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数多の頭蓋の上に立ち
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名も知らぬ貴方へ
私は、私が許せない。誰がなんと言おうとも、私は罪人で罰せられるべき存在だ。しかし、幾年待てど、私は罪を償うことすら許されない。どうか、私の罪を知ってほしい。裁かれない私を罵ってほしい。その一心で、私はこの手紙を書いた。ここには、私の生い立ちと、その罪が書かれている。読む方がいれば、どうか、私の悪行を許さないでほしい。
まず私は、生まれたことすら間違いであった。私の家系は、言わば「最底辺」である。ろくに教育も受けられず、医者にもかかれない。幸い父が医療の知識を備えていたため風邪はなんとかなったが、どうにもそれは異端な技術だったらしい。当然だ、父は大学に行ってないため正規の治療はできない。傍から見れば、呪術のようなものだっただろう。手術を受けた者からも気味悪がられたとか。私にも受け継がれたが、どうにも周りに受け入れられそうになかった。
だが、私はそれでも良かった。なんと言われようとも、それで人命が救えるのならば安いものだ。身分も階級も関係なく、ただ救えれば良かった。きっとそれで良かったはずだった。前述の通り、父は医療行為で日銭を稼いでいた。私も跡継ぎとして現場に立ち会ったことがある。今思えば、その頃から「命」というものに執着していた気がする。
医学は万能ではない。救えぬ命も存在する、悲しいが。神でも無いため死者蘇生なども到底不可能だ。ただ治す、それしかできない。故に、私は幼い頃より人の死に立ち会うこととなった。それも、幾度も幾度も。死体で医療の手法を学ぶことすらあった。命を弄ぶような行為と思うかもしれない。だが、私は罪悪感など微塵も感じなかった。この手で人が救えるなら、それで良かったのだ。
もちろん、快く思わない者はいるだろう。実際、私は学校でこのことを知られてしまい、酷い虐めを受けたものだった。この文を読み進めるのが辛い、そう思う者がいることも承知はしている。だが、どうか最後まで読んでほしい。私のエゴなのは承知の上で、これを読んでいる貴方には、どうか最後まで読み進めてほしいのだ。
学校は二年で辞め、それからは家庭教師を雇い、勉学に励んでいた。治療の練習と並行して。この時代、仕事というものは世襲制であり、職業選択の自由はない。故に、ただ勉学に励むしか私に道は無かったのだ。
私が十五の頃、私の父は病に冒された。一命は取り留めたが、彼は半身不随になってしまった。本来はもう少し後に受け継ぐはずだった父の仕事を、私はこの歳で受け継ぐこととなった。私の家系は医者。きっとここまで読み進めた者はそう思うだろう。だが、これはあくまで副業でしかない。収入は医者としてのものが大部分を占めていたが、本業は別にある。
私の家系は「死刑執行人」である。
罪人の中でも、人のものとは思えない所業をした者のみに与えられる罰が「死刑」である。私は齢十五で、その執行人代理に任命されたのだ。
最初に殺したのは十六の頃だった。一体誰を殺したのか、何を使って殺したのかは覚えていない。血飛沫に覆い隠されたかのように思い出せない。ただ、滝のように流れ出た汗と、抑えることの出来なかった手の震えは覚えている。人の死に目に立ち会うこと、死体を見ることには慣れていた。そのはずだった。だが、この手で、故意に人を殺したのは初めてであった。手術以外で人命を扱うこと、それのなんと辛かったことか。
不幸なことに、私は歴史の分岐点に立ち会うことが多かった。なにも、戦争や産業の発達だけがそれを作るのではない。死刑の方法。これも人類の叡智によってまた、移り変わるものである。
私が十八の頃、我が国最後の八つ裂きの刑が行われた。いや、この場合「行った」というのが相応しい。私が当事者だったのだから。「国王暗殺未遂」彼の罪状であった。私は王党派であり、少なからず彼に憎悪を抱いていた。しかし、死を望んだわけではなかった。徐々に千切れていく四肢、彼の悲鳴、吹き出す鮮血。罰せられるべき罪を犯したのは事実である。しかし、これが人間にしていい所業なのだろうか。私はこれ以降、死刑制度に疑問を抱きながら過ごすこととなった。
私の人生に救いがあったとすれば、私を理解する女性が現れたことだろう。彼女は、決して身分の高くない私を一人の人間として、恐れず貶さず接してくれた。彼女が居たから、私は狂わなかったのかもしれない。彼女とは二十六の頃に結婚し、二人の子供にも恵まれた。
しかし、子供を産むことには抵抗があった。跡継ぎは確かに必要不可欠だ。しかし、この悪行、この苦痛に息子たちが苦しむ姿が私の目に幾度も浮かんでは、私を悩ませた。幻覚だったのか悪夢だったのかは定かではない。だが、私のように狂ってほしくないという気持ちは本物であった。だが、私は決心して二人の子供を産んだ。後悔こそしないが、申し訳なく思う。幾度「私が親でなければ」と思ったことか。
三十九の頃、私の父が正式に引退し、正式に執行人に就任した。大層な称号を頂いたが、私にはただのレッテルにしか感じなかった。人殺しに正式もなにも有ったものじゃない。この立場さえなければ、私だって私の殺した人間と同じだ。
人間というのは短絡的かつ頭脳的な種族である。時に冷静に判断を下し、時に躊躇いもなく過ちを犯す。医者としての活動もする以上、私も経験はしたことがある。しかし、その決断は決して悪意に満ちたものではないと断言できる。私の治療に、決断には間違いの一つもなかった。それだけは確かだ。だが、誰しもそうとは限らない。
忘れもしない。あの忌々しい装置が作られたのは齢五十三の頃である。これを作ったもの曰く「この装置は人道的」だそうだ。対象を最小限度の痛みで殺す。ああ、確かに人道的だとも。八つ裂きより幾分かはマシだ。だが、人殺しに「人道的」なんてものが存在するだろうか、いやしない。大馬鹿どもめ、奴らは「人道的」なんてものを考慮したことで、効率的な殺人道具を生み出した。
「ギロチン」である。
だが、これを使用したのも、あくまで私だ。初めて使用した時、私は怒りと、感謝を覚えた。前述の通り、私はこの道具の制作者をつくづく忌み嫌っている。大馬鹿者であると断言出来る。しかし、私はこれを使用した時に、あろうことか感謝を抱いたのだ。
殺す相手の劈くような悲鳴、観衆の青ざめてゆく顔、血飛沫。そのどれもが、存在しなかった。人を殺す行為に、その道具は残虐性を感じさせなかったのだ。一人、また一人と殺す度に心身は疲弊した。だが、この時ばかりは、それがまるで無いかのように感じられた。ああ、私は愚か者だ。一瞬でもあの忌々しい道具に感謝を覚えてしまった。
私はそれ以降、今まで以上に死刑廃止を強く提唱した。もとより私は死刑廃止論者である。だが、あの時から、私はこの立場からの開放と罪の償いを強く求め続けた。死刑廃止の実現。それこそ私が救われる唯一の方法と確信したのだ。今でもそれは変わらない。
しかし、それは実現しなかった。むしろギロチン開発から、一向に死刑は増え続けるばかりであった。同年、息子一人が処刑台から転落して死亡。このときよりも自分を恨んだことはなかった。思えばこの時から狂ってしまったのだろう。
私は何人もの人間を殺した。
「暗殺の天使」と呼ばれた女性がいた。彼女は、とても人を殺したとは思えない毅然とした態度であった。正直、殺すのを心苦しく思った。せめて丁重に扱おうと、傷がつかないように縄で縛った。彼女は泣き叫ぶこともなく、絶命の瞬間まで美しかった。落ちた彼女の顔を平手打ちした者がいた。私は憤慨し彼を解雇したが、そこで私は気がついた。私が異常なのだと。心苦しく思う私が、執行人として異端なのだと。
革命家を何人も殺した。王に逆らった者には死が待っている。それでも尚、彼らは立ち上がり、抗議した。誰かが処刑される度に増え、誰かが処刑される度に増え、その繰り返しだった。私の行動が、より多くの死者を生んだようなものである。何度辞めようと思ったか、何度逃がそうと思ったか、何度逆らおうと思ったか。もうそれも、数えられない。
彼らは、王政からの脱却に成功した。私は恐らく、同胞殺しの罪で処刑される。そう思っていた。だが、いつまで経っても、その日は来なかった。
私は王党派である。それは間違いない。その私が、まさか国王を殺すことになるとは夢にも思わなかった。私に待っていたのは、死よりも重い罰であった。王、王妃の処刑である。ここで理解した。誰も私に興味がないのだと。私以外の人間にとって、私は人殺しでは無いのだと。私は許す、許される以前に、そもそも罰を受けるような立場に居なかったのだ。死による解放すら、私には認められなかったのだ。
国王を殺した。目の前に広がるのは、歓声を上げる国民、頭の無くなった国王の亡骸、赤く染まった断頭台。人が死んで喜ぶ。このようなことがあって良いのだろうか。それとも、私が人として異端なのだろうか。私は、もはや誰のことも信じられそうになかった。そもそも私は人間なのだろうか。この道具と同じで、ただ人を殺し続けるだけの道具に過ぎないのではないだろうか。もはや、何も分からなくなった。誰を生き、誰を殺し、誰を恨み、誰を救った。そのどれもが、もうどうでも良くなった。
王妃を殺した。彼女が私に放った言葉が耳にこだまする。
「ごめんなさい、わざとじゃないのよ?」
それは、私の足を踏んだことか。それとも、今までの行動すべてだろうか。もしかすると、私を気遣ったのかもしれない。心の内を見透かして、私が王妃を殺すのを躊躇ってると知り、負い目を感じないように言ったのだろうか。そんな世迷言すら言うようになってしまった。兎にも角にも、救いがほしかった。
元恋人を殺した。死の直前まで命乞いをし、喚き、泣き叫んだ。この時ばかりは観衆も怪訝そうな顔をしていた。同情した者もいたのだろう。ああ、皆こうなら良かった。こうして死を受け入れず泣き叫ぶ者。皆がこうなれたら、生に執着していたら、死刑なんてものはなかったのかもしれない。
歴史は繰り返すと言うが、あれは概ね正しい。私は革命の首謀者を複数人殺した。独裁政治の末に見限られたようだ。もう、どうでも良いことだが。
その翌年、私は職を息子に譲った。どうか、彼は全うであることを願う。私のような異端ではなく、平手打ちをした彼のような、人を人と思わない人間であることを願う。血に塗れるであろう彼の生が、せめて苦痛に満ちたものになりませんように。
ここまで読み進めてくれた者に、心から感謝を。私の罪。それは人殺しだけではない。人間の体をしながら、その実、誰よりも人間らしからぬ精神をしていたこと。その上で、人間を憎んだこと。そして、今自分の思うことにすら確証が持てないまま、このように書き記していること。きりがない。私は、私が殺した誰よりも罪を背負っているのだ。
よく夢に見る。私は大勢の観衆に見守られながら、罪人の首を切る。拍手喝采の中で、私は気づく。断頭台が頭蓋の山で出来ていることに。そして、今まさに切った首が腐敗し、白骨となり、また積み上がる。そんな悪夢を。
私は誰にも罰せられない。断頭台を降りた私は、自分の首を落とすこともままならない。
どうか、これを読んでいる貴方には、私を許さないでほしい。この人殺しを。罪多き、人間の皮を被った獣を。それが、私が与えられるべき罰なのだから。どうか、私を許さないでほしい。
シャルル=アンリ=サンソン
私は、私が許せない。誰がなんと言おうとも、私は罪人で罰せられるべき存在だ。しかし、幾年待てど、私は罪を償うことすら許されない。どうか、私の罪を知ってほしい。裁かれない私を罵ってほしい。その一心で、私はこの手紙を書いた。ここには、私の生い立ちと、その罪が書かれている。読む方がいれば、どうか、私の悪行を許さないでほしい。
まず私は、生まれたことすら間違いであった。私の家系は、言わば「最底辺」である。ろくに教育も受けられず、医者にもかかれない。幸い父が医療の知識を備えていたため風邪はなんとかなったが、どうにもそれは異端な技術だったらしい。当然だ、父は大学に行ってないため正規の治療はできない。傍から見れば、呪術のようなものだっただろう。手術を受けた者からも気味悪がられたとか。私にも受け継がれたが、どうにも周りに受け入れられそうになかった。
だが、私はそれでも良かった。なんと言われようとも、それで人命が救えるのならば安いものだ。身分も階級も関係なく、ただ救えれば良かった。きっとそれで良かったはずだった。前述の通り、父は医療行為で日銭を稼いでいた。私も跡継ぎとして現場に立ち会ったことがある。今思えば、その頃から「命」というものに執着していた気がする。
医学は万能ではない。救えぬ命も存在する、悲しいが。神でも無いため死者蘇生なども到底不可能だ。ただ治す、それしかできない。故に、私は幼い頃より人の死に立ち会うこととなった。それも、幾度も幾度も。死体で医療の手法を学ぶことすらあった。命を弄ぶような行為と思うかもしれない。だが、私は罪悪感など微塵も感じなかった。この手で人が救えるなら、それで良かったのだ。
もちろん、快く思わない者はいるだろう。実際、私は学校でこのことを知られてしまい、酷い虐めを受けたものだった。この文を読み進めるのが辛い、そう思う者がいることも承知はしている。だが、どうか最後まで読んでほしい。私のエゴなのは承知の上で、これを読んでいる貴方には、どうか最後まで読み進めてほしいのだ。
学校は二年で辞め、それからは家庭教師を雇い、勉学に励んでいた。治療の練習と並行して。この時代、仕事というものは世襲制であり、職業選択の自由はない。故に、ただ勉学に励むしか私に道は無かったのだ。
私が十五の頃、私の父は病に冒された。一命は取り留めたが、彼は半身不随になってしまった。本来はもう少し後に受け継ぐはずだった父の仕事を、私はこの歳で受け継ぐこととなった。私の家系は医者。きっとここまで読み進めた者はそう思うだろう。だが、これはあくまで副業でしかない。収入は医者としてのものが大部分を占めていたが、本業は別にある。
私の家系は「死刑執行人」である。
罪人の中でも、人のものとは思えない所業をした者のみに与えられる罰が「死刑」である。私は齢十五で、その執行人代理に任命されたのだ。
最初に殺したのは十六の頃だった。一体誰を殺したのか、何を使って殺したのかは覚えていない。血飛沫に覆い隠されたかのように思い出せない。ただ、滝のように流れ出た汗と、抑えることの出来なかった手の震えは覚えている。人の死に目に立ち会うこと、死体を見ることには慣れていた。そのはずだった。だが、この手で、故意に人を殺したのは初めてであった。手術以外で人命を扱うこと、それのなんと辛かったことか。
不幸なことに、私は歴史の分岐点に立ち会うことが多かった。なにも、戦争や産業の発達だけがそれを作るのではない。死刑の方法。これも人類の叡智によってまた、移り変わるものである。
私が十八の頃、我が国最後の八つ裂きの刑が行われた。いや、この場合「行った」というのが相応しい。私が当事者だったのだから。「国王暗殺未遂」彼の罪状であった。私は王党派であり、少なからず彼に憎悪を抱いていた。しかし、死を望んだわけではなかった。徐々に千切れていく四肢、彼の悲鳴、吹き出す鮮血。罰せられるべき罪を犯したのは事実である。しかし、これが人間にしていい所業なのだろうか。私はこれ以降、死刑制度に疑問を抱きながら過ごすこととなった。
私の人生に救いがあったとすれば、私を理解する女性が現れたことだろう。彼女は、決して身分の高くない私を一人の人間として、恐れず貶さず接してくれた。彼女が居たから、私は狂わなかったのかもしれない。彼女とは二十六の頃に結婚し、二人の子供にも恵まれた。
しかし、子供を産むことには抵抗があった。跡継ぎは確かに必要不可欠だ。しかし、この悪行、この苦痛に息子たちが苦しむ姿が私の目に幾度も浮かんでは、私を悩ませた。幻覚だったのか悪夢だったのかは定かではない。だが、私のように狂ってほしくないという気持ちは本物であった。だが、私は決心して二人の子供を産んだ。後悔こそしないが、申し訳なく思う。幾度「私が親でなければ」と思ったことか。
三十九の頃、私の父が正式に引退し、正式に執行人に就任した。大層な称号を頂いたが、私にはただのレッテルにしか感じなかった。人殺しに正式もなにも有ったものじゃない。この立場さえなければ、私だって私の殺した人間と同じだ。
人間というのは短絡的かつ頭脳的な種族である。時に冷静に判断を下し、時に躊躇いもなく過ちを犯す。医者としての活動もする以上、私も経験はしたことがある。しかし、その決断は決して悪意に満ちたものではないと断言できる。私の治療に、決断には間違いの一つもなかった。それだけは確かだ。だが、誰しもそうとは限らない。
忘れもしない。あの忌々しい装置が作られたのは齢五十三の頃である。これを作ったもの曰く「この装置は人道的」だそうだ。対象を最小限度の痛みで殺す。ああ、確かに人道的だとも。八つ裂きより幾分かはマシだ。だが、人殺しに「人道的」なんてものが存在するだろうか、いやしない。大馬鹿どもめ、奴らは「人道的」なんてものを考慮したことで、効率的な殺人道具を生み出した。
「ギロチン」である。
だが、これを使用したのも、あくまで私だ。初めて使用した時、私は怒りと、感謝を覚えた。前述の通り、私はこの道具の制作者をつくづく忌み嫌っている。大馬鹿者であると断言出来る。しかし、私はこれを使用した時に、あろうことか感謝を抱いたのだ。
殺す相手の劈くような悲鳴、観衆の青ざめてゆく顔、血飛沫。そのどれもが、存在しなかった。人を殺す行為に、その道具は残虐性を感じさせなかったのだ。一人、また一人と殺す度に心身は疲弊した。だが、この時ばかりは、それがまるで無いかのように感じられた。ああ、私は愚か者だ。一瞬でもあの忌々しい道具に感謝を覚えてしまった。
私はそれ以降、今まで以上に死刑廃止を強く提唱した。もとより私は死刑廃止論者である。だが、あの時から、私はこの立場からの開放と罪の償いを強く求め続けた。死刑廃止の実現。それこそ私が救われる唯一の方法と確信したのだ。今でもそれは変わらない。
しかし、それは実現しなかった。むしろギロチン開発から、一向に死刑は増え続けるばかりであった。同年、息子一人が処刑台から転落して死亡。このときよりも自分を恨んだことはなかった。思えばこの時から狂ってしまったのだろう。
私は何人もの人間を殺した。
「暗殺の天使」と呼ばれた女性がいた。彼女は、とても人を殺したとは思えない毅然とした態度であった。正直、殺すのを心苦しく思った。せめて丁重に扱おうと、傷がつかないように縄で縛った。彼女は泣き叫ぶこともなく、絶命の瞬間まで美しかった。落ちた彼女の顔を平手打ちした者がいた。私は憤慨し彼を解雇したが、そこで私は気がついた。私が異常なのだと。心苦しく思う私が、執行人として異端なのだと。
革命家を何人も殺した。王に逆らった者には死が待っている。それでも尚、彼らは立ち上がり、抗議した。誰かが処刑される度に増え、誰かが処刑される度に増え、その繰り返しだった。私の行動が、より多くの死者を生んだようなものである。何度辞めようと思ったか、何度逃がそうと思ったか、何度逆らおうと思ったか。もうそれも、数えられない。
彼らは、王政からの脱却に成功した。私は恐らく、同胞殺しの罪で処刑される。そう思っていた。だが、いつまで経っても、その日は来なかった。
私は王党派である。それは間違いない。その私が、まさか国王を殺すことになるとは夢にも思わなかった。私に待っていたのは、死よりも重い罰であった。王、王妃の処刑である。ここで理解した。誰も私に興味がないのだと。私以外の人間にとって、私は人殺しでは無いのだと。私は許す、許される以前に、そもそも罰を受けるような立場に居なかったのだ。死による解放すら、私には認められなかったのだ。
国王を殺した。目の前に広がるのは、歓声を上げる国民、頭の無くなった国王の亡骸、赤く染まった断頭台。人が死んで喜ぶ。このようなことがあって良いのだろうか。それとも、私が人として異端なのだろうか。私は、もはや誰のことも信じられそうになかった。そもそも私は人間なのだろうか。この道具と同じで、ただ人を殺し続けるだけの道具に過ぎないのではないだろうか。もはや、何も分からなくなった。誰を生き、誰を殺し、誰を恨み、誰を救った。そのどれもが、もうどうでも良くなった。
王妃を殺した。彼女が私に放った言葉が耳にこだまする。
「ごめんなさい、わざとじゃないのよ?」
それは、私の足を踏んだことか。それとも、今までの行動すべてだろうか。もしかすると、私を気遣ったのかもしれない。心の内を見透かして、私が王妃を殺すのを躊躇ってると知り、負い目を感じないように言ったのだろうか。そんな世迷言すら言うようになってしまった。兎にも角にも、救いがほしかった。
元恋人を殺した。死の直前まで命乞いをし、喚き、泣き叫んだ。この時ばかりは観衆も怪訝そうな顔をしていた。同情した者もいたのだろう。ああ、皆こうなら良かった。こうして死を受け入れず泣き叫ぶ者。皆がこうなれたら、生に執着していたら、死刑なんてものはなかったのかもしれない。
歴史は繰り返すと言うが、あれは概ね正しい。私は革命の首謀者を複数人殺した。独裁政治の末に見限られたようだ。もう、どうでも良いことだが。
その翌年、私は職を息子に譲った。どうか、彼は全うであることを願う。私のような異端ではなく、平手打ちをした彼のような、人を人と思わない人間であることを願う。血に塗れるであろう彼の生が、せめて苦痛に満ちたものになりませんように。
ここまで読み進めてくれた者に、心から感謝を。私の罪。それは人殺しだけではない。人間の体をしながら、その実、誰よりも人間らしからぬ精神をしていたこと。その上で、人間を憎んだこと。そして、今自分の思うことにすら確証が持てないまま、このように書き記していること。きりがない。私は、私が殺した誰よりも罪を背負っているのだ。
よく夢に見る。私は大勢の観衆に見守られながら、罪人の首を切る。拍手喝采の中で、私は気づく。断頭台が頭蓋の山で出来ていることに。そして、今まさに切った首が腐敗し、白骨となり、また積み上がる。そんな悪夢を。
私は誰にも罰せられない。断頭台を降りた私は、自分の首を落とすこともままならない。
どうか、これを読んでいる貴方には、私を許さないでほしい。この人殺しを。罪多き、人間の皮を被った獣を。それが、私が与えられるべき罰なのだから。どうか、私を許さないでほしい。
シャルル=アンリ=サンソン
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