アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

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Ⅳ.秋の章

59.ホラ吹き

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正午すぎ、食堂に来たロイの部下たちは、皆一様に感嘆の声を上げていた。


「うわぁあ、うまそーっ!」

「おいおい、豪華だなおい!」

「はらへったー!  奥様、いただきます!」

「……これは全部、奥様が?」


やはり怪訝な顔をしている者も、少なからず、いる。アイリーンは首を振って、なるだけ多くを喋らないようにつとめた。


「いえ。みんなで獲って、料理は彼が。オレは手伝っただけです」

「……そうですか」


ーーあからさまに、ホッとしている。

まあ仕方のないことだと思いなおして配膳の準備にとりかかる。大鍋からシチューを皿に移し、先生に渡して配膳してもらう。鹿肉のローストは先に配膳してあって、彼らはうまいうまいと食事を堪能してくれた。

軍人たちは食べるのが早い。
どんどん皿のものが片付いてゆき、ロイも遅れて到着した。アイリーンはそのとき鍋を見ていたが、全員が急にガタッと立ち上がる音がしたので、振り返らずとも彼が来たのだと分かった。


「軍長、お疲れ様です!」

「ああ。……うまそうだな」

「ろっ、ロイ!  あああ、危ないからっ!」


後ろにぴったり寄り添われて、耳元で甘く囁かれるから思わず跳ねて抵抗した。人前でなんてことを、と思うがロイは気にしていない様子で、アイリーンの少し伸びた髪をやさしく梳くから、ひく、と抵抗できなくなる。


「ひぁ、ぅん……っ」

「確認してきた……間違いない」


誰にも聞かれないほど小さな声が耳元でうずき、くすぐったさに身をよじる。


「ん……っ、ほんとに?  ……よ、よかった、のかな?」


アイリーンが狩りのおわりに見つけた足跡はどうやら食人獣のものであったらしい。安全地帯と言われるこの場所でそんな事があるのかと、自分の勘違いであってほしいと思ったが、結局 報告しないわけにもいかなかった。

合っていたのならよかった。
でも食人獣がいるなんてこと……喜ばしくない。

喜んでいいのか悪いのか迷っていると、ロイがわしわしと黒髪を撫でた。


「よかったなんてもんじゃねえ、お手柄だ。よくやったアイリーン」

「ん、そう言ってもらえると……ろ、ロイ、よそうから、離れて……」


褒めてもらえると嬉しくて、思わず身をあずけたくなる。でも今はふたりきりではないからと、アイリーンは節度を守るよう努めた。

ロイは素直に離してくれたが、そのままアイリーンが配膳している姿をうしろで見続けている。彼の分をよそって渡すと、彼はわずかに目を細めてそれを受け取って、妙に感慨深そうにつぶやいた。


「てめえの料理か……」

「あ、ううん、あの、先生が。ヨーデリッヒが作ってくれて、オレはちょっと手伝っただけ」

「……は?」


途端に、銀の目が射殺さんばかりの強さでアイリーンを見る。ぎく、と身体が硬直し、目隠し越しの赤い瞳もうろたえて彼を見られない。

ロイはそのまま自分の席に皿を置き、座りもせずにスプーンの先をシチューにつけて舐めとった。味を確かめると強い足音を立てて、ひどく恐ろしい目でアイリーンに迫ってくる。

彼女は野うさぎのように逃げようとしたが、すぐに部屋のすみまで追い込まれ、アイリーンの両側を塞ぐようにロイが壁に手をついた。


「てめえ……亭主にホラ吹きやがって覚悟はできてんだろうな」

「な、なんで!  そんなことっ!」

「うるせえ黙れまだ言うか。下手くそな芝居しやがって。よっぽどが足りねぇらしいな今ここでしてやろうか?  あ?」


アイリーンは混乱する。さっきまであんなにやさしかったのに、ロイの銀色はひどい怒りをたたえてアイリーンに凄んでいた。

どうして嘘と決めつけるんだ。

ロイに料理を振る舞ったことなどないのだ。先生だって、軍長に食事を作ったことなどないと……有無を言わせぬ強さだが、きっとハッタリなのだろう。


アイリーンは意を決する。

嘘だという証拠はひとつもない。それにいま白状してしまえば他の人に食べてもらえなくなるかもしれない。なんてものを食べさせたんだと、咎められるかもしれない……。

そんな悲しいやりとりがあればロイは部下に激怒するだろう。自惚れでもなんでもなく、アイリーンは彼に愛されていると自覚している。ロイと部下が自分のために言い争う場面などあってほしくない。


「だからオレじゃないって、これは先生がつくったの……!」

「てめえ……それは煽ってんのか、いいだろう乗ってやる」

「あっ、ちがっ……!  やだ、ロイ、やだぁ!」


両の手首をすばやく持ち上げられると、もう片方の手で顎をわしづかみにされる。このままでは躾直キスされる。直感的に、そう思った。

こんな公衆の面前で、ロイは全く動じていない。いくら部下ばかりだとはいえ、こんな横暴を見せつけていいのか……ロイの鼻頭が彼女のそれにひた、と当たればアイリーンは真っ赤に染まってゆく。


「選べ、ふたつにひとつだ。正直に白状すんのか、今ここで躾直されんのか」

「そんな、ロイ……っ」

「選べ」


ああ、これは、引いてくれない。

諦めと、それから羞恥とやるせなさ。
嘘をついたのは本当だが、証拠もないのにこんなに責め立てられるなんて。信用されていないのか、もしくは面白がられているのかと悲しくなって、アイリーンはうなだれた。


「……うそ、ついて、ごめんなさい……オレが作りました……」

「……だろうが。さっさと席につけ、飯が冷める」

「はい……」


嘘だったと認めれば、ロイはそれ以上責め立てることはしなかった。手と身体がぱっと剥がされ、アイリーンはすごすごと肩を落として席へとつく。左にはエメがすでに座っていて、やれやれと慰めるような表情でアイリーンの背を撫でた。


泣きたくなる。
なんでこんな、理不尽な目に合わなきゃいけない。


「それからヨーデリッヒ。てめえもこいつの嘘に乗るんじゃねえ。どうせすぐにバレるんだ」

「は、はい……申し訳ありません」

「分かったらいい、食事にしろ」


しんと静まり返った気まずい食堂で、かちゃかちゃと食器の音だけが響く。すでに数少ないその音すら段々と消えていって、軍人たちはひとり、またひとりと食堂を後にしていった。


「奥様、ごちそうさまでした……」

「……ああ、うん」

「美味しかったです。奥様」

「ありがとな……」


大概はからっぽの皿を持ち、アイリーンに小さくひとこと礼を言って食堂を去った。気遣われている空気が痛々しく、久しぶりに作った料理の味すら自分では分からない。

そんなアイリーンに追い打ちをかけるようにして、3人の軍人が彼女の横を素通りした。彼女に声をかけることも、目を向けることもなく、皿にはわずかに肉の塊が残っている。


ーー食べていたんだ、途中までは。


みし、と頭が痛み出す。
いつもならこんな扱いは慣れているのに、ひどく頭が痛かった。彼らはロイにだけ、お先に失礼しますと挨拶したが、ロイは特段なにを言うこともなくまた食事を再開した。

……やっぱり、自惚れていたのかも知れない。

自分が思っていたほどには、そして自分が想うほどには、ロイは自分を愛していないのかも知れない。忌み子アイリーンが作った食事をあからさまに残す3人に、ロイは激怒するどころか表情ひとつ変えないのだ。


ふたりきりの時は知らなかった。
こんなこと、知りたくなかった。

夫は結局、アイリーンより仕事仲間を優先する人だった。


きゅうきゅうと、アイリーンの胸が、頭が、心が悲鳴をあげる。それでも情けない姿を見せたくなくて、彼女は必死にいつも通りを装いながら、砂の味がするシチューを口に投げ捨てていた。



***



「アイリーン、軍長が部屋に来いってさ」

「え、なんで?」

「さぁ、知らない。とにかく呼んでこいって」


あまされた肉の塊を捨て、全員分の食器を洗い、ようやくひと息ついたところでアイリーンはロイに呼び出された。

仕事中だと言うのに、一体何の用だろうか。
正直言って会いたくなかったが、行かなくては言付けを預かったエメにも迷惑がかかるだろう。仕方なしに案内してもらい、アイリーンは古い要塞の上等な部屋へと足を踏み入れた。

重厚な雰囲気のあるカーテンやラグに、大きなデスクがたったひとつ。彼はこれまた大きな革張りの椅子に腰掛け、どうやら書類仕事の最中だった。


「お呼びですか?」

「敬語」

「……なに、何の用?」

「こっちに来い」


平然と片手を出されて、仕方なしにアイリーンはロイのそばへ向かう。うつむいて、唇をとがらせ、肩に力を入れながら不承不承といった雰囲気で、彼のとなりに足を止めた。差し出された手に応えないことが、彼女の唯一の抵抗だった。


「なに拗ねてやがる」

「すねてなんか……」

「拗ねてんだろうが。大体てめえから言い出したくせに、なんで一向にそばへ来ねぇ。てめえはここの家政婦か」

「……っいいよもう、忙しんだろ。オレは適当にやっとくから、そっちも仕事してろよ」

「おい、どこ行くつもりだ」


回れ右して帰りかけたアイリーンの手首が掴まれる。振りほどきたくて腕を動かすが、痛いわけでもないのにロイの手は強くて離れなかった。そのままぐい、と後方に引かれ、軸を崩したアイリーンは座っているロイの膝に乗りあげてしまう。

長い左足で腰を固定され、片手で紗の目隠しがほどかれると、もう片方で顎をつよく掴まれる。


「やっ、はなせ……っ」

「可愛げのねぇ態度とりやがって。おい、こっちを見ろ嫌がんな」

「やだっ、あ、ん……っ」


後ろから深いキスをされる。
手足はアイリーンを逃すまいと力強いのに、唇や舌はそろそろと繊細にくすぐってくるからたまらない。いつもなら彼女はこれに身を預け、とろかされて、多幸感に包まれるのだが今回はそうもいかなかった。
唇をかたく閉ざして彼を拒絶する。


流されたくない。
いま流されれば、本当にただ拗ねてるだけになる。
そうじゃない。俺は怒ってるんだ。

あんな態度をとった3人はお咎めなしで、どうして俺ばっかり責められなきゃならない。大体あの嘘だってこちらの気づかいだったのに、ロイは全然分かっていない。あいつらは実際、俺が作ったと白状してから食べなくなった。言わなければ食べてくれてただろうに、ロイが無理やり嘘を暴いたから……!


「おいアイリーン、口開けろ」

「ッ……」

「……アリン」


そんな風に甘く呼んだって、絶対応じてやるもんか。

身体はぞくんと反応しても、絶対に口を開かない。目だって閉じて抵抗する。こちらの努力や心くばりを無いものにされて、アイリーンは憤っていた。憤って腹が立って……彼女はこのやりとりのを決めていなかった。


「……おい、そうやってだんまりを決め込むつもりか」

「……」

「意地はりやがって。いつまでこれを続ける気だ」

「…………」

「今ならまだ許してやる。さっさと素直に目ぇ開けろ」


……どうしよう。

本来ならこちらの苦労を理解して謝ってほしいというのが本音だ。ただ、今の夫は引かないだろうし、このままでは自分が怒っている理由も分かりはしないだろう。

ロイだってすべて察せるわけじゃない。
それならきちんと、事情を説明したい。
自分の気持ちを分かった上でなぐさめてもらって、出来れば一言すまなかったと言ってくれれば……いろんな思いが浮かんで消えると、突然 身体が宙に浮いた。


「うわっ!」


思わず声を上げ、目を開けて確認すると、いつのまにか天井が見えている。広い机のうえに寝かせられ、冷徹な表情の男がアイリーンを見下ろしていた。

ブラウスのリボンがしゅる、とほどかれる。
両の腕を持ち上げられて、リボンで手首を、縛りつけられる。


「……いいだろう。てめえがその気なら、こっちだって容赦はしねえ」

「やっ、まって、ロイ」

「残念だったな時間切れだ。今さら後悔したって遅い」


ぷつ、とボタンが外される。

嫌な予感に、昏いに、アイリーンの熱が一気に上がる。冷たく怒っていたはずのロイは、どこか楽しそうに目を細め、アイリーンの耳元に口を寄せた。

ざらついた重低音が、彼女の脳を揺さぶってくる。


「……声を出すなよ。さっきみたいに強情はって、せいぜい歯ぁ食いしばってろ」


ブラウスのボタンがまたひとつ、外された。







*食堂での、おのおの*

エメ(あーぁ、また始まった。無心無心。あたしは木、あたしは石ころ……)
先生(え、え、え?!  軍長なにしてんすか!  こんな、みんなの面前で?!  嘘でしょ!!!)

部下①(おいおい何かおっぱじまったぞ。まーあのお嬢ちゃん相手じゃ、いじめたくもなるわなぁ。いい反応だもん。それに引きかえ俺の嫁ときたら……)
部下②(……あの女が作っただと。なんて物を口にしてしまったんだ。今すぐ吐き出したい。それにしても嘘をつくなんて、これだから赤目は!  軍長も何故あんな女をそばに置かれるのか!)
部下③(えー……っと?  これ、どういう状況??  まったく理解できないんだけど、え、料理上手いのになんで?  ってかあの姿勢、あの胸がすごく強調されてる……!)
部下④(どうしようどうしよう、神様、わざとではないんです!  知らぬ間に食べてしまいました!  これ以上は食べませんからどうかご慈悲を……!)
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