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男と女の婚活物語(2)

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 また自分は何か失敗してしまったのだろうか。
 急に黙りこくってしまった女性を前に、戸高泰宏は不安で一杯になっていた。

 緊張のしすぎで加速する鼓動が、さらなるパニックへ泰宏をいざなう。重要な会議でも、ここまでの状態になったりしない。明らかに平常心を失っていた。
 泰宏がバイキングで料理を取りに行きませんかと提案したところ、相手女性は悲しげに俯いてしまった。
 先ほどまでの笑顔が嘘みたいに、纏っている雰囲気は暗く沈んでいる。

 もしや――。

 祐子が消沈した理由に思い当たり、泰宏はハッとした。
 女性といえば連想されるのがダイエット。ご多分に漏れず、前方にいる可憐な女教師も努力してる最中だったのだ。

 なんてこったと泰宏は頭を抱える。
 常日頃から、冷徹なまでに厳しい妹から他人への配慮が足りないと指摘されていたが、よもやお見合いパーティーと称しても過言ではないイベントで、痛感するはめになるとは予想だにしていなかった。
 こんなことなら正月に妹家族が実家へ里帰りしていた際、もっと積極的にスキンシップをとっておけばよかった。

 とはいえ、それはそれで兄妹間に修復不可能な亀裂を発生させるような気もする。
 やはりこれでよかったのだとひとり納得したあとで、根本的な解決策を何も見出していない自分自身に愕然とする。

 何か言わなければ……。
 まずは傷つけてしまったであろう祐子の心をフォローするのが先決だった。
 ここは男らしく素直に謝罪して、責任を取る必要がある。

 だが、それを上手に伝える言葉がなかなか見つからない。楽しそうに談笑する参加者が多い中、泰宏と祐子の間にだけ奇妙な緊張感が発生していた。

 特殊な現状もまた、泰宏をテンパらせるのにひと役買っていた。
 その結果、次の瞬間に、とんでもない台詞を発してしまった。

「自分と……結婚してください!」

 即座に周囲がシンとする。
 直前まで俯いていた祐子も顔を上げて、目をパチクリさせている。

 ここで泰宏は改めて、自分の発言を整理してみる。

 祐子を傷つけてしまったようだ。
 これは大変だ。
 責任を取らなければ。
 責任を取るといえば……そうだ、結婚だ。
 それなら、プロポーズをしよう。

 これで万事解決する――
 ――はずがなかった。

 自らがしでかしたとんでもない行動に気づいても、一度口から出た言葉を引っ込めるのは不可能である。
 泰宏は途方に暮れるしかなかった。

   *

「自分と……結婚してください!」

 突如行われたプロポーズに、小石川祐子はしばし呆然としていた。

 自らの過去を思い出しているうちに、気づいたら沈黙が舞い降りていた。それを打ち破ったのが、先ほどの泰宏の言葉だった。
 叫ぶように発せられた台詞は、ものの見事に賑やかだったイベント会場をシンとさせた。

 よもや集団お見合い的なこの場で、いきなりプロポーズをする人間がいるとは、誰ひとり想像してないに違いなかった。もちろん祐子もである。
 告白をされた経験はあっても、ここまで直球な愛の言葉は記憶にない。それだけに、相手の求愛はストレートに祐子の心へ突き刺さった。

 周囲がザワつきだすと、急激に恥ずかしくなってくる。鏡を見なくとも、赤面しているのがわかる。
 これほどまで顔に熱を帯びたのも、ずいぶん久しぶりだった。あまりに気まずくなり、相手の顔を直視できなくなる。

 しばらくは周囲のザワめきをよそに、祐子と泰宏の間に不自然な沈黙が流れる。
 相手男性も何も言ってくれず、静かな時間が延長されていった。ある種独特な空気に耐えられなくなり、おもいきって祐子は視線を上げた。

 すると、プロポーズをした男性の方が気を動転させていた。決意して口にしたわけでなく、何かの弾みでポンと出ただけなのだと察する。
 祐子が相手の顔をじーっと見つめていると、余計に焦りだした。

「いや、あの……今のはですね。責任をとるためというか……」

「……はあ」

 完全に慌てており、何が言いたいのかもよくわからない。まずは何の責任をとるつもりだったのか、から明らかにする必要があった。
 質問してもまともな回答があるかは疑問だが、とりあえず尋ねてみる。

「あの……責任とか、何の話ですか?」

「そ、それは、自分が至らないせいで、小石川さんに悲しい思いをさせてしまいました」

 再び祐子は「はあ……」と小首を傾げる。いつどうやって悲しくさせられたのか、まったく見当がつかない。
 相手男性が混乱しているだけかと思いきや、そうではないみたいだった。言いにくそうな顔をしながら、チラチラと祐子を見てくる。

 泰宏には思い当たるふしがあるのだろう。
 とはいえ、相手の思考を読めるような超能力など祐子にはない。説明してもらわなければ、永遠にわからないままである。

「申し訳ないんですが……何の話をされてるのか、私にはわかりかねるのですが……」

 祐子が言うと、泰宏が意外そうな顔をした。そのあとで、やはり言いにくそうに口を開いた。

「失礼ですが……ダイエットをなされていたのでは……」

「――は?」

 三度目となるリアクションだった。
 どこをどう解釈すれば、祐子がダイエッターになるのだろうか。ますます、どういう対応をすればいいのか、わからなくなった。

   *

 もしかして……また失敗してしまったのか。
 戸高泰宏は内心で頭を抱えた。

 相手の反応が妙だったので、おもいきって聞いてみたのだが、結果は失敗に終わった。
 どうすれば状況を立て直せるのかわからないまま、悪戯に時間だけが過ぎていく。何か言わなければと思うのだが、場に相応しい台詞が浮かんでこない。

 何せ、つい先ほど、いきなりの公開プロポーズをしてしまったばかりなのだ。今思い出しても、顔から火が出そうになる。
 しかも、どうやら相手女性はダイエットをしてはいないみたいだった。完全に泰宏の勘違いであり、無駄に恥をかいて終わった。

 祐子からすれば、責任を取ると言われても困るだけである。これまでの微妙なリアクションの理由がわかったまではいいものの、今度は求婚についての弁解が大変になる。
 下手に誤魔化そうとしても泥沼にはまりそうなので、泰宏は正直にプロポーズにまで至った経緯を説明する。

「不用意に場を騒がせてしまいました。申し訳ありません」

 泰宏が頭を下げた頃には、現場の混乱もだいぶ収まっていた。
 落ち着きを取り戻した会場とは対照的に、泰宏の心は未だザワついたままだった。

 いくら混乱していたとはいえ、よりによって初対面の女性へ求婚するなど論外である。ひと目惚れしたのならともかく、勝手な勘違いの果ての出来事だった。
 罵倒はもちろん、怒鳴られるのも覚悟の上。だからこそ、正直に告白した。
 恐る恐る相手の反応を窺うと、わずかにきょとんとしたあとで、いきなり笑い出した。

「そうだったんですか。それで納得しました。
 戸高さんって……愉快な方ですね」

 呆れられているかと思いきや、相手女性の表情は非常に楽しそうだった。
 とはいえ、人間は建前で生きてる生物なだけに、平気で嘘をつける者もいる。
 不快感を覚えていたとしても、愛想笑いぐらいは誰でもできる。表面上のリアクションだけで判断すれば、必ずあとで痛い目を見る。

「それで、私はプロポーズのお返事をすればいいんですか」

「――え?」

 問われた瞬間に、泰宏はなんとも間抜けな声を発していた。
 その様子を見ていた祐子がケタケタ笑う。
 ここで初めてからかわれているのだと気づき、思わず赤面する。

「あ、あまり、虐めないでもらえますか」

 完全に主導権を相手に握られている。奪い返そうにも、年上なはずの泰宏が子供扱いである。
 すでに結婚して嫁にいってる妹の和葉とは、また違ったタイプの女性だった。

 交際してきた歴代の恋人女性陣の中にも見当たらない。
 それだけに新鮮味があり、会話時間が増加するほどに惹かれる。
 他の女性とも話してみようといった気にはなれず、ひたすらに小石川祐子と言葉を交わした。

   *

 ようやく判明したプロポーズの正体に、小石川祐子は笑いを抑えることができなかった。もの凄い計算式が頭の中でなされて、辿りついた解答が求婚だったのである。

 ほんのわずかな沈黙だけで、そこまで考えられるのはある意味才能だった。
 パニック状態へ陥っていたせいもあるだろうが、これまでに出会ったことのないタイプだ。

 それがとても新鮮で、祐子に会話を続ける意欲をもたらした。なんだか楽しくなってきて、自然と相手男性に意地悪までしてしまった。
 どんどん気分も明るくなり、泰宏との会話も弾んだ。慣れてくると、相手男性の口調も軽やかになった。
 暗いタイプではなく、基本的にお喋り好きなのかもしれない。

「戸高さんは、ご趣味とかはありますか」

 恋人同士の会話であれば、ぎこちない限りだが、祐子が現在いるのはお見合いパーティーの会場なのだ。相手の趣味を尋ねても、何ひとつ不自然ではなかった。

「そうですね……最近だと、蕎麦打ちでしょうか」

 三十代の男性にしては、少し意外な回答が返ってきた。想定していない返答なだけに、どう応じるべきかわからなくなる。

「素敵ですね」

 とりあえずは、無難な観想を口にする。自分の趣味が理解されたと判断したのか、泰宏がとても嬉しそうな顔をする。

 まるで子供みたいね。

 覚えた印象が妙に可笑しくて、気づけは祐子の唇は笑みの形を作っていた。あまりにもナチュラルな仕草になったため、当人の祐子でさえ驚いたぐらいだ。
 とはいえ、それを表情に出したら、変な人扱いされるのは間違いない。微笑を浮かべたままで、相手男性との会話を進める。

 あまり興味のない話でも、相手へ不快感を与えないよう適度に相槌を打つ。相手の最後の言葉を、一部分だけ切り取って繰り返したりするのも効果的だ。これは祐子が、水商売をしている友人から教わったテクニックだった。
 初めて実践した際、予想以上に効果があったので今でも重宝している。案の定、泰宏も良い気分になっている――ような様子は見受けられなかった。

 口元では笑みを作っているが、真っ直ぐに見据えてくる真剣な眼差しは、こちらの考えをすべて見透かしているみたいだった。
 思わずドキリとした祐子は、相手の両目に引き込まれそうになる。

「蕎麦はお好きですか」

「え? え、ええ……」

 好きか嫌いかで問われれば、前者になる。別段アレルギーもないし、三食続いても飽きないというほどではないけれど、昼食などでもそれなりに食べたりする。

「それなら今度、一緒にどうですか」

 美味しいお蕎麦でも食べに行きませんか。
 そう誘われてるのだと思い、祐子は満面の笑顔で「いいですね」と相手男性の申し出を了承した。

 戸高泰宏という男性を気に入り始めていたので、一緒に食事するぐらいは問題ないと判断した。
 祐子の返事を聞いて、泰宏が顔をパっと輝かせる。

「それじゃあ、いつにしましょうか」

   *

 思いの他、とんとん拍子で話が進み、いやが上にも泰宏の期待感は高まっていた。よもや自宅への招待を、これほど簡単に受けてくれるとは想像していなかった。

「応じてもらえて幸せです。いつ来ていただけますか」

 再度、相手のスケジュールを確かめようとしたところ、常に微笑を浮かべていた祐子の顔が驚きに包まれた。
 想定外の反応に泰宏もあれ、という印象を強くする。

「あの……何の話をしてるのでしょうか」

 申し訳なさそうに口を開いた相手女性は、戸惑いを隠せないでいた。
 態度を見て、ようやく泰宏は自分がまた勘違いをしたのではないかという結論に至る。

「ええと……先ほど、お蕎麦を一緒にどうですかとお誘いしました」

「はい。私も応じました」

 まるでテストの答え合わせでもしてるみたいだなと、泰宏は内心で苦笑する。
 もしかすると相手女性も、こちらと同様の感想を持ってるかもしれない。途中まで互いの認識が合っているのを確かめた上で、泰宏は言葉を続ける。

「ですので、いつお伺いしていただけるのかなと」

 ここで再び、目の前にいる女性が訝しげな顔をする。

「お伺い……というのは」

「え? 私の自宅です。手打ち蕎麦を披露するわけですから」

 泰宏が理由を説明すると、ようやく合点がいったとばかりに祐子は「ああ」と頷いた。

 相手のリアクションで、泰宏もまた「ああ……」と呻くように呟いた。
 やはり自分は勘違いをしていた。正確には、二人揃って違う認識をしていたのである。

 考えてみれば、お見合いパーティーで出会ったばかりの女人を、いきなり自宅へ誘う男の方が珍しい。普通はどこかのレストランで、デートとして食事をする。
 その席で話が合ったりするなどして、初めて「このあと、私の家へ来ませんか」と新たな展開への選択肢を示せる。

 要するに泰宏は、それらの前段階をすべてすっ飛ばして、いきなりラストオーダーをしてしまったも同然なのだ。相手が驚くのも当たり前だった。
 だが出した言葉を今さら引っ込ませるのは不可能。このまま、押し切るしかなかった。

「いや、そのですね、変な意味はまったくなくてですね。何と言えばいいのか……」

 駄目だ。
 己の現状認識を、泰宏はそのひと言で終えた。他意がないのを説明するつもりが、怪しさ大爆発である。
 ほぼ確実に断られる。怒声を浴びせられるのすら覚悟していたが、相手女性の返答は想定と真逆のものだった。

「わかりました。いいですよ」

「……へ?」

 自宅へ誘った泰宏の方が間の抜けた声を出す。それを見て、またも祐子が楽しそうに笑う。何故だかこちらが恥ずかしくなり、湯気が出そうなぐらい顔が熱くなる。

「うふふ。どうかしたのですか」

 悪戯っぽく笑う相手女性がなんとも可愛く見え、気分を落ち着かせるどころか、余計に動悸がしてくる。
 額に汗が浮かび上がり、選抜メンバーが一滴二滴と顔の真ん中へ飛び出そうとしている。

「あ、ありがとうございます」

 ようやく泰宏が搾り出したのは、自分でもビックリのお礼だった。

   *

 一緒に美味しい蕎麦屋へ行きましょう。
 祐子は、前方にいる男性から、そう誘われていると解釈していた。

 けれど相手の意図は違った。今回のお見合いパーティーで知り合ったばかりの祐子を、なんと自宅へ誘ってきたのである。
 普通なら眉間にしわでも寄せて、嫌悪感を露にしてもおかしくない。
 けれど、不思議とそういう気分にはならなかった。これも泰宏が持つ特性のひとつかもしれない。

「それで……いつお伺いすればよろしいですか?」

 しどろもどろに変な意味はなかったと説明する相手男性が微笑ましく思え、不意にからかってみたくなった。ついという言葉は変かもしれないが、気づけば泰宏の家へ行くのを了承していた。

 とりたてて危険は感じないし、泰宏への興味もある。相手宅へお邪魔して、手打ち蕎麦を頂くのも悪くないと考えていた。
 とはいえ、それより先の展開を許すつもりは毛頭なかった。仮に泰宏が邪心を抱いていたとしても、そう簡単にいくとは思っていないだろう。

 人によっては、女ひとりで男の家へ行くのは危険極まりないと言うに違いない。けれど祐子にも言い分はある。
 これまで数々の男性と交際してきており、どのようなタイプが危ないかは大体わかっていた。

「こちらはいつでも大丈夫です。そちら都合の良い時にしましょう」

 しばらくからかって遊ぶつもりが、きちんとした回答が相手から返ってきた。

 あら、意外と早く立ち直ったわね。もう少し強く迫ってみようかしら。

 そんないけない悪戯心が芽生えてくる。
 けれどお見合いパーティーの時間も無限ではなく、もたもたしているとせっかくの機会を失う可能性もある。遊び心をしまって、祐子は真面目にスケジュールを考える。

 教師をしているだけに、平日の日中は何かの行事の振り替え休日でもない限り、誰かと遊んだりするのは無理だった。そうなれば必然的に会える日が決まってくる。

「それなら、日曜日でもよろしいですか」

 祐子の指定を、相手男性は快く承知してくれた。何気なしに参加したお見合いパーティーで、まさか本当に良い出会いがあるとは想定していなかった。
 これぞまさしく嬉しい誤算である。今さら他の男性とお喋りする気もないので、祐子は時間終了まで戸高泰宏と食事等をしながら楽しんだ。

 主催者の退屈な締めの挨拶で、今回のお見合いパーティーは閉幕した。泰宏狙いの女性がいたのか、同性の参加者から、恨みがましい視線を向けられた。
 罪悪感は覚えない。他人に遠慮していたら、幸せを手に入れるのは難しい。非情と言われようが、時には自分本位の行動も必要となる。

 同時に、こうした妬みの眼差しを味わうのも久しぶりだった。若干の優越感に浸りながら、会場をあとにして外へ出る。

 すると先に退出していた泰宏が立っていた。どのような用件か聞くまでもない。相当数の確率で、祐子を待っていたのだ。自惚れでも何でもなく、客観的な事実だった。

「もしかして……ストーカーさんですか」

 祐子を見るなり表情を崩した男性へ、わざと甘え口調で意地悪な発言をする。
 周囲を気にしながら照れ笑いを浮かべる――かと思いきや、意外と落ち着いた態度で対処してくる。

 あれ、と内心で小首を傾げる。普通の男性とは、やはりどことなく違う。このような面が、祐子の興味を惹いた一因かもしれなかった。

 具体的な話し合いは済んでいるので、恐らくは最終的な確認をしにきたのだろう。他の参加者たちが続々と帰っていく中で、祐子だけは泰宏と立ち止まっての会話をしていた。
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