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家族の新生活編

柚の教師生活~発覚~

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 まだまだ残暑が厳しい夏休み明けの教室で、念願叶って小学校で教鞭を振るっている柚は肌で異変を察知していた。

 今日は始業式で授業はない。

 通常であれば夏休み気分が抜けていない児童が、収拾つけられないくらいに騒いでいるはずなのに、ここ3年1組は妙にシンとしている。

 担任の柚を恐れて口を噤んでいるのではない。
 同じ沈黙でも静謐さはなく、どこか張り詰めたような緊張感さえ漂う。

「おはよう、皆。夏休みはどうでしたか」

 恒例の挨拶にも反応はない。
 普段なら率先して騒ぎ立てる男子児童は、自分の席である窓際の後ろでつまらなさそうに窓からグラウンドを見ていた。

「元気がないわね、何かあったの?」

 優しい感じで問いかけてみても、柚の欲する答えは返ってこなかった。
 だが生徒の中には何かを言いたげにして、口を閉じた者が何人かいた。

 私への悪戯ではなさそうね、
 柚はそう結論付けて、さらに注意深く教室内を見渡す。

 まだ思春期前の自動は割合素直だが、純粋なだけに横道に逸れると大変な事態になりやすい。

 相変わらずの無言。
 藪を突き続けて蛇が出るのも困る。そう考えて柚は話題を一旦打ち切る。

「夏休み疲れかしら、それとも宿題をしてなくて焦ってるのかしら。とにかく今日から二学期が始まります。勉強も遊びもしっかり励んでください」

 ひとまずの挨拶と出欠確認を終えると、始業式のために廊下に並ばせる。
 そこで柚はまたしても、おや、と眉を顰めた。

 仲の良いグループ同士で行動するのが多いクラスなので、誰と誰の親交が深いかはそれなりに担任として把握していた。
 中には低学年の頃から見てきた児童も含まれる。
 そのうちの一組に、見知った顔が混ざっていないのだ。

 どうしたのかしらと見てみれば、一人でポツンと廊下に並ぶ男児がいた。
 整列して体育館へ向かわなければならないので弾かれたりはしていないが、明らかに他の児童からいないものとして扱われている。
 誰からも話しかけられず、また話しかける意欲すら失ったように俯き続ける少年。

 柚の心がズキンと痛んだ。
 勘違いならいい。是非、そうであってほしいと願わずにはいられない。
 けれどもし違うとしたら。
 急速に嫌な予感が膨れ上がる。

 だって。

 あれは。

 性別は違えど、中学生だった頃の柚みたいではないか。

「先生? 並びましたけど」

 知らず知らずのうちに唇を噛んでいた柚は、学級委員長の女児にそう言われて、ハッと我に返った。

「ごめんなさい、ボーっとしていたわ」

 いつもなら誰かが「先生こそ休み疲れじゃないの」と軽口を叩いてもおかしくないのに、やはり今日は全員が柚の様子を窺うように口を閉じている。
 そうしたいというよりも、無言で嵐が去るのを待っている感じだろうか。

「では行きましょうか」

 気にはなるが、先に始業式を済まさなければならない。
 生徒の先頭に立って歩き始めたが、柚の心はもやもやとしたままだった。

   *

 職員室で柚は自分の机に置いた児童たちの宿題をパラパラと捲って確認していく。

 勤務する小学校では担任がそのクラスの科目すべてを請け負う形だった。
 上手く指導できない科目に限り、担任についていない他の教員が担当する。
 主に音楽や美術、体育などの専門許可を請け負ってくれる。
 あとは保険医と用務員くらいだろうか。

 合併したとはいえ田舎の小学校は、都会に比べて在籍児童が少ない。クラスに三十人いるかどうかまで人数は減り、同様に学級数も減少の一途を辿っている。

 元は大きな小学校だったとわかる多くの教室も、大半が空き部屋となった。
 いずれは小学校や中学校が、地域で一つだけなんて事態も起こるかもしれない。
 けれどそれは先の話であって、柚にはすぐにでも確認しなければならないことがあった。

「失礼します」

 耳孔に飛び込んできた少年の声に、柚は深く沈みそうになっていた思考から抜ける。

「こっちよ」

 教室よりも広々とした職員室に、柚の声が響く。
 誰が来たのかと目を向けていた他の先生方が、それを合図に自分の仕事に戻る。

「何か用ですか」

 目の前までやってきた生徒の言葉はどこか棒読み気味だった。
 わざとではなく、それだけ活力というものがない証拠だろう。

 坂本健斗。
 小学三年生で従来はクラスの中心にいた人物でもある。

「先生に呼ばれる理由で、思い当たることはない?」

 遠回しに尋ねてみるも、反応は芳しくなかった。

「ありません」

 硬い表情と口調。
 明らかに問題ありそうな様子なのに、頑なに理由を打ち明けようとしない。
 仕方ないと内心でため息をつき、蛇に遭遇するはめになろうとも踏み込む決意を固める。

「なら聞くけれど、黛君と喧嘩でもしたの?」

「どうしてですか?」

 やや食い気味に、質問に質問で返される。
 感心しないと告げたところで素直に答えてくれるとは思えないので、柚は先に自分の見解を伝える。

「夏休み前までは一緒に行動していたのに、今日は違ったでしょう。だから気になったのよ」

 加えて言えば、普段は人が集まる健斗の席に今日は誰も近寄らなかった。
 始業式と宿題の提出のみで休み時間がなかったとはいえ、柚が疑念を抱くには十分すぎる光景だった。

「そういう日もありますよ」

 なんとかして情報を得たいがにべもない。
 だが明らかにおかしいのは、俯き加減な態度でわかる。
 坂本健斗という生徒は、先ほど柚が名前を出した黛広大という男児とともにクラスの中心人物だ。

 その広大の方は夏休み前とほとんど様子が変わらなかった。
 常に一緒だった健斗と関わらなくなった以外は。

「ねえ、坂本君」

 頑なに口を閉ざし続ける男児に、思い切って柚は問いかける。

「もしかして、虐められてるの?」

 その瞬間、健斗の顔つきが劇的に変わった。
 悲しみではない。激しい怒りだった。

「僕がそんなくだらない目にあうわけないでしょう!
 いい加減にしてください!」

 怒鳴るように言うと、柚の制止も聞かずに勝手に退室してしまう。
 追いかけようか迷ったが、時間を置いて他の児童も呼んでいるので上げた腰をすぐに椅子へ戻す。
 キイと鳴った耳障りな音がやけに不吉に感じられた。

「室戸先生、何かあったんですか?」

 野球部の監督もしている六年生の担任が、心配して尋ねてきた。
 席も離れているが、よく柚を気にして声をかけてくれる。
 下心らしきものも感じるが、相手は既婚者なので、気のせいだろうと思うようにしていた。

 とどのつまり余計な波風を立てて、面倒事を起こすのは御免被りたい。

「何があったかわからないので、事情を聞きたかったんですけど……」

「そうですか。何かあったら頼ってください。同じ教師仲間ですからね」

 力強く厚い胸板を叩く男性教師の熱血ぶりを、今だけは妙に頼もしく思えた。

   *

 坂本健斗が去った後に黛広大も呼びつけたが、結果はほぼ同じ。
 違うのは虐めという単語を口にしても、取り乱さなかったことくらいである。
 知らぬ存ぜぬの当人同士からでは埒が明かないが、このような事態もそれなりに想定してはいた。

 だからこそ、柚は最後に呼んだ彼女に問う。

「春日井さん、学級委員長のあなたから見て、今日のクラスはどうだったかしら」

「え? あ、その……」

 視線を泳がせ、反射的に掴んだ服の襟首を噛もうとするような仕草。どこか楽観的ではあっても、明るく皆の人気者な普段の彼女とはやはり様子が違う。

「何か気になったことがあるのなら、先生に話してほしいの」

 言葉はない。
 俯いた女児と視線を交わすことさえできず、柚は歯噛みする。
 苛立ちや不安を前面に出しては生徒も不安がる。優しい声を意識し、安心させるように話しかける。

「問題があれば解決のために努力するわ。でも知らなければ何もできないの。例えば……虐めとかがあってもね」

「――っ!」

 最初の坂本健斗同様に春日井芽衣は露骨に表情を曇らせた。
 しかし、彼女はおさげを左右に振り、

「い、虐めなんてないです」

 と言ったきり黙ってしまった。

   *

「……というわけなのよ、はあ」

 熱血教師からの呑みの誘いを当然のように断った柚は、閉店前のムーンリーフにお邪魔していた。

 商品はほぼ完売で、店内に他の客はいない。
 その上でカウンターに出ていた葉月に話を聞いてもらった。

「んー……今の子って虐めも複雑化してそうだもんねえ」

「けどよ、そう決めつけるのも早計じゃねえか」

 店内には柚が来店したことで、まだ残っていた実希子もいる。
 経理を担当する好美は、奥で帳簿をつけているのでこの場にはいなかった。

「わかってるんだけど……加害者にも被害者にもなった立場からすると、放っておけないのよね」

 これまでの教員生活で虐めの現場に遭遇したのは何度かあった。
 そのたびに言葉を重ねて解決してきたが、ほとんど低学年だったので大きな問題に発展する前に終わらせることができた。

 葉月にしたことも、自分がされたことも、教え子に味わわせたくはなかった。

「でも、生徒に教えてもらえないんじゃ限界があるだろ」

「そうなのよねえ……コスプレしたら小学生で通らないかしら……」

「ア、アハハ……柚ちゃん、だいぶ疲れてるねえ」

 実希子の指摘に自虐で返す柚に、心配そうな葉月の視線が注がれた。
 疲れているのは事実だが、虐めが原因ならやはり放置はできない。

「そうだ、なんだったらなっちーを頼ってみる?」

「小学校に潜入させるんだな、名案だ」

「実希子ちゃんの暴言は密告するとして、後輩の子に声をかけてもらうんだよ」

 つい最近まで高校生だった菜月なら、後輩にもツテがあるはずだと葉月は加えた。

「それならアタシも力になれるかもな」

 実希子も南高校ソフトボール部でたまにコーチをしているので、話を聞くくらいはできると請け負ってくれた。

 話を聞いた生徒に妹でもいればよし。そこから後輩のさらに後輩へと辿っていけば、もしかすると柚の担当するクラスの生徒に辿り着くかもしれない。

 上手くいく可能性が低いのはわかっているが、それでも悩みを真剣に聞いてくれて、力になってくれようとする友人に柚は心から感謝した。
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