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Ⅵ. 暁の章
12′身に余る幸福
しおりを挟むソフィアは、レオに怒っていた。
寝台でぷいと顔をそむけ、彼に背を向け、もう知りません、などと嘯いた。まったく、なんでも自分で好き勝手してしまうのだから困ってしまう。少しは相談してくれたっていいだろうに、すぐそれを怠るのだ。
「うーん、すまないソフィア。まさかそんなに気に入っていたなんて……」
「別に、気に入っていた訳ではありませんけど、ただ一言くらい言ってくれても……」
「うそつきめ。ほら、こちらを向いて。むくれた顔も私に見せて、ソフィア」
「なにそれ。いやですよ、そんな……っん……」
肩に手をかけられ、さほど抵抗せずにごろりと寝返るとふっくらと柔らかな唇が落ちてくる。彼が帰ってきてから、政務の合間、幾度となく味わった唇だ。だがこうして時間のあるなか、ふたりきりで貪るそれはまた格別だった。心おきなく髪を梳くことだってできる。
それに昼間とはまた感触が違うのも楽しかった。
レオは髭をきれいに剃り落としてしまって、そのことでソフィアは怒っていたのだが、くちづけに関してはどちらも良かった。髭のあるくすぐったさも面白いし、無ければお互いの呼吸までよくわかる。
は、は、と甘い吐息を漏らしながらくちづけを続けた。ぞわぞわと痺れる熱が足先からのぼってくる。指先で耳殻をそっとなぞると、彼の背中がぴくりと震えた。かわいい。
「……私はほとほと、異常性癖なのかもしれない……」
「ふふ、なんです急に」
「だって……幼い君にも、孕んだ君にも欲情するんだ。こんなの、今までなら絶対なかったのに。そんな娘なんてこちらから願い下げだったのに、どうして……」
「……もう、レオ。怒りますよ。ここでほかの女の話なんて」
あ、と垂れ目を丸くしたレオを引き寄せ、またくちづけて、片足を彼の身体にからませ引き寄せた。すると硬い熱が腿に当たって、ソフィアは喉でんふふと笑う。足をもぞもぞ動かし、すりつけて、ぷつぷつとシャツのボタンをはずしてゆく。
「っ、駄目だよソフィア。からかってくれるな」
「レオ、見せてください。あなたのきず……」
「ああそれか……いいよ、分かった」
レオがソフィアの上で身体を起こし、残りのボタンをはずしてシャツを脱ぐ。太い腕、大きな筋肉、男くさい金色の胸毛やへその毛。見慣れていたはずなのに、改めて見るとかぁ、と体温があがる。
そして見慣れないものがたったひとつーーあの後朝の、天上に咲くと言っていたあの花を簡単に模した焼き痕が、レオの左胸に赤黒く刻まれていた。レオはそのまま横へ寝そべり、肘をついてソフィアを見下ろす。
「……まだ痛みますか?」
「すこしね……1週間前につけたところだからなぁ。冷やしながら、様子見といったところだそうだ」
「不思議な教えですね。花を身体に刻め、だなんて」
「宗教なんてそんなものだよ。本当は色をつけた刺青を入れるそうだが、あのときは時間もないし、技術者もいなかったからね。むしろ、焼きごてだけでも作れる者がいてよかった。少し不恰好だけどね」
「……痛かったでしょう?」
「君の苦しみに比べれば一瞬だ。それに、勝手だが君が支えてくれているようで心強かったよ……ずっとこうしたいと思っていたんだ。どうしてもっと早くしなかったんだろう……」
レオが改宗したロタスバーム教というのは、以前聞かせてくれた、あの泥の花の逸話を持つ、海を隔てた南の宗教だった。彼はこっそりとその資料を集めていて、その教えに共感を抱いていたらしい。
ロタスバーム教では、血筋や身分の別なく、また過去に悪行を働いても悔い改めて精進すれば天国へ導かれるそうだ。もちろん、赤目だからと忌み嫌われることもない。それを聞くと、ソフィアもうらやましくなった。
「……いつか国民や、わたしや子どもも……思想や国や、仕事や宗教を好きに選べるように。いろんな考えを持てるように。頑張ってくださいね、レオ」
「そうだな……とりあえず宗教の自由化はこのまま押し進めていこう。反対派の連中も、さすがに私の例を許可したのだから、これまでのような反発はできまいよ。それからヒエロンドと連携して国交を広げて、国民の文化や思想を多様化させて……ああ、やることが山積みだ。めんどくさい」
「ふふ、頼りにしてますよ……あ、レオ……?」
「すこし触らせてくれ。まだこの子が動くところに遭遇していないんだ。……嫌われたかな。私があんな風に言っていたから……」
「……レオ、あなた……あなたこそ、お嫌じゃないの? だってずっと……」
レオは垂れた緑の瞳をうっすらと細めて、愛おしげに胎を撫でていたが、ソフィアにはそれこそ不思議でならなかった。公爵を国王に仕立てようとまでして、アイリーンとの子を養子に取るとまで言って、自分の子を作りたがらなかった人なのに、その表情は早くも父親の……ようにみえる。実際、父親がどんな顔をするのかソフィアには分からないが。
うん……と複雑に言い淀んだレオの頭をなでると、彼はおずおずと瞳を伏せた。どんな答えでも受け止めると決めていたのに、視線が合わないというのはそれだけで、こんなにも怖い。今更になって思い知る。
「そもそも……本当に嫌なら、あのとき君を振り払って逃げられたんだ。力で君に負けるはずはないんだから、それくらい……そうしなかったのは、紛れもなく、私の意思だよ」
「レオ……」
「それでもやっぱり、恐ろしくて。あとからあとから、自分もあの父のようになるんじゃないかと思うと、なにもかも無かった事にしたくて。結局君になにも伝えられずに、苦しめることは分かっていていたのに……なにを話す勇気もないまま、王宮を後にしてしまったんだ。それなのに……」
レオの両腕が、ぎゅう、とソフィアを抱き寄せる。ふうう、と震えた溜息をついて、彼は続ける。
「……身に余る幸福だと、思ったんだ。王宮から第一報を受けたとき、そう…………全身が熱くなって、今すぐ駆け出して君の元へ向かいたかった。どうして私はこんな所にいるんだろうと本気で思った。とにかくこうして、君を抱きしめたかったんだ。ほんとうだよ」
「レオ……お顔をよく見せて、レオ」
嘘とも思えなかったが、信じきることもできない。あんなに嫌がっていたのに。ソフィアは彼の頬を両手で包んで覗きこむ。そこにいたのは偉大な国王ではなく、緑の瞳を潤ませた、優しくて臆病で、嘘などつけないーーソフィアがよく知る夫だった。
「……うれしかった、の?」
「ああ嬉しかった。自分にこんな、天上の喜びを与えられる日が来るとは思わなかった。何度も筆をとって、君に伝えようとしたんだが……そのたび、なにを書けばいいのか分からなくなって、君にこれ以上嫌われるのが恐ろしくて、結局手紙を破ったんだ……卑怯者で、すまない」
「わたしも……おんなじですよ、レオ。あなたに1番に伝えたかったのに、なにをどう書いたらいいのか、分からなくて。何度も筆を折っては、また書こうとして、結局ほかの人に任せて……」
「ああぁ、私のせいだ……あの時の気持ちをひとことでも言えていれば、君をこんなに苦しめることにはならなかったのに。すまない、本当に……」
「もう、もうやめて、レオ。もういいの」
どうか伝わってほしい。
ソフィアは首を振った。謝ってほしいわけではない、ましてや自分に後ろめたい思いを持ってほしいわけでもない。
知ってほしいことなど、ただひとつーー
「よかった。あなたに……あなたが、この子をうとましく思っていないなら、それで充分なんです。ねえレオ、わたし、この子がいて、あなたがいて、いま本当にしあわせなの。レオもそう、思って、くれてる……?」
レオが涙を流したことを、ソフィアは手の湿り気で気づいた。とっくに視界は潤みきっていて前など見えない。それでも、ああ……と吐息を震わせるレオが、こんなに近い。
しあわせが、こんなにすぐ近くにある。
「ソフィア、ソフィア、ソフィアっ……! どうして私がこの子を、うとましいなんて思えるんだ。君が私のために、身体を、命をかけて紡いでくれた子を……!」
彼女は甘かった。
真実、自分に甘かった。
何度も苦しめ、痛めつけ、文字どおり彼女の心も身体も蹂躙した。だというのに彼女はそのたび凛と立ち、いつのまにか隣に座り、自分を抱いて笑ってくれた。
どうしてそんな風になったのか、レオは今でもまったく分からないでいる。ただ手放したくない。この幸せを、女神の慈悲を、得るためならなんだってする。神にでも悪魔にでもなってやる。
「ーーありがとうソフィア」
いつでも死んでいい、自分にはその程度の価値しかないと思っていた男は、今はじめて、彼女と生きたいと感じていた。その執着は激しい荒波のように、彼自身を飲み込んでゆく。
男を構築していた、すべてが洗い流されてゆく。
からっぽになった男のなかに、新たな、宝石のような想いが降り積もってゆく。
「ソフィア、ありがとう、ありがとうっ……! どうか私の子を産んでくれ。そして一緒に育てよう。ああそうだ、名前を、決めなくては。ああ、それとももう決めた? 子ども部屋はどうしよう。私たちの部屋に近いほうが、きっといい」
「はい、はい。まだ決めていませんよ。いっしょに考えましょう、レオ」
「身の回りのものや、遊び道具も揃えなくては。国外からも取り寄せて、部屋中満たしてうんと遊ぶんだ。いろんなところに連れていって、沢山のものを見せて、触れさせて。この子を世界一しあわせな子にするんだ。ああ、忙しくなる。こんなに嬉しいことは、なっ、……」
まったく自然な感情に動かされて、ソフィアはレオにくちづけた。深くふかく。満たされた気持ちを彼に返すために。そしてまた、自分をも満たすために。
唇を離せば、興奮で頬を染めてぽかんとするレオに笑ってしまう。彼自身が子どものようなのに、どこまでいっても、レオはやっぱり頼もしい夫だった。こうして泣いていても、情けなくても、駄々をこねても。ソフィアはレオに全幅の信頼と安心を置いている。
「ねえレオ。明日、お医者様が診察に来るんです。だから……聞いてみましょう?」
「……? なにを?」
「夜はどうしたらいいのか……きっと今の時期はもう大丈夫だと思いますけど、一応。ね?」
「ま……待ってくれソフィア。そんな、君の身体や、この子に負担をかけるようなこと……」
「わたしを抱きたいんでしょう。小さくても、子どもがいてもどうしても欲しくなるくらい……あなただけじゃありません、レオ、わたしだって、どれだけあなたが欲しかったか。今日だって、お医者様のところに行こうかとっても迷ったんですからね。……結局はずかしくて、行けませんでしたけど」
レオは目をぱちくりと瞬かせて、それから大いに破顔した。君には敵わない。そう言って、抱きしめられて、夫婦は会えなかった時間を埋めるかのように夜遅くまで語り明かした。よく動く胎を触らせ、驚き、何度もくちづけた。そうしていつのまにか、ふかく眠った。
ソフィアは、レオは、しあわせに満ちていた。
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