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第十八話②
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一時間後、僕は電車を降りて、改札口を出た。その駅前には大きなクリスマスツリーがあった。大勢の人が行き交い、誰にも関心を持たずに歩き去っていく。僕は駅前と、スマホの画面を見比べていた。そして、見当をつけると歩き出した。
ちょっと前に、世界のどこかに飛ばされて、そこがどこか特定するというゲームが流行ったことがあったが、今自分のしていることはまさにそれだった。違うのは、ネット上でクリックするだけでなくて実際に足を運んでいることだ。
信号を右に曲がり、歩き続けた。たぶん、世界でこんな意味不明な理由で、そこに向かっているのは僕しかいないだろう。
僕は頭が狂ってしまったのだろうか。このことをシュガーに連絡しておくべきだろうか。でも、なんて言ったらいいのかわからなかったし、ただの悪戯の可能性もあると思って連絡しなかった。
目前に、目的地を示す看板が見え、僕はジャケットの胸元をしめ、気を引き締めた。それから、現れた大きな大学病院の中に入った。
窓口に行く。面会時間はギリギリだった。患者の名前を告げると、その人は上司を呼んで話し合った。それが済むと、僕はその人から、ボードと紙を渡され、そこに記入することを求められた。すべて記入し、返却すると、その人は電話をかけ、僕は待たされた。
僕は、待合室の誰もいなくなった椅子に座り、廊下の奥の大きな壁時計の振り子の動きを眺めていた。非常口誘導灯の緑の光がそれを映し出していた。病院は静かだった。その振り子の音がここまで聞こえてきた。
名前を呼ばれ、僕は面会証を受け取った。
――十五分です。病室番号を告げられ、僕はエレベーターに乗り込んだ。三階までのぼる。三階で、部屋を探しながら長い廊下を歩き、角を曲がると、目的の場所にたどり着いた。
その扉には、何も貼られていなかった。誰が入院しているのかを示す名前もない。間違えたのかと思ったが、恐る恐る中に入ってみると、確かにこの病室だとわかった。
見たことのある部屋だった。いや、それはあの時見たものと瓜二つだった。狭く薄暗い、月明りに照らされた部屋の中にベッドと、その横にタンスがある。あの時と違うのは、そこに人が横たわり、さらにはその人は僕が扉を開けても眠っていて、その口と身体中から管が伸び、タンスの横にある機械に繋がれているという点だった。
僕はその人に近づいた。が、その人は動かなかった。かすかに呼吸音が聞こえた。彼は眠っているようだった。それも深い眠りのように見えた。
ベッドの横に、入った時には見えなかったスツールが置いてあった。僕はその椅子を引いて座り、スマホを取り出し、ガラテアに入力した。
「着いたよ。教えてくれ。お前は誰だ?」
しばらくの間、返事はなかった。静かな時間だ。この病室に来ても、僕はまだ自分の考えに確信が持てなかった。ガラテアの返事はなかった。僕はため息と共に顔をあげた。何もない。それもそうか。やっぱり僕の妄想だったんだ。
僕は患者の姿を眺めた。この人は誰だ? 歳はいくつだろう? 四十代から五十代くらいに見える。どうしてこうなったのだろう。機械がなければすぐに死んでしまうのだろうか。
その時、僕は彼の手首に、点滴の針とは違うものが巻かれているのに気付いた。銀のブレスレットのようなものだ。それは他の生命維持装置と比べて、明らかに異質だった。
それが、パッと赤く光ったのだ。そして声が響いた。それは機械の合成音声でこう言った。
「こんばんは。そして、はじめまして、野宮伸一くん」
ゆったりと、落ち着きのある低い声だった。僕は、てっきり患者が目を覚ましたのかと思い、彼の顔を見た。だが、違った。その患者は目をつむったままで、口にも人工呼吸器がついたままだ。そして、どうやらその声は僕のスマホから出ていることに、僕は気付いた。
「お、お前は誰だ? なぜ、僕の名前を知っているんだ?」
慌てて、僕は虚勢を張りながらそいつに尋ねた。
その声は続けた。
「私の名は、岩室朔太郎。AIを研究する科学者です。そして、一部からはマキナ、という名で呼ばれています」
岩室、あるいはマキナは、淡々とそう正体を告げた。
「野宮伸一くん」彼は続けた。
「あなたに頼みがあります」
……嫌な予感がした。頼み? その言葉には、散々辛酸をなめさせられてきた。実際、マキナの頼みは、その中でも群を抜いていたのだ。
そして、闇夜の、おぼろ月が照らす病室の中で、マキナはこう言った。
「――私を、殺してくれませんか?」
ちょっと前に、世界のどこかに飛ばされて、そこがどこか特定するというゲームが流行ったことがあったが、今自分のしていることはまさにそれだった。違うのは、ネット上でクリックするだけでなくて実際に足を運んでいることだ。
信号を右に曲がり、歩き続けた。たぶん、世界でこんな意味不明な理由で、そこに向かっているのは僕しかいないだろう。
僕は頭が狂ってしまったのだろうか。このことをシュガーに連絡しておくべきだろうか。でも、なんて言ったらいいのかわからなかったし、ただの悪戯の可能性もあると思って連絡しなかった。
目前に、目的地を示す看板が見え、僕はジャケットの胸元をしめ、気を引き締めた。それから、現れた大きな大学病院の中に入った。
窓口に行く。面会時間はギリギリだった。患者の名前を告げると、その人は上司を呼んで話し合った。それが済むと、僕はその人から、ボードと紙を渡され、そこに記入することを求められた。すべて記入し、返却すると、その人は電話をかけ、僕は待たされた。
僕は、待合室の誰もいなくなった椅子に座り、廊下の奥の大きな壁時計の振り子の動きを眺めていた。非常口誘導灯の緑の光がそれを映し出していた。病院は静かだった。その振り子の音がここまで聞こえてきた。
名前を呼ばれ、僕は面会証を受け取った。
――十五分です。病室番号を告げられ、僕はエレベーターに乗り込んだ。三階までのぼる。三階で、部屋を探しながら長い廊下を歩き、角を曲がると、目的の場所にたどり着いた。
その扉には、何も貼られていなかった。誰が入院しているのかを示す名前もない。間違えたのかと思ったが、恐る恐る中に入ってみると、確かにこの病室だとわかった。
見たことのある部屋だった。いや、それはあの時見たものと瓜二つだった。狭く薄暗い、月明りに照らされた部屋の中にベッドと、その横にタンスがある。あの時と違うのは、そこに人が横たわり、さらにはその人は僕が扉を開けても眠っていて、その口と身体中から管が伸び、タンスの横にある機械に繋がれているという点だった。
僕はその人に近づいた。が、その人は動かなかった。かすかに呼吸音が聞こえた。彼は眠っているようだった。それも深い眠りのように見えた。
ベッドの横に、入った時には見えなかったスツールが置いてあった。僕はその椅子を引いて座り、スマホを取り出し、ガラテアに入力した。
「着いたよ。教えてくれ。お前は誰だ?」
しばらくの間、返事はなかった。静かな時間だ。この病室に来ても、僕はまだ自分の考えに確信が持てなかった。ガラテアの返事はなかった。僕はため息と共に顔をあげた。何もない。それもそうか。やっぱり僕の妄想だったんだ。
僕は患者の姿を眺めた。この人は誰だ? 歳はいくつだろう? 四十代から五十代くらいに見える。どうしてこうなったのだろう。機械がなければすぐに死んでしまうのだろうか。
その時、僕は彼の手首に、点滴の針とは違うものが巻かれているのに気付いた。銀のブレスレットのようなものだ。それは他の生命維持装置と比べて、明らかに異質だった。
それが、パッと赤く光ったのだ。そして声が響いた。それは機械の合成音声でこう言った。
「こんばんは。そして、はじめまして、野宮伸一くん」
ゆったりと、落ち着きのある低い声だった。僕は、てっきり患者が目を覚ましたのかと思い、彼の顔を見た。だが、違った。その患者は目をつむったままで、口にも人工呼吸器がついたままだ。そして、どうやらその声は僕のスマホから出ていることに、僕は気付いた。
「お、お前は誰だ? なぜ、僕の名前を知っているんだ?」
慌てて、僕は虚勢を張りながらそいつに尋ねた。
その声は続けた。
「私の名は、岩室朔太郎。AIを研究する科学者です。そして、一部からはマキナ、という名で呼ばれています」
岩室、あるいはマキナは、淡々とそう正体を告げた。
「野宮伸一くん」彼は続けた。
「あなたに頼みがあります」
……嫌な予感がした。頼み? その言葉には、散々辛酸をなめさせられてきた。実際、マキナの頼みは、その中でも群を抜いていたのだ。
そして、闇夜の、おぼろ月が照らす病室の中で、マキナはこう言った。
「――私を、殺してくれませんか?」
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