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第一話 新領主
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最悪の気分だった。
重い体を無理矢理起こし、窓を覗けば、黒い厚い雲が空を覆っていた。
鏡のようになった窓ガラスには、黒髪の若者の間抜けな顔が薄らと映っている。
別に暗雲立ち込めようが、快晴だろうが、気分とは関係ない。
今いる部屋の様子を見て、再度ため息を吐く。
これまで使っていた部屋よりも一回り大きく、質も量も増えた調度品。
眠りにつく前の状況が、目が覚めた今も変わらないことを無音で物語っていた。
――ああ……胃が痛い。
痛む胃に当たりをさすりながら、適当に取り出した外套を羽織ると部屋の外に出る。
どうしようもない気分を少しでも紛らわせるには、目的もなく歩くのがいい。
道すがら何人か見かけたが、みんな忙しそうだ。
あくせく働く人たちを横目に、とめどなく歩く。
このまま進めば騎士たちの訓練場だ。
騎士と言っても子爵に与えられた小さな領地にいるのは、王都にいる金鷲騎士団の騎士から見れば、一般人に毛が生えたようなものだろうが。
特に感慨もなく、歩を進める。
時間が早かったせいか、訓練場には一人しかいなかった。
ならされた地面の中央に立ち、両手に持つショートソードを何度も勢いよく振り下ろしている。
身に付けている武具を見れば、彼が新米騎士だとすぐに分かった。
緑色の髪が汗で濡れ、顔に張り付いているが、意に介せず一心不乱に剣を振っている。
見てても楽しくもなさそうだったので、踵を返そうとしたところで声をかけられた。
「そこのお前。何をしている」
「あ、おかまいなく……」
新米騎士を無視して去ろうとしたら肩を掴まれ引き止められた。
彼との間に結構な距離があったはずなのに。
「何かな?」
「何かな? ではない! こんなところで何をしていると聞いているのだ!」
「何って……散歩?」
正直に答えただけなのに、なぜか新米騎士は顔を真っ赤にしている。
肩に乗せた手の圧力が心なしか強くなった気がする。
いや、気がするだけじゃないな。
明らかに強くなっている。
痛い、痛い。
身体は丈夫じゃない方なんだから、もっと優しく扱ってほしい。
「ここをどこだと思っている? クライエ子爵家の屋敷内だぞ? 不審なやつめ。こっちへこい!」
「いや……遠慮させてもらって……」
「ふざけるな! 逃さんぞ。不審者を捕まえるのは本来衛兵の仕事だが、このバンプに見つかったのが運の尽きだったな。詰所まで来てもらうぞ」
「あ、はい……」
なんか面倒なことになったなぁ。
どうもこのバンプとかいう新米騎士は、僕のことを知らないみたいだ。
今さら素性を明かしても言うこと聞いてくれないかもしれない。
もしかしたら暴力振るわれるかも。
痛いのは嫌なので、大人しく言うことを聞くことにしよう。
どうせ嫌疑はいずれ晴れるだろうからね。
半ば引きずられるように詰所まで向かう途中、バンプは独り言を呟いていた。
呟いていたという声量ではなかったけれど、他に僕しかいないし、僕に言っている訳もなさそうだから、きっと独り言だろう。
「まったく……やはり新領主にボンクラなどをあてがうからこのようなことになるのだ。本来ならば、お前のような不審者が屋敷内をうろつくなど、ありえないことだというのに」
前クライエ子爵夫婦が行方不明になったのはちょうど一年前。
元々奔放な性格の二人だったが、一年前に「ちょっと出かけてくる」と言い残したまま今も帰ってこない。
当然探索の手を広げたが、便りはない。
領主不在のまま、一年が経ち、流石にこのままにしている訳にもいかなくなったクライエ家は、長男を新領主にした。
つい昨日の話だ。
前領主の「なんかあったら長男のアークによろしく」という、あまりにも軽い言葉が元だった。
厳密に言えばそれはあくまで元であり、主原因は別にある。
「新領主の、名はなんと言ったか……」
「アーク」
「そう。アークだ! ただ長男というだけで、若くして騎士団長にまでなったエリザ様を差し置いて領主に選ばれるなどおこがましいにも程がある。エリザ様の数々の武勲、優れた身体能力、統率力。どれをとっても領主として相応しいというのに」
エリザというのは、彼の言う新領主の妹にあたる。
小さい頃から武芸に優れた才能を発揮し、瞬く間に騎士団長になってしまった。
エリザの方が新領主に相応しいということには、まったく同意である。
それにしても、自分の仕える領主の顔どころか名前も怪しいってのは、騎士としてどうなんだろう。
まぁいいんだけど。
「それに引き換え、新領主は何もない。少しでも優れたところがあれば、話題の一つにも出るだろうに。話題に事欠かないエリザ様とは大違いだ」
その後も新領主を下げてエリザを上げる独り言を続けながら、バンプは僕を詰所まで運んだ。
ちょっと散歩して気分転換のつもりが、なんでこうなるんだろう。
「さぁ、着いたぞ。衛兵。不審者だ。訓練場の近くを一人で彷徨いていた」
バンプは得意げな顔で詰所の中にいた衛兵二人に僕を突き出した。
衛兵は驚いた顔をして、目線を僕じゃなく、衛兵の隣に立っている銀髪の女性に向ける。
なんだ、パメラじゃないか。
なんで詰所なんかにいるんだろう?
すっごい怖い顔で睨んでくるけど、やめてほしい。
僕は何も悪いことなんかしていないんだから。
「アーク様! 朝からどこへ行かれたと思ったら! なんで騎士なんかに捕まえられて、詰所に連行なんかされているんですか!」
「いやぁ、それは僕が聞きたいよ。ただ散歩してただけなんだけどね。それより、パメラ。こんなところで何してるの?」
パメラはいわゆる僕の秘書兼メイドみたいなもので、つまり身の回りのことをほとんどやってもらう立場にいる。
といっても、昨日決まったことだから、面倒を見てもらうのは今日からなんだけど。
「朝、お部屋に伺ったらいらっしゃらなくて。探しても見つからないから、衛兵に探すよう頼むところだったんですよ」
「それは面倒をかけたね。次からは散歩に行く時は声をかけるか、書き置きをすることにしよう」
「ぜひそうしてください。それに、いくらご自分のお屋敷の中とはいえ、なんですかその格好。不審者に間違えられるなんて……ああ、嘆かわしい」
「はは……そうだね」
パメラとのやり取りを見ていたバンプが不思議そうな、狼狽えたような顔でこっちを見ている。
どうしたんだろう。
詰所に僕を引き渡し終わったんだから帰ればいいのに。
「今、この男をアークと呼んだか? ご自分のお屋敷だと……」
「はぁ……あなたも。自分の仕える主君の顔を知らないなど、あってはならないことですよ?」
「まさか……新領主の……?」
「そうですよ? この方は、アーク・クライエ様。昨日就任された新領主様です」
重い体を無理矢理起こし、窓を覗けば、黒い厚い雲が空を覆っていた。
鏡のようになった窓ガラスには、黒髪の若者の間抜けな顔が薄らと映っている。
別に暗雲立ち込めようが、快晴だろうが、気分とは関係ない。
今いる部屋の様子を見て、再度ため息を吐く。
これまで使っていた部屋よりも一回り大きく、質も量も増えた調度品。
眠りにつく前の状況が、目が覚めた今も変わらないことを無音で物語っていた。
――ああ……胃が痛い。
痛む胃に当たりをさすりながら、適当に取り出した外套を羽織ると部屋の外に出る。
どうしようもない気分を少しでも紛らわせるには、目的もなく歩くのがいい。
道すがら何人か見かけたが、みんな忙しそうだ。
あくせく働く人たちを横目に、とめどなく歩く。
このまま進めば騎士たちの訓練場だ。
騎士と言っても子爵に与えられた小さな領地にいるのは、王都にいる金鷲騎士団の騎士から見れば、一般人に毛が生えたようなものだろうが。
特に感慨もなく、歩を進める。
時間が早かったせいか、訓練場には一人しかいなかった。
ならされた地面の中央に立ち、両手に持つショートソードを何度も勢いよく振り下ろしている。
身に付けている武具を見れば、彼が新米騎士だとすぐに分かった。
緑色の髪が汗で濡れ、顔に張り付いているが、意に介せず一心不乱に剣を振っている。
見てても楽しくもなさそうだったので、踵を返そうとしたところで声をかけられた。
「そこのお前。何をしている」
「あ、おかまいなく……」
新米騎士を無視して去ろうとしたら肩を掴まれ引き止められた。
彼との間に結構な距離があったはずなのに。
「何かな?」
「何かな? ではない! こんなところで何をしていると聞いているのだ!」
「何って……散歩?」
正直に答えただけなのに、なぜか新米騎士は顔を真っ赤にしている。
肩に乗せた手の圧力が心なしか強くなった気がする。
いや、気がするだけじゃないな。
明らかに強くなっている。
痛い、痛い。
身体は丈夫じゃない方なんだから、もっと優しく扱ってほしい。
「ここをどこだと思っている? クライエ子爵家の屋敷内だぞ? 不審なやつめ。こっちへこい!」
「いや……遠慮させてもらって……」
「ふざけるな! 逃さんぞ。不審者を捕まえるのは本来衛兵の仕事だが、このバンプに見つかったのが運の尽きだったな。詰所まで来てもらうぞ」
「あ、はい……」
なんか面倒なことになったなぁ。
どうもこのバンプとかいう新米騎士は、僕のことを知らないみたいだ。
今さら素性を明かしても言うこと聞いてくれないかもしれない。
もしかしたら暴力振るわれるかも。
痛いのは嫌なので、大人しく言うことを聞くことにしよう。
どうせ嫌疑はいずれ晴れるだろうからね。
半ば引きずられるように詰所まで向かう途中、バンプは独り言を呟いていた。
呟いていたという声量ではなかったけれど、他に僕しかいないし、僕に言っている訳もなさそうだから、きっと独り言だろう。
「まったく……やはり新領主にボンクラなどをあてがうからこのようなことになるのだ。本来ならば、お前のような不審者が屋敷内をうろつくなど、ありえないことだというのに」
前クライエ子爵夫婦が行方不明になったのはちょうど一年前。
元々奔放な性格の二人だったが、一年前に「ちょっと出かけてくる」と言い残したまま今も帰ってこない。
当然探索の手を広げたが、便りはない。
領主不在のまま、一年が経ち、流石にこのままにしている訳にもいかなくなったクライエ家は、長男を新領主にした。
つい昨日の話だ。
前領主の「なんかあったら長男のアークによろしく」という、あまりにも軽い言葉が元だった。
厳密に言えばそれはあくまで元であり、主原因は別にある。
「新領主の、名はなんと言ったか……」
「アーク」
「そう。アークだ! ただ長男というだけで、若くして騎士団長にまでなったエリザ様を差し置いて領主に選ばれるなどおこがましいにも程がある。エリザ様の数々の武勲、優れた身体能力、統率力。どれをとっても領主として相応しいというのに」
エリザというのは、彼の言う新領主の妹にあたる。
小さい頃から武芸に優れた才能を発揮し、瞬く間に騎士団長になってしまった。
エリザの方が新領主に相応しいということには、まったく同意である。
それにしても、自分の仕える領主の顔どころか名前も怪しいってのは、騎士としてどうなんだろう。
まぁいいんだけど。
「それに引き換え、新領主は何もない。少しでも優れたところがあれば、話題の一つにも出るだろうに。話題に事欠かないエリザ様とは大違いだ」
その後も新領主を下げてエリザを上げる独り言を続けながら、バンプは僕を詰所まで運んだ。
ちょっと散歩して気分転換のつもりが、なんでこうなるんだろう。
「さぁ、着いたぞ。衛兵。不審者だ。訓練場の近くを一人で彷徨いていた」
バンプは得意げな顔で詰所の中にいた衛兵二人に僕を突き出した。
衛兵は驚いた顔をして、目線を僕じゃなく、衛兵の隣に立っている銀髪の女性に向ける。
なんだ、パメラじゃないか。
なんで詰所なんかにいるんだろう?
すっごい怖い顔で睨んでくるけど、やめてほしい。
僕は何も悪いことなんかしていないんだから。
「アーク様! 朝からどこへ行かれたと思ったら! なんで騎士なんかに捕まえられて、詰所に連行なんかされているんですか!」
「いやぁ、それは僕が聞きたいよ。ただ散歩してただけなんだけどね。それより、パメラ。こんなところで何してるの?」
パメラはいわゆる僕の秘書兼メイドみたいなもので、つまり身の回りのことをほとんどやってもらう立場にいる。
といっても、昨日決まったことだから、面倒を見てもらうのは今日からなんだけど。
「朝、お部屋に伺ったらいらっしゃらなくて。探しても見つからないから、衛兵に探すよう頼むところだったんですよ」
「それは面倒をかけたね。次からは散歩に行く時は声をかけるか、書き置きをすることにしよう」
「ぜひそうしてください。それに、いくらご自分のお屋敷の中とはいえ、なんですかその格好。不審者に間違えられるなんて……ああ、嘆かわしい」
「はは……そうだね」
パメラとのやり取りを見ていたバンプが不思議そうな、狼狽えたような顔でこっちを見ている。
どうしたんだろう。
詰所に僕を引き渡し終わったんだから帰ればいいのに。
「今、この男をアークと呼んだか? ご自分のお屋敷だと……」
「はぁ……あなたも。自分の仕える主君の顔を知らないなど、あってはならないことですよ?」
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