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葉月の子育て編

愛娘たちの誕生日

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 ジリジリとした日差しに、空気でさえ日焼けしたみたいに色がついて見えそうだ。外を歩けば蜃気楼のごとく地面が揺らめき、照り返すアスファルトを恨めしげに睨みつけた回数は数えきれない。

 エアコンを生み出した偉人と発展した文明に感謝しつつ、程よく冷えた室内で葉月は盛大に拍手をする。

「お誕生日、おめでとう!」

 高木家の広いリビングで、ソファにちょこんと座らせられている今日の主役二人。皆が笑顔なので高木家の長女は楽しそうにするが、隣の小山田家の長女は全員を見渡すこともなく、ごろりとその場で横になる。

「なんか……将来が見えるわね……」

「やめろよ……うちの娘は引き籠りになんてならないんだよ……」

 苦笑する尚の隣で、否定した実希子の声には数多くの悲しみが詰め込まれていた。

 ムーンリーフが定休日なのもあり、昼過ぎから穂月と希のお誕生日会を開催した。二人ともすでに誕生日は過ぎており、各家庭でお祝いはしたのだが、合同で開いて皆でお祝いしようという葉月の提案になんと全員が賛同してくれた。

 好美曰くお祝いしたいけど家族水入らずの邪魔はしたくないので、こういう機会はありがたいのだそうだ。小学校で教師をしている柚も、勤務が終わり次第駆け付けてくれることになっている。

 ちなみに葉月にはそっけなくとも、可愛い姪の成長には興味津々な妹には各種映像を送ってあげる約束になっている。
 本当は駆け付けたかったらしいが、美大で頑張っている真の支援をすると約束しているので、夏休みになっても帰るのは盆頃だけの予定だ。

「はい、プレゼント」

 真っ先に尚がラッピングされた小さな箱をテーブルに乗せる。
 隣ではお祝い一色の空気の中、朱華がややつまらなさそうにしている。

 一緒にお祝いしてもらいたいのだろうし、葉月もしてあげたいのだが、朱華は数か月前に三歳になっており、その時は尚の家でパーティをした。もちろん葉月も参加済みである。

「ありがとう、尚ちゃん。穂月もありがとうって」

「あーがとー」

「うわ、可愛いっ」

 反射的に声を上げたのは好美だった。
 驚いた全員の視線を浴びると、コホンと小さく咳ばらいをして赤面を誤魔化そうとする。

「不公平だぞ、好美。希もちゃんと可愛がってくれよ」

「人を差別主義者みたいに言わないで。ムーンリーフでもきちんと二人ともお世話してるでしょう」

「わかってるけどさー、でもさー、でもさー」

 子供みたいな拗ね方をする実希子に、好美が小さく肩を竦める。

「仕方ないでしょ、希ちゃんはまだあまり喋ってくれないし」

 ちょこちょこと意味不明でも単語を話すようになってきた穂月に比べ、希のだんまりっぷりは相変わらずだった。

 しかしながら本に熱烈な興味を示すことはわかったので、子供向けの絵本を買い与えたところ、意味はわからないはずなのに大いに喜んでくれたそうだ。

 そんな情報を実希子から得ていた葉月が希に用意したプレゼントは動物図鑑だった。

「はい、希ちゃん」

 言葉はないが明らかに喜んでいるのがわかる。
 隣に置いてあげると、転がったまま懸命に本を開こうとする。

「早速、読みたいのか? よしよし」

 なんやかんやで娘が可愛くて仕方のない実希子は、すぐに希の手助けをする。

「おーおー」

 さすがにいきなり文章をすらすら読んだりなど奇天烈な反応はなく、写真にもすぐに興味を示してくれる。

「本当に本が好きなのね」

 そういう尚や、微笑ましそうに見守っている好美のプレゼントも本だった。
 きっと遅れてくる柚も本を持ってくるに違いない。

   *

 一歳になったことで実希子は授乳を切り上げたみたいだが、葉月は愛娘がまだ飲みたがるので続けていた。
 それでもメインは離乳食に移りつつあり、掴み食べもするようになった。

 子供用のスプーンを朱華が使っているのを見て、何だろうという感じで気にしたり、真似してみたりするので、一人で食べられるようになる日も近いかもしれない。

 一方で希はといえば――。

「ほら、ちょっとでいいから自分で食べてみろ」

 母親の懸命な説得を右から左に受け流し、夕食の席で口を開けて待ち続ける。
 遅れて到着した柚も、午後の好美らと同じく「相変わらずね」なんて感想を口にする。

「もう一歳になったんだから、少しは自分で頑張ろうぜ。母ちゃんは手伝ってやらないからな」

 高木家で勃発する小山田家母娘の我慢比べ。
 もう知らないと言わんばかりに腕を組んだ実希子がそっぽを向く中、一歳児の取った行動は衝撃的だった。

「……うわ、不貞寝した」

 尚がそう零すのも無理からぬ反応だった。

 椅子から落ちたら困るので柔らかい絨毯を敷いたリビングに座卓を用意して、そこで皆で食べているのだが、食事を与えてもらえないと理解した希は、ならいらないとばかりに目を閉じて横になったのである。

「希ぃ、すぐに諦めたら母ちゃん泣いちゃうぞ、いいのか、本当に泣いちゃうぞ」

 実希子はすでに半泣きである。夫で父親の智之の談によれば、自宅でも日常的に繰り広げられている光景だそうだ。

「実希子ちゃん、子供を早く成長させようとしすぎよ。もうちょっとゆっくり見守ってあげたら?」

 アドバイスしたのは葉月も含めて二児を育ててくれた和葉だった。
 葉月たちとは距離が近すぎるし、実家の母親には何かと反発してしまうらしいが、和葉という丁度いい距離間の先達に助言されると、基本的に体育会系気質の実希子はわりと素直な一面を見せる。

 だが今回ばかりはそうもいかないみたいで、少しばかり唇を尖らせた。

「わかってるんスけど、どうしても焦るんスよ。人と違うのは当たり前でも、医者にもあまり経験がないとか言われると……」

「実希子ちゃんの気持ちもわかるけど異常があるわけではないし、順調に育ってるんだから、まずはそこを喜んであげましょう」

「むー……和葉ママがそう言うなら……」

 まだ不服さを残している実希子に、今度は春道が笑いかける。

「実希子ちゃんが言うほど珍しくはないと思うぞ。うちの菜月の場合は逆で、幼い頃から大人顔負けの喋り方をするわ、本を読むために勝手に字は覚えてるわで、ある意味、俺も度肝を抜かれたからな。そのおかげで東京の大学に現役合格できたのかもしれないが」

「さらっと自慢じゃないスか。それに春道パパの理屈でいったら、この歳から本にしか執着せず、超がつくほどものぐさなウチの娘は将来の引き籠りニート予備軍ってことになるじゃないっスか!」

「……まあ、それも人生だろう」

「ちくしょおおお、希がニートになる前にアタシがグレてやるううう」

 本気の涙を零しながら料理にがっつく実希子を、葉月たちが慌てて宥める間も、希はくーくーと幸せそうに寝息を立てていた。

   *

「本当にさあ……寝るか食うか本を読むかしかしないんだよ。うっうっう」

 自分のことであればどこまでも大らかでも、事が愛娘に及ぶとその限りではなくなるらしい。

 卒乳させたことで久しぶりにアルコールを解禁した実希子だが、そのせいか缶ビール一本でいきなり葉月たちに絡み始めた。
 しかも泣きながらである。

「……実希子ちゃん、本気で泣いてるんだけど」

 遊び疲れて眠った朱華を膝に抱えながら、少し離れた場所で尚がドン引き中だ。

「そりゃ、そうだろ。朱華も穂月も元気に成長中なのに……アタシとしては親子で楽しく遊んだりしたかったのに……これじゃ家政婦じゃねえか……」

 えぐっえぐっと涙を流しながらスルメを齧る実希子。

「もうほとんど号泣に近いわね」

 さすがの好美や柚も哀れに思ったらしいが、生憎とかける言葉を見つけられないでいる。

 そしてそれは葉月も同じだった。
 この一年間で、すでにあらゆる慰めの言葉は使い果たしてしまっていた。

 そこで葉月が助けを求めようとしたは、幼少時から独特だった菜月を見事素敵な女性に育て上げた尊敬する両親だった。

 和葉は手伝おうとした男たちをまとめて一蹴し、自分の城であるキッチンでいそいそと後片付けに勤しんでいるので、ダイニングで冷たいほうじ茶を飲んでいた春道を召喚する。

「パパ、何とかして」

「何とかって言われてもな……」

 パーティからの流れで座卓に集まっていた葉月たちに合流すると、苦笑しながらも不思議そうに首を傾げる。

「大体、実希子ちゃんは何でそんなに悩んでるんだ?」

「は、春道パパ!?
 それはあんまりっスよ。アタシの話を聞いてなかったんスか!」

「聞いた上でだよ。
 希ちゃんが他の子と違うのは認めるけど、実希子ちゃんの娘に変わりはないだろ? だったら目一杯に愛情を注いで、一緒に楽しみながら成長すればいい」

「一緒に……?」

「実希子ちゃんが好きなことをやらせようとするなら、希ちゃんの好きなこともする。一緒に本を読んで笑って娘の気持ちを考えて、それでもわからないならまた一緒に過ごして笑って泣いて怒って。育児なんてその繰り返しだよ」

「春道パパもそうだったんスか?」

「ああ。もっとも菜月は和葉が主に面倒を見てたけどな。なんせ家にはやきもち焼きの長女がいたもんだから」

「パパっ! もうっ!」

 せっかく途中まではいい流れだったのに、最終的には葉月が頬を膨らませるはめになった。

 それでも実希子が吹っ切れたように笑い、隣で眠り続ける愛娘に優しい視線を向けてくれたので、葉月もすぐに笑顔になった。
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