アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

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Ⅲ.夏の章

35.前夜

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その晩、閣下は早くに帰ってきた。
この1週間では無かったことだ。


明日から始まる生誕祭に向けて、今日は早めに解散したのだと夕食どきに教えてくれた。国内外の賓客や観光客が集まるこの祭典は、騎士や軍人にとっては一年で一番忙しい行事イベントなのだという。


食事を終えて風呂に浸かって、痛む足をかばいながら寝室へ向かうと、すでに閣下は寝台ベッドに入り、上体だけ起こして洋燈ランプの明かりで書類を読もうとして……かくん、と船を漕いでいた。


ーーうわぁ……寝てる。初めて見た。


正確には寝かかっているのだが、どちらにせよ珍しい。前髪を下ろし、長い睫毛が影を作り、うっすら唇が開いていて、その姿は若々しかった。……と言うと語弊があるが、とにかくいつもの閣下は威圧感が強すぎて、若いと思う暇すらないのだ。


こうして見れば、悪くないな。
整ってるし綺麗な顔だ。男っぽいけどすらっとしてて、なんだか上品な彫刻みたい。いつもこうして穏やかなら良いのに、そう出来ないのは立場上かな……。


公爵であり、軍長でもある閣下の苦労は計り知れない。年齢よりも重い立場と責任を持って、その顔つきはいつも厳しく、笑ったとこなど見たこともない。そんな閣下の寝姿に見惚れたアイリーンは、をすっかり忘れていた。


「ッ……!!  ぁ、ぐぅ……ッ!!」


痛い、めちゃくちゃ痛い!

肉刺マメを忘れてしっかり左足に体重をかけてしまった。結果、強烈な痛みが走ってアイリーンは悶絶する。左足を浮かせて取って、片足立ちでうずくまりながら震えていると、ぐぐ、と何かの音がした。……なんの音だ?


「……おい、なに素っ頓狂なことしてやがる」


ーーああ、起こした。俺の馬鹿……!
痛みに顔もあげられないまま、彼女はなんとか声を出したが、踏みつけられた蛙のような声しか出なかった。


「んぐっ……すみ、ません……ちょっと、肉刺を潰しまして……お気になさらず……っ」

「肉刺?  ……練習でか」


寝起きのくせに頭が回る。
気にするなと言っているのに、閣下は寝台から抜け出すと、足早にアイリーンの側にきて細い身体を持ち上げた。そのまま肩に抱えられ、丸太か荷袋のように運ばれる。


「え、え、閣下?!」

「うるせえ喚くな。見せてみろ」

「や、ちょっと待って……!」


ばすん、と遠慮なく寝台へ降ろされ、かと思うとかかとをぐいと持ち上げられた。寝衣ネグリジェの裾が大きく開いて下着が見えてしまいそうで、アイリーンは咄嗟に上体を起こしてスカートを押さえる。

閣下は右、左と順番に足の裏を見た。その動きは武器の点検でもしているような正確さで無駄がない。


「……てめえは馬鹿か。こんな足で練習しやがって」

「こうなってからは練習してませんっ……」

「当たり前だ。普通は潰れる前にやめるんだ。痛みを庇うと違う場所に出来るだろうが馬鹿かてめえは。考えて動け」


反論の余地はわずかもない。
落ち込むアイリーンをよそに、閣下は左足を長く見ていた。そうじっくり見られるような場所でもないので気恥ずかしくなる。

しげしげと観察された後、閣下はようやく口を開いた。


「……左は重心が内に偏りすぎだ。それから回転ターンはもう少しつま先を意識しろ。つま先が使えてねえから指のつけ根にでけぇのが出来るんだ」

「分かるんですか?」

「……重心移動は基礎中の基礎だ。何においてもな」


だからと言って肉刺を見ただけで分かるのだろうか。でも閣下に言われたことは、アイリーンが先生に言われた注意と重なっていた。つまり、的確だ。


アイリーンは呆然とした。

まさか閣下が自分に助言をくれるなどとは思っていなかったし、またそれが的確であることにも驚いてしまう。最近はあまり意識していなかったが、こういう所を見るにつけ、やはり閣下は凄いのだなぁと思い直す。


「薬は?」

「……あ、はい、ここに」

「貸せ」


ぼんやりしていたアイリーンだが、問われてまだ塗っていなかったことを思い出した。と同時に、手に持っていた軟膏入れは奪い取られ、片手で蓋を開けられる。


「ッ閣下!  自分で塗りま……いぃッ……!」

けるな、我慢しろ。隣でゴソゴソされたらこっちが寝れなくなる」

「っ、そん、な……つうっ……!」


また訳の分からない理屈をこねて、閣下の指がアイリーンの傷口に触れる。鋭い痛みがはしって彼女は足を引こうとするのに、閣下の掴むかかとはびくともしない。

細長い指は丁寧だった。力を加えず傷に触れて、痛みを最小限にとどめてくれる。だから、その指がほかに当たるとアイリーンは途端にくすぐったさに身をよじらせた。


「ぐっ……ひぁ、あんっ……」

「なんて声出してやがる」

「だって、こしょば、あぅう……ッ!」

こらえろ、てめえは敏感すぎる。この前といい……」


それ以上を言わない閣下に、アイリーンの目に涙が浮かぶ。

そんな風に言われては、脳裏にはあの事しか思い浮かばず、閣下もおそらく同じことを考えている。

あの春の日、裸に剥かれて身体中を優しく撫で回されたあの朝のこと……ひと欠片でも思い出せば、アイリーンの思考が鈍り、裏腹に感覚は鋭くなってゆく。


「あ、ぁぐっ、いたい、閣下……ッ、うぅん……!」


痛みとくすぐったさが交互に襲い、その都度あられもない声があがる。どちらも彼女をひどくいたぶり、次第に垣根があいまいになる。身体は熱く、瞳はうるんで、アイリーンはただ堪えるしかない。


「ひぅ……っ、うン……!」

「終わりだ、さっさと寝ろクソガキが」


アイリーンがくたくたに疲れ果てたころ、閣下は薬を塗り終えた。
きっと短い時間だったが、アイリーンにとっては今日1日よりも長く感じた。


「はい……手間をとらせて、すみませんでした……」


……なんでオレが謝ってんだよ……!

ぼやけた頭でそれ以上は考えられず、アイリーンは布団に潜った。閣下もまた布団に入り、洋燈を消して暗闇になる。

暗がりの中で隣を見ると、次第に目が慣れてきて、閣下が影となって見えた。形の良い額、すらりと弓を描いた鼻、薄い唇や固くとがった喉仏が、暗闇に濃く浮かび上がってーー


「…………閣下……」


アイリーンは初めて、閣下の方へと寝返った。

普段ならできないことだった。閣下と身体が近くなり、心臓が跳ねて、耳元でどくどく唸っている。ふたりの間にはまだ一人分の空間があるが、身体を傾けるだけでこうも違うとは思わなかった。


思い出すのは、昼間の会話だ。
先生に言われたあの一言は、あとからあとから彼女のどこかを苦しめ続けた。身体の奥がむず痒くって、どうにかしたくて閣下を呼んだ。

アイリーンが緊張で張り詰めるなか、閣下は身じろぎすらしなかった。影になった唇だけが、正確に、冷淡に動く。


「なんだ」

「……おや、すみ……なさい……」

「……ああ」


……ほら、やっぱり。
アイリーンは、自分でも気づかないうちに落胆する。


閣下はいつも通りだった。
アイリーンが隣で声をかけても、彼の横顔を見ていても、彼はきっと、すこしも何も変わらない。

すぐ触れられる近さにいるのに、閣下はいつも理由がなければ、アイリーンには手ひとつ、指一本すら触れなかった。今宵またその事実を確認して、アイリーンはうつ伏せになる。


…………やっぱりオレのことなんて、生意気なクソガキとしか見ていない。当然だ。誰がこんな、男みたいな女を好きになるんだ。口調は荒いし、すぐカッとなるし、髪だって短いこんなヤツ、俺が男だって願い下げだ。

閣下はただ国のために、オレを妻にしたに過ぎない。オレだってそうだ。国のため、家族のために閣下と結婚したに過ぎない。

だからやっぱり、おかしいんだ。
オレが閣下を好きになることも、閣下がオレを好きになることもあり得ない。勘違いしちゃダメなんだ……


アイリーンに説明のつかない頭痛が襲う。
勘のいい閣下に気づかれないよう、彼女は布団に潜り込んだ。眠ろうとすればするほど、痛くて息苦しくて眠れそうになかった。


閣下のことは尊敬してる。
優しいことも知っている。
でもこの想いは恋じゃない。
オレは閣下を好きなんかじゃない。
閣下にとっても、そんな想いは迷惑なだけだ。
オレは閣下に、迷惑だなんて思われたくない……!


オレは閣下を好きにならない。

閣下もオレを、好きにはならない。


「……っ……」


アイリーンの隣から、静かな呼吸が聞こえはじめていた。本当に疲れているのだろうし、明日からはもっと目まぐるしくなる。絶対起こしたくないと、アイリーンは息を殺して飲み込む。


赤目を閉じて、痛みを見過ごして眠るふりをする。そうすればいずれ朝は来る、とアイリーンは知っていた。


生誕祭は、明日から。
蒸し暑く、ひどく寝苦しい夜だった。

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