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誘惑5
しおりを挟むそう言われては、彼女を引き留める言葉は俺には思い浮かばなくて。
無言を納得として受け止めたのか、彼女はまた同じ質問をする。
「変ですか?」
「……綺麗です。きっと会場の誰よりも綺麗」
「まあまあ、とか、普通とか言われる方が緊張せずにすむんですが」
んなこと言っても、嘘なんてつけないし。
困ったように眉尻を下げ、もう一度深呼吸をして落ち着こうとする慎さんの手を握る。
やっぱり、ちょっと冷たくなっていた。
「幼馴染に会うのが怖い、すか」
「どうかな、怖いのは怖いけど……あまり実感がない。昔の顔しか覚えてないし。今は、この格好で知り合いもいるかもしれない場所に出てくのが怖い」
「お姉さんも一緒なんだし、落ち合うまで隣にいます。披露宴の間も、俺はロビーにずっといるし」
「はい」
「自信持って、背筋伸ばして」
すると、彼女が意識して背筋を伸ばし、ずっと俯きがちだった顔を上げる。
おどおどした雰囲気が消えた。
ただそれだけで、他を寄せ付けない空気を纏う。
その時俺は初めて、慎さんの隣にいるのが本当に俺でいいのかなんて、少し卑屈なことを考えてしまった。
「僕が、こんな風に前に進む気になれたのは」
うっかり見惚れて空気に飲まれていた俺は、彼女の声に我に返る。
パンプスのせいで、いつもより顔が近くて目線が高い。
「全部、陽介さんのおかげです」
手の中で温めていた彼女の両手にやんわりとほどかれて、その手がそのまま伸びて首に絡みつく。
突然のことで、抱き着かれたのだとわかっても俺はその背に手を伸ばすこともできずに、立ち尽くした。
「慎さん? あの……」
「もしも、今日僕が途中で逃げ出さないで最後まで披露宴を終えて戻ってきたら」
慎さんの、香りが近い。
首筋に慎さんの息遣いを感じた。
密着したせいで、激しい心臓の音がどちらのものか一瞬わからなくなった。
「今夜、貴方の部屋に泊めてください」
彼女がどんな表情でそれを言ったのか、見えなかった。
微かに伝わってくる震えが、怖いのか緊張のせいなのか測れないけれど。
『部屋に、泊めて』
それがただ「泊まる」以上の意味を持っていることだけはわかった。
「その時は陽介さんも、今度は途中で逃げ出さないでくださいね」
きゅうっと絡みつく腕に力が籠められる。
そして彼女の宣言通り。
その夜俺は、慎さん最大の誘惑に翻弄されることになる。
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