優しさを君の傍に置く

砂原雑音

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番犬の役目5

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がた、と椅子から立ち上がりかけて止まったのは、ここが店内で今が営業中であるということと。
慎さんがそれを慣れた様子でするりと躱して手を引き抜き、実際に口づけが落とされることはなかったからだ。


「陽介、お前顔に出し過ぎ」


横から苦笑いの茶茶が入るが、いや、仕方ない。
これは仕方ない。

なんなんだあいつ、しかも他の客もいるのにお構いなしか。
佑さんが、見ればわかると言っていたのはこういうことかと合点がいく。

俺の方へ近づいた慎さんまで俺の顔を見て苦笑いをした。


「なんて顔してるんですか」
「あ……いや」


本当なら今すぐ大丈夫だったか気持ち悪くなかったか(例え自分のことは棚上げだろうと)心配で聞き出したいとこなのに、慎さんの見事な躱し方を目にして俺に今できることなどないと知らされ、情けなく言葉に詰まる。

ちくしょう、不甲斐ない俺。
そんな俺に彼は何を思ったのか、ぱちぱちと瞬きをして言った。


「耳と尻尾が垂れてますよ」
「は?」

「いえ別に。で、何かご用ですか?」
「え、あ、用っつーか……」


にこりと艶やかな微笑でころりと話しが変わる。
慎さんと目が合って嬉しかったから声をかけただけ、だったのだが。

またあのおっさんのとこにすぐ戻られるのも癪なので、ちょうど聞きたいと思ってたことを聞くことにした。


「慎さん、何か欲しいものはないですか!」
「欲しいもの?」

「ほら、昨日誕生日だったなんて知らなかったもんで」
「ああ……別にそんなの」

「要らないとか言わないでくださいよ、俺が贈りたいんです!」


前屈みに身体を乗り出してそう言うと、慎さんが頬を引き攣らせて引き気味になる。
あのおっさん相手には営業スマイルだろうと引かずに相手してたのに。
きっとあの薔薇だって、にこやかに「ありがとうございます」っつって喜んで見せたのだろうと思うと、なんだか悔しい。

なんで俺にはそんな顔するんだ、と拗ねてしまいたくなるが下手に駄々をこねて欲しいものを聞き出せなくなっても困る。

ここは我慢、と慎さんの返事を待っていると彼は眉根を寄せ乍らも「ん……」と考える仕草を見せた。

ふ、と慎さんの表情が緩む。
何かを思いついたような顔だった。


「じゃあ、一つだけ。ずっと欲しいものがあるんですけど、中々手に入れられなくて」
「はい、なんすか! 何でも言ってください!」


中々手に入れられないもの、と聞いて実は一瞬ビビったが勢いで言ってしまった。
一度吐いた言葉を引込めるわけにもいかないと、覚悟を決める。

なんだ、高価なものなんだろうか、それともレアなものという意味だろうか。
多少の貯金はあったはずだが、と通帳の残高を思い出していると。


「この先の公園の近くの細い路地に、評判のいいパン屋があって」


かくん、と勢いづいていた肩の力が抜けるほど、拍子抜けした。


「パンて! パンすかマジで!」
「あ? パンを馬鹿にすんなよ」


途端に眉根を寄せて睨まれた。
怒ると口が悪くなる、慎さんはどうやら本気だ。

いや、パンなんて。
別に誕生日プレゼントでなくても全然買ってくっつーの。

だが、慎さんは何やらうっとりとした表情を浮かべて言う。


「とにかくどのパンも美味しいんですけど……火曜と木曜の夕方五時にだけ、焼き立てが店頭に並んですぐに売り切れる特別なやつがあるんですよ」


本気でそのパンが食べたいらしい。


「そんなに美味いんすか」
「はい。以前に一度だけ食べたんですけど……口コミで評判が広がってしまって、かなり前から並ばないと買えないんですよ。僕は店があるから五時なんて無理だし」
「火曜と木曜……すか」


いわずもがな、仕事だ。
だが当然、外に出ていることもあるから立ち寄るのくらいは問題ない。

……しかし長時間並んで、というわけにはいかないな、と思案していると。


「陽介さんも、普段はお仕事ですよね。祝日とかはお休みですか?」
「はい、祝日は休みっすよ」


そこではたと気が付いて、スマホを取り出してカレンダーを開いた。


「そっか、祝日!」
「はい、今度の祝日、火曜なんですよ」


祝日なら確実に休みだし、何時間前からだって並ぶことができる。
よっしゃ、と弾んだ声の俺につられてか、慎さんの声も落ち着いてはいたけれど少しそわそわとしたもので。


「……行けそうですか?」


スマホから顔をあげると、やっぱり期待して表情もそわそわしていた。


「行きますよ勿論。ってか三週間も先なんですけど」
「今までずっと食べられなかったんだし、三週間くらい待ちます」


ぱっと輝いた表情は営業でもなんでもない……ように俺には見えてそれだけでまた手やら……まあ色んなとこがウズウズする。

ああ、抱きしめたい触りたい、って。

こうしてバーテンダー姿を見ると改めてこの人男なんだよなーと思うけど、それ以上に触れてみたいという欲求が強い。

いやいや。
ダメだってお触り禁止だし。

怖がらせたらダメだし、そこは佑さんに言われるまでもなく。
と、自分の中で欲求不満と格闘を交えていると、目の前の慎さんが変なものでも見るような胡乱な瞳を俺に向けていた。


「……ブツブツ漏れてますよ、独り言」


まじでか。
ごほん、と咳払いして誤魔化して、慎さんに向けてビッと親指を立てて見せる。


「絶対お気に入りのパン、買ってきます」


すると、「ありがとうございます」と丁寧な礼と共にまた麗しい笑みを浮かべ、何故か徐に彼の右手が伸びてくる。


「……な、なんすか」


ぼうっと見惚れて身動き一つとれない間抜けな俺は、どうにかそれだけを口にした。
慎さんの細い指が、俺のパーカーの紐に近づくのがわかっても、緩く弧を描いたその瞳から目を離すことも出来なかった。


「パーカー、似合いますね」


一瞬だけ指にパーカーの紐が絡められ、すぐに離れて行く。
何故だか、手綱を引かれたような、気分になった。

ほんの、数瞬程度だったのだろうか。
見惚れる余り意識を飛ばしていた俺の目の前を、ごつい男の手がひらひらと行き来する。


「おーい」


はっと我に返った時には、慎さんはもう目の前から離れてカウンター内の扉の中へ消えていくところだった。
以前その扉から慎さんがチーズを手に戻ってきたのを見たから、食糧庫があるんだろうと思われる。
すっかり呆けていた顔を見られてしまっていただろうかと、情けなくなりながら今引かれた手綱に触れた。

あ、違った。
手綱じゃねえ、ただの紐だ。パーカーの。


「……ったく、天然タラシめ」


佑さんがぼやいて苦笑いをする。
俺は驚きを隠せない。


「天然なんすかあれ」
「……多分?」


なんてこった!
わざとならまだいい。

天然で無意識にあんな顔であんな仕草を振りまかれたら、被害者が増える一方だ。
末恐ろしいものを見るように扉を凝視していると、やっぱりチーズを片手に慎さんが戻ってきて、きょとんと俺を見る。


「あなたはほんと、コロコロ表情変えますね」


全部、貴方のせいだというのに。
楽しそうに肩を揺らす彼を見て、俺はまただらしなく顔が緩むのを止められずにいた。

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