優しさを君の傍に置く

砂原雑音

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優しさを君の傍に置く6

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一瞬、呼吸が止まった気がする。
どこかで誰かがタイミングを見計らったみたいに、ひゅるんと風が吹き抜けていった。


別れ話の瀬戸際にいるみたいな、そんな緊張感で話をしていたはずなのに、今彼は、なんて言った?


陽介さんの口からさらりと出た提案の意味が、瞬時に把握できなかった。


ぽかん、と陽介さんを見上げていると、彼はつないでいた手を一度解く。
ジャケットの内側にごそごそと手を入れて、正方形の手のひらサイズの白い箱を取り出し大きく深呼吸した。



ぺこ、と一礼して僕に向かって差し出されたものから、目が離せなくなる。
開いた箱の中には、透明な石を乗せた白銀色の指輪が、シンデレラ城の灯りを小さな光の屑に変えて反射していた。



「結婚しましょう、俺と」

「な……なんで?」



余りにも突然すぎて、嬉しいとかそんな感情もまだ沸かなかった。
多分、理解ができていなかったのか、もしくは頭がついていっていなかったのかもしれない。



「真琴さんが『僕なんか』って言うたびに、俺は好きですって言うし可愛いって言います。でもそれも、傍にいられてこそ、なんで。

 嫌なら、断ってもらってもいいっすよ。でもこれは誕生日プレゼントなんで受け取ってくださいね」



ずいっ、とさらに目の前に進んで来たそれを、つい反射的に受け取って、なんだか触れてはいけないものに触れたような、そんな気持ちになる。


きらきらきらきら。
光の屑、というよりも、粉といった方がいいかもしれない。


たくさんの光の粒子が、柔らかく揺らめいていた。


「いくらなんでも、誕生日プレゼントに、こんな、」

「ただその場合……すんませんけど来年以降はちょっと、指輪のグレードが下がります」

「は?」

「しがないサラリーマンなもんで。毎年給料の三か月分はちょっと無理が」



驚いて見上げると、くぅっと悔しそうに顔を顰めていて、目が合うと少し照れた色を滲ませて笑う。


それを見て、これが冗談なんかじゃないのだとやっと僕は理解した。



「ま、毎年?!」

「はい。たとえ引っ掻かれても蹴られても別れるつもりないし、毎年必ず、真琴さんの誕生日にプロポーズしますよ俺は」



そんな馬鹿な、と思ったけれど。
陽介さんなら、間違いなく毎年指輪を用意するだろうと、確信する。



「だからもう、そろそろ観念して、一生俺を傍に置いてくれませんか」



指輪を持ったまま、陽介さんの手が重なった。
ちゅ、と唇を指先に充てられて、間近で目を合わせられたけれど、それがキスの許可じゃなくって答えを求められているのだと理解する。


ひゅうっ、と近くで冷やかすような口笛の音が鳴った。


「人がっ……」

「大丈夫っすよ、そんなまじまじ見てないですって」

「うそ、そんなわけ」

「ここでプロポーズする人、結構多いらしいっす。ツィッターで上げられたりとか」

「やっぱり目立ってるってことじゃないか!」

「で、返事は?」

「え……い、今?」

「とりあえず今年のプロポーズの返事は、今」


ざわざわと通り過ぎる人が視界の端に見えて、みんながこちらを見ている気がする。
そっちが気になってつい目線が逸れそうになると、陽介さんがこつんと額をぶつけてきた。


真っ黒い目にすぐ近くで見つめられて催促される圧迫に、耐えられなくなって声を出す。
答えなんか、決まってる。


「……着けきれないくらい、指輪だらけになっても困る」

「じゃあ、毎年サイズ変えて別の指にも」

「どっちにしろ指輪だらけだろう。この一個でいいよ」


指輪を手に陽介さんの首筋に抱き着き、その耳元で彼にしか聞こえないくらいの小さな声で返事をした。
こく、と陽介さんの咽喉が鳴ったのが聞こえた。


「ほ、ほんとに?」

「うん」

「まじすか」

「自分から言っといて、なんでそんな疑うんですか」


もしかすると彼は、本気で何年かかけてのプロポーズのつもりだったのか。
今度は彼が、呆然として僕の答えの理解に数秒の時間を有した。


「………っやったっ」


少し震えた声と同時に、ぎゅうっと苦しいくらいに抱きしめられて身体が仰け反り、若干足の浮いた不安定さにさらに強くしがみつく。


「めっちゃ、緊張した………っ! し、幸せにします、絶対っ!」


と、腹の底から絞り出した声に、周囲から拍手と歓声が沸いた。


冷やかし混じりの祝福の言葉も混じっていて、僕は恥ずかしさのあまり抱き着いたまま顔を上げられなくなった。


やっぱりめちゃめちゃ目立ってるんじゃないか!


恨み言を言いそうになったけれど、密着した身体から伝わる激しい鼓動の音にそんなことはどうでも良くなった。
脇に手を入れられて身体が宙に浮くと、下から受けとめるみたいにもう一度しっかりと抱きしめられる。
ぎゅっと目を閉じたまま、彼の腕の中に居た。



「え、ねえねえ、あれ男同士じゃないの?」

「さあ? でも片方、顔は女の子っぽかったよ」


その日、もし誰かがツイッターで一見男同士の公開プロポーズの画像を流していたら、それはきっと僕達に違いない。
相変わらず冷やかしの声が聞こえ続ける中。


「愛してます」

「……僕も」


旅の恥は、掻き捨てだ。
直後深く重ねられた口づけに、僕は身をゆだねた。



ーーーーー
ーー


僕と彼は、本当なら出会うことなどなかったかもしれない。


僕が例えば普通に、どこかの会社で事務員なんかやっていたら。
出会ったとしても、彼は僕を気に留めただろうか。


僕があの店で『慎』として働いていたから
彼は傷ごと、僕を好きになってくれた。


そう思えば、過去の傷にさえ感謝したくなる。


もしかして神様が、僕の為に彼に出会う道筋を作ってくれていたんじゃないかと思うくらい、僕にとっては奇跡のような人だった。


彼ほど優しい人を、僕は知らない。
彼よりもずっと僕の方が、この恋に溺れてる。


彼は、わかっていないかもしれないけれど。



このまま本当に結婚して
家族になって



いつか、子供ができるだろうか
それともずっと、二人だろうか



それは、今の僕にはわからないけれど



十年後も二十年後も
五十年後も、ずっと



傍に、彼がいてくれたら、それでいい。



誰に言えばいいのか、わからないけれど


彼に出会う運命をくれて
ありがとう


ーー
ーーーーー

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