その後の愛すべき不思議な家族

桐条京介

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穂月の小学校編

入学式における衝撃の女児椅子から落下事件

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 窓から燦燦と太陽が入り込む教室はなんとも不思議な匂いがした。

 小学生になったばかりの穂月に鉄筋と木が混じったものだと理解できるはずもなく、単純に学校の匂いだと記憶する。

 それよりも穂月の目を引いたのは黒板前に立つ1人の女性だった。

「はじめまして、私が皆のクラスを担当する室戸柚です。よろしくね」

 自宅にもよく遊びにくる母親の友人が、綺麗に着飾って微笑んでいる。

 大勢の人が揃えば楽しいことが起こると理解している穂月は、ウキウキとした気分を抑えられずにニンマリとする。

「これから入学式が始まるので、廊下に整列するよ」

 友達に話しかけるみたいな口調で柚に優しく促され、ぞろぞろと生徒たちが廊下に出る。

 穂月も立ち上がったが、視線の先では机に突っ伏して動かない少女がいた。

「のぞちゃん、にゅうがくしきだよー」

「……」

 ピクリとも反応しない。

 傍目には無視していると映るかもしれないが、付き合いが長くなってきた穂月にはわかる。

 友人の小山田希は眠いから留守番すると主張しているのが。

「希ちゃん、入学式初日から大物ぶりを発揮しないでもらえると助かるんだけど」

 たった2人で教室に残った穂月と希を心配したのか、いつの間にか困り顔の柚が肘を抱えるようなポーズで横に立っていた。

「どうしたものかしら」

「んー……のぞちゃん、このままはこんでくれっていってる」

「態度だけでなんとなく想像はついたけど……もちろん駄目よ」

 ふうとため息をついてから、柚は机に頬をつけている希の耳元に唇を寄せる。

「言うことを聞いてくれないと、希ちゃんの世話係に穂月ちゃんを指名するわよ」

「あいだほっ、ほづき、がんばるっ」

 世話係という部分に反応した穂月は瞳を輝かせ、希の肩を揺さぶる。

「ほづきだとこのままはこべないから……そうだ、ひきずればいいんだ」

「早く廊下に並ぼう」

 穂月がポンと手を叩いている間に、素早く希が立ち上がった。

 肩に手を置かれた穂月は多少残念に思いながらも、楽しみにしていた入学式が始まるのを思い出して笑顔で頷く。

 手を繋いで教室から出る穂月たちを追いかけながら、苦笑いを浮かべた柚が小さな声で呟いた。

「実希子ちゃんが穂月ちゃんを頼りにするはずよね」

   *

 ドレスみたいな可愛らしいスカートの裾をひらひらさせながら歩いていると、まるで自分がお姫様になったみたいに感じられて、やはり穂月の頬は緩みっぱなしだった。

 実際にはドレスというほど豪奢ではないのだが、服に関する知識に乏しい穂月には多少上質なワンピースタイプというだけでそう感じてしまうのだ。

 友人の希も同様の服を着ており、入学式前にそれぞれの母親がああでもないこうでもないと話していたのが思い出される。

「これからたのしみだねー」

「うん」

 笑顔で返事をしてくれたのは名前も知らない少女だ。単純に近くにいたので話しかけたのだが、そこから簡単な自己紹介に繋がる。

「ほづきはね、ほづきっていうの」

 体育館に着くなり誰彼構わずに声をかけまくっていると、前方から落ち着いたトーンの声が飛んできた。

「しずかにしてください」

 まるで先生みたいな言い方に穂月はきょとんとする。少しして前の方に並ぶ少女に注意されたと知って、笑顔で近づく。

「にゅうがくしきのとちゅうなんですから、うごいたらだめです」

「そっかー、ほづきはね、ほづきっていうの」

「……わたしのはなし、きいてますか?」

「うん、ええと……」

「沙耶です、出雲沙耶《いずもさや》。じこしょうかいならあとできょうしつでするはずですので、いまはじぶんのせきにもどってください」

「さやちゃん、せんせいみたい」

 戻ろうとしない穂月に小さくため息をつき、
 視線だけを向けていた沙耶が振り返り、

「だからわたしの……え?」

 改めて穂月に注意しようとした矢先、衝撃的な光景を目の当たりにして言葉を失った。

 目をパチクリさせる少女の視線を追いかける穂月。見つけたのは、椅子の上で実に器用に丸まっている希だった。

 自由奔放に振舞っていたにもかかわらず、あまり穂月が注目されていなかったのは、さらに我が道を歩む友人が周囲の話題を独占していたからだった。

 耳を澄ましてみれば、保護者のいる場所から泣きそうな声で誰かが穂月の名前を呼んでいる。どうやら希の母親のようだ。

「のぞちゃん、おねむはだめー」

「……かんぜんむしですね」

「むしじゃないよ、のぞちゃん、ちゃんとやだっていってるよー」

「……えすぱーですか? いえ、それよりやだじゃないです。ねてはだめです」

 慌てた沙耶が希を揺するが、やはりまともな反応はない。

「こまりました。いすからおとすわけにもいきませんし」

「おー、こう?」

「ちょっ」

 いきなり椅子を引いた穂月に慌てる沙耶。

 支えを失って子供用の小さな椅子から落下する希。

 突然の出来事に目を見開く周囲の新入生たち。

 惨劇が起こるかと思われた次の瞬間、希は素早く体を半回転させ、柔道経験者かと問いたくなるほど見事な受け身を披露した。

 そしてそのまま床ですやすやと寝息を立てる。

「えぇ……」

 あまりの衝撃と動揺で沙耶は可愛らしい黒ぶち眼鏡がズレたのにも気づかない。ツインテールの長い黒髪が落ちた肩にはらりとかかった。

「のぞちゃん、ぱんつみえちゃうよー」

 しゃがみ込んだ穂月は、スカートで横になっている希のほっぺをぺちぺち叩く。

「そんなにねむいのー?」

 今回の無反応を肯定と受け取った穂月は、眠くて仕方ないらしい大好きな友人に自分が何をしてあげられるかを考える。

 小学生らしい思考回路が、すぐに結論を導き出す。

「じゃあ、ほづきがおふとんにつれてってあげるー」

「え? ほけんしつにってことですか? このこ、ぐあいがわるいんですか?」

 急に心配そうになった沙耶に、穂月は浮かべた笑顔を崩さずに左右に振る。

「おねむなだけだよ、あと、ほけ……んーとかいうとこじゃなくて、おうちー」

「おうちって、それならまずはせんせいかほごしゃのひとをよばないと」

「だいじょうぶだよ、ほづきがこのままころがしていくから」

「ころ……!?」

 愕然とした沙耶だったが、すぐ近くで発生した気配に驚き、慌てて振り返る。

 すると眠そうに判目を閉じたままだが、いつの間にか希が立ち上がっていた。

「えぇ……」

 どっと疲れた様子で沙耶が息を吐いていると、壇上で担任教師として紹介されている柚も同じようにため息をついていた。

   *

「ママは生きた心地がしなかったよ……」

 夜になって高木家で開催された穂月と希の入学記念パーティーで、式の様子を思い出したらしい母親が、穂月の隣で眩暈を堪えるように眉間に指を当てた。

「アタシもだ……まさか早々にやらかすとは思わな――いや、予想通りといえば予想通りか……」

 普段から笑ってばかりいる希の母親だが、今日に限ってはいつもの笑顔と少しだけ違うような気がした。

「むー?」

 唐揚げを頬張りながら首を傾げると、お祝いに来てくれた柚が希の母親と同じ種類の笑みを作っていた。

「躊躇なく友人を椅子から落とした穂月ちゃんと、それを予測したような反応を見せただけでなく、そのまま眠ろうとし続けた希ちゃんは、早速学校全体で共有すべき問題児として認識されてたわ」

「……入学式当日から、柚先生には苦労をおかけします……」

 母親の葉月が申し訳なさそうに小さくなる。

 一緒に入学式を保護者席で見ていた祖父が朗らかに「まあ、いいじゃないか」と、自ら撮影した式の映像を眺めながら言った。

 穂月が希に近づいたところでズームされ、沙耶も含めたやり取りのあと、椅子事件のあたりで葉月と実希子が揃ってあげた「ああっ」という声が流れた。

「何度見ても衝撃的ね……」

「おい、好美、他人事みたいに言うな。いつも穂月と希は自分の娘も同然だって言ってるじゃないか」

「そうなんだけど……」

 好美が目を向けた先では、父親の腕の中で希が心地よさそうに眠っていた。

「今更感もあるし、いっそ諦めたらどうかしら」

「解決になってねえ!」

 頭を抱えた実希子を、よしよしと柚が慰める。

「まあ、大丈夫だと思うわよ」

「式が終わったあとの教室でも、あんなにザワついてたのにか?」

「何人かのお母さんは穂月のママが私だってわかると、そっと距離を取ってたよ……」

 幼稚園時代から付き合いのある保護者なら多少の理解もあるが、そうでなければ穂月と希は揃って超問題児にしか見えない。

 とはいえ小学生になったばかりの穂月がそこまでわかるはずもなく、なんだか難しい話をしてるな程度にしか考えていなかった。

 そんな穂月の服を、やはりお祝いに来てくれていた朱華がクイクイと引っ張る。

「ご飯が終わったら、あっちで遊ぼう」

「うんっ、のぞちゃんもあそぼー」

 床で輪になって三人でトランプを始めると、大人たちの声が頭上から降り注いでくる。

「子供たちは平和そうだね……」

「親の心、子知らずってやつだな……」

「葉月ちゃんと実希子ちゃんは疲れ切ってるわね」

 尚にからかわれればいつもはすぐに反応する実希子も、今日ばかりはそんな力もないとばかりに項垂れる。

「アタシの精神が6年も持つのか、今から不安でたまらない……」

「あ、あはは……大丈夫だよって言いたいけど、私も同じかな……」

 そんな母親2人が頼るのは、友人であり穂月たちの担任にも決まった柚だった。

「任せて。可能な限り私が穂月ちゃんたちの面倒を見るから。露骨な依怙贔屓はできないけどね」

「それで充分だよ、柚ちゃん、ありがとう」

 何故か目に涙を浮かべながら柚の手を取る母親たちを横目に、穂月はババ抜きをしながら明日からの小学校生活に、にまにましまくっていた。
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