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Ⅲ.夏の章
37.肖像画
しおりを挟む生誕祭は滞りなく進んでいるらしかった。
しかし忌み子のアイリーンには出られない行事が続き、また外はバタバタと忙しく、足の治療も伴って、彼女は部屋へ引きこもっていることの方が多かった。
無論、閣下は忙殺されている。
生誕祭の前夜以降、彼はまったく部屋へ帰ってこなかった。アイリーンはたまに夜更かしして閣下を待ってみる事もあったが、結局姿は見ていない。
エメ曰く、この期間は部下に指示を出すため、実行本部で寝泊まりしているのだろうという。さみしいとは思わないが、体調を崩していないかどうかは心配だった。
そして、5日目。
ようやくアイリーンが参加できる行事が訪れた。
武闘大会の3位決定戦および特別試合である。
アイリーンはヒルダに感謝していた。
話を持ちかけられた時には躊躇したが、蓋を開けてみれば、こんなに暇なことはない。国全体がお祭りムードな中で独りーー正確にはエメもいるのでふたり、ぽつねんと何もしないでいるのは、彼女にとっては中々の苦行だった。
もっともエメは人混みが苦手らしく、警護につく必要のない今年は天国だと笑っていたが。
「なあ、これで大丈夫か? やっぱりあっちの服のほうが……」
「ああもう、うるっさいね! 一体どれが良いんだい、あんたは?!」
服ひとつでも悩みに悩んで、結局はいつもと変わらない濃赤のドレスにした。アイリーンのドレスはすべて結婚式のときと同じ型で作られており、コルセットはやはり必要ない。
濃赤にしたのはソフィアのためだった。
彼女が刺繍を施してくれた絹手袋をつけるためには、やはり同系色のほうが合うだろう。鏡の前で何度も確認していると、エメがアイリーンの両耳に、小さな赤い宝石の耳飾りを着けてくれた。
見覚えのない耳飾りだ。
そもそも彼女は、宝飾品はほぼ持っていない。あるとすれば結婚指輪と、冠婚葬祭用に作ってもらた黒真珠の首飾り。ほかにもいくつか閣下が用意してくれているが、把握できるくらいの量ではあった。
「あれ……オレ、こんなの持ってたっけ?」
「遅くなったけど、贈り物だよ。誕生日おめでとうアイリーン」
鏡ごしに、エメの顔がほころんでいる。
アイリーンは息をつまらせた。喜びと戸惑いが一気に表情に出る。
「……ッ、……ぁ、う……そんな……っ」
「いいから貰って。小さいし、そんなにお高いもんじゃないけど」
「…………エメっ!!」
目頭が熱くなり、アイリーンはたまらずエメに抱きついた。言葉よりも、行動が先に出る彼女である。ぎゅうぎゅうとエメにしがみついて、うまく言葉に出来ない思いを吐露した。
「エメ、エメっ!」
「分かったから。痛いよ、アイリーン」
「嬉しい嬉しい嬉しい! 俺、家族以外からの贈り物なんて初めてだ!!」
「そりゃあんたが誰にも何も言わないからさ。今度から、そういうのはちゃんと事前に報告するんだよ」
「……いやいや。それはなんか違うんじゃないか?」
そんな事をすれば催促になりかねないような気がして、アイリーンは首を傾げた。しかしエメから、親しい人には祝いたい人種もいると言われて納得した。たしかにアイリーンだってソフィアの誕生日は祝いたいものだ。
ともかくアイリーンは上機嫌だった。
手にはソフィアから、耳にはエメからの贈り物をつけ、天にも昇る心地で武闘大会の会場ーー屋外円形闘技場へと向かった。
一歩外へ出ると、祭りの活気が肌で感じられた。華々しい音楽がそこらで鳴って、祝福の空砲が空に舞う。色とりどりの飾り付けに、アイリーンの心は浮き立った。
一方で、やはりアイリーンを見て驚きや好奇、侮蔑の表情を浮かべる者は多い。赤目は隠しているものの、アイリーンの風貌は知れ渡っている。しかし彼女は特に気になる事もなく、表向きは静かに会場へと向かう。
彼女はとにかく大会が楽しみで仕方なかった。
「……すごい人だな……!」
「来てくれたのねぇアイリーン! あら、今日の貴女、とっても素敵よぉ!」
「ヒルダ! 呼んでくれてありがとうな。オレ、この大会が無かったら本当に丸1週間、暇すぎて死ぬところだったよ」
「ふふ、そうだと思ったのよぉ! どうぞいらっしゃい、貴女たちの席はこっちよ!」
円形闘技場の主賓席は、一般席より高い位置に3段で組まれていた。アイリーンとエメはその下段、一番端の席だった。夏の強い日差しが照りつけ、クッションの敷かれた座席はすでに暖かかった。
上段には今は不在の国王夫妻が、中段には異国の賓客が、下段にはアイリーンやヒルダなど、各関係者が並んでいる。その中には貴族も多いが、ヒルダが気を遣って角の席を取ってくれていた為、過度な緊張はしなかった。
「この席、いいな。ありがとうヒルダ」
「いいえ、お安い御用よ! なにせ貴女がいなきゃ、ロイが出てくれることなんて無かったものねぇ!」
「いや、はは……なあ、あの肖像画って?」
閣下の出場経緯について言われるとやはり気恥ずかしかった。あの時は体裁を取り繕うためだと言われたが、閣下はたしかに、アイリーンを気遣ってくれたのだ。
この半年で、それが分からないアイリーンではない。素っ気ないようでいて優しい閣下の気持ちを思うと、どうしても頬が赤らんでしまう。
アイリーンは話を逸らすため、闘技場の反対側にある3枚の肖像画に目を向けた。目隠し越しの遠目にもよくわかる巨大なそれは、右は国王陛下、左は王妃殿下、そして中央の1枚には、3人家族が描かれていた。
「ああ、あれね。陛下のご両親である前王様と王妃様、それから陛下の姉君よ」
「姉君? 陛下にもお姉さんが?」
初めて聞く話だった。
でも確かに、肖像画の中で一番小さな女の子は陛下と同じ緑の垂れ目をしている。血が繋がっていると言われて違和感はないが、姉と言われると奇妙に思う。肖像画の少女はちょうど、ソフィアと同じくらいの年頃だったからだ。
「……今は居ないの。ちょうど陛下がお生まれになった頃、疫病で亡くなってね……幼いまま身罷られたから、肖像画もあれが最後で。陛下が弔いの意味もこめて、式典には必ずあんな風に大きく模写して出しているのよぉ」
「……そう、だったのか……」
アイリーンは思わず言葉を失う。
今まで彼女は国王陛下を、雲の上の存在なのだと感じていた。いつも悠然として気品を持ち、威厳あふれる天上人。その印象が強かったが、こうして陛下の背景に触れると、彼も1人の人間なのだと、当たり前のことを感じさせられる。
「優しい人なんだな、陛下は……」
陛下もかつては家族がいて、そして喪って。
悲嘆にくれた日もあるのだろう。そして今、こうして自身の肖像画と並べるほどに、陛下は家族を大事に思っている。
それならきっと、ソフィアの事も。
きっと大事に……生涯大切にしてくれるだろう。そうであって欲しいと、アイリーンは切に願うばかりである。
「あら、始まるわ!」
大きな金管楽器の音が轟き、続いて誰かが国王夫妻のお成りを告げる。アイリーンたちは立ち上がり、国王らの席に向かって一礼した。
続いてまた金管楽器の音がして、皆が一斉に顔を上げる。すでに国王夫妻は座しており、品位ある微笑みですべてを見下ろしていた。
ーーああ、久しぶりだ。
目隠し越しに妹の姿をとらえると、アイリーンは赤い瞳を細めた。美しく可憐な花のように、ソフィアはそこに存在している。数ヶ月ぶりの彼女はやはり威厳と品格を兼ね備えた、アイリーンの自慢の妹だ。
痩せてはいない。
肌ツヤもいい。
微笑みは相変わらず外面的だ。
……不仲説が、流れていたけど……。
最近の、アイリーンの心配事だった。
噂は噂と一蹴するに限るのだろうが、それがソフィアの事ともなれば、アイリーンには見過ごせない。じっと上段を見上げていると、ソフィアが陛下に話しかけ、陛下もまた、身体を近づけ彼女に応えている。
……表情はうまく読み取れないが、きっと仲は良いはずだ。
「ほらアイリーン、座りなよ」
「うん……」
「……大丈夫だよ。それよりほら、王妃様に見せてやんなくていいのかい?」
「……そうだった……っ!」
つんつん、とエメが手の甲を指差して、アイリーンはにやりと微笑む。すこし無理の入った笑顔で、彼女はよぉしと両手を前に突き出した。
※さて、アイリーンはこのあと何をするつもりでしょうか?
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