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葉月の小学・中学校編

祖母が家にやってきた

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「まあまあ、可愛いわ。やっぱり、可愛いわね。これは姉妹揃って美人になるわよ」

 春道の愛車に同乗してきた母親が、和葉の部屋で菜月を見るなり大騒ぎする。
 幸いにして菜月は起きていたので、睡眠を邪魔されて不機嫌になったりはしなかった。
 不思議なのはこれだけ騒々しい母親なのに、当の菜月はあまり嫌がったりしてない点だった。

「ついてきたかいがあったわ。でも、急にごめんなさいね、和葉さん」

 母親がベビーベッドを覗きこんでいた顔を上げる。

「お気になさらないでください。葉月も可愛がってもらっていますし、むしろこちらが感謝をしなければいけません」

 和葉が模範的な回答を返し、深々と頭を下げた。接客業で培ってきた技なのか、こういう時の高木和葉の対応は見事のひと言に尽きる。

「そう言ってもらえると、助かるわ。お父さんも来られればよかったんだけどね」

 この家へ来たのは母親だけだ。父親は仕事が始まるので、実家でひとり留守番するはめになった。
 普通なら同行できないパートナーを気遣って残りそうなものだが、母親はそうしたそぶりすら見せなかった。父親にあとはよろしくと言い残し、最低限の手荷物だけ持つと翌朝には申し訳なさの欠片も抱いてない表情で春道の車に乗り込んだ。
 車中でも葉月の相手をしてくれたので、運転に集中できたのだけが救いだった。

「目鼻立ちは和葉さんに似ているのかしら。春道に似なくてよかったわね」

「どういう意味だよ」

 ややうんざりしながら、春道が呟いた。
 聞こえないようにしたつもりだったが、歳のわりに耳がいいらしい母親はあっさりと小さな呟きを拾っていた。

「そのままの意味よ。女の子なら、和葉さんに似た方が美人になるもの。ねえ?」

 急に話の矛先を向けられた和葉は「え?」と目を見開いた。すぐには何を言うべきか思い浮かばないみたいで、多分に戸惑いを含んだ視線を春道に向けてくる。

 助け舟を求められても、この母親には何を言っても無駄だとわかっている。かといって素直に頷いておけと言おうものなら、今度は和葉が困るはめになる。これも一種の嫁姑問題なのだろうか。悩みながらも春道は、肩を竦めて口を開く。

「俺に似てなくとも、元気に育ってくれればいいさ」

 偽らざる本音だった。勉強ができようができまいが、美人になろうがなるまいが、健康に人生をまっとうしてくれれば満足する。それが親という存在なのだと、葉月たちと一緒に暮らすようになって知った。
 ひとり暮らしだった頃に比べて自由を失った。
 代わりに得たのは言い表せないほどの安心感と責任だった。

「春道にしては、まともなことを言うじゃない。自分のことばかり考える父親にならないか、心配する必要はないみたいね」

「そんな心配をしていたのか。するのであれば、息子が嫁に愛想をつかされないかどうかにしてくれ」

 春道が言うと、またしても和葉は困ったような表情を浮かべる。普段はしっかり者な妻だけに、そうした姿を見るのは密かな楽しみだったりする。

「春道ったら、和葉さんを虐めないの。彼女以外に、アンタのお嫁さんなんて務まらないんだから」

 母親の言葉に、ここぞとばかりに和葉が「そうですよね」と同調する。春道の記憶が確かならば、最初に和葉を困らせる発言をしたのは母親だったはずだ。それがいつの間のか、すべての元凶はお前のものだとばかりに押しつけられてしまった。反論しても協調する女性陣には敵わないので、おとなしく降参する。

「はいはい、わかったよ。俺だって、和葉に逃げられたくはないからな」

「フフ。春道さんがこれまでどおりなら、決して逃げたりはしませんよ。最後まで尽くしてさしあげます」

 にっこり笑う妻の顔にドキっとしたところで、この会話も終了する。
 久しぶりに和葉の声を間近で聞けて、知らず知らずのうちに春道のテンションも上がっていた。

   *

 賑やかになるリビングにひとりだけ静かな人物がいた。
 普段なら真っ先に会話へ加わりたがる小さな少女だ。皆の話を聞いて時折楽しそうにするものの、すぐに俯き加減になる。
 何かを思案してるのは明らかで、内容についても確認する必要はなかった。

 仕方のないことだが、菜月とは違って自分と両親――つまりは春道や和葉との間に血の繋がりがないのを気にしてるのだ。
 少女の頭の中では、菜月だけが本当の子供と認識されているのかもしれない。
 だとしたら、間違いを正してやるのも親として当たり前かつ重要な仕事になる。

「おい、葉月」

 長女だけに聞こえるよう配慮して、春道は言った。
 急に名前を呼ばれた葉月は、慌てた様子で顔を上げる。

「なあに?」

「血の繋がりはないけど、お前は俺の大事で可愛い娘だ。不安になったらいつでも聞きに来い。何度だって答えてやる」

 とても大事なことだったので、強めの口調ではっきりと告げた。
 まだ幼い葉月に、血が繋がってないのを気にするなというのは無理な話だ。それならいっそ、悩んでもいいと認めた上で力になってやろうと考えた。
 功を奏するかどうかはまだ不明だが、何もしないでいるよりはずっとマシだ。

 最初はきょとんとしていた葉月だったが、やがて春道の発言の真意を理解してくれた。普段のにぱっとした心温まる無邪気な笑顔を見せて、何度も元気に頷く。
 瞳に薄らと涙が滲んでいるが、そこを指摘するべきではないと判断した。

 誰にも見つからないように手首で目元を擦ってから、これまでの沈黙を自ら破るべく葉月が前に進み出た。

「菜月が可愛いのは当たり前だよ。だって、葉月の妹だもん」

 どうだとばかりに胸を張る小さな少女の姿に、春道の母親も和葉も穏やかに微笑む。口々にそのとおりだと言うので、ますます葉月が調子に乗る。
 とりわけ祖母――つまりは春道の母親と楽しそうに会話をする。黙って見守っていると、和葉がこっそりと歩み寄ってきた。
 春道の隣に真っ直ぐ立つと、はしゃぐ愛娘の姿を見つめながら口を開いた。

「ありがとうございます」

「何がだ?」

「葉月のことです。あの子に何か言ってくれたのでしょう?
 先ほどまでと表情がまったく違っていますからね」

 和葉も、葉月の異変には気づいていたのだ。その上で何らかの対処をしようと考えていたところ、春道が先に実施した形になったのだろう。
 以前の和葉であれば、葉月を元気づけるのは私の役目ですと怒っていたはずだ。
 それだけ春道も信頼されるようになったということなので、光栄に思っておく。

「俺は別に何も言ってないぞ。特別なことはな」

「フフ、それでいいのです。春道さんには普通の言葉でも、葉月にとっては何よりの特別になりますから」

 和葉や葉月が笑っていてくれれば、春道も嬉しくなる。ひとりでいた頃には、経験できなかった気持ちだ。
 心から守りたいと思うからこそ、先ほど葉月に告げたような台詞も自然と出てきてくれる。

「そのとおりだな。実際に俺も、和葉や葉月の言葉は何より大事だ」

「私だってそうです。しかし、これからは春道さんの術中に、あまりはまらないようにしたいですね」

 和葉の発した「術中」という単語に疑問を覚える。思い当たるふしもないので、おもいきって直接質問する。

「術中って何だ? 俺は別に何もしてないだろ」

「無自覚なだけで、たくさんしています。おかげで私は、いつもひとりだけ照れさせられてしまってますからね」

 悪戯っぽく笑う和葉に釣られて、春道も口端を吊り上げる。すると夫婦で笑い合ってるのに気づいた愛娘が、あーっと声を上げて指差してきた。

「パパとママだけで、楽しそうにお話しをしてるー。
 きっと、ご馳走のことだー」

 最初に反応したのは、春道の母親だった。

「あら、そうなの? それなら、葉月ちゃんはお祖母ちゃんと一緒にご馳走を食べに出かけようか?」

 飛び跳ねて喜ぶかと思いきや、愛娘は勢いよく左右に首を振った。

「今夜はね。葉月が、お祖母ちゃんにご馳走するのー」

   *

 宣言したとおり、今日の夕食は葉月がひとりで担当することになった。意欲たっぷりに台所へ入り、冷蔵庫に残っていた食材を活用する。

「葉月ちゃんが料理って、大丈夫なの?
 会話の中では、もの凄く上達したと自慢してたけど……」

 来賓となる春道の母親も含めて、葉月以外の三人はリビングで待っていた。食卓についていると気が散るからと、強制的に葉月の手で移動させられたのだ。
 菜月はまだ皆と同じご飯を食べられないので、和葉の部屋にあるベビーベッドでお休み中だった。

「大丈夫だよ。少し前までなら、必殺技が使えたから危なかったけどな」

 春道の言葉に、母親が露骨に動揺する。

「ひ、必殺技?」

「春道さん。お義母さんをあまり不安にさせないでください。葉月なら心配ありません。私たちの誕生日にも、手料理を披露してくれるくらいの腕前ですので」

 和葉の説明で、春道の母親もようやく安心したみたいだった。それでも多少は心配が残ってるみたいで、ちらちらと台所へ視線を送る。

 どーんが聞こえてこない限りは安心なので、春道はソファに背を預けて料理の完成を待った。
 母親の相手は、主に和葉が努めてくれた。女親同士というのもあって、子育て論についてが話題になっている。

 そうこうしてるうちに、台所から「できたよー」という声が届いてきた。待ってましたと我先にソファから立ち上がったのは、案の定、春道の母親だった。
 小さな手で一生懸命に葉月が運んでくる料理を見て、感嘆の声を上げる。

「凄い。これ、全部。葉月ちゃんが作ったの?」

「そうだよー」

 葉月が得意げに笑う。
 春道や和葉には見慣れた光景になりつつあるが、滅多に会わない人間が目撃すればやはり驚くみたいだった。
 考えてみれば、葉月はまだ小学生なのだ。
 にもかかわらず、大人顔負けの料理を作れるのだから、驚かない方がどうかしているレベルなのだろう。

「本当に凄いわ。食べるのが勿体ないくらいね」

 まるで子供みたいに目を輝かせて、春道の母親が喜ぶ。独身時代に実家へ帰省したりしても、ここまではしゃぐ姿を見た経験はなかった。
 やはり孫の存在は偉大だなと思わずにはいられない。

「駄目だよー。お祖母ちゃんに食べてほしくて、葉月、頑張ったんだもんー」

「そうだったわね。ありがとう、葉月ちゃん。お祖母ちゃんと一緒に食べましょうね」

 すっかり葉月と仲良くなった春道の母親が、隣同士に座って晩御飯を食べる。向かいには春道と和葉の夫婦が座っている。
 こうなるのは最初から予想済みだった。きっと寝る時も、葉月の部屋を希望するはずだ。

「美味しいわ。今からこれだけの腕前なら、将来はコックさんにでもなれそうね」

「本当ー? じゃあコックさんになったら、お祖母ちゃんにたくさんご馳走を作ってあげるねー」

「うふふ。楽しみにしてるわ」

 祖母と孫娘が笑顔でやりとりする光景を見れば、春道でなくとも微笑ましい気持ちになる。証拠に隣では、和葉も穏やかな表情を浮かべている。

「お祖母ちゃんが、葉月ちゃんに食べさせてあげるわね。はい、あーん」

 恥ずかしがったりもせず、嬉しそうに葉月が「あーん」と応じる。
 その様子を黙って見ていたら、急に和葉が葉月たちへ見えないように春道の上衣の裾を引っ張ってきた。
 どうしたのかと思って視線を向けると、顔を真っ赤にした妻が「してほしいですか?」と聞いてきた。

「……何を?」

「で、ですから、その……あーんを……」

 妻の真意を理解した春道は、妻に負けないほど顔を真っ赤にする。こんな姿を母親や葉月に見られたら、何を言われるかわからない。
 慌てて平静を保とうとしたが、もう遅かった。

「ほら見て、葉月ちゃん。パパも、ママにあーんをしてもらうみたいよ」

「お、お義母さんっ!」

 椅子から立ち上がりそうなほど慌てる和葉を見て、春道の母親はさらに悪乗りする。

「いいじゃない。私と葉月ちゃんに気にしないで、いつもみたいにしていいのよ」

「い、いつもはしてません。は、春道さんも何か言ってください」

 妻から援軍を求められたものの、この状況ではさすがの春道も苦笑するしかなかった。
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