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Ⅴ.夜の章
75.楽しい生活
しおりを挟む「なぁ……オレってジュンノウセイ、が高いのかな?」
アイリーンは憮然としてつぶやいた。
チュイリー監獄に入って数ヶ月目のことである。
「どうしたんだい藪から棒に」
「いや、だってさぁ……監獄に入ってんのに割と平気だし。なんだったらちょっと楽しいこともあるし……そういやこの国に来たときも、結構すぐ馴染んだし……」
「ああそれは……順応性うんぬんというか、単純に、単純馬鹿なんだろうね」
「ひっでえ! 身も蓋もねえ! 単純に単純馬鹿って、なに?!」
季節は冬。
南に位置するチュイリーではなかなか雪は降らないらしいが、人では届かない高い位置にある窓を回転取手で開けると北風が吹き込む頃合いになっていた。アイリーンは部屋の空気を清涼にするためわずかにそうしたが、寒々しくて長くは開けていられない。
チュイリー監獄 特別室は、ひとつの塔である。
円柱型の石造りの建物に、ひとつの入り口、螺旋階段、それを登ってひとつの部屋にはふたつの窓。
塔自体がひとりのための牢として機能しており、ひと通りの家具は来た時からそろっていた。つまり風呂や便所、寝具や机にソファまでーーなかなか悪くない、おおよそ貴族たちが使う上等な品であったがしかし、それらはここへ来て数日で新たな、最高級品に変えられた。
理由は簡単である。ソフィアだ。それにロイ。
ふたりは初めの1ヶ月、競うようにアイリーンへ贈り物をした。身体がふわりと沈むソファや足跡がついては消える絨毯、陽の光で輝くカーテンや、色彩豊かなドレスにピカピカに磨かれた陶器に銀食器……!
部屋が埋まるほどに家具や小道具などを揃えられ、寝台にいたってはふたつ同時に送られてきて、さてどちらを返したものか、アイリーンは頭を悩ませるほどだった。
結局これは夫のロイを優先して、ソフィアのものを返したが……そのせいでソフィアに敵対心が生まれたのか、今度は娯楽品や食品をこれでもかと贈ってくるようになった。あって困るものではないが、置く場所にも限りがあると手紙を書いて、最近ようやく贈り物の頻度が週1回に減ったところだ……それでもまだ多いのだが。
「さてと、準備でもするかね」
「うん。なぁ、今日は何時になるか、賭ける?」
「12時」
「3時!」
けらけらとふたりで笑って、アイリーンはソフィアからもらった3面鏡の前に座った。賭けるものは大抵彼女のくれた菓子類で、こんな使い方をしていると知られれば激怒されそうな気がして今のところ秘密にしている。
「あ、今日は髪、とくだけでいいや」
「結わないでいいのかい?」
「うん、ありがとうーーエメ」
アイリーンは鏡に映る、濃茶色の髪を結んだ侍女に微笑んだ。
***
ここへ来てひと月経たないうちに、エメはアイリーンのもとを訪れ、そして叱責した。
『あんたねぇ! なに勝手に、ひとッことの相談もなしに、あたしの前からいなくなってんだい! 舐めた真似すんのもいい加減にしなっ!』
『エメ、エメなんで……っ』
『なんでもクソもあるかいこの馬鹿! あんたはあたしの主人だろうがッ! いいかい今度こんな真似したらぶっ飛ばすからね、分かった?!』
その是非を問われても、アイリーンはだばだばと泣いてしまっていたために答えを言うことはできなかった。ただエメに抱きついて、全身全霊で喜びを表すだけだった。
曰く、エメは驚異的な速度で回復したらしい。
若さと軍人あがりの体力、それから毒が思ったより少量だったのが良かったと言う。しかし結局、左の手足は動きづらいままで、これは生活しながら治すほかないのだと医者に言われて即座に退院したのだそうだ。
『王宮に戻ったのにあんたはいないし、軍長には任を解かされそうになるしで焦ったよ。でも幸いなことがひとつあってね』
『さいわい? なにが?』
『チュイリーはあたしの故郷だよ。ここから歩いて20分足らず……今の身体でも30分ありゃ家に着く。親兄弟の様子も知れるし、給金は変わらないってんだから、あたしにとっちゃ最高の就職先ってとこだね。だから……』
確かに南の生まれとは聞いていたが、よく出来た偶然にアイリーンは目をまたたかせた。エメは黄色のつり目を一度伏せ、それからニカッと歯を見せる。
『また、雇ってくれるかい? こんななりだけど、あんたよりかは働けるよ』
『……っいいの? お前状況分かってる? オレいま、監獄に……』
『関係あるかね? あんたは囚人でも悪人でもない。だったら……やっぱりあんたは、私の主人だよ』
そうしてエメは、アイリーン付きの侍女となった。
牢屋に侍女を置くなんてさすがに前代未聞だったが、アイリーンの扱いが貴人であること、ロイが事前に国王陛下と話をつけていたことですんなりと認められた。特別室は部屋がひとつしかないため、エメは実家から通いでここに来てくれている。
「なぁ、ご兄弟はどう? 元気にしてる?」
「そりゃもうね。菓子を持って帰ると争奪戦だから、今日も勝っちまったらうるさいだろうよ」
「あはは! そりゃ大変だ。取られねぇようにしねえとなー」
木櫛に百合の香油をたっぷり含ませて、さらさらと髪を解いてもらう。ほぼまっすぐな黒髪はそれだけで陽の光を反射してつやつやと美しく輝いた。頬も健康的な赤みを帯びて、目元に隈なども見られない。
今日のためにと選んだドレスは、まだ着て見せたことのない紫色だ。上半身は宵闇のような濃紫で、足元に下がるにつれて色が薄くなる、夜明けのようなドレスだった。型は舞踏会の時と同じく、身体の線を綺麗になぞったそれで、違いといえば長袖、厚いサテン地であることくらいだろう。
鏡に映る自分は着飾って楽しげで、ここへ来た時からするとずいぶんな呑気っぷりだった。
アイリーンは思う。自分が腐らず、"単純馬鹿"でいられるのは、やはりエメの存在が大きい。それに加えてーー
「……っ、馬の、音がする!」
「ほんとに……? 幻聴じゃなくって?」
「んなわけねえよ!」
「だったら賭けはあたしの勝ちだね、今日の菓子はもらってくよ。……ほんとだ。耳良くなったね、あんた」
「ちょっとオレ、下 見てくる!」
呆れるような感心するようなエメの言葉はもうアイリーンには届かない。近くなる馬蹄の音に胸おどらせて、いても立ってもいられない。
厚手の白い外套を羽織り、慣れた螺旋階段をすべるように降りてゆく。アイリーンは囚人ではないため、牢獄の敷地内は出入り自由となっている。蹄の音は消えてしまって、その代わり、規則正しい足音が遠く小さく聞こえ始めた。
はやく、はやく、もっとはやく!
はやる気持ちのそのままに、アイリーンは最後の数段を降りかけて、くんっと足が引っかかった。そのまま前のめりに倒れる身体は、なんの因果か開かれた扉の向こうに吸い寄せられるように飛んでーー
「ッてめえ……危ねえイタズラはやめろ」
「ちがっ……こけたの! つまずいてっ!」
「転けたことをそんなに堂々と言うやつがあるか。少しは落ち着け」
「うっ……はぁい……」
力強く抱きしめられて安心した。
あのままでは床に一直線だっただろう。
ごもっともな忠告にうなだれていると、その人はゆっくりとアイリーンを床に降ろしてその姿を確認する。冷徹な表情を崩さないのに、切れ長な瞳の奥は燃えたぎるように熱くて、不躾なほどにアイリーンの赤目を覗いた。
冷たい指が、その先端だけで耳をくすぐる。
そうなると躾けられた犬のように、アイリーンのつやめく唇がやわらかに開いて吐息が漏れた。顎をなぞり、うなじを撫でて、解いたばかりの髪の毛に触れられる。
「あ……」
今度見たいと言われていたのだ。
結わないで、流した髪の長さを。
黒髪はもう肩に触れるほどだ。
ひと月、待っていた。
「……伸びたな」
「うん……降ろすとやっぱり分かりやすいよな。なぁ、どっちが、ぁ、ん……ッ」
突如として、まったく自然に奪われる。
冷えてかさついた唇だ。きっと馬を急かして来てくれたのだろう。同じく冷たい頬をぬくもった手で包んで、ぬるぬると舌を合わせれば空気から湿り気を帯びてくる。
「……てめえはぬくいな……」
「ん、ふぁ……寒かった? 足湯でも用意、して、もら、う……? ……ん……」
その唇に熱が移って、濡れそぼり、やわらかくなる過程が好きだ。もてあそぶように互いをついばみ、鼻先を合わせて目を見合わせる。
「いや、いい。先に散歩にしよう……行けるか」
「うんっ、……あ、ぅん……っ」
行けるか、などと問いかけたくせに、ロイは片時も身体を離す気配なく、アイリーンの頬や、耳や、うなじを音を立てて吸い付いてゆく。建物の中とはいえ玄関先で、落ち着かないのに求めてしまう。
ひと月に一度。
遠征を理由にして、夫はチュイリーを訪れる。
会える頻度は少なくなったが、その分、時間は長くなった。前回は半日、今日だって数時間は居てくれるはずだ、そう思えばーー
「ん、いらっしゃい、ロイ……」
アイリーンの生活は、たのしみに満ちていた。
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