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葉月の高校編

高木家と戸高家の合同キャンプ

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「キャンプだー!」

 自然豊かな山中の緑地公園に、少女の元気な声が響き渡る。
 年齢で考慮すればそうした役目は五歳の次女が担当すべきに思えるが、続いてやっほーと叫んだのも含めて、発したのは長女の葉月だった。

「恥ずかしいから、節度ある行動を心がけてね。まったく、羞恥心のない姉を持つと苦労するわ」

「むー。なっちーはちょっと生意気だよ。五歳児らしくしなさい」

 そうだという声が別方向から飛ぶ。腕組みして仁王立ちしているのは、菜月より一つ上の少年、戸高宏和だった。

 春道たちは葉月の夏休みを利用して、和葉の兄である戸高泰宏の一家と地元からやや離れたこの場所に、一泊二日のキャンプをしに来ていた。
 キャンプの醍醐味といえばテントだという泰宏の方針もあり、コテージなどは借りずに夜はテントで休むことも決まっていた。

 学校行事も含めて何度かテントを経験している葉月は、キャンプ場に到着する前からはしゃぎっぱなしだった。
 移動に使った二台の車を駐車場にとめてすぐに、スキップするように周辺を散策しての今である。

「俺なんか小学生になったから、もう大人だぜ」

 どうだとばかりに胸を反り返す宏和。やたらとちょっかいを出したがる菜月を悔しがらせたいのだろうが、生憎とそんなそぶりすら見せてもらえない。
 最初からその場に宏和がいないような対応をする様は、まさに冷徹そのものだ。次第に構ってもらえない寂しさから、宏和が涙目になる。

 泣きつく相手は基本的に母親の祐子である。今は泰宏の良き妻だが、以前は教師で葉月の担任でもあった。泰宏と結婚するまでは春道に気があったようで、何かとちょっかいを出されたりもした。
 考えてみると、菜月と宏和の関係に少しだけ似ているかもしれない。

「ちょっと、なっちー。宏和君を虐めたら駄目でしょ」

「宏和君て誰?」

 虐めてないなどの反論をするかと思いきや、冷めた口調で菜月は言い放った。しかも宏和に聞こえるくらいの声だったので、相手にさらなるショックを与えた。
 車のトランクから荷物下ろしを手伝っていた和葉が、まったくもうとため息をついた。

「どうして菜月は宏和君を嫌ってるのかしら」

「いや、そうでもないと思うぞ」

 春道の返しに、和葉は不思議そうにする。

「どうして?」

「菜月の性格上、本当に嫌いならキャンプに賛成してないからさ。好意を抱いてるかはともかく、一緒に遊ぶのはそこまで嫌がってないだろ」

「私には理解できないわ。菜月の難解な性格は春道さん似ね」

「素直じゃないところは和葉似だけどな」

 春道たちが自分のことを話してると気付いたのか、菜月がこちらに駆け寄ってきた。

「私もお手伝いするわ」

「もうすぐ終わるから、宏和君と遊んでていいぞ」

「生憎と、私はそんなに子供ではないの」

「うん。そうした言葉遣いは、初めて会った時の和葉にそっくりだな。ハハハ」

 笑いながら両肩で三つのバッグを担ぐ。キャンプをする機会のためにと買っておいたテントを家から持参したので、荷物はそれなりにあった。
 テントを張るためのスペースへ移動し、皆で協力して作業をする。

 その時だった。

 春道の耳に、恐怖の重低音が響いてきたのである。
 反射的に飛び退いた春道に、和葉たちが驚く。

「何かあったの?」

「いや、その、多分、蜂が」

 しどろもどろになる春道の周囲に視線を飛ばした和葉が、飛翔する一匹の蜂を見つけると納得したように頷く。

「ああ、蜂ね。周囲に巣はなさそうだったし、放っておけばどこかへ飛んで行くわ。下手に刺激したら駄目よ。特に巣の近くだったりした場合にはね」

「私も知っているわ。図書館の本で読んだもの」

 えへんと言いたげな菜月だが、態度とは裏腹に和葉の背中へ隠れようとしている。
 こと蜂に関しては春道は頼りにならないと思ったのだろう。我が子ながら素晴らしい状況判断能力だと、春道は賞賛したくなる。

「そういえばパパって蜂が苦手だったんだよね。大丈夫。薄情なママに代わって、私が守ってあげるから」

「……誰が薄情なのよ。単に田舎育ちで、蜂との遭遇を数多く経験してるだけよ。こちらに向かってきたら、慎重にゆっくり逃げるのが一番なの」

 和葉がそう言っている間にも、蜂はどこかへ飛んで行った。さほど大きくはなかったが、黄色と黒の模様を見るだけで恐怖するのだから春道も重症である。

「やれやれ。蜂だけは駄目なんだよ。
 別に刺された経験もないのに、どうしてだろうな」

「人間だもの、苦手なものの一つや二つ、あってもおかしくないわ」

 和葉の慰めに素直に感謝する。父親としての威厳が減少したかもしれないが、最初から必要以上に立派な父親像を植え付ける目的もなかったのでたいしたダメージはない。

   *

 テントを張り終わると、泰宏がやってきた。

「春道君たちも準備は終わったみたいだね。せっかくだから皆で遊ばないか?」

 朝に家を出発し、昼は車内でお弁当を食べたので、改めて昼食をとる必要はない。真っ先に賛成したのは葉月だ。キャンプ地にまで本を持ってきていた菜月を引っ張り、強引に連れていく。

 キャンプ地の大半は土と草原で、葉月たちが運動するためのスペースは草原だ。周囲は開けており、山中というのをあまり感じさせない。
 とはいえ木々を見つけて中に入っていけば、普通の山となる。近くには登山コースもあるらしく、運動目的の高齢者がよく利用するそうだ。
 幅広い年齢層の登山者がいるくらいなので勾配はさほどキツくない。ただし中腹くらいまでであり、そこから頂上にかけては険しさを増す。これらの情報はすべて泰宏に教えてもらったものだった。

「どうだ。フリスビーを持ってきたんだ。お願いするなら、一緒に遊ばせてやってもいいぞ」

「じゃあ、いらない」

 あっさりと断った菜月が、テントへ戻ろうとする。放っておけばテントの中で本を読みだしそうだ。呆れた和葉が注意しようとするのを春道が止める。次女の魂胆をわかっているからだ。
 見れば泰宏や祐子も黙って状況を見守っている。毎度の事なので怒るどころか、悪戯っ子的な笑みを浮かべていた。

「な、なんだよ。た、楽しいんだぞ。あとでやっぱり遊びたいって言っても知らないぞ」

 実に子供らしい反応を見せる宏和に対し、菜月は態度をまったく変えない。どうぞと言わんばかりの細めた目だけを向け、止めることなく両足を動かす。
 先に折れたのはやはり宏和だった。

「し、仕方ないから、特別に頼まなくても遊ばせてやるよ。お、俺って優しいだろ。小学生だからな、当然だ」

「別に遊びたくない」

 譲歩してすげなく断られた宏和が、とうとう涙目になる。これ以上は虐めになりかねないので、そろそろ春道は助け舟を出す。

「菜月、そのくらいにしておけ」

 助太刀を得て調子を取り戻したのか、そうだそうだと宏和は勢いよく頷く。

「パパがそう言うなら、特別に遊んであげてもいいわ。ただし、きちんとお願いしてくれたらね」

「え? お、俺が?
 だってフリスビーを持ってきたのは……」

「嫌ならいいわ。私、本を読みたいもの」

「わ、わかったよ。その、一緒に遊んでくれよ」

「最初からそう言えばいいのよ。偉そうにしてないでね」

 呆れたように言ったあと、菜月は宏和の腕を掴んで元の場所に戻る。
 最終的にこうなるのがわかっていたので、途中まで誰も口を出さなかったのである。葉月だけは若干ハラハラしていたみたいだが。
 なんやかんや言っても菜月も五歳の子供。遊び始めると、嬉しそうにはしゃぐ姿を見せてくれる。

   *

 春道や和葉たちも混ざり、楽しく遊んでるうちに夕方となった。
 そろそろ夕食にしようという泰宏の提案で、バーベキューの準備が行われる。
 折角だから普通の木も燃やす材料に使おうということになり、宏和と菜月が探しに言っている。我先にと宏和が探索隊に立候補したからだ。

 菜月に恰好いい姿を見せたがっているのはわかったので、春道は特に反対しなかった。二人で奥までいかなことを条件に、祐子や和葉も許可を出した。
 もともとバーベキューをするための準備は事前に終えているので、木の枝が一本も拾えなくとも問題はなかった。

「二人で大丈夫かな」

 心配そうな声を出したのは葉月だ。

「菜月が一緒だから、大丈夫じゃないか?」

 宏和が暴走しそうものなら、後頭部にチョップを入れてでも連れ戻りそうである。
 想像した光景を告げると、話を聞いていた泰宏が爆笑した。

「可能性はあるね。
 宏和は、すでに菜月ちゃんの尻に敷かれてるような感じがあるし」

「虐められて喜ぶなんて、あなたみたいよね」

「本当だね。はっはっは」

 他人の夫婦事に関して口を挟む趣味はないので、春道も和葉も華麗なスルーを決め込む。

 そのうちに茂みのある方からガサリと音がした。入る際は意気揚々と前を歩いていた宏和が泣きべそをかいており、引っ張られるような形で菜月に手を引かれていた。

 祐子の姿を確認するなり、ママーと叫んで抱きつく。
 あやす祐子を横目に、和葉が菜月へ何をしたのか問いかける。

「何もしてないわ。宏和君が勝手に走り回って迷子になっただけよ。道を覚えているというから好きに歩かせてたら、本格的に迷ったらしくてね。仕方ないから私が連れてきたの。本当、子供のおもりって疲れるわ」

 お前が言うな的な空気にならないのは、反論しない宏和の態度から事実だと判明したせいだろう。

「ますます宏和は菜月ちゃんに頭が上がらなくなるな」

 基本的に朗らかな泰宏は、決して宏和にもっとしっかりしろとは言わない。そうした面も含めて、子供の個性と見なしてるふしがあった。
 親のエゴで勝手に子供を矯正していくよりは、そちらの方がいいのかもしれない。現に春道も似たような方針で、子供たちに接していた。

   *

 菜月と宏和も無事に帰還したあとでバーベキューをした。木の枝は泣いていただけの宏和に代わり、菜月がしっかりと集めていた。
 さほど多くはなかったが子供の手で持てるのは限られているし、提案した泰宏も雰囲気を出すために言ったのであって、あてにしているわけではなかった。

 焼いた肉や野菜を頬張り、食後は焚き火を囲んで皆でお喋りをする。簡単に迷ったのもあり、宏和の肝試しをしたいという提案は即座に却下された。
 夜が更けてきて、各家ごとにテントへ入る。春道と一緒に寝ると言い出した祐子と和葉の攻防があったが、二人の独特なコミュニケーションだと理解しているので以前みたいに取り乱したりもしなくなった。

 家族四人で眠るのもずいぶん久しぶりだった。こういう機会が設けられるのもテントのいいところかもしれない。
 両端に春道と和葉がいて、挟まれる形で和葉の隣に菜月、春道の隣に葉月がいる。本当は春道、和葉、葉月、菜月の順になる予定だったのだが、長女が強硬にこの形がいいと希望した。

「たくさん遊んだし、楽しかったね」

 眠る前の家族だけのお喋り。葉月の隣で寝袋にくるまっている菜月は少し照れ臭そうに「うん」と返事をした。

「またいつかキャンプをしような」

「考えてあげてもいいかな」

 春道の言葉に乗り気でないような台詞を返したが、菜月の顔には笑顔が浮かんでいた。
 腕を伸ばして娘たちの頭を撫でているうちに、すやすやという寝息が聞こえてきた。

 それを待っていたかのように、春道の手に向かってもう一つの頭が出てきた。
 誰のか気づいた時、思わず春道は声を出して笑いそうになった。
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