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菜月の小学校編

葉月の大学卒業

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 少し前に電話を貰った大好きな妹が、時間が過ぎるのはあっという間だと葉月に言った。その通りだと実感する高木家長女は晴れて今日、本格的な大人の仲間入りをする。

 大学在籍中に成人式を迎えているので年齢の上ではすでに大人なのだが、それとはまた少し違う。今日で葉月は学生という立場を卒業し、社会人としての道を歩む。期待に満ち、誇りであると同時に寂しい。決定的な別離というわけではないが、これまで支え合ってきた友人たちとも頻繁には会えなくなってしまう。

「よう、葉月。朝から浮かない顔をしてどうした。ははん、さては荷物がたくさんありすぎて、数日後の退寮の時どうしようか、今から頭を抱えてるんだろ」

「準備はもうほとんど終わってるよ。実希子ちゃんじゃないんだから」

 苦笑交じりに言い返すと、背の高い親友は大袈裟なくらいに嘆いた。トレードマークのポニーテールが、この日のために用意した袴の上でポンと跳ねた。

「あたしにはそんなつもりがないのに、いつの間にか増えてやがったんだ。きっと誰かの策略だぞ」

「はいはい。もう一人の実希子ちゃんがやったんでしょ。どの実希子ちゃんも大して変わらないと思うけど」

 大学近くの寮前、待ち合わせの場所には四年間、葉月と同部屋だった好美もいる。知的な外見の彼女は、淡い色合いの袴姿が誰よりも似合っていた。動作もしずしずとしており、どのような服装でも活動的な葉月や実希子とは大違いだった。

「好美は最後まで毒舌だな。
 もう少し、あたしに優しくしても罰は当たらないと思うぞ」

「実希子ちゃんの場合は優しくすればするほど調子に乗って、手が付けられなくなるでしょ。
 そんなことだから、菜月ちゃんに今でもゴリラ呼ばわりされてしまうのよ」

 ため息交じりに言い切った好美の背後から、クスクスと笑い声が聞こえた。葉月が視線を向けると、長い髪をアップにして普段よりも綺麗さを増した室戸柚がいつの間にか立っていた。

 視線に気づいた柚は、袴姿に似合う優雅な微笑みを浮かべる。

「葉月ちゃん、おはよう。実希子ちゃんと好美ちゃんは相変わらずね。卒業式だから少しはしんみりしてると思ったけど」

「はっはっは。
 せっかくの卒業式に湿っぽくなるなんて、アタシの柄じゃないだろ」

 袴で押さえつけられていても、豊かさを隠し切れない実希子の胸がグッと張られる。

「自分をよく理解しているじゃない。実希子ちゃんがめそめそしていたら、雪でも降りかねないものね」

「おい、好美。そこまで言うことはないんじゃないか?」

「どうして怒るの? 褒めているのよ」

「そ、そうだったのか。悪いな。あたしはてっきり……。
 ん? 本当に褒められたのか?」

 混乱する実希子を後目に、柚はこの場にいないもう一人の所在を尋ねる。

「尚ちゃんは? 晋ちゃんと一緒なのかしら」

「あの猿は卒業式の日にも発情してやがんのか」

「脳筋ゴリラに言われたくないわよ」

 顔をしかめながら登場したのは、丁度話題になっていた御手洗尚だった。高校時代からの付き合いで、当初はいざこざもあったが、過ぎ去ってしまえば良き友人だ。今日に至ったのも、柚の懐の深さのおかげもあるが。

「何だ。晋ちゃんと朝からハッスルしてきたあとか?」

「あのね。前々から何度も言ってるけど、実希子ちゃんが想像してるほど回数は多くないから」

「淡白なんだな。結婚したらレスになるんじゃないのか?」

「そ、そんなことはないわよ。私と晋ちゃんは常にラブラブだもの」

 フフンと鼻を鳴らす尚に、まとわりつくようにして実希子がさらにからかう。
 次第に顔を真っ赤にして言い返すようになるも、毎度のことなので誰も仲裁には入らない。

「でも結局、彼氏ができたのは尚ちゃんと葉月ちゃんだけだったわね」

「私は大して興味がなかったからだけど、柚ちゃんは言い寄られる回数も多かったでしょ?」

 好美の質問に、話題を振った柚が見るからに苦そうな表情になる。

「出会いは求めてみたけど、これといった人がいなかったのよ。なんだか下心が透けて見えているみたいでさ」

 はあとため息をつく柚は、大学在籍中に仲間内では最も多く合コンなどに参加した女性だ。葉月の場合はすでに仲町和也という彼氏ができていたのでそういう場に赴くことはなかったが、時には実希子までもが半ば強引に連れて行かれていた。

「男ってのはどいつも下心だけで生きてるもんだろ。柚が夢見過ぎなんだよ」

 恒例の口喧嘩を終えていたらしい実希子が、柚の頭をポンポンと軽く。
 どこか得意げな友人に対し、柚は不服そうに尖らせた唇をすぐに解いた。

「そういえば実希子ちゃんには兄弟がいたのよね。男については私より詳しくて当然ね」

「ちょっと待って! 話を聞きたいなら、まず最初に私を指名するべきよ」

 いつでも晋ちゃんとの熱愛歴史を語りたがる尚から、全員が揃って静かに距離を取る。以前は聞いてあげたりもしたが、言葉は違えど内容はほぼほぼ同じなので、今では彼女を知らない人間くらいしか聞き役にはなってくれないのである。

「発情猿カップルの話なんぞ、参考にはならねえよ。どうせ卒業式後には乳繰り合うために、下着をつけずに袴を着たりしてるんだろ」

「ほ、本当? 尚ちゃん、それはさすがにどうかと思うよ」

 軽く頬を引き攣らせる葉月の前で、大慌ての尚が突き出した両手を左右に振る。

「ちゃんとつけてるって! それに今日は卒業式だもん。晋ちゃんと一緒に過ごすのも捨て難かったけど、やっぱり大好きな友達と過ごしたかったんだ」

 それまでのからかいムードが一変。誰もが優しげな顔になる。かくいう葉月も夜は和也とのデートではなく、実希子たちと夜通しで遊ぶつもりだった。

「これからは……気軽に会えなくなっちゃうもんね」

 いつかはこんな日が来ると、覚悟していたはずだった。気持ちの準備も終えたと思っていた。けれどいざ実際に眼前まで迫ると、どうしようもない寂しさと不安に押し潰されそうになる。

 自分でも落ち着きが足りないと感じる短所を補ってくれたのは、いつでも冷静で頼りになる好美や、常に元気で前向きな実希子だった。社会人になるから当たり前なのだが、急速に一人ぼっちになるという実感が葉月の瞳を潤ませた。

「おいおい、今からしんみりしすぎだろ。それに日本なんて広いようで狭いんだ。会いたくなりゃ、いつでも会えるって」

 豪快に笑う実希子の隣で、好美も安心を与えてくれる頷きを見せた。

「そうよ。新幹線も飛行機もあるもの。時間がある時には皆で集まりましょう」

 何度も確認し合っているが、この場にいる誰もがわかっていた。社会人になればそれぞれの立場があり、仕事への順応も含めて学生時代ほど自由な時間は取れない。だからこそ卒業までの時間を皆で過ごしてきたが、それでもまだ足りないと思えるほどに深めた友情は大きかった。

 悲しいからといって葉月が駄々をこねるわけにはいかない。それにこれは門出でもある。学生を卒業し、社会へ旅立つのだ。別れには間違いないが、永遠ではない。ならばせめて笑顔でこの時を過ごしたい。

「そうだね。でも実希子ちゃんは大変そう。クラブの練習もあるし」

 全員の視線が実業団から熱烈な誘いを受けた該当人物に集まる。進路が実業団となったのは他にもいるが、一番の有名どころに所属できたのが実希子である。

「大丈夫だろ。大学の練習も大概だったしな。それにソフトボールをやるのに変わりはねえよ」実希子は豪快に笑った。

「身近な人がテレビでも聞くような実業団に所属できたのは凄いことよね。そういえば尚ちゃんもどこからか、お誘いがあったんでしょ?」

「あったけど、私はソフトボールが楽しかったというより、葉月ちゃんたちと一緒に部活をするのが楽しかっただけだからね。一人だと練習も途中で投げ出しそうだし。それに普通のOLとして働いて、目出度く晋ちゃんと結婚して寿退社なんてのもやってみたいし!」

 台詞の後半へいくにつれ、まるで宝石みたいに尚の瞳が輝きを放った。丸めた拳を肩まで持ち上げ、鼻息まで荒くなっている。

 返答に困って笑うしかない葉月の近くで、考え込むような唸り声を実希子が発した。

「どっちかっていうと、あたしも猿よりだったんだけどな。好美がせっかくだから受けろってしつこくてさ。根負けしちまったよ」

「当たり前でしょう。平々凡々な選手だった私たちと違って、実希子ちゃんには類稀な才能があるの。そういう人間は更なる高みに上って、凡人を楽しませないといけないのよ。それに……実希子ちゃんが普通のOLとかできると思う?」

「……そりゃ、できるとは思わないけど、言い方ってもんがあるだろ。ま、こうなったら葉月たちの分まで暴れてきてやるよ。相手が世界だろうとどこだろうとな」

「さすが脳筋ゴリラ。誰よりも男らしいわ」

「はっはっは、任せとけ。このアタシにかかれば、発情猿なんて瞬殺だからな。おら、逃げるな。誰が脳筋ゴリラだコラァ!」

「ちょっと! 袴姿で暴れないの。乱れても直してあげないわよ!」

 柚に叱責されながらも、取っ組み合いを始めそうになっている実希子と尚。頭痛を堪えるように好美が深い息を吐く隣で、葉月はいつものようにお腹を抱えた。

   *

 卒業式が終わり、一枚また一枚と皆で写真を撮る。わざわざ出席してくれた大好きな春道と和葉とも一緒に写った。

 明日からの寂しさを紛らわすようにひたすら笑い、夜通し騒ぐ予定になっている葉月の部屋に皆で集まった。

 春道と和葉はすでに帰宅し、和也と晋太は男同士で朝まで飲んで友情を深め合うらしい。

 夜も更けた部屋で缶ビールやチューハイを傾けるのは、葉月の他に実希子と好美。あとは柚と尚。高校時代からよく一緒にいた仲良し五人組だった。

「好美ちゃんは関東で経理の仕事をするんだったよね」

 葉月の問いかけに好美が頷く。

「ええ。
 色々と考えもあるけど、何より実希子ちゃんを野放しにはしておけないもの」

「好美の心配性もここまでくると病気だな。職場とあたしが所属する実業団って、かなり近いんだぞ。社会人になってまで監視されてるような気分だよ」

 わざとらしく膨らませた実希子の頬を、面白そうに柚が人差し指でつっつく。

「当たり前でしょ。この場で一番不安なのが実希子ちゃんなんだから」

「差別だ差別。春から教師になる女が、そんなことでいいのかよ」

「問題ないわよ。実希子ちゃん以上の問題児なんてそうそういないから」

「答えになってねえし、やっぱり差別だ!」

 尚の勤務地も関東で、仲間うちで地元に残るのは葉月だけだ。
 それを知っている実希子が、唐突に肩を叩いてきた。

「そうしょんぼりするなって。仲町だって地元の就職組だろ?」

「うん。県の方だからちょっとは距離があるけど」

「だったら休みになりゃ、簡単に会えるって。あたしらが関東で活躍してる間にたくさん甘えとけ。帰省したらからかってやるからよ」

 悪戯っぽい実希子の顔を片手で押し退け、尚がグイと上半身を突き出してきた。

「私は葉月ちゃんの作るパンの方が興味あるな。いつか晋ちゃんと一緒に買いに行くね」

「あはは。そんなにすぐ作らせてもらえるとは思えないけど、待ってるね」

 葉月が就職を決めたのは、皆でよく利用したスーパーの一画に出店している地元のパン屋だった。大学を経た葉月は専門学校に入るよりも、直接働いて経験を積むのを選択した。もちろん将来の夢は、自分のパン屋を開店させることである。

「この寮ともお別れだな」

 ごろんと仰向けになった実希子が天井を眺めながら呟いた。
 彼女に倣って葉月も同じ体勢になり、ベッドの上で何度も見つめた天井を改めて眺める。

「入寮した時は違和感しかなかったのに、たった四年で自分の家みたいに居心地よくなっちゃったね」

 次々と他の皆も床に背中をくっつける。上から見れば、まるで花びらみたいな形になっていることだろう。

「小学校の時も、中学校の時も、高校の時も思ったけど、大学生活も濃かったな。……もう卒業しちまったけど、終わりたくないな……」

 実希子のみならず、全員の両目からボロボロと零れる涙。それは別れを実感するものであり、そして各々の旅立ちを祝うものでもあった。

「皆、ありがとう。皆がいてくれたから、楽しく過ごしてこれました。本当に感謝してます」

 葉月の言葉を皮切りに、全員がお礼を口にする。そうしてひとしきりしんみりしたあとで、最初に上半身を勢いよく起こしたのは、やはり元気印の実希子だった。

「よっしゃ! 朝まであと少しだけど、もっと飲もうぜ! せっかくだから発情猿、なんか芸やれ。いっそ脱げ!」

「女同士で裸見て何が楽しいのよ!」

 今夜ばかりは寮長も見て見ぬふり。朝が来れば荷物を片付けて退寮の準備に取り掛からなければならない。残された貴重で大切な数時間。誰もが惜しむようにはしゃぎ、肩を組んでそれぞれの行く末に数多くの幸せがあることを祈った。
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