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閑話
13.ある女軍人の祈り
しおりを挟む「てめえはベリアル教徒か」
「はい」
「信心深い方か」
「いいえ」
軍長に呼ばれて入室した、軍本部 執務室にて。
上司の問いには簡潔に、明確に、そして嘘なく答えるべし。優秀なエメは叩き込まれた教えを遵守し返答する。軍長の問いはその後も続いた。
よく分からない問いだった。
宗教がどうとか、赤目がどうとか。家族構成、実家の信仰、貯蓄財産、その他諸々。やたらに宗教がらみが多い。
……次の仕事は聖職者とでも関わるのか?
それなら適任は他にいる。
エメは宗教に熱心ではなく、聖職者の多くは説教が長くて肩が凝る。選ばれたら面倒だな……と思っていると、軍長から仕事内容の書類が渡された。
「この仕事は、強制じゃねえ。てめえが嫌ならやめておけ」
「は……」
エメは固まる。
強制でない仕事など、今まで聞いたこともない。
この軍長は仕事の鬼だ。
彼は部下に仕事を振る時、選択権など与えない。
部下の私情を考慮せぬまま、どこへ行け、何をやれと指示される事がほとんどなのだ。ひどい場合は親の死に目すら会えないときもある。
しかし判断は間違っておらず、適材適所を見極められる軍長に否やを唱えるものは少ない。そもそも軍長自身が率先して動きすぎるため、部下は着いていくのに必死である。
エメは金のために軍人となった。
遠く南の地に住む家族に仕送りするため、給金のいい仕事を選んだに過ぎない。だから、仕事に対するこだわりは薄い。特別手当が出るのなら多少の汚れ仕事は引き受けてもいい。だがーー
ぺら、と一枚紙をめくる。
エメは書類に釘付けになって、一枚、また一枚とめくってゆく。想定外の仕事内容。想定外の……軍長の私事。
「……軍長の、奥様の警護、兼侍女……ですか」
「そうだ、ようは転職になる。てめえが軍を続けてぇなら、この話は余所へ回す」
と言うか、この軍長が結婚……
エメはしばらく考え込む。そもそも神経質な軍長が、他人と一緒に暮らすだなんて想像だにせず、早々に破綻しそうな気配しかない。
しかも結婚相手が相当ワケありだ。この国で最も高い爵位を唯一いただく軍長がなぜ、よりにもよってこの娘なのか。政略結婚だったとしても、あまりに不可解きわまりない。
エメの心情を読み取ったのか、軍長がひとつ舌打ちをする。この人の舌打ちは種類があるが、今のは仕切り直しのそれだろう。
「どうする。やるのか、やらねぇのか」
「ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか……なぜあたしを?」
給金は高くて汚くもない、魅力的な話だ。
仕事にさしたるこだわりもない……が、一応の矜持は確かにある。なんでも引き受けるわけにはいかず、エメは軍長に問いかけた。
「……てめえは歳が、近いだろう」
その一言で……エメの気持ちが固まった。
数ヶ月後、彼女は新たな制服ーー侍女服を身にまとい、新たな主人の到着を待った。
***
シガルタ国第一王女、庶子。
赤目の忌み子、ベリアル教の大敵、山育ち……
色々ありすぎる娘との対峙は、ヒルダがすべて先導した。娘は馬車酔いが酷かったらしく、応接間にてすこしの休憩を要した。貴族の娘である他の侍女たちは、目隠しをした彼女の姿を影で嗤って蔑んでいたが、エメにはそれが馬鹿馬鹿しかった。
……別にこの子が何したって訳でもないだろうに、赤い目だけで忌み嫌われて嗤われるなんて……なんとも厄介なもんだねぇ……
「侍女のエメでございます。アイリーン様付きを仰せつかっております」
「ああ、よろしく……オレの相手なんて嫌だろうけど、引き受けてくれてありがとう」
「は……いえ」
黒絹の目隠しをつけたまま、幼い主人は笑って答えた。エメはぽかん、と肩透かしを食らう。まさか何もしていないのに、感謝の言葉をもらうなどとは予想外だった。
……なんだ。普通の、いい子じゃないか。
生まれも育ちも複雑で、どんな捻くれ者かと思いきや、3つ下の主人は実に素直だった。言葉遣いはなってないが。
オレに畏まらなくていいから、と言う彼女の言葉を受けて、エメはすぐさま敬語をやめた。主人ーーアイリーンは少し驚いたが、そっちのほうがいいやとまた歯を見せた。
「その目隠し、外しちまいなよ」
ふたりきりの客間に入ると、エメは軍長の指示に従った。出来れば目隠しは外させろ。それが軍長の命令だ。しかしーー
「い、いやいやダメだろ! 驚かせちまう!」
「はあ? あたしが赤目ごときで驚くわけないだろ! いいから外しちまえってんだ!」
「おめぇじゃねえよ他のやつらだよ!」
アイリーンは愚鈍ではなく、周囲がきちんとみえていた。不便なことも多いだろうに、自らは配慮を怠らない。この命令も強制ではなかったために、エメはそれ以上の問答をやめた。
……いつかは見てみたいもんだね。
彼女に宿る血色の瞳。それはこの大陸では忌み嫌われるが、エメは主人の瞳を恐ろしいとは思わないし、純粋な彼女がその目に映す色を見たかった。
小さな願いはひと月後、思わぬ形で叶えられる。
***
痛々しげな赤い頬でアイリーンは笑っていた。ここ数日の主人の様子に、エメは顔には出さないが、常々驚くばかりだ。
婚礼衣装が変わる時、主人の恐ろしさを垣間見た。他を圧倒させ、有無を言わせない。王族らしい威厳と誇りがそこにはあった。
聖職者に詰られた時、主人の逆鱗をたしかに感じた。自分のことは差し置いたのに、母親のことで逆上する。彼女には家族への愛が満ちていた。
軍長に平手打ちされていた時、主人の寛大さを思い知った。見ず知らずの相手に頬を打たれて、彼女は臆することなく、相手の真意に気がついていた。
愚鈍ではなく柔軟で、かといって迎合はしない。
自分の矜持をきちんと持って生きている。
……案外、お似合いなのかもね。
一見すれば全く違うふたりだが、エメはそんな事を思っていた。どちらも不運な過去を背負って、それでも前を向いている。それにふたりは存外、他人を想う気持ちが強い。
『……てめえは歳が、近いだろう』
もし軍長が赤目の王女を忌み嫌うなら、この仕事は断るつもりだった。エメは軍人ではあるが、人を蔑む趣味などない。いくら金払いがいいからといって、夫にすら差別を受ける娘の世話など、自分の手には余ると思った。
だが、あの一言で。
軍長が彼女を蔑むことはないと思えた。彼女が王宮で過ごしやすいよう、彼は準備を整え待っていたのだ。どんな事情かは知らないが、ワケあり王女を娶る軍長の心遣いを知り、エメは転職を決意した。だから。
「緊張すんな……って言っても、相手があの軍長じゃ無理な話だね。でもあの人は厳しいけど、悪いやつじゃないからね」
本心から出た言葉だった。
綺麗な赤目を不安で揺らした主人は、その言葉に意を決したようだった。大丈夫、根拠はないけどあんた達なら上手くやれるよ。エメは心の中で呟いて、扉を3回ノックした。
***
「エメ、これは?」
「ん? ああ……陛下の改革の概要だね。今の国王様になってから、変わった事が多いんだよ」
とある昼下がり、アイリーンは教科書を読む。
降嫁して数日、彼女はこの国を知りたいと言った。母国では必要最低限しか教わる時間がなかったらしく、彼女はこの国について知らないことが多すぎた。
その健気な気持ちに添うように、歴史や法律、地理などの教材一式を用意させたのは他でもない軍長だった。
ただし教師はついていない。
この国の教師はベリアル教の教えも説くため、信心深い者がほとんどだ。彼女に教師をつけるのは、今後もきっと難しいだろう。複雑に思いながら、エメは彼女の教師役をも担っていた。
「へぇ……なんか色々変えたんだな」
「だね。あたしが軍に入れたのも、今の陛下のおかげだし」
「あぁ、これか? 女性雇用の拡大と平等化……んん、王族婚姻制度の改正……?」
「ああ、それは最近可決されたやつ。あんた達が輿入れする2週間前くらい……本当にぎりぎりだったんだよ」
そして内容を説明すると、アイリーンの表情が明るくなった。きっと妹を思い出したのだろう。こんなに素直に反応されると、王宮教師に聞き込んだ甲斐があったというものだ。エメは内心ほくそ笑みながら、教師の言葉を引用する。
「陛下は自分も一国民だから、特別扱いはしないって考えらしいよ。自分だけベリアル教に反するようじゃ、国民に示しがつかないからってさ」
「そうなんだ……今の陛下はご立派なんだな。本当に、ソフィアにぴったりだ」
慈愛に満ちた微笑みで、アイリーンは誇らしげに呟いた。何においても、優先されるべきは妹である。そんな雰囲気が感じられて、エメは少しだけ不安に思う。
きっと彼女は人を愛せば、その人のために簡単に自身を投げ捨てるだろう。他者から冷たく蔑まれ、家族に暖かく愛されて……アイリーンは唯一そこが歪んでいた。
エメは幼い主人の歪みを、そこそこ愛しく感じていた。自分だって親兄弟が窮地に追いやられれば、この身を投じる覚悟はある。アイリーンはそれが少々"いき過ぎた"だけだ。
「あんたは王妃様が大好きなんだね」
「当然だろ! ソフィアは本当にすごいんだ。頭が良くて、優しくて、オレとは全然違っててーー」
「はいはい、もう分かったよ。他に気になるところはあるかい?」
いき過ぎた盲信、信心……自己否定。
彼女の家族愛は宗教に近い。なんとも皮肉めいてはいるが、彼女にとっては自分が咎人、家族は聖人らしかった。
その信心深さが彼女の枷とならないよう、エメは彼女を護ろうと思う。それがエメの仕事でもあるし、そうでなくても……この娘の赤い瞳が汚されるのは嫌だった。
願わくば、穏やかに。
主人がいずれは信仰をやめて、一個人として対等に誰かを愛し、愛されますよう。
とある柔らかな昼下がり。
ふたりの娘は身分の別なく、膝をつきあわせながら勉学にただ勤しんでいた。
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