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サプライズ

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 降り立ったのは教会の裏側だった。言葉は失礼だが、よくテレビで見る大きくて威厳のある立派なものではなかった。
 パっと見では、ここがどこかわからない。その点も春道は気に入っていた。

「ここはどこなのですか」

 案の定な質問をしてくる和葉の前に、ひとりの女性が現れる。

「お待ちしておりました」

「え?
 は、はあ……」

 事情がさっぱりわからない妻は戸惑うばかりで、春道に横目で状況の説明と助けを求めてくる。
 だがこれもプランどおりであり、今さら変更するわけにもいかない。愛妻の代わりに、春道が現れた女性へ「お願いします」と応じた。

「かしこまりました」

 丁寧にお辞儀をした女性が「こちらです」と、和葉の手を掴んで先導する。

「は、春道さん?」

「いいから、そのままついて行ってくれ」

 春道に言われたこともあり、納得しきれていないようだったが、和葉は女性とともに建物の中へ消えた。

「ママはどこに行ったのー?」

「いいところさ」

 尋ねてきた愛娘に心配しないよう告げてから、春道もまた建物の中に入る。
 すでに何度か訪ねてるだけに、内部の構造はある程度、頭の中にインプットされていた。

「葉月はここだ」

 建物内のひと部屋に愛娘を案内する。そこには年配の女性がいて、葉月を受け入れてくれる。
 年配の女性に葉月を任せたあとで、春道はさらなる移動を開始する。

 今度は自分の準備をするためだった。やはり建物内のひと部屋に入り、そこに用意されていた衣装を手に取る。
 和葉と葉月のは良い思い出になるだろうと購入したが、春道のだけは貸衣装だった。
 正直な話、タキシードなんぞが自室にあっても、邪魔以外の何物でもなかった。

「多分、これが最初で最後の機会になるんだろうな」

 ひとりぼっちの部屋で、用意されていたタキシードに着替えながら、そんなことを呟く。よもや自分が、こんなものを着る日がこようとは夢にも思っていなかった。

 だが不思議と嫌な感じはしない。むしろウキウキした気分になる。
 もしかしたら、これから愛する妻の美しい姿を見られるという期待感からだろうか。柄にもないと思いつつも、春道の頬は勝手に緩んでいた。

 そんな時にドアがノックされ、中にひとりの男性が入ってきた。
 教会の主ともいえる神父である。春道が結婚式を依頼した人物でもある。
 ウエディングドレスを購入した店舗のスタッフが、貸衣装も含めて、ここまで運んでくれていた。

 内部にある店舗を利用しながら、式場にホテルを利用しないのは心苦しかったが、スタッフの話ではそうした夫婦も少なからずいるみたいだった。
 安心というわけではないが、多少気が楽になり、春道は今日という日を迎えた。

「ご気分はどうですか」

「何か……変な気分です」

 嘘偽りのない正直な気持ちだった。
 期待と不安と緊張と興奮と、様々な感情がいっしょくたになっている。

 春道自身は別に、してもしなくても構わないと思っていたが、やはり特別な儀式なのだろう。本番前の独特の緊張感は、これまでの人生で一度も経験のないものだった。

 ついでにいえば、クリスチャンでないにもかかわらず、新婦にウエディングドレスを着せて結婚式をしようとしている。
 古来より日本では神前結婚が行われてきたが、現代ではそうした意識も低くなっているように思える。
 時代の流れといえばそれまでだが、宗教に厳しくないこの国ならではの文化なのかもしれない。

「皆さん、式の前では同じですよ」

 何組もの夫婦の誓いを聞いていた神父が、柔らかく微笑む。つられて春道も自然に笑みを浮かべる。
 神父にも準備があるのですぐに立ち去ったものの、式前に誰かと話せたおかげでだいぶリラックスできた。

 室内に用意されていた椅子に座っていると、やがて年配の女性が春道を呼びに来た。
 椅子の上で大きく深呼吸をしたあと、春道はゆっくりと立ち上がった。

   *

 親族すら呼んでいない教会に、花嫁姿の和葉がゆっくりとやってくる。
 すでに春道は配置についており、その様子をじっくり眺める。
 ウエディングドレスを身に纏っている母親の側には、こちらもおめかしをしている愛娘が寄り添っていた。

 教会の関係者だけでなく、衣装を届けてくれたお店のスタッフも式にボランティアで協力してくれている。
 ウエディングドレスを買ったのだから当たり前ではなく、そういった優しさに素直に感謝する。

 自宅を出発した直後はほとんどすっぴんだったのに、間近にきた和葉の顔にはしっかりとメイクが施されている。
 化粧をした愛妻は普段よりもずっと綺麗で、春道はたまらず惚れ直しそうになる。

「……本当はサプライズなんて、柄じゃないんだけどな」

 照れ隠しに呟いた春道へ、和葉が笑顔を見せてくれる。

「ええ。ずいぶん驚かされました」

 式はいらないと言っていた和葉だが、実際に開始されると心から嬉しそうにしてくれた。
 瞳がかすかに潤んでるように見えるのは、決して気のせいではないだろう。春道の胸にも、熱い思いがこみ上げてくる。

 互いに見詰め合ったあとで、いよいよ本格的に式が開始される。

 だがここからは、従来の結婚式とは一風変わったものになる。
 春道は愛娘の葉月を手招きする。そして小さな手を握ると、自分と妻の丁度真ん中に立たせた。
 意図を察した和葉が葉月のもう片方の手を握る。いつか写真を撮った時みたいに、家族全員が横一列に並んだ。

「俺たちを結びつけてくれたのは葉月だ。
 だから……この方がいいと思った」

「賛成です。春道さんも、たまには良い考えをするのですね」

 たまにじゃなくて、いつもだろと言おうとした矢先、葉月に「本当だねー」と先に言われる。
 春道は喉元まで出かかっていた台詞を飲み込むしかなくなり、代わりに「おい……」と短いツッコみを入れるのが精一杯だった。

 家族のやりとりを微笑ましげに眺めていた神父が、結婚式では恒例となっている言葉を口にする。
 夫婦の誓いのあと、執拗に頼み込んで特例で承諾してもらった家族の誓いの儀式が行われる。

「いつ、いかなる時も、二人の娘であることを誓いますか?」

 神父に問われた葉月は、元気な声で「はい、誓います」と答えた。
 満面の笑みを作っている少女がいなければ、春道と和葉は話をする機会すらなかったかもしれない。そう考えると不思議だった。

 偶然か運命かはわからないが、春道たち家族には確かな縁がある。それだけは自信を持って言えた。
 母娘の嬉しそうな顔を見ていれば、それだけで春道も幸せになる。これが家族かと心温かになり、改めて現在までの日々に感謝する。

 春道がやりたかった他の誰も入られない家族三人だけの結婚式。
 たくさんの人間に祝福されるのもいいが、こういうのを望む人間がいても罰は当たらないだろう。
 親不孝と言われるかもしれないが、これでいいんだと春道も自分自身へ言い聞かせる。

 しんみりとしてる時間はあまりなかった。午後からは、合同での披露宴が行われるのだ。幸か不幸か、披露宴が行われるのは、春道が衣装を調達した店があるホテルだった。

 簡素でありながら、心が満たされた結婚式を終えれば、すでに時間は正午近くになろうとしていた。

 次に待ってるのは披露宴であり、素敵な結婚式でしたと祝福してくれた神父たちに別れを告げて、春道は和葉と葉月を車に乗せた。

「いけません。あまり乱暴にしたら、ドレスに汚れがついてしまいます」

 車へ乗り込むなり、助手席の和葉が心配顔で注意してくる。

「そうか。確かに買ったものとはいえ、汚れがつくのは勿体ないな。気をつけよう」

「そうですよ。貸衣装を汚くして、弁償なんて……
 え? あ、あの……今、何とおっしゃいました?」

 恐る恐る尋ねてきた愛妻へ、ウェディングドレスを購入した事実を教える。

「な……何を考えているのですか」

「嬉しくないのか?」

「そ、それはもちろん嬉しいです。
 で、ですが、それとこれとは……」

 和葉が心配しているのはわかる。生活に苦労するほどでもないが、贅沢できるレベルではない。それが春道の年収だからだ。
 生活費が少なくなれば、当然のごとくしわ寄せは娘の葉月にもいく。自分たちだけであれば我慢できるが、娘にまで不必要な忍耐を強要したくないのは春道も同じだった。

「大丈夫だ。小遣いを使ったからな」

 そう言って春道は得意気に笑う。結婚する見返りとして約束された毎月のお小遣い。それを春道はほとんど使っていなかった。
 使わない貯金にしておこうと、別口座を作ってそこへ振り込み続けた。
 生活費もろくに使わなかったので、自身の仕事の報酬もそちらへ貯めていた。

 高木家の財政を担うことになってから、妻に預けた通帳は報酬を振り込んでもらえる通常のものだった。
 それ以来、個別に貯金することもなくなったので、半ば別口に作った通帳の存在を忘れていた。

 披露宴をすると決まり、ひとりリビングで考えていたあの夜に、春道はタイミング良く通帳の存在を思い出した。
 翌日に残高を確認すると、結構な額が貯まっていた。ウエディングドレスと葉月用のドレス。さらに式場を確保しても、まだお釣りがくるぐらいである。

 これならば、自分たち披露宴を行っても大丈夫じゃないか。そう思ったが、すぐに春道は考え直した。
 ホテルで披露宴を行ったところで、呼ぶ人間があまりいない。それなら、あとでそれぞれの地元に帰った時でも、仲の良い友人や親族と騒げばいい。
 形式的な披露宴であれば、幸いにして泰宏の主催で行われる。それで充分だと考えたのである。

「パパ、お金持ちだったんだねー」

「ハハハ、まあな」

 笑顔の春道を、助手席にいる愛妻が何故かジト目で見つめてくる。

「私としては、どうしてその通帳の存在を、今の今まで隠していたのかが気になりますが……」

「だ、だから、忘れてたんだって。本当なんだから、変に勘ぐるなよ。ちゃんと家に帰ったら、そっちの通帳も渡すし」

 別にやましいことは何ひとつないのだが、責めるように問われると、どうしてもどもってしまう。普段なら逆に怪しまれるところだが、今日はせっかくの記念日である。

 入籍はずっと前に済ませているので、言うなれば結婚式をした日になる。女性に限った話ではないが、こと和葉にいたっては記念日が好きなタイプなので、記憶しておいて損はない。むしろ覚えてないと大変な事態になりそうな予感がする。

「わかりました。春道さんの言葉を信じます」

「葉月もー」

 ウエディングドレスではないが、葉月のも純白のドレスだった。
 お姫様にでもなった気分に浸ってるのか、ほんの少しだけいつもよりおしとやかにしている。

「さあ、もうすぐ披露宴会場のホテルに着くぞ」

 すでに時刻は午後一時を過ぎている。予定通りに進行していれば、戸高家と高木家の合同披露宴は始められているはずだった。

「あ、あの、春道さん。私……この恰好で、どうやって会場まで行けば……」

 到着する時刻を伝えてるわけでもないので、スタッフが出迎えに来てくれてる確率は低い。ならば、とるべき方法はひとつしかなかった。

「せっかくウエディングドレスを着てるんだ。和葉もお姫様みたいになってみるか」
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