」

「そういうわけじゃないけど」

「あんまり穴だらけにすると危ないよ」

「そうだね」

「何か落としたなら一緒に交番へ行こう」

「交番……それだ!」

セテラは言うが早いか駆け出した。

「セテラ!この穴はどうするんだ!」

「パパお願いしまーす!」

セテラは自転車に股がると、さっさと走り去ってしまった。
一人、ぽつんと庭に残されたパパはスコップを手にして黙々と庭の穴を埋めていく。

「すみません!」

さて、セテラはいつもの駅前までやって来て交番へ駆け込んだ。
セテラの慌てた様子に、警防団の初老のおじさんがおもむろに腰を上げた。

「どうしました?」

「落とし物がありませんか?」

「何を探しているのかな」

「えと、これくらいの大きさの」

セテラは手を大きく使ってチコリーを再現した。
警防団のおじさんは親切な人で、顎に手を置いてふむふむと相槌を打っている。

「超合金のチコリーです!」

「超合金か。それはつまり、おもちゃ、かな」

「そんなとこです」

「ちょっと待っててね」

警防団のおじさんは机にある電話で誰かと話して、しばらくして受話器をそっと置くと、残念そうな顔してそういった落とし物はないとセテラに告げた。

「ありがとうございました」

セテラは肩を落として帰宅することになった。
自転車を置いて、ふと庭を見てみると、黙々と穴を埋めているパパの背中を見つけた。
セテラは駆け寄って、その背に飛び付いた。
パパの背中は大きくて硬かった。

「パパ、ごめんね」

「探し物は見つかったかな」

「ううん。落ちてなかった」

「じゃあ、パパが各駅に連絡してみるよ」

セテラのパパは駅舎に勤める人だった。
どこかの駅に落とし物として預かっていないか探してくれるという。

「パパありがとー」

「それで、探し物は何?」

「超合金チコリー」

「は?」

「セテラの半分くらいの大きさだよ」

「あ、机に置いてあったものか」

「私の部屋に入ったの?」

「前にハサミを借りようと思ってね」

「ふーん。でも、見たなら分かるよね」

「分かるよ。じゃあ、さっそく掛けてみよう」

「うん!」

「ただし」

とパパは言って、セテラに穴をきちんと埋めることを命じた。
セテラはそれに従って、自分が掘った穴をきちんと埋める作業をはじめた。
そうして、くたくたになって作業を終えた頃にちょうどランチタイムとなった。
ママの作ってくれたナポリタンを食べながらパパの結果報告を聞く。

「落とし物はなかった」

セテラはガッカリして、口からパスタを垂らして硬直した。

「でも、見かけたそうだ」

「本当に!」

希望が見つかった。
セテラは嬉しくてナポリタンをこれでもかとフォークに巻く。

「隣町だ。地下鉄に乗らなきゃいけないくらい、とても遠いところだ」

「なら、家族三人で探しに行こう」

ママが、ぱっと思い付きで提案した。

「え?家族三人で?」

「帰りは夜になってしまうでしょう」

「そっか」

「あなたが、イヌリンちゃん、て呼ぶあれを大切にしているの見ているからね。ママもなくなると寂しい」

「ママ……」

パパがフォークを置いた。
その音を聞いてセテラがパパを見ると、パパはジッとテーブルの一点を見つめて真剣な顔をしていた。
まるでセテラの問題を自分の事のように受け止めている様子だ。

「セテラにとって、そのイヌリンちゃんは友達なのか」

「そうだよ」

「だったらパパも賛成だ。セテラの大切な友達なら何としても見つけよう」

「パパ……!」

こうして、セテラは家族三人でイヌリンを探しに出掛けることになった。
駅までの二十分ほどの散歩はセテラにとって嬉しい時間になった。
家族三人で並んで散歩するのは久し振りだった。
煉瓦造りの立派な駅舎の前にはやっぱりたくさんの人がいた。
ちょうど、カラクリ仕掛けの水時計の針が二時を知らせる鐘を鳴らした。
透明なケースの中に巡らされた管の中を水が走り、水車を回すことで仕掛けが駆動する仕組みになっている。
立ち止まってその様子を観察していたママが、ふと思い出話を語る。

「ここで、パパとよく待ち合わせをしたのよ」

「そうなんだ」

「パパは列車が好きだから、ママはこの水時計が好きだから、ちょうどいい待ち合わせ場所だったの。ここに座って、のんびりすることも多かったよね、パパ」

「うん。懐かしいね」

「ふーん。ラブラブだ」

セテラがニヤニヤしながら見上げているのに気付いて、パパは赤い顔を見せないように先に歩き出した。
母娘は顔を見合わせて悪戯に笑うと、手を繋いでその背中を追いかけた。

「中もすっかり変わったよね」

ママはあまり駅に来ることはないので、珍しそうに辺りを見渡している。
駅の中は外観とは反対に近代的だ。
あちこちの柱に液晶パネルがあって広告を映していたり、飲食店はもちろん服屋から本屋に雑貨屋等、どのお店もお洒落に装って綺麗に並んでいる。
人気のスイーツ店には行列が出来ていた。
休日でなくともあのお店は人がよく並んでいる。
セテラもお気に入りのパフェがおススメだ。

「途中で乗り換えるから。パパとママから離れないように」

「分かってるよ。もうそんなに子供じゃないもん」

四番線のホームで立ち止まる。

「そうだね。大きくなった」

パパは感慨深く呟いて、むくれるセテラの頭を包むように柔らかく撫でてやった。
と、そこへ流線型の列車が滑り込んでくる。
ホームに備えられた線路への侵入を防止する自動ドアが開いて、それから列車の扉が開いた。
あっという間に大勢の人を吐いては飲み込んだ列車はスムーズに走り出した。
車窓から照明の明かりでオレンジソーダみたいにきらきらする町を眺めながら八つの駅を過ぎて、地下鉄の交わる終点で降りた。
ここは箱庭の端に位置する。
セテラは列車から降りると、目前にそびえる大きな壁を見上げながら、その液晶に映る平坦な世界を眺めては少し前に体験した本物の世界を思い返した。
箱庭の中とは違って、風が自由で匂いに遊びがあった気がする。
そして、心が浮いてしまうくらい空がどこまでも高く続いていて、その先に神秘的な満月が浮かんでいた。

「セテラ、行くよ」

ママに手を引かれてセテラは現実に戻った。
もう一度振り向いて壁を見上げ、前に向き直り歩を速めた。

「さあ、着いたぞ」

地下に降りて、また別の流線型の列車に乗ること二時間。
一行は、ようやく隣町までやって来た。

「この駅で見かけたんだよね」

パパは頷いて、目の前にあるコインロッカーを軽く叩いた。

「そうだ。このコインロッカーの前に転がっていたらしい。それが不思議なことに、人が通り過ぎたあと一瞬で消えたんだ」

ちょっとギクリとした。
きっと魔法で消えたのだろう、大事にならなくて良かった。

「さあ、どう探したものかな」

その時、セテラは胸を引かれる微かな思いに気付いた。
まるで心から一本の糸が伸びていて、それが何かに引かれているようだ。
この感覚はパラドクスロボットの出現時に感じたものと似ていた。
しかし、恐怖ではない。
悲しい?
とにかくセテラはその糸がイヌリンに繋がっていると信じて辿ってみることにした。

「セテラ、どこへ行くの?」

ママが心配そうに声を掛ける。

「こっち!ついてきて!」

セテラを先頭に三人は駅から外に出て、駅前の繁華街まで来た。
そこを通り抜けて、五階建てのショッピングモールへ辿り着く。
ここは小さな水族館に大きなゲームセンターがあって、ちょっとしたテーマパークのようなところだ。
セテラも何度か連れてきてもらっている。

「遊びたいの?」

「ううん。言ったでしょう。こっちの気がするの」

よく分からないと要領を得ないママの肩をパパが優しく叩く。

「まあ、信じてみよう」

「うん。そうね」

ショッピングモールへ入ると、いきなり糸がてんでバラバラの方向に伸びた。
ショッピングモールのあちこちにイヌリンを感じる。
セテラはまず、一階にある水族館を目指した。
入場料を払ってもらい中に入る。
たまに目を奪われちゃうけれど、それでも懸命にイヌリンを探すセテラ。
その娘の姿を見て、両親はより協力的になってイヌリンを探してくれた。
ところが、ここにはいないようだ。
糸は一巡りすると、ふわっ、と綿菓子のように溶けてしまった。

「次!」

セテラはショッピングモールの中をあちこちに歩き回る。
糸は見つかっては溶けてなくなった。
両親は何も言わず娘のあとをついて歩き、彼らもまた探すのを諦めなかった。
そしてついに、三階に上がって、セテラはイヌリンを発見するに至る。
イヌリンはゲームセンターの奥にある自販機の隣、植木と植木の間に挟まって隠れていた。

「見つけたあ!!」

幸いなことに目立つほど大きかったので発見することが出来た。
くるっと回転させるとセテラの描いた顔が確かにあった。
それはママもパパも確かに見覚えのある顔だった。
やや掠れて、笑っているのに儚い雰囲気を醸していた。

「あら、本当に見つかるなんて」

「不思議なこともあるもんだ」

両親は驚きもしたが、何よりとても安心した。

「君を感じた。どうしてここが分かったの?」

イヌリンがテレパシーを使って話し掛ける。
セテラも心のなかで返事した。

「私もあなたを感じたの」

「あ、そうか。契約したからかも」

「家に帰ったらお説教だからね」

「え?」

「一緒に帰ろう。それとも、もしかして嫌?」

「嫌じゃないけど……」

パパが、なかなか立ち上がらないセテラの隣に膝をついた。

「どうした?まさか友達は家に帰りたくないって?」

「うん」

ママもセテラの隣に屈むと、イヌリンの超合金の肌を、いつも娘にしてあげるように撫でた。

「イヌリンちゃん帰っておいで。セテラが寂しがってるよ」

「二人は友達なんだろう。なら、パパもママもイヌリンちゃんを歓迎するよ」

二人はイヌリンに命があることなど知らないはずなのに、まるでセテラの友達に話すのと同じ調子で優しい言葉を掛けた。

「セテラ……」

「なあに?」

セテラは声に出してきいた。

「私、帰りたい!」

「うん。帰っておいで」

両手でしっかりとイヌリンを抱き上げる。
ズッシリした重みは懐かしく愛おしく感じた。

「重そうだな。パパが持つよ」

「だめ!」

どんなに重くてもセテラは自分で持って帰ることを決めた。
イヌリンは、あえて、魔法で軽くすることをしなかった。
今は自分のすべてを彼女に委ねたかった。

「いただきまーす!」

それから三人は夕食にしようと、最上階にある派手なレストランへやって来た。
そこはビュッフェ形式になっていて、セテラは食べたいものを、ほぼ全種、二つずつ皿に乗せてテーブルへ運んだ。
十一才の女の子が食べきれるような量にはとても見えない。
が、セテラはあっという間に半分をペロリと平らげた。
それを隣で見ていたイヌリンは「よく食べるね」と感心する。
と、折悪く、にわかに嫌な感じがした。
セテラも感じたらしく、むせたあとに水をぐいぐい飲んだ。
目を丸くしてイヌリンを見下ろす。

「イヌリンちゃん。終わったはずだよね」

「うん。でもこの感じ……どうして」

二人は心のなかで会話を交わす。

「セテラ、見て」

一瞬にして世界が重なった。
あの日と同じ現象だ。
世界の終わり、ディスオーダー。
半透明の世界が一瞬にして現れた。
ビジネススーツを着た大人たちが、よく磨かれた真っ白な通路を忙しく歩いていた。
彼らはセテラの様子を伺う両親の間、その向こうを目指して歩いていた。
彼らは突き当たりで通路を右に折れている。
目で追い、頭を回して視線を店のガラス窓の外へ移すと、そこにはここショッピングモールを超える巨大なスペースシャトルが直立していた。

「すっ……!」

すごい、と言いかけたセテラは両親の顔を交互に見て。

「すっごく美味しいね!」

と無邪気に誤魔化した。
両親はセテラが満足しているのを見て嬉しそうだ。
一方でセテラは、もう興奮で目が剥き出しになっていた。

「あれロケットだよね」

「スペースシャトルね。もしかしたら、宇宙航行技術の発達した世界と重なったのかも知れない」

「ここにいたら発射を見られるかな?」

「残念だけど、今はそんな場合じゃないでしょう。しっかりしてね」

「うん……ごめんなさい」

セテラは素直に反省した。
世界が消える緊急事態だ。自分勝手に喜んではいられない。
セテラは気を引き締めるとナプキンエプロンを外し、イヌリンを抱えてトイレに急行した。

「セテラってば、イヌリンちゃんをトイレに持っていっちゃった」

「まあ、長い別れのあとの再開だ。気持ちは分からなくもない」

セテラはトイレから人がいなくなるのを待って、一番奥の個室へ飛び込んだ。
大きなコンピュータに圧迫されて少し落ち着かない。

「気配はロケットと反対の方、ずっと向こうからする」

「うん。行こうセテラ」

セテラは小声で変身の呪文を唱える。

「願いよ願いよ飛んでけっ」

個室が淡い光でピカッと満たされて、セテラは魔法少女に変身した。
しかし、飛び出した杖を手に取るも重さに負けて頭の超合金をドアにぶつけてしまった。
超合金にやられた木製のドアはバキッとへこんでしまった。

「うわわっ、やっちゃった」

「大丈夫大丈夫。君はいま魔法少女なのよ」

「そっか」

セテラは杖の先端をへこみに向けた。
そして、思い付きで魔法を使ってみる。

「痛いの痛いの飛んでけ」

すると、また個室が再度ピカッと光に満たされて、へこみはすっかり元に戻った。

「おお……私ってばすごい」

「これでいいね。さ、行こう」

「うん!ホップステップジャンプ!」

個室が三度ピカッと瞬いて、二人は一瞬で箱庭、その壁の外へと移動した。
そこは一本の大きな川が流れる草原だった。
周囲にはガラス張りの巨大なビルが密に生えていて、人々は鉄の道路を歩いていた。
セテラたちはまさか交差点の真ん中にいて、迫りくる車に似た乗り物から大慌てで逃げた。

「怖かったよぅ……道路の真ん中に出るなんて……」

「当たらないから、て言っても平気なわけないよね」

「うん。びっくりしちゃう」

セテラは胸を撫で下ろし、深呼吸して気を取り直す。
新鮮で冷たい空気はセテラにとって初めての味わいだった。
肌寒いけれど、それとは別に気分がスッキリした。

「さあ、次のパラパラロボットはどんなのかな?」

「パラドクスロボット、ね」

意を決して振り向くと、ビルよりも遥か上空で、セテラも本やテレビなんかで見たことのある巨大惑星がぼんやりと発光していた。
背後で輝く星よりも、もっともっと美しく、目も心まで奪われてしまいそうな輝きだ。

「土星?」

「うん。そうそう、間違いない」

超悪魔合金メテオシャワーの襲来である。
それは不意打ちと先制攻撃を放ってきた。
敵は土星の輪から幾つもの魔法弾を飛ばす。
それは相当に冷たいらしく白い尾を引いて、まさに流星群となって二人へ降り注いだ。
魔法弾は、その一つ一つの大きさが家ほどある。
あっという間に、セテラ達のいた草原は爆発の後にクレーターだらけになってしまった。
しかし、セテラは無事だった。
ギリギリのタイミングでジャンプしたのだ。
箱庭の上から、上空彼方の敵を睨むように見据える。

「みんなが暮らす……ここを守らなきゃ!」

セテラは杖を持つ手に力を込めた。
イヌリンの体から超合金ロボット、メクルメクアイが具現化される。
メクルメクアイは箱庭の半分ほどの大きさだ。
しかし、メクルメクアイが小型というわけではない。
山を完全に被う箱庭が巨大すぎるためだ。

「前よりすっごく高いけど、私怖くないもん!」

セテラは目をつむると、体を丸めて思い切って箱庭の上から飛び降りた。

「願いを乗せてー!!」

叫び、いや悲鳴とともに光となって姿を消したセテラはブレインルームへとジャンプして、その体は見えないクッションに受け止められて深く沈んだ。

「ちょっとちょっと、わざわざ飛び降りなくてもいいのに。私ヒヤッとしたよ」

「えへへ。なんとなくやっちゃった」

セテラはベロを出して照れ笑う。
そして跳ね起きて、台座まで駆け寄り魔法の杖オーティスティックをしっかり差し込んだ。

「光り輝け!メクルメクアイ!」

呼応してメクルメクアイが起動する。
同時に開けたスクリーンの向こうで、さっきと同じ流星群が迫っていた。
セテラの頭へ、それの対策、その方法がイメージとなって瞬時に流れ込んできた。

「バリアがあるんだ。ようしそれなら」

次の瞬間、迫る流星群は展開された大きな魔法陣にぶつかって、音もなく細かな粒子になり霧散していた。
粒子の霧のなか、メクルメクアイが威嚇するように緑の目を光らせる。

「ほっ、間に合った。イヌリンバリア」

メクルメクアイは右手を突き出して、素早く魔法障壁を展開したのだった。

「イヌリンつけないで。それは対消滅魔法障壁といって」

「難しいことは分かんない!」

ロボットに備えられた基本機能や装備の情報は、杖を通じてセテラの脳内へと直接インプットされる。
それをイメージとして上手に受け取ったセテラは、抜群のセンスを発揮して身に付け、これから続く戦いを生き抜いていく。

「飛ぶよ!しっかり掴まってて!」

セテラの指示を受けたメクルメクアイは、全身に反重力魔法粒子を纏わせると、さらに足裏に装備されたマジカルロケットを利用して高く高く跳躍する。
そして、肩のマジカルジェットからミラクルエネルギーを全開で噴射して敵の真上を通り過ぎた。
通り過ぎるのに二秒を要すほど敵は巨大だった。
間近で見ると、足が竦むような威圧をひしひしと感じる。
メクルメクアイは空中で身軽にクルンと体を翻すと、マジカルジェットを再度全開にして噴射した。
右足をうんと伸ばして、爪先を刃のように仕向けて、全身を一刀の剣にして、渾身の蹴りを敵に打ち込む。

「イヌリンキーック!」

グワーン!
と凄まじい重厚音がしたが、敵の体には傷一つ付いていない。
メクルメクアイは後方宙返りして鋼の荒野へ着地すると、続けて連続イヌリンパンチでガシガシ殴ってみた。
が、これも空しく効果はないようだ。
そこへ、反撃に流星群が降り注いできた。
イヌリンバリアを傘にして攻撃を防ぐ。

「ここなら、みんなが危ない目に遭うことはないね」

「そうだけど、いつまでももたないよ」

「どうしたらいい?」

イヌリンはとりあえず敵の体を透視してみることにした。
敵の体は土星を模しているものの、超合金ゆえか現実の土星と違ってガス惑星ではなかった。
厚い超合金による幾層の外殻下には空洞があり、それが核なのか、例の時計盤、ラグナクロックだけがぽつんと中空に浮いていた。
針の進みまでは分からない。
その他はエネルギーが満ちているばかりであった。

「それなら……一か八かどうにかこうにか穴を開けて……」

イヌリンはブツブツ呟きながら考えあぐねる。

「私、ちょっと疲れてきたかも」

「もう少し、もう少しだけ持ちこたえて。どうしたら分厚い超合金に穴を開けられるか考えるから」

「穴を開けるの?それなら、あれしかないね」

「バリアはエネルギーしか消滅させられないのよ」

「違うよ。必萌技のことだよ」

「でも、前の奴よりとても分厚いよ」

「うーん……」

セテラは少し考えたあと何か閃いた様子で、自信満々の笑みを浮かべて胸を叩いた。

「大丈夫!私を信じて!」

メクルメクアイが、その場から垂直に急上昇する。
迫る流星群はイヌリンバリアに当たって散り散りになって消えるが、いつまでもなくなりそうにない。
こちらの気力が尽きるのが先だろう。
必萌技で、それも一撃で決めなくてはならない。
セテラは拭えない不安を悟られないように歯を食い縛りながらも笑い続けてみせた。
メクルメクアイはやっと敵の外殻から脱出すると、川の中へ派手に着地した。
跳ねた川の水が星の光を乱反射させて機体をきらびやかに飾った。

「イヌリンバリア!」

このイヌリンバリアは衝撃波として撃たれ、敵の流星群を粉砕しながら、そのままの勢いで土星の傍らにある輪の一部を消滅させた。
セテラはその向こうに青い満月を見つける。

「水よ水よ集まれ!」

セテラはもう慣れたみたいに魔法を使って、川の水をメクルメクアイの前に集めた。
水は円を描いて広がった。

「分かった!レンズにするのね!賢いじゃないセテラ!」

「ふふーん。まあね」

セテラは鼻を擦り胸を張った。
いつか学んだ理科の知識が役に立った。
メクルメクアイに搭載されている量子コンピュータが水の凸レンズと凹レンズ複数枚を正確に並べ微調整をする。
その間に同時進行で、体内では魔法粒子加速器がフル稼働してミラクルエネルギーが迸る。
ネオン管が穏やかさのなかに絶対に勝つという意思を秘めてヴァーミリオンに蛍光する。

「セレン!」

「テルル!」

殲滅の用意が整い、二人は声高らかに呪文を叫ぶ。
間もなくミラクルエネルギーはラブバースト。
メクルメクアイの胸部が肩と脇下の四方向にスライドして開き、暴れるミラクルエネルギーが満を持して解き放たれようとする。
今こそ二人は心と声を重ねた。

「ラブレター!!」

ついに解き放たれたミラクルエネルギーはレンズを通り、収差補正されて一点により細く集約、そして魔法推進力により光速を越えて、真っ直ぐに月まで届いた。
その表面でミラクルエネルギーは密に増幅し、反射。
細く鋭い魔法の矢が満月の中心で閃光、回避など許さず、刹那に敵の分厚い外殻を、中心にあるラグナクロックを見事に撃ち貫いた。
僅かに遅れて、敵の体に開いた上下斜めの穴からエネルギーの光が漏れた。
その直後、敵の体内でエネルギーは収縮。
それが限界を迎えて螺旋に激しく爆発した。
敵は内側からの衝撃に耐えられず木っ端微塵に吹き飛んだ。

「わあ……!」
  
敵の残骸は爆風に乗って螺旋にどんどん広がり、幾つもの光の層で虹色の銀河を描いた。
その中心を、一台の立派なスペースシャトルがシュッと突き抜けて消えていった。

「最高の思い出になったね。イヌリンちゃん」

「うん。ずっとずっと忘れないよ」

さて、こうして苦闘の末に勝利してご褒美を堪能したセテラは、とてもいい気分でトイレの個室へと舞い戻った。
のだが……。

「大丈夫ですかあ!元気ですかあ!」

「わわっ!」

突然、ドアを激しくノックされた。
両親が心配して店員さんを呼んだらしい。
食べ放題の時間はとっくに終わってしまっていた。
トイレに向かって二十分余りあとに起きた悲しい事件である。

「うぅ……ごめんなさあい……」

魔法少女は苦労の連続だとセテラは早くも思い知ることになった。
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