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葉月の小学・中学校編
お買い物と遭遇
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夏休みに入っても、高木家長女の葉月は忙しそうだった。
春道が朝ご飯を食べにリビングへ行く前には家を出て、部活の練習へ向かう。お弁当を持参し、練習後は実希子ら友人と一緒に遊ぶらしい。
中学生になって帰宅時間も多少遅くなった。かろうじて夕食時間の午後七時前には帰ってくるくらいだ。
小学生時代はほとんど家族一緒だったが、中学になって友人と過ごす割合が増えた。子供が大人へなる過程で、そうなっていくのは当たり前だった。
春道は愛娘の成長を喜んでいたが、妻は寂しいみたいだった。考えてみれば、春道と出会うまでは二人きりで過ごしていたのだ。絆も想いもずっと深い。
春道がその日の仕事を終えてリビングへ行くと、菜月と遊びながらもどことなく元気のない和葉がいた。
時刻は午後五時。
夏なのでまだ外は明るいが、そろそろ夕食の準備を始める時間だった。
「あ、春道さん。お疲れ様です。ご飯の準備をするから、菜月の相手をお願いできるかしら」
春道は返事をして、ソファにいる菜月の側へ移動した。
ここ最近、妻の和葉は砕けた口調も使うようになった。丁寧極まりない言葉遣いを娘たちに真似されたのが、意外に堪えたらしい。
そうなるように仕向けていたはずなのだが、当人はあそこまで硬い感じになるとは思ってなかったらしい。幼稚園や小学校で菜月が虐められる危険性も考慮して、若干の軌道修正を決めたと教えてくれた。
「菜月はまたお絵描きか。好きなんだな」
春道の言葉に、葉月も小さい頃はそうだったと和葉が応じた。
「やっぱり姉妹ってことなのかな」
「そうね。でも、そうなると……菜月も中学生になる頃には……」
「おいおい。今からそんな調子でどうするんだよ。子供たちが無事に成長すれば、進学にせよ就職にせよ、家から出ることになるんだぞ」
愕然とした和葉が、悲しい未来は考えたくないとばかりに首を左右に振った。
「寂しい気持ちは理解できるけど、これも親離れ、子離れのひとつなんだろう。俺たちも親として成長しないとな」
「そう……ですね。葉月に、いい加減に子離れしてと言われたりしたら、ショックで立ち直れないかもしれない……」
「まあ、今からそんなに気落ちする必要はないさ。それに、娘たちが巣立っても、俺がいるだろ」
落ち込んでいた妻の和葉が、ハっとしたように顔を上げた。
「俺たちは夫婦なんだから、ずっと一緒だ。俺が愛想を尽かされない限りはな」
「だとしたら、少し厳しいかもしれませんね」
右拳を顎に当てて、困ったように和葉が顔を右に少しだけ傾けた。
「えっ、俺……すでに愛想尽かされてたのか?」
予想外の妻の反応に、春道はおもいきり慌てる。
すると和葉は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ウフフ。冗談ですよ」
「心臓に悪いから、やめてくれ。俺はもう、和葉が一緒じゃないと、人生を楽しいと思えないよ」
冗談とわかった安心感から、嘘偽りのない本音が口から漏れた。
あっと思った時にはもう遅い。春道の台詞は、しっかりと愛妻の耳孔へ届いた。
音が聞こえそうなほど急激に赤くなった顔を、即座に横へ向ける。しばらく口の中を何やらもごもごとさせたあと、ゆっくりとこちらを見た。
「……私も、です……」
注意していないと、聞き逃してしまうくらい小さな声だった。滅多にない妻の愛情表現に、嬉しくなる。
「そうだ。せっかくだから、買い物にでも出かけるか」
「え? ああ、いいかもしれないわね。残り少ない調味料もあったはずだし……」
「決まりだな。よし、菜月。皆でお出かけするぞ」
春道がそう言うと、お絵描き中の手を止めた菜月がにぱっと笑った。
*
日中は外へ出る気も失せるほど暑いが、午後五時を過ぎると幾らかはマシになる。これも、緑が多い田舎の特権なのかもしれない。
テレビをつければ、夜になっても三十度を下回らないという衝撃的なニュースばかりを目にする。春道たちの住んでるところでも熱帯夜はあるが、何十日連続という有様にはならない。
その代わり冬は寒い。どちらがいいとは単純に言えないが、少なくとも春道は移住を考えていなかった。
菜月に麦わら帽子をかぶせ、三人で手を繋いで歩く。もちろん、真ん中が愛娘だ。三歳を過ぎて、だいぶ歩けるようになった。走ったりも可能だ。
三歳だった頃の葉月は元気に走り回っていたみたいだが、菜月の場合はさほどでもない。必要性があればそうするといった程度でしかなかった。
戸高泰宏の息子の宏和などは、スーパーなどへ出かけると、店内を走り回って手に負えない。叱ってばかりで、帰る頃にはぐったりだと以前に家へ遊びに来た戸高祐子が言っていた。
その点、高木家の次女はおしとやかといってもいいレベルだった。にこにこと笑顔を絶やさず、お絵描きなどを静かに楽しむ。話しかければ手を止めて、会話にも応じてくれる。早くも近所ではいい子として評判だ。
母親の和葉は自慢げだが、春道は違和感みたいなものを覚えていた。だが問題にするほどでもないので、とりあえずは黙っておく。
他の通行人の邪魔にならないようにしながらも、春道たちは三人並んで歩道を移動する。向かっている先は、普段からよく利用している例の大手スーパーだ。
惣菜などの種類も意外と豊富なので、今くらいの時間には子供を連れた買い物客が大勢存在した。春道たちのその中の一組となる。
食品売り場に近い入口から店内へ入る。冷房がつけられていて、夏ではあるが少し肌寒い。菜月の身体が冷えないように、和葉が家から持ってきた薄手のカーディガンを着せた。
菜月の手を引き、まずは和葉お目当ての調味料コーナーへ行く。
買物用のカートに乗せたかごへ入れる商品を見て、どのような調味料を普段使ってるのか理解する。料理をしないからといって、あまりに興味を示さないのもまずい。それこそ、和葉や祐子に夫失格だと言われかねない。
午後七時までまだ時間はあるが、これから家に帰って調理するとなると足りない可能性が高い。前日の残りも多少はあるが、心もとないので一品程度は惣菜に助けてもらうことにした。総菜コーナーを歩き、和葉が手を繋いでいる菜月に何が食べたいのかを尋ねた。
「菜月は何でもいいよー」
にこやかに答えた愛娘の口調は、以前みたいに母親を真似たものではなかった。
飽きたのか、三歳になって心が成長したのかはわからない。ただ、最近は常に先ほどみたいな感じだった。
「菜月は何でもいいと言ってるけど、春道さんはどうですか? 唐揚げ以外でね」
すでに唐揚げのパックを手に取りかけていた春道は、ビクっとして笑顔の妻を見た。食い下がってみようかとも考えたが、とても要望を聞き入れてもらえるような雰囲気ではなかった。
肩を落とす春道を見て、和葉が呆れたようにため息をつく。
「やっぱり、唐揚げを買おうとしていたのね」
「菜月は唐揚げでも大丈夫だよ」
「菜月は偉いわね。でも、パパ――春道さんは駄目なの。食べたいものがあると聞けば、ほぼ間違いなく唐揚げと答えるのだから、さすがに食べすぎです」
唐揚げ好きなのは確かで、三十代中盤になってもよく食べる。
そのため、春道の健康に気を遣って、手作りの場合は鳥のささみを使って作るのが高木家の主流となった。
「食べすぎなのは事実だけどな。じゃあ、どうするか。
春巻きあたりなんかは?」
「ああ、いいわね。では、春巻きにします。菜月も大丈夫?」
丁寧さと砕けた感じが混ざった言葉遣いの和葉に、隣の愛娘が小さな顔を勢いよく上下させた。
*
和葉が会計を済ませている間、春道は菜月を連れて食品売り場近くの休憩コーナーへ移動した。ベンチが幾つか設置されているので、ここまで結構歩いている菜月を休ませられる。
休憩コーナーには、葉月が通う中学校の制服を着た男女がいた。男子が一生懸命に、女性に話しかけてる最中だ。もしかしたら、告白でもしてるのかもしれない。
青春だな、などとオヤジ臭い感想を抱く。
そちらを気にするつもりはなかったが、菜月を座らせた際にふと女生徒のひとりと目が合った。
「あ、パパっ!?」
驚きの声を上げた女生徒に見覚えがあった。男子生徒の背中に顔が隠れていたので気づけなかったが、そこにいたのは葉月だったのだ。
春道も驚いて目を丸くする中、ベンチに座ったばかりの菜月だけが笑顔で姉に手を振った。
「菜月と一緒に買物へ来たの? それならママは?」
矢継ぎ早に質問する愛娘の背後から「お待たせ」という言葉がやってきた。妻の和葉が、会計を終えて迎えに来てくれたのだ。
またしても慌てた様子で振り返った愛娘の顔を見て、和葉も意外そうな表情を浮かべた。
「あら、葉月じゃない」
「葉月じゃない……って、皆で何をしてるの?」
「買物に決まってるでしょう。調味料が残り少なかったから、買いに来たのよ」
「そういう問題じゃないってば」
まるで駄々っ子みたいに、葉月が両手を上下にブンブン振る。よくよく見れば、側には好美と実希子の姿もあった。それに、葉月へ一生懸命に声をかけていた男子生徒が和也だったのにも気づく。
「やあ、久しぶりだな。皆、元気にしてるのか?」
春道が声をかけると、三人ともが「はい」と頭を下げてくれた。その様子を見ていた菜月もまた、好美らに頭を下げて挨拶する。
「相変わらず菜月ちゃんは礼儀正しいですね。私の友人に野生児みたいな女の子がいるんですが、彼女にも見習わせたいです」
「ハハハ。好美の毒舌だけは、誰にも真似できないけどな」
自分のことを言われたと理解したらしい実希子が苦笑いを浮かべた。そうした状況でも、常に菜月はにこにこしていた。一方で葉月と和葉の母娘は、まだ何やら言い合ってる最中だ。
「私だけ仲間外れだなんてずるいよ」
「別に仲間外れにしたわけじゃないわ。葉月が帰ってくるまでに、買い物を済ませようとしただけよ」
「わかってるけど……なんかヤだっ」
子供みたいにと和葉が言えば、即座に子供だもんと言い返す。傍から見れば口喧嘩してるようにも思えるが、和葉はなんとなく嬉しそうだった。
「それじゃ、貴女も一緒に帰る?」
「あ、そうだね。そろそろ帰ろうと思ってたし……いいかな?」
葉月の問いかけに、実希子と今美が揃って頷く。相変わらず良い友人でいてくれてるみたいだった。父親としてお礼を言いたくなる。
半ばこうなるだろうと予測していた女子二人とは、対照的な表情を見せているのが和也だった。家族と一緒に帰るという葉月に、腕を伸ばしたそうにしては諦めて俯いてしまう。どうやら彼は小学生時代と変わらず、葉月に好意を抱いてるみたいだった。
彼の恋がどうなるのかは春道にわからないが、とりあえず今回も申し訳なく思ってしまう。絶妙のタイミングで休憩コーナーに春道が姿を現さなければ、彼にとって好意を寄せる女性――つまりは葉月ともっと長い時間会話できたはずだ。
ここで助け舟を出して、友達と一緒に帰った方がいいんじゃないかと言っても、葉月の性格上、パパと一緒に帰ると首を左右に振る可能性が高い。
そうなると、ますます和也の精神にショックを与えるだけだ。
慰めの声などもかけず、なるべく和也と視線を合わせないようにして立ち上がる。
なんとも気まずい雰囲気の中、葉月だけは満面の笑みで友人たちにバイバイと手を振るのだった。
春道が朝ご飯を食べにリビングへ行く前には家を出て、部活の練習へ向かう。お弁当を持参し、練習後は実希子ら友人と一緒に遊ぶらしい。
中学生になって帰宅時間も多少遅くなった。かろうじて夕食時間の午後七時前には帰ってくるくらいだ。
小学生時代はほとんど家族一緒だったが、中学になって友人と過ごす割合が増えた。子供が大人へなる過程で、そうなっていくのは当たり前だった。
春道は愛娘の成長を喜んでいたが、妻は寂しいみたいだった。考えてみれば、春道と出会うまでは二人きりで過ごしていたのだ。絆も想いもずっと深い。
春道がその日の仕事を終えてリビングへ行くと、菜月と遊びながらもどことなく元気のない和葉がいた。
時刻は午後五時。
夏なのでまだ外は明るいが、そろそろ夕食の準備を始める時間だった。
「あ、春道さん。お疲れ様です。ご飯の準備をするから、菜月の相手をお願いできるかしら」
春道は返事をして、ソファにいる菜月の側へ移動した。
ここ最近、妻の和葉は砕けた口調も使うようになった。丁寧極まりない言葉遣いを娘たちに真似されたのが、意外に堪えたらしい。
そうなるように仕向けていたはずなのだが、当人はあそこまで硬い感じになるとは思ってなかったらしい。幼稚園や小学校で菜月が虐められる危険性も考慮して、若干の軌道修正を決めたと教えてくれた。
「菜月はまたお絵描きか。好きなんだな」
春道の言葉に、葉月も小さい頃はそうだったと和葉が応じた。
「やっぱり姉妹ってことなのかな」
「そうね。でも、そうなると……菜月も中学生になる頃には……」
「おいおい。今からそんな調子でどうするんだよ。子供たちが無事に成長すれば、進学にせよ就職にせよ、家から出ることになるんだぞ」
愕然とした和葉が、悲しい未来は考えたくないとばかりに首を左右に振った。
「寂しい気持ちは理解できるけど、これも親離れ、子離れのひとつなんだろう。俺たちも親として成長しないとな」
「そう……ですね。葉月に、いい加減に子離れしてと言われたりしたら、ショックで立ち直れないかもしれない……」
「まあ、今からそんなに気落ちする必要はないさ。それに、娘たちが巣立っても、俺がいるだろ」
落ち込んでいた妻の和葉が、ハっとしたように顔を上げた。
「俺たちは夫婦なんだから、ずっと一緒だ。俺が愛想を尽かされない限りはな」
「だとしたら、少し厳しいかもしれませんね」
右拳を顎に当てて、困ったように和葉が顔を右に少しだけ傾けた。
「えっ、俺……すでに愛想尽かされてたのか?」
予想外の妻の反応に、春道はおもいきり慌てる。
すると和葉は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ウフフ。冗談ですよ」
「心臓に悪いから、やめてくれ。俺はもう、和葉が一緒じゃないと、人生を楽しいと思えないよ」
冗談とわかった安心感から、嘘偽りのない本音が口から漏れた。
あっと思った時にはもう遅い。春道の台詞は、しっかりと愛妻の耳孔へ届いた。
音が聞こえそうなほど急激に赤くなった顔を、即座に横へ向ける。しばらく口の中を何やらもごもごとさせたあと、ゆっくりとこちらを見た。
「……私も、です……」
注意していないと、聞き逃してしまうくらい小さな声だった。滅多にない妻の愛情表現に、嬉しくなる。
「そうだ。せっかくだから、買い物にでも出かけるか」
「え? ああ、いいかもしれないわね。残り少ない調味料もあったはずだし……」
「決まりだな。よし、菜月。皆でお出かけするぞ」
春道がそう言うと、お絵描き中の手を止めた菜月がにぱっと笑った。
*
日中は外へ出る気も失せるほど暑いが、午後五時を過ぎると幾らかはマシになる。これも、緑が多い田舎の特権なのかもしれない。
テレビをつければ、夜になっても三十度を下回らないという衝撃的なニュースばかりを目にする。春道たちの住んでるところでも熱帯夜はあるが、何十日連続という有様にはならない。
その代わり冬は寒い。どちらがいいとは単純に言えないが、少なくとも春道は移住を考えていなかった。
菜月に麦わら帽子をかぶせ、三人で手を繋いで歩く。もちろん、真ん中が愛娘だ。三歳を過ぎて、だいぶ歩けるようになった。走ったりも可能だ。
三歳だった頃の葉月は元気に走り回っていたみたいだが、菜月の場合はさほどでもない。必要性があればそうするといった程度でしかなかった。
戸高泰宏の息子の宏和などは、スーパーなどへ出かけると、店内を走り回って手に負えない。叱ってばかりで、帰る頃にはぐったりだと以前に家へ遊びに来た戸高祐子が言っていた。
その点、高木家の次女はおしとやかといってもいいレベルだった。にこにこと笑顔を絶やさず、お絵描きなどを静かに楽しむ。話しかければ手を止めて、会話にも応じてくれる。早くも近所ではいい子として評判だ。
母親の和葉は自慢げだが、春道は違和感みたいなものを覚えていた。だが問題にするほどでもないので、とりあえずは黙っておく。
他の通行人の邪魔にならないようにしながらも、春道たちは三人並んで歩道を移動する。向かっている先は、普段からよく利用している例の大手スーパーだ。
惣菜などの種類も意外と豊富なので、今くらいの時間には子供を連れた買い物客が大勢存在した。春道たちのその中の一組となる。
食品売り場に近い入口から店内へ入る。冷房がつけられていて、夏ではあるが少し肌寒い。菜月の身体が冷えないように、和葉が家から持ってきた薄手のカーディガンを着せた。
菜月の手を引き、まずは和葉お目当ての調味料コーナーへ行く。
買物用のカートに乗せたかごへ入れる商品を見て、どのような調味料を普段使ってるのか理解する。料理をしないからといって、あまりに興味を示さないのもまずい。それこそ、和葉や祐子に夫失格だと言われかねない。
午後七時までまだ時間はあるが、これから家に帰って調理するとなると足りない可能性が高い。前日の残りも多少はあるが、心もとないので一品程度は惣菜に助けてもらうことにした。総菜コーナーを歩き、和葉が手を繋いでいる菜月に何が食べたいのかを尋ねた。
「菜月は何でもいいよー」
にこやかに答えた愛娘の口調は、以前みたいに母親を真似たものではなかった。
飽きたのか、三歳になって心が成長したのかはわからない。ただ、最近は常に先ほどみたいな感じだった。
「菜月は何でもいいと言ってるけど、春道さんはどうですか? 唐揚げ以外でね」
すでに唐揚げのパックを手に取りかけていた春道は、ビクっとして笑顔の妻を見た。食い下がってみようかとも考えたが、とても要望を聞き入れてもらえるような雰囲気ではなかった。
肩を落とす春道を見て、和葉が呆れたようにため息をつく。
「やっぱり、唐揚げを買おうとしていたのね」
「菜月は唐揚げでも大丈夫だよ」
「菜月は偉いわね。でも、パパ――春道さんは駄目なの。食べたいものがあると聞けば、ほぼ間違いなく唐揚げと答えるのだから、さすがに食べすぎです」
唐揚げ好きなのは確かで、三十代中盤になってもよく食べる。
そのため、春道の健康に気を遣って、手作りの場合は鳥のささみを使って作るのが高木家の主流となった。
「食べすぎなのは事実だけどな。じゃあ、どうするか。
春巻きあたりなんかは?」
「ああ、いいわね。では、春巻きにします。菜月も大丈夫?」
丁寧さと砕けた感じが混ざった言葉遣いの和葉に、隣の愛娘が小さな顔を勢いよく上下させた。
*
和葉が会計を済ませている間、春道は菜月を連れて食品売り場近くの休憩コーナーへ移動した。ベンチが幾つか設置されているので、ここまで結構歩いている菜月を休ませられる。
休憩コーナーには、葉月が通う中学校の制服を着た男女がいた。男子が一生懸命に、女性に話しかけてる最中だ。もしかしたら、告白でもしてるのかもしれない。
青春だな、などとオヤジ臭い感想を抱く。
そちらを気にするつもりはなかったが、菜月を座らせた際にふと女生徒のひとりと目が合った。
「あ、パパっ!?」
驚きの声を上げた女生徒に見覚えがあった。男子生徒の背中に顔が隠れていたので気づけなかったが、そこにいたのは葉月だったのだ。
春道も驚いて目を丸くする中、ベンチに座ったばかりの菜月だけが笑顔で姉に手を振った。
「菜月と一緒に買物へ来たの? それならママは?」
矢継ぎ早に質問する愛娘の背後から「お待たせ」という言葉がやってきた。妻の和葉が、会計を終えて迎えに来てくれたのだ。
またしても慌てた様子で振り返った愛娘の顔を見て、和葉も意外そうな表情を浮かべた。
「あら、葉月じゃない」
「葉月じゃない……って、皆で何をしてるの?」
「買物に決まってるでしょう。調味料が残り少なかったから、買いに来たのよ」
「そういう問題じゃないってば」
まるで駄々っ子みたいに、葉月が両手を上下にブンブン振る。よくよく見れば、側には好美と実希子の姿もあった。それに、葉月へ一生懸命に声をかけていた男子生徒が和也だったのにも気づく。
「やあ、久しぶりだな。皆、元気にしてるのか?」
春道が声をかけると、三人ともが「はい」と頭を下げてくれた。その様子を見ていた菜月もまた、好美らに頭を下げて挨拶する。
「相変わらず菜月ちゃんは礼儀正しいですね。私の友人に野生児みたいな女の子がいるんですが、彼女にも見習わせたいです」
「ハハハ。好美の毒舌だけは、誰にも真似できないけどな」
自分のことを言われたと理解したらしい実希子が苦笑いを浮かべた。そうした状況でも、常に菜月はにこにこしていた。一方で葉月と和葉の母娘は、まだ何やら言い合ってる最中だ。
「私だけ仲間外れだなんてずるいよ」
「別に仲間外れにしたわけじゃないわ。葉月が帰ってくるまでに、買い物を済ませようとしただけよ」
「わかってるけど……なんかヤだっ」
子供みたいにと和葉が言えば、即座に子供だもんと言い返す。傍から見れば口喧嘩してるようにも思えるが、和葉はなんとなく嬉しそうだった。
「それじゃ、貴女も一緒に帰る?」
「あ、そうだね。そろそろ帰ろうと思ってたし……いいかな?」
葉月の問いかけに、実希子と今美が揃って頷く。相変わらず良い友人でいてくれてるみたいだった。父親としてお礼を言いたくなる。
半ばこうなるだろうと予測していた女子二人とは、対照的な表情を見せているのが和也だった。家族と一緒に帰るという葉月に、腕を伸ばしたそうにしては諦めて俯いてしまう。どうやら彼は小学生時代と変わらず、葉月に好意を抱いてるみたいだった。
彼の恋がどうなるのかは春道にわからないが、とりあえず今回も申し訳なく思ってしまう。絶妙のタイミングで休憩コーナーに春道が姿を現さなければ、彼にとって好意を寄せる女性――つまりは葉月ともっと長い時間会話できたはずだ。
ここで助け舟を出して、友達と一緒に帰った方がいいんじゃないかと言っても、葉月の性格上、パパと一緒に帰ると首を左右に振る可能性が高い。
そうなると、ますます和也の精神にショックを与えるだけだ。
慰めの声などもかけず、なるべく和也と視線を合わせないようにして立ち上がる。
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