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第九話①

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 いったい、どうしてしまったのだろう。〝ANNE〟と出会ってからというもの、――いや、その前からそうだったとは思うのだが――世界がさらにおかしくなってしまったような気がする。

 あの日残りの時間で、君人と一緒にオブスキュラ世界を回ったが、願いが通じたのか、僕はもう例のNGワードに出会うことはなかった。それが普通で、平常の世界だと思っていたのに、後々それが大きな間違いだったと気付いた。実際、あれ以降、直接その単語を見ることはなかったが、僕の頭はあの二つの言葉に、それもちょっと音が似ているだけでも過剰に反応するようになってしまったのだ。

「あんなー! ちょっとこっち来てー!」「あんなあ、お前、そりゃないぜ」「なあなあ、お前、こし餡派? 粒餡派?」「お国柄ってことじゃないの」「相良、手伝って!」「だから! 手洗いしてってば!」

 これは、僕が狂ってしまったのか、それとも日本語という言語が同じ音を使い過ぎているせいなのか? それはわからないが、おかげで、NGワードを聞かなかった日の方が珍しい。僕たちって案外、普段から暗号じみた会話をしているのかもしれないな。
「鶏ガラ、手洗い」僕は一人そう呟き、あまりの馬鹿らしさに苦笑した。

 もし、世界がおかしくなったことの根拠がこれだけなら、それは世界がおかしくなったのではなくて、自分がおかしくなったのだと思うべきだろう。実際、そうであってほしかった。だが、そのような空耳が増えただけじゃなく、他のところも変わっていた。

 まず、君岡だ。こいつの変化はちょっとずつだけど確実にあった。そしてそれは、君岡がオブスキュラにのめり込むほど、大きくなっているような気がした。

 君岡が現実を下げるようなことを言い、オブスキュラに開かれている可能性を称賛するという流れに大きな変化はなかった。ただ、そうしたことを言った後の、熱狂が醒めた後の、どこか虚しいような表情は気になったし、実際、本当に時々だが、学校を休むことも増えた。まあ、どうして休んだのか君岡に聞いても真面目に答えてくれなかったが、僕はそれがオブスキュラと関係あるのではないかと思っていた。

 それから僕の家族。まあ、母さんがおかしいのは、今に始まったわけではなかったが、どうやら最近、それが、父さんにまで波及したようなのだ。父さんは、最近、妙によそよそしい。前までは一応、形だけでも一家そろって食卓についていたものだが(会話は一切なかったけど)、最近ではもうすっかり家族の団欒とかいう幻想を諦めたのが、バラバラにそれぞれ食べて(それはそれで結構面倒くさいって言うのに)、体裁も保たなくなった。

 前まで父さんは、不満があると、母さんとけっこう大声で喧嘩をしていたような気がしたが、今ではもう、そんなことすら無駄みたいに、静かに、むすっとして、最低限の言葉しか交わさなくなった。その時の父さんの声色は、まるで合成音声みたいに血の通っていない声をしていた。

 それから、父さんはたびたび、会社に行ってから家に帰ってこなくなるようになった。普通、そんなことになれば、母さんから浮気を疑われるものだが、もうそんな段階じゃないのか、母さんは、夜眠る前、父さんなんて関係ないみたいに鍵を閉め、チェーンまで下ろした。

 
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