アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

文字の大きさ
上 下
35 / 124
Ⅲ.夏の章

34.前日

しおりを挟む



舞踏会の練習は今日が最終日だった。

先生ーーヨーデリッヒも軍人であるため、生誕祭の期間中は警護に当たるそうだ。ようやくステップも身体に馴染んで、先生のリードに慣れ親しんだアイリーンはその事を残念に思っていた。


「そうそう、いい感じっす。じゃあこれは?」

「お、お、おぉ……!」

「そう!  うまい!」


変則的なリードにも、勝手に身体が動いてゆく。ダンスは相手との交流コミュニケーションだった。先生の目や手や足が、言葉を交わさずともアイリーンを導いてくれる。

踊れば踊るほど、相手のことが分かるような、自分のことが暴かれていくような感覚に落ちる。それは決して不快ではなく、むしろ清々しい快感だった。
相手と自分がぴたりと一致した時、アイリーンの身体はどこかへ昇っていくような浮遊感に包まれる。


「一旦休憩しましょう!  次はアダージオ少し遅くで」

「はーい……あぁ、あっついなー……!」

「お疲れさん。飲みもん冷やしてるよ」


エメが自鳴琴オルゴールをとめて、冷やした炭酸水を渡してくれた。夏の暑さは暴力だ。喉から食道へつたってゆく炭酸水が生命の水のように思えて、アイリーンはほぅ、と息をついた。


「うっめぇー……!」

「だいぶ動けるようになったねアイリーン。腹立つけど、もうあたしより上手くなってるよ」

「ウソだよ!  んなわけ……」

「いやいや、ほんと上手になりましたよ奥様。いやぁ、俺の指導の賜物っすねー」

「ホントにね。軍なんて辞めてダンス講師になったらいいんじゃない?」

「姐さん、それは笑えないっす……」


がくりと肩を落とす先生を横目に、アイリーンは左足を見た。見た目には何も変わらないが、どうやら足裏の肉刺マメが潰れたらしく、さっきから焼けるように痛んでいる。動いていれば忘れられるが、休憩するとその痛みは却って増した。


「……アイリーン、足、痛むんじゃないのかい?」

「う……はは、エメ…………なんっで分かるんだよ……!」

「あんたの世話係もそろそろ半年だからね。そうでなくても、あんたは分かりやすいんだから」

「ええ、奥様、大丈夫っすか?  今日はもうやめときましょうか?」


あああ、こうなるから、内緒にしときたかったのに……!


どれだけふたりに褒められても、アイリーンは不安だった。

そもそもふたりは案外アイリーンに甘いため、その褒め言葉は当てにならない。加えてこの状況では他者が介入しないため、彼女は他の女性のダンスを一目も見たことがない。どれだけ上手いと褒められた所で、こんな事では井の中の蛙だ。

それにどれだけ上手くなろうとも、それは先生相手の話だ。本番の相手は閣下であるが、忙殺されている閣下とは一度も音を合わせたことがない。慣れない相手であるならなおさら、自分の付け焼き刃な技術が通用するとは思えなかった。


したがって今、アイリーンには不安ばかりが募っていた。


「うわぁ……こりゃひどいね。あんた、こんなになってまで踊ってんじゃないよ」

「っすね……奥様、今日はこれでやめときましょ。こんな足で、俺がわからないくらい踊れてんだから、もう充分っすよ」

「……いや、もう少し……頼むよ先生。もうちょっと練習しときたいんだ」


たしかに靴を脱いだアイリーンはひどかった。

左足は前に潰れた肉刺と合わせて、4つ潰れて血にまみれている。さらに左足をかばいながら踊ったためか、右足の肉刺も1つ潰れていた。

思った以上の凄惨さで、アイリーン自身も腰が引ける。

それでも、彼女の意欲は変わらなかった。とにかくわずかでも上手に、少しでも閣下に負担を掛けないように踊りたい。そのためには練習が不可欠だ。

ふたりの説得に応じない彼女に、エメは呆れ顔だった。


「あんた、なんでそんなに」

「だって……アダージオは苦手だし、それに……オレが下手だと、閣下に迷惑がかかるだろ?  な?  もうちょっとだけ!」

「……やめときなって。これ以上すれば、かえって足を悪くするよ」

「エメ~、先生、頼むよぉ~!」

「聞かん坊だねあんたも!」

「……奥様って案外ちゃんと……軍長のこと好きっすよねー」


それまで静観していた先生が、急にそんな事を言うものだからアイリーンは咳き込んでしまった。喉の奥に唾液がつかえて、呼吸がうまくできないから顔が赤くなってゆく。


「……ッ先生なに言って……!」

「いやね、ずっと思ってたんすよ。政略結婚で軍長はめちゃくちゃ怖え人だし、奥様になる人は可哀想になあって。

でも奥様って、軍長が倒れたら甲斐甲斐しく世話するし。いまも熱心に練習してるし。……それって軍長のためなんでしょ?

なーんか普通の政略結婚と全然違うから。いや正直、うらやましいっす。俺もそんな嫁さんがほし

だっ!  

……ってー、エメ姐さん、なんすか?!」

「ちょっと黙んな。喋りすぎ」


ごん、とエメが鉄拳を食らわせて先生を黙らせたが、アイリーンはそれどころではなかった。とにかく顔も身体も熱くて、いますぐ走って逃げ出したい。


ちがう……ちがう、違う、違う違うちがうっ!!

好きとかそういう事じゃない!  たしかに仕事熱心で、思ったほど横暴じゃなくて、そりゃ尊敬もしているが!  それに俺の赤目を気にせずいてくれて、案外優しいところもあって、口は悪いのに結局俺の意見を通してくれたりすることもあって……

でも相手はあの閣下だぞ!
天下無双、大陸随一……無比無類残虐無情冷酷非道の狂犬公爵!  強くて怖くて、痛いことだって何度かされた!  それに閣下もこんな小娘、なんとも思ってないんだから!!

……とにかく閣下に好きとか愛とか、そんなよこしまな気持ちなんてありえない、考えられない無理無理無理!!!


先生は頭おかしくなったのか!
いやなったんだ!!

先生は頭おかしいんだ!!!


「……リーン、アイリーン!」

「っは、はい!!」

「んもう、帰るよ。今日からとにかく足を休めな。どうせ今更ジタバタしたって仕方ないんだ。それより、1週間後の舞踏会に合わせて傷を治す方が大事なんだから。いいよねヨーデル」

「いっすよー。5ヶ月間お疲れ様っした。案外楽しかったっす」

「う、う、うん……先生、ありがとうございました……」

「当日はとにかく気負わないで、楽しんできてくださいね」


先生は最後に教師らしい言葉を告げて、アイリーンとエメに手を振った。今日で最終日だというのに、アイリーンは混乱して、先生にきちんと感謝の言葉を伝えられなかった。
しかし何とも軽い別れで、先生ーーヨーデリッヒらしい終わり方だ。これで良かったのかも知れないと、アイリーンは自分に言い聞かせた。


休憩したはずの足は、それでも歩くとズキズキ痛む。

部屋に戻ると、エメが医師から塗り薬を貰ってきてくれた。なんでも朝昼晩と1日3回塗るらしく、アイリーンはさっそく足に塗ってゆく。


「ぐふ……いっ……!」

「なんで笑いながら痛がってんのさ」

「だってエメ!  足の裏ってこしょばいんだぞ!」

「分かるけどさぁ……あんたホントに痒がりだねえ。苦労するよそんなんじゃ」


もう苦労なら沢山してる!

そんな風に思いながらも薬を塗って、アイリーンは少し休んだ。先生の言葉を思い出すと、むずむずと、足だか心臓だか分からない場所がうずいていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

【R18】今夜、私は義父に抱かれる

umi
恋愛
封じられた初恋が、時を経て三人の男女の運命を狂わせる。メリバ好きさんにおくる、禁断のエロスファンタジー。 一章 初夜:幸せな若妻に迫る義父の魔手。夫が留守のある夜、とうとう義父が牙を剥き──。悲劇の始まりの、ある夜のお話。 二章 接吻:悪夢の一夜が明け、義父は嫁を手元に囲った。が、事の最中に戻ったかに思われた娘の幼少時代の記憶は、夜が明けるとまた元通りに封じられていた。若妻の心が夫に戻ってしまったことを知って絶望した義父は、再び力づくで娘を手に入れようと──。 【共通】 *中世欧州風ファンタジー。 *立派なお屋敷に使用人が何人もいるようなおうちです。旦那様、奥様、若旦那様、若奥様、みたいな。国、服装、髪や目の色などは、お好きな設定で読んでください。 *女性向け。女の子至上主義の切ないエロスを目指してます。 *一章、二章とも、途中で無理矢理→溺愛→に豹変します。二章はその後闇落ち展開。思ってたのとちがう(スン)…な場合はそっ閉じでスルーいただけると幸いです。 *ムーンライトノベルズ様にも旧バージョンで投稿しています。 ※同タイトルの過去作『今夜、私は義父に抱かれる』を改編しました。2021/12/25

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

公爵に媚薬をもられた執事な私

天災
恋愛
 公爵様に媚薬をもられてしまった私。

処理中です...