アイリーン譚歌 ◇R-18◇

サバ無欲

文字の大きさ
上 下
27 / 124
Ⅱ.春の章

26.小夜鳴鳥

しおりを挟む



「閣下、お夕飯です」

「……これだけか」

「足りないようなら、また果物でも剥きますから。食欲が出てきてなによりです」


アイリーンの昔話を聴きながら、閣下は細切れに眠って起きてを繰り返した。彼女は閣下が起きると果物を剥いてやり、水を用意し、薬を飲ませた。閣下は存外、彼女の与えるものを素直に受け取り、そしてまた眠るまで、彼女の話を聴きたがった。


そうして昼が過ぎ、夕が過ぎ、また夜が訪れた。


アイリーンはそろそろ良いだろうと思い、侍女に頼んだ粥を閣下に手渡した。彼もその頃には身体を起こせるようになり、食もかなり受け付けるようになっていた。

……あんな倒れ方をしたのに、明日にはもう全快しそうな勢いだ。やはり軍人というのは鍛え方が違うのだろう。アイリーンは頭の隅でほっと息をつきながら、閣下の食べる様子を伺っていた。


「……おい、てめえの食事はどうした」

「あ、オレも食べてますよ。閣下が眠っている間に」

「まさか果物だけじゃねぇだろうな」


う、とアイリーンが言葉を詰まらせる。

閣下はその様子で全てを察したらしく、ひとつ舌打ちをして、さっさと何か持って来させろと言い放った。冷たい声も、研いだ刃にすこしの曇りがあるくらいにまで戻っている。やっぱり野生児に違いない。

アイリーンはあまり腹も減っていないが、仕方なく軽食を頼むために寝室を出た。すると私室にはエメがいて、どうやらふたりの様子を伺いにきたらしかった。ひそひそ声で言葉を交わす。


「……軍長はどう?」

「もう大丈夫そう。明日には起き上がれるんじゃないかな」

「そうかい……あんたも、ちゃんと休むんだよ」

「うん、大丈夫。閣下がよく寝てるから、オレもその間に休憩してる……なぁ、なんか適当な食事を頼めるか?  軽いのでいい。剥き過ぎてあまった果物ばっか食ってたら、腹ふくれちまって」

「っ……、じゃあ、温めたミルクと白パンを持ってくるよ。それで良いかい?」

「うん、ありがとう。頼むな」


アイリーンの何気ない一言にエメは少し怯んだが、顔には出さず、彼女の私室を出た。

閣下がよく寝てるから……そんな所、エメは想像すらできない。それにあまった果物と言ったが、彼女が手ずから剥いたものを、軍長が食べているという事だろう。神経質な軍長が、料理人以外の手がつけられた物を食べるなんてこともあり得ない。


あの軍長が、そこまで他人に気を許すなんて、少し前まで考えもつかなかった事だ。


いくら熱があるからとはいえ、今の軍長は明らかにアイリーンに甘えている。やはり彼女は軍長の特別なのだろう。半ば無理やりだったが、アイリーンに看病させた自分を褒めてやりたい。

エメはそんな事を思いながら、アイリーンに食事を渡してそそくさと部屋を下がった。


「てめえもそれだけか」

「オレは良いんです。果物、結構食べたし。閣下も腹減ってんなら、白パンひとつどうですか?」

「……貰おう」


やはり足りなかったらしく、ふたつ盛られた白パンのひとつを渡すと、閣下はそのまま食べ始めた。王宮のパンはすばらしく柔らかいものだが、それだけでは喉が渇いてしまう。アイリーンは閣下の前にミルクの入ったカップを出した。


「閣下、ミルクにひたしてください。あったまるし、喉にも通りやすいですよ」

「……これはてめえのもんだろうが」

「ひたすぐらいで減るわけじゃなし、大丈夫ですよ。ほら、どうぞ」


普段ならこんなに閣下に意見を出せるはずもないが、今のアイリーンは強気だった。彼を世話したという自負があるし、早く良くなってもらいたい。

そのために必要であるなら、多少閣下の表情が曇っても構わなかった。というより、閣下はいつも不機嫌そうなのだから、考えたところで今更だ。

そして閣下はやはりそこまで強く拒まず、アイリーンのミルクにパンをひたした。彼女もまた、寝台ベッドに腰掛けながら、同じように食事をとる。


「ふぅ……」


小さな白パンはあっという間に腹に入って、アイリーンは最後にミルクを飲み干した。冷たい果物ばかりだったから、温かいものが胃にしみる。勢いよく飲みすぎたのか、アイリーンの口角から白いミルクが一筋、顎を伝った。


「あっ……」

「ちゃんと飲め。口のゆるいクソガキが」

「す、すみません……」


悪態をつきながらも、閣下の指がミルクを掬った。白く濡れた指はそのまま、閣下の薄い唇へ運ばれる。アイリーンは反射的に頬を染めてうつむくが、閣下は気にせず身体を倒し、また瞼を閉じた。


「……もうお休みになられますか?」

「……てめえのジジイは、今どうしてる」


閣下が目を閉じているから、アイリーンはなんの憂いもなく、赤らんだ顔で微笑んだ。先ほど閣下が眠る前、祖父との別れの話をしたところだ。覚えていて、続きをうながしたのだろう。

アイリーンはゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。彼に耳触りがいいと言われた声を張るでもなし、ひそめるでもなし、努めておだやかに、なめらかに話をした。


「今は……詳しくは分かりませんが、きっとまだ、一人で山にいると思います。南側の、小さな山小屋です。祖父はそこで、オレに木琴を作ってくれて……。

なかなか良い出来だって自分で褒めて、ミルタとソフィアが遊びにきた時は、それを使ってみんなで演奏会をしました。客はじいちゃんひとりだけでしたけど、あれはすごく楽しかったな。

みんなで歌ってると、じいちゃんも入ってきて。でもじいちゃんは歌が下手なのに、大声で歌うから。最後はみんな、ふふ、訳わかんねぇ音程になってました」

「……てめえも、歌ったのか……?  どんな曲だ……?」

「はい、オレもあんまり上手じゃないけど。"四季の歌"って曲です。はるのーをー……」


それから少し、アイリーンは四季の歌を口ずさんだ。閣下はアイリーンの声を静かな表情で聞いている。眠りの帳がすぐ近くまで降りているのだ。

これはシガルタ国の古いわらべ歌だから、きっと彼は知らないだろう。一節だけを歌って止めると、閣下の眉が薄くひそめられた。


「……続けろ」

「えっ……でも……」

「……いい、続けろ……」


戸惑いながらも、懐かしさについ口ずさむ。
歌っていると、重大なことを思い出した。閣下にもらった後朝きぬぎぬの花、あれにこの歌が書いてあった。

なぜ知っているんだろう。
聞いたことがあるのだろうか。
あるなら、なぜ何も言ってくれない。

アイリーンは歌い終え、閣下の顔を覗き込んだ。宵闇の影が彼を覆って、おだやかな眠りの呼吸が聞こえてくる。それを見ると、アイリーンは諦めて小さくため息をついた。


「……おやすみなさい、閣下」


まぁ、いいか。また起きたら聞いてみよう。

眠った閣下を起こしてまで聞く話ではない。アイリーンはひとつ欠伸をして、寝台のふちに横たわった。



***



誰かに頬を撫でられている。
じいちゃんだろうか、ばあちゃんだろうか。
優しい手は頬をなぞり、短い髪にやわく触れた。

額にくちづけられる。
そんな風にされたのは久しぶりだ。
彼女は嬉しくなって、ゆるやかに微笑んだ。


「……アリン……」


たん、たん、と頭を優しく叩かれて、アイリーンは頷いた。

誰だか分からない声は
すこしかすれていて
心地よかった……
…………
……


「ーーリーン……、アイリーン、アイリーンったら!」

「んぅ……っ、あれ、エメ……?」

「もう、全然起きないんだから、心配したよ。もう昼だよ」

「ええ、うそだろ……、あれ、閣下は?」


気づいたら寝台の中央で、布団をかぶって眠っていた。おかしい。寝台の端で仮眠を取って、閣下の目が覚めたらすぐ起きようと思っていたのに。

本来禁止されている寝室にエメがいるということは、閣下はどこかへ行って戻ってこないのか。アイリーンの予想通り、彼は朝、いつも通りの時間に部屋を出たと言う。全く気づかなかった。


「閣下、大丈夫かな」

「平気そうに見えたけどね。足取りもしっかりしてたし」

「ほんとかよ……あの人、やっぱ野生児だ……」

「なにそれ?  アイリーン、もうすぐダンスの時間だけど行ける?」

「ああ、そうだった!  行く、行くよ!」


大急ぎで準備をして、アイリーンはもとの日常に戻っていった。自分を寝台へ寝かせた人は誰なのか、思い至って頬がほんのり赤く染まった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

【R18】やがて犯される病

開き茄子(あきなす)
恋愛
『凌辱モノ』をテーマにした短編連作の男性向け18禁小説です。 女の子が男にレイプされたり凌辱されたりして可哀そうな目にあいます。 女の子側に救いのない話がメインとなるので、とにかく可哀そうでエロい話が好きな人向けです。 ※ノクターンノベルスとpixivにも掲載しております。 内容に違いはありませんので、お好きなサイトでご覧下さい。 また、新シリーズとしてファンタジーものの長編小説(エロ)を企画中です。 更新準備が整いましたらこちらとTwitterでご報告させていただきます。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜

船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】 お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。 表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。 【ストーリー】 見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。 会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。 手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。 親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。 いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる…… 托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。 ◆登場人物 ・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン ・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員 ・ 八幡栞  (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女 ・ 藤沢茂  (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。

JK退魔師の受難 あらかると♡ ~美少女退魔師たちは今日もふたなり化して凌辱される~

赤崎火凛(吉田定理)
ファンタジー
現代にはびこる悪――妖魔を滅ぼすために、美少女退魔師たちは今日も戦う! そして敗れ、呪いでふたなり化して、ひたすら妖魔に凌辱される! 初めての感覚に戸惑い、恥じらい、絶頂し、連続射精させられ……身も心もボロボロにされて堕ちていくJK退魔師たちの物語。 *いろんな女子高生の退魔師たちのHシーンだけを集めた短編集です。 『JK退魔師×ふたなり』がテーマです。百合成分はたまにあります。 基本はバッドエンドで、ヒロインに救いはないです。 触手、凌辱、お仕置き、拘束、拷問、恥辱、寸止め、マッサージとか、いろいろ。 メインのシリーズを読んでなくてもOK。 短編のため、どのキャラから読んでもOK。 *ここに「妖魔に捕まった状態から始まります」とか書いてありましたが、そうじゃない話もあるので消しました。

みられたいふたり〜変態美少女痴女大生2人の破滅への危険な全裸露出〜

冷夏レイ
恋愛
美少女2人。哀香は黒髪ロング、清楚系、巨乳。悠莉は金髪ショート、勝気、スレンダー。2人は正反対だけど仲のいい普通の女子大生のはずだった。きっかけは無理やり参加させられたヌードモデル。大勢の男達に全裸を晒すという羞恥と恥辱にまみれた時間を耐え、手を繋いで歩く無言の帰り道。恥ずかしくてたまらなかった2人は誓い合う。 ──もっと見られたい。 壊れてはいけないものがぐにゃりと歪んだ。 いろんなシチュエーションで見られたり、見せたりする女の子2人の危険な活動記録。たとえどこまで堕ちようとも1人じゃないから怖くない。 *** R18。エロ注意です。挿絵がほぼ全編にあります。 すこしでもえっちだと思っていただけましたら、お気に入りや感想などよろしくお願いいたします! 「ノクターンノベルズ」にも掲載しています。

女の子がひたすら気持ちよくさせられる短編集

恋愛
様々な設定で女の子がえっちな目に遭うお話。詳しくはタグご覧下さい。モロ語あり一話完結型。注意書きがない限り各話につながりはありませんのでどこからでも読めます。pixivにも同じものを掲載しております。

処理中です...