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葉月の高校編
いじめの後始末
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どうして柚が黒髪で三つ編みにしたのか。その理由を知って以降、葉月は彼女と常に一緒に行動するようになった。
指導室での一件以降、担任の桂子も目を光らせているので、虐めと呼べる現象は皆無であった。
すべてを吐き出して少しは楽になったのか、徐々にだが柚にも本来の明るさが戻っている。
一方で事件の噂が学校中に漏れ伝わったのもあり、尚の立場は微妙になっていた。取り巻きで偽証言をした女生徒も後に桂子からキツく叱られたのもあり、尚と距離を取るようになっていた。
目立とうとしたのかどうかは不明だが、騒ぎを大きくした柳井も同様だ。中学時代の評判もあり、話をするようになっていた同級生からもそっけない態度を取られるようになった。
少し前に実希子らに相談してみた際には、自業自得だから放っておけばいいと返されたが、見て見ぬふりというのもなんだかできない。そういう葉月を見て、好美はそれが葉月の長所なのよねと言ってくれた。
とはいえ今はまず、柚の心のケアが大切だと判断していた。虐めを受けた経験のある葉月だからこそ、後遺症みたいなものも知っている。自分では平気になったと思っていても、ふとした瞬間に当時を思い出して辛くなる時があるのだ。
その場合、葉月だと大好きな父親の姿を思い浮かべることで上書きしてしまう。
あとは体を動かす。ソフトボールに夢中になっている時は、他のことを考える余裕もない。
思考がそこへ辿り着いた瞬間、葉月の頭の中が明るく輝いたような気がした。
「葉月ちゃん? どうしたの、葉月ちゃん」
名前を呼ばれて、考え事に夢中になりすぎていたのに気づく。
今は平日の学校で、昼休み中。例の事件からはすでに一週間が経過していた。座っているのは自分の席だが、周りには他のクラスに所属中の実希子と好美もいる。
二人とも柚を心配して、休憩時間や昼のたびに来てくれる。最近では昼食も一緒にとっている。
ちなみに尚は教室にいない。
彼女は昼休みになると同時に、ふらりとどこかへ行ってしまう。葉月がクラスメートから聞いた話だと、一人で図書室にいるらしかった。
「ああ、ごめん。何でもないよ」
「それならいいんだけど……」
心配そうな柚の背中を、弁当の小さめのハンバーグをかじりながら実希子が叩く。
「人の顔色を気にしたって、いいことないぞ。自分らしくしてればいいんだよ」
「実希子ちゃんみたいに、気にしなさすぎなのも問題だけどね」
好美の指摘にも、豪快に笑うだけ。高校に入って以降、実希子のおっさん感は余計に強まりつつあった。
相変わらず黒髪に三つ編みの柚が苦笑する。
「わかってはいるんだけど、なかなかね」
虐めがなくなったからといって、すぐにすべての過去を忘れて行動するのは不可能だ。理解しているからこそ、好美も実希子も無理強いはしない。
ここで葉月は待ってましたではないが、先ほど導き出した結論を発表する。
「何か夢中になれるのを見つければいいんだよ。
だから柚ちゃん。ソフトボール部に入ろう!」
「……はい?」
心底虚をつかれたとばかりに、柚が目を丸くする。
それはいいと、即座に反応したのは実希子だった。
「そろそろ見学期間も終わるっていうのに、新入部員が少ないって岩さんも嘆いてたしな」
「岩さん?」
当たり前だが、これまでは学校が終わるなりすぐ帰宅していた柚が知っているはずもない。
「岩さんというのは、ソフトボール部の主将で三年生の岩田真奈美先輩のことなの。皆からは岩さんと呼ばれて慕われているわ。
ゴリゴリの体育会系のノリが嫌いらしくてね。平然とタメ口で接する実希子ちゃんを、初対面時から気に入る不思議生物――もとい、器の大きな女性よ」
丁寧な好美の説明に、なるほどと柚は頷いた。
「そういうわけだから、柚も入ろうぜ。小学校の頃から、運動神経は悪くなかったしな。高校では何かしらの部活に入らないと駄目なんだろ?」
高校の規則を正確に覚えるつもりのない実希子が、真っ先に尋ねる相手は好美である。
「ええ、そうね。でも科学部などの名前があるだけで、実際には活動してなくて帰宅部も同然のところもあるみたいよ」
「何だ、そりゃ。不健康な奴らだな」
「一概にそうとも言えないでしょう。家の都合でアルバイトをしたりという生徒もいるでしょうし。ただ、アルバイトをする場合でも学校へ届け出は必要だけどね」
「そっか。ま、アタシらには関係ないよな。ソフトボールやってりゃ、バイトしてる暇もないだろうし」
皆と一緒にアルバイトをするというのも楽しそうだが、慣れ親しんだソフトボールに青春を費やすのも悪くはない。現実に葉月が選んだのは後者である。
当初は部活に入るつもりがなさそうだった柚も、葉月たちと一緒だからだろうかソフトボール部に興味を示してくれる。結論として、放課後に一緒に見学へ行くという話でまとまった。
昼休みの終了直前になると、教室の外に出ていた生徒たちが続々と戻ってくる。その中には御手洗尚の姿もあった。
「あれ?」
葉月は小さく首を傾げた。相変わらず彼女は一人なのだが、気まずそうにしていたこれまでと違い、若干だが表情に明るさが戻ってるような気がしたのだ。
「それじゃ、アタシたちも教室に戻るよ。柚、何かあったらすぐに相談しろよ」
空になった弁当箱を片手に、実希子と好美が自分たちの教室へ戻る。
「二人とも優しいよね」
友人の背中を見送ったあとで、机の上に両肘をついた柚がポツリと言った。
「こんな私でも友達と言ってくれる。以前は葉月ちゃんに酷いことをしていたのに」
「柚ちゃん、それは……」
「いいのよ、事実だもの。でもね、だからこそ思うの。御手洗さんをあのままにしておいたらいけないって」
そこで一旦言葉を区切り、柚は軽く微笑む。
「だから葉月ちゃんは、自分の思いのままに行動して。私はおかげで救われたもの。昔も今も」
「柚ちゃん……」
葉月の心の中にあった迷いやもやもやが、柚の言葉で一気に晴れたような気がした。
すぐに午後の授業が始まったので声はかけられなかったが、いつか尚とも気軽に話せるようになりたい。葉月は心からそう思った。
*
放課後になると昼休みの約束通りに、葉月たちは柚を伴ってグラウンドを訪れた。ソフトボール部だけでなく、陸上部やサッカー部も練習している。
専用グラウンドがあるのは野球部だけで、テニスコートを使うテニス部を除けば他は全部一緒だ。しかしながらグラウンドは広く、スペースは十分すぎるほどにあった。
葉月たちの姿を見かけるなり、体格の良い女性が手を上げて喜んだ。一人増えているのに目ざとく気づいたからだ。
「おう、来たか。新しい見学者を連れてきてくれるなんて、やるねえ。さすがは美由紀の後輩だ」
ガハハと笑う最上級生の女性に、柚が若干引き気味になる。これは何も彼女に限ったことではない。岩田真奈美と初めて会う人間は男女を問わずに、大体似たような反応をするのである。
だからこそ、当人もさほど気にしていない。実希子よりも高い身長で、ボディビルダーまでとはいかないが立派な筋肉が全身についている。肩幅も広く全体的にガッチリしており、短めの黒髪と合わさってプロレスラーのような印象さえ受ける。
手足も大きく、存在感は凄まじい。美人とは言い難いが、可愛らしい花が好きなどの意外と少女っぽい一面もある。
誰にでも分け隔てなく接し、大抵のことは豪快に笑い飛ばす。体格に見合った包容力もあり、周囲からは尊敬の念を持って岩さんと呼ばれる。ソフトボール部監督の田沢良太でさえも、彼女のことをそう呼んでいるくらいである。
岩さんの背中に隠れていたわけではないが、高山美由紀も側に来る。
「初めて見る顔ね」
「はい。アタシらの小学校の時の友達で、室戸柚って言うんスよ」
実希子から紹介を受けた美由紀が、あっと声を上げる。どうやら進路指導室でひと揉めした話を知っているみたいだった。もしかしたら、実希子たちがある程度の事情を話していたのかもしれない。
「貴方がそうなのね。大変だったわね。このソフトボール部では変な真似をする人間なんていないから、安心するといいわよ。仮にいたとしても、岩さんが大きなお尻で押し潰しちゃうだろうしね」
「アハハ! まったくだ。事情はよく知らないが、ドスンとやってやるから気にすんな!」
些細なことを気にしない真奈美ならではの反応だった。
岩さんと慕われる女性を見ていた好美が苦笑する。
「二年後の実希子ちゃんを見ているようだわ。進化していくとああなるわよ」
「おお、そりゃ凄いな。憧れるぜ」
「……それはよかったわ」
直視できないと言いたげに実希子から視線を逸らした好美が、あらと何かに気づいたような声を出した。
気になった葉月が好美の視線を追いかけると、その先には御手洗尚と柳井晋太がいた。グラウンド脇に生えている木に背中を預けた尚に、身振り手振りで話す晋太が笑わせている。
「あいつら何やってんだ? よからぬ相談じゃねえだろうな」
目を細めた実希子が近づく意思を見せ、そのあとに葉月も続く。好美に事情を聞いた美由紀と真奈美も万が一のために同行してくれる。
そのうちに二人の楽しそうな声が、風に乗って葉月たちのところまで運ばれてきた。
「もお、晋ちゃんってば」
語尾にハートマークがついてもおかしくない甘ったるい声に、実希子がその場で膝から崩れ落ちそうになる。
「本当だよ、尚たん。俺はもう君にメロメロなんだ」
柳井晋太まで調子を合わせており、次々と立っていられなくなる被害者が続出する。
「まさか、バカップルなるものがこの世に実在するとは思わなかったわ」
疲れ果てたようにこぼしたのは好美だ。
「あれが……虐めの首謀者……」
美由紀の笑顔も引きつる中、好美命名のバカップルが接近する葉月たちに気づいた。一瞬だけ気まずそうにしたが、意を決したように二人揃って正面からこちらを見る。
同時に深々と頭を下げた姿に葉月は絶句する。正直、何が起きているのかわからなかった。
「私ね、実は仲間の中で一人だけ私立の高校に進めなかったんだ。そうした苛立ちもあって、同じクラスになった柚を虐めて憂さ晴らしをしていた。私はこんな学校にいるべき人間じゃない。そんなことばかり思ってたの。
でもね、世界は一変したわ。自分の過ちに気づき、素敵な男性と巡り会えたことによって」
「俺もだ。中学の頃から周りに人が集まる高木に嫉妬してたんだ。だから子供じみたからかいばっかりしてた。俺の方が人望があって当然なのにって。
けど、違ったんだ。大勢なんて必要ない。心から愛する女性がたった一人側にいてくれれば、世界はこんなにも優しくなるんだと気付いたんだ」
「はあ……」
それしか言えない葉月を尻目に、今度は二人で申し合わせたように土下座する。いきなりの展開に焦りを通り越し、半ばパニックに陥る。
「私の嘘がバレてなかったら、高木さんは退学になっていた。室戸さんには中学時代から辛い思いをさせたわ。昔の仲間と離れたのを機に、私は愛に生きたいの!」
続いて晋太も何かを言っていたが、冷静に聞き取っているだけの余裕は葉月になかった。口が半開きになってるのも気づかずに呆然とし続ける。
葉月が正気に戻るより先に、二人が立ち上がる。自らの意思というより、いつの間にか背後に回っていた真奈美に引っ張り上げられたのだ。
「事情は聞いたよ。そんなわけのわからない謝罪で、あの子の心の傷が癒えるわけないだろ。だからお前はソフトボール部に入れ。二度とくだらないことをしないように私が性根を叩き直してやる」
「え?」
「まずは基礎体力をつけさせないとね。今日は軽くグラウンド百周くらいでいいか。誰かジャージでいいから貸してやって」
「え?」
疑問から立ち直れないまま、尚は美由紀に引きずられていく。真奈美の指示通りのことを実行させられるのだろう。
後に残った晋太がポカンとしていたが、その肩に誰かの腕が急に置かれた。
「俺も話を聞いたよ。懲りずにやらかしたらしいな。お前もせっかくできた恋人のために、根性を鍛えた方がいいぞ。俺が野球部っていう、うってつけの場所を紹介してやる」
言ったのは、こめかみに青筋を立てて晋太を睨む仲町和也だった。
「和也君」
「よう高木。事情は全部知ってるよ。悪いけど、こいつは借りていくぞ。心配するな。スポーツという健全な手段で、徹底的に改心させてやるから」
「なっ――!?
ちょ、ちょっと待ってくれ、仲町。俺は彼女と一緒に科学部に……」
「まあ、そう言わずに付き合え。何だったら、体験入部だけでもいいからよ」
事前に他の部員に話をしていたのか、ぞろぞろと集まってくる野球部員に憐れ柳井晋太は連行されていった。
「男の方はあれでいいか。本当はもっとお灸をすえてやった方がいいんだろうけど、一応は土下座までするくらいに反省しているみたいだからね」
真奈美に肩を叩かれて、ようやく葉月も我に返る。あまりにも展開が速すぎて、まるで夢でも見ているかのようだった。
強制的に尚を連行させた真奈美は、次に柚の肩に手を置いた。
「室戸とか言ったね。あの子と同じ部活なのは辛いかもしれないけど、何かあったら私らが守ってやる。サポートしてやれるうちに克服しちまいな。これからの人生、トラウマに怯えて過ごすなんてまっぴらだろ」
真奈美の意図を察した柚が、強い決意を込めて「はい」と頷いた。
「仲間が覚悟を決めたんだ。お前らも助けてやるんだぞ。ただしあの子を虐めるのは禁止だ。やられたからやり返すじゃ、何も解決しないからな。代わりに問題が起きたら私に言いな。ソフトボールで鍛えたげんこつで説教してやるから。ウハハ!」
「ハハハ。岩さんには敵わねえよな。どうだ、柚。楽しそうな部だろ? 意外と練習はキツいけどな」
「そうね。私も入部してみるわ。葉月ちゃんだって私と友達になってくれた。私もね、葉月ちゃんみたいに本当の意味で強い人間になりたい。そのためにソフトボール部で心身を鍛えるのもいいかもね」
「うんっ! 一緒に頑張ろうね、柚ちゃん!」
嬉しくなった葉月が柚の手を握り、二人で本格的にソフトボール部の練習を見学しようとする。一歩目を踏み出した時、野球部とソフトボール部が練習しているグラウンドから男女の助けてーという叫びが重なるように木霊した。
「アハハ。早速しごかれてるみたいだね」
柚と顔を見合わせて葉月は笑う。頭上では朝からあった雲が消え、どこまでも青い空が広がっていた。
指導室での一件以降、担任の桂子も目を光らせているので、虐めと呼べる現象は皆無であった。
すべてを吐き出して少しは楽になったのか、徐々にだが柚にも本来の明るさが戻っている。
一方で事件の噂が学校中に漏れ伝わったのもあり、尚の立場は微妙になっていた。取り巻きで偽証言をした女生徒も後に桂子からキツく叱られたのもあり、尚と距離を取るようになっていた。
目立とうとしたのかどうかは不明だが、騒ぎを大きくした柳井も同様だ。中学時代の評判もあり、話をするようになっていた同級生からもそっけない態度を取られるようになった。
少し前に実希子らに相談してみた際には、自業自得だから放っておけばいいと返されたが、見て見ぬふりというのもなんだかできない。そういう葉月を見て、好美はそれが葉月の長所なのよねと言ってくれた。
とはいえ今はまず、柚の心のケアが大切だと判断していた。虐めを受けた経験のある葉月だからこそ、後遺症みたいなものも知っている。自分では平気になったと思っていても、ふとした瞬間に当時を思い出して辛くなる時があるのだ。
その場合、葉月だと大好きな父親の姿を思い浮かべることで上書きしてしまう。
あとは体を動かす。ソフトボールに夢中になっている時は、他のことを考える余裕もない。
思考がそこへ辿り着いた瞬間、葉月の頭の中が明るく輝いたような気がした。
「葉月ちゃん? どうしたの、葉月ちゃん」
名前を呼ばれて、考え事に夢中になりすぎていたのに気づく。
今は平日の学校で、昼休み中。例の事件からはすでに一週間が経過していた。座っているのは自分の席だが、周りには他のクラスに所属中の実希子と好美もいる。
二人とも柚を心配して、休憩時間や昼のたびに来てくれる。最近では昼食も一緒にとっている。
ちなみに尚は教室にいない。
彼女は昼休みになると同時に、ふらりとどこかへ行ってしまう。葉月がクラスメートから聞いた話だと、一人で図書室にいるらしかった。
「ああ、ごめん。何でもないよ」
「それならいいんだけど……」
心配そうな柚の背中を、弁当の小さめのハンバーグをかじりながら実希子が叩く。
「人の顔色を気にしたって、いいことないぞ。自分らしくしてればいいんだよ」
「実希子ちゃんみたいに、気にしなさすぎなのも問題だけどね」
好美の指摘にも、豪快に笑うだけ。高校に入って以降、実希子のおっさん感は余計に強まりつつあった。
相変わらず黒髪に三つ編みの柚が苦笑する。
「わかってはいるんだけど、なかなかね」
虐めがなくなったからといって、すぐにすべての過去を忘れて行動するのは不可能だ。理解しているからこそ、好美も実希子も無理強いはしない。
ここで葉月は待ってましたではないが、先ほど導き出した結論を発表する。
「何か夢中になれるのを見つければいいんだよ。
だから柚ちゃん。ソフトボール部に入ろう!」
「……はい?」
心底虚をつかれたとばかりに、柚が目を丸くする。
それはいいと、即座に反応したのは実希子だった。
「そろそろ見学期間も終わるっていうのに、新入部員が少ないって岩さんも嘆いてたしな」
「岩さん?」
当たり前だが、これまでは学校が終わるなりすぐ帰宅していた柚が知っているはずもない。
「岩さんというのは、ソフトボール部の主将で三年生の岩田真奈美先輩のことなの。皆からは岩さんと呼ばれて慕われているわ。
ゴリゴリの体育会系のノリが嫌いらしくてね。平然とタメ口で接する実希子ちゃんを、初対面時から気に入る不思議生物――もとい、器の大きな女性よ」
丁寧な好美の説明に、なるほどと柚は頷いた。
「そういうわけだから、柚も入ろうぜ。小学校の頃から、運動神経は悪くなかったしな。高校では何かしらの部活に入らないと駄目なんだろ?」
高校の規則を正確に覚えるつもりのない実希子が、真っ先に尋ねる相手は好美である。
「ええ、そうね。でも科学部などの名前があるだけで、実際には活動してなくて帰宅部も同然のところもあるみたいよ」
「何だ、そりゃ。不健康な奴らだな」
「一概にそうとも言えないでしょう。家の都合でアルバイトをしたりという生徒もいるでしょうし。ただ、アルバイトをする場合でも学校へ届け出は必要だけどね」
「そっか。ま、アタシらには関係ないよな。ソフトボールやってりゃ、バイトしてる暇もないだろうし」
皆と一緒にアルバイトをするというのも楽しそうだが、慣れ親しんだソフトボールに青春を費やすのも悪くはない。現実に葉月が選んだのは後者である。
当初は部活に入るつもりがなさそうだった柚も、葉月たちと一緒だからだろうかソフトボール部に興味を示してくれる。結論として、放課後に一緒に見学へ行くという話でまとまった。
昼休みの終了直前になると、教室の外に出ていた生徒たちが続々と戻ってくる。その中には御手洗尚の姿もあった。
「あれ?」
葉月は小さく首を傾げた。相変わらず彼女は一人なのだが、気まずそうにしていたこれまでと違い、若干だが表情に明るさが戻ってるような気がしたのだ。
「それじゃ、アタシたちも教室に戻るよ。柚、何かあったらすぐに相談しろよ」
空になった弁当箱を片手に、実希子と好美が自分たちの教室へ戻る。
「二人とも優しいよね」
友人の背中を見送ったあとで、机の上に両肘をついた柚がポツリと言った。
「こんな私でも友達と言ってくれる。以前は葉月ちゃんに酷いことをしていたのに」
「柚ちゃん、それは……」
「いいのよ、事実だもの。でもね、だからこそ思うの。御手洗さんをあのままにしておいたらいけないって」
そこで一旦言葉を区切り、柚は軽く微笑む。
「だから葉月ちゃんは、自分の思いのままに行動して。私はおかげで救われたもの。昔も今も」
「柚ちゃん……」
葉月の心の中にあった迷いやもやもやが、柚の言葉で一気に晴れたような気がした。
すぐに午後の授業が始まったので声はかけられなかったが、いつか尚とも気軽に話せるようになりたい。葉月は心からそう思った。
*
放課後になると昼休みの約束通りに、葉月たちは柚を伴ってグラウンドを訪れた。ソフトボール部だけでなく、陸上部やサッカー部も練習している。
専用グラウンドがあるのは野球部だけで、テニスコートを使うテニス部を除けば他は全部一緒だ。しかしながらグラウンドは広く、スペースは十分すぎるほどにあった。
葉月たちの姿を見かけるなり、体格の良い女性が手を上げて喜んだ。一人増えているのに目ざとく気づいたからだ。
「おう、来たか。新しい見学者を連れてきてくれるなんて、やるねえ。さすがは美由紀の後輩だ」
ガハハと笑う最上級生の女性に、柚が若干引き気味になる。これは何も彼女に限ったことではない。岩田真奈美と初めて会う人間は男女を問わずに、大体似たような反応をするのである。
だからこそ、当人もさほど気にしていない。実希子よりも高い身長で、ボディビルダーまでとはいかないが立派な筋肉が全身についている。肩幅も広く全体的にガッチリしており、短めの黒髪と合わさってプロレスラーのような印象さえ受ける。
手足も大きく、存在感は凄まじい。美人とは言い難いが、可愛らしい花が好きなどの意外と少女っぽい一面もある。
誰にでも分け隔てなく接し、大抵のことは豪快に笑い飛ばす。体格に見合った包容力もあり、周囲からは尊敬の念を持って岩さんと呼ばれる。ソフトボール部監督の田沢良太でさえも、彼女のことをそう呼んでいるくらいである。
岩さんの背中に隠れていたわけではないが、高山美由紀も側に来る。
「初めて見る顔ね」
「はい。アタシらの小学校の時の友達で、室戸柚って言うんスよ」
実希子から紹介を受けた美由紀が、あっと声を上げる。どうやら進路指導室でひと揉めした話を知っているみたいだった。もしかしたら、実希子たちがある程度の事情を話していたのかもしれない。
「貴方がそうなのね。大変だったわね。このソフトボール部では変な真似をする人間なんていないから、安心するといいわよ。仮にいたとしても、岩さんが大きなお尻で押し潰しちゃうだろうしね」
「アハハ! まったくだ。事情はよく知らないが、ドスンとやってやるから気にすんな!」
些細なことを気にしない真奈美ならではの反応だった。
岩さんと慕われる女性を見ていた好美が苦笑する。
「二年後の実希子ちゃんを見ているようだわ。進化していくとああなるわよ」
「おお、そりゃ凄いな。憧れるぜ」
「……それはよかったわ」
直視できないと言いたげに実希子から視線を逸らした好美が、あらと何かに気づいたような声を出した。
気になった葉月が好美の視線を追いかけると、その先には御手洗尚と柳井晋太がいた。グラウンド脇に生えている木に背中を預けた尚に、身振り手振りで話す晋太が笑わせている。
「あいつら何やってんだ? よからぬ相談じゃねえだろうな」
目を細めた実希子が近づく意思を見せ、そのあとに葉月も続く。好美に事情を聞いた美由紀と真奈美も万が一のために同行してくれる。
そのうちに二人の楽しそうな声が、風に乗って葉月たちのところまで運ばれてきた。
「もお、晋ちゃんってば」
語尾にハートマークがついてもおかしくない甘ったるい声に、実希子がその場で膝から崩れ落ちそうになる。
「本当だよ、尚たん。俺はもう君にメロメロなんだ」
柳井晋太まで調子を合わせており、次々と立っていられなくなる被害者が続出する。
「まさか、バカップルなるものがこの世に実在するとは思わなかったわ」
疲れ果てたようにこぼしたのは好美だ。
「あれが……虐めの首謀者……」
美由紀の笑顔も引きつる中、好美命名のバカップルが接近する葉月たちに気づいた。一瞬だけ気まずそうにしたが、意を決したように二人揃って正面からこちらを見る。
同時に深々と頭を下げた姿に葉月は絶句する。正直、何が起きているのかわからなかった。
「私ね、実は仲間の中で一人だけ私立の高校に進めなかったんだ。そうした苛立ちもあって、同じクラスになった柚を虐めて憂さ晴らしをしていた。私はこんな学校にいるべき人間じゃない。そんなことばかり思ってたの。
でもね、世界は一変したわ。自分の過ちに気づき、素敵な男性と巡り会えたことによって」
「俺もだ。中学の頃から周りに人が集まる高木に嫉妬してたんだ。だから子供じみたからかいばっかりしてた。俺の方が人望があって当然なのにって。
けど、違ったんだ。大勢なんて必要ない。心から愛する女性がたった一人側にいてくれれば、世界はこんなにも優しくなるんだと気付いたんだ」
「はあ……」
それしか言えない葉月を尻目に、今度は二人で申し合わせたように土下座する。いきなりの展開に焦りを通り越し、半ばパニックに陥る。
「私の嘘がバレてなかったら、高木さんは退学になっていた。室戸さんには中学時代から辛い思いをさせたわ。昔の仲間と離れたのを機に、私は愛に生きたいの!」
続いて晋太も何かを言っていたが、冷静に聞き取っているだけの余裕は葉月になかった。口が半開きになってるのも気づかずに呆然とし続ける。
葉月が正気に戻るより先に、二人が立ち上がる。自らの意思というより、いつの間にか背後に回っていた真奈美に引っ張り上げられたのだ。
「事情は聞いたよ。そんなわけのわからない謝罪で、あの子の心の傷が癒えるわけないだろ。だからお前はソフトボール部に入れ。二度とくだらないことをしないように私が性根を叩き直してやる」
「え?」
「まずは基礎体力をつけさせないとね。今日は軽くグラウンド百周くらいでいいか。誰かジャージでいいから貸してやって」
「え?」
疑問から立ち直れないまま、尚は美由紀に引きずられていく。真奈美の指示通りのことを実行させられるのだろう。
後に残った晋太がポカンとしていたが、その肩に誰かの腕が急に置かれた。
「俺も話を聞いたよ。懲りずにやらかしたらしいな。お前もせっかくできた恋人のために、根性を鍛えた方がいいぞ。俺が野球部っていう、うってつけの場所を紹介してやる」
言ったのは、こめかみに青筋を立てて晋太を睨む仲町和也だった。
「和也君」
「よう高木。事情は全部知ってるよ。悪いけど、こいつは借りていくぞ。心配するな。スポーツという健全な手段で、徹底的に改心させてやるから」
「なっ――!?
ちょ、ちょっと待ってくれ、仲町。俺は彼女と一緒に科学部に……」
「まあ、そう言わずに付き合え。何だったら、体験入部だけでもいいからよ」
事前に他の部員に話をしていたのか、ぞろぞろと集まってくる野球部員に憐れ柳井晋太は連行されていった。
「男の方はあれでいいか。本当はもっとお灸をすえてやった方がいいんだろうけど、一応は土下座までするくらいに反省しているみたいだからね」
真奈美に肩を叩かれて、ようやく葉月も我に返る。あまりにも展開が速すぎて、まるで夢でも見ているかのようだった。
強制的に尚を連行させた真奈美は、次に柚の肩に手を置いた。
「室戸とか言ったね。あの子と同じ部活なのは辛いかもしれないけど、何かあったら私らが守ってやる。サポートしてやれるうちに克服しちまいな。これからの人生、トラウマに怯えて過ごすなんてまっぴらだろ」
真奈美の意図を察した柚が、強い決意を込めて「はい」と頷いた。
「仲間が覚悟を決めたんだ。お前らも助けてやるんだぞ。ただしあの子を虐めるのは禁止だ。やられたからやり返すじゃ、何も解決しないからな。代わりに問題が起きたら私に言いな。ソフトボールで鍛えたげんこつで説教してやるから。ウハハ!」
「ハハハ。岩さんには敵わねえよな。どうだ、柚。楽しそうな部だろ? 意外と練習はキツいけどな」
「そうね。私も入部してみるわ。葉月ちゃんだって私と友達になってくれた。私もね、葉月ちゃんみたいに本当の意味で強い人間になりたい。そのためにソフトボール部で心身を鍛えるのもいいかもね」
「うんっ! 一緒に頑張ろうね、柚ちゃん!」
嬉しくなった葉月が柚の手を握り、二人で本格的にソフトボール部の練習を見学しようとする。一歩目を踏み出した時、野球部とソフトボール部が練習しているグラウンドから男女の助けてーという叫びが重なるように木霊した。
「アハハ。早速しごかれてるみたいだね」
柚と顔を見合わせて葉月は笑う。頭上では朝からあった雲が消え、どこまでも青い空が広がっていた。
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剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
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神崎未緒里
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※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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