空を舞う白球

桐条京介

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第40話 まだ三振したわけじゃないでしょ!

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 今回は練習も同然の勝負だからまだいいが、これが真剣勝負の場となるとそうも言っていられない。簡単に三振していい場面なんて、まったくといっていいほど存在しないからだ。

 数打席とはいえ安田学との勝負を経験して、勉強させてもらったことは幾つもある。それらを踏まえれば、カウントが追い込まれるのは打者にとって不利だとわかる。

 プロ野球をテレビで観戦している頃は、ツーストライクからが勝負だと勝手に判断していたが、素人考えでしかなかったと思い知らされる。

 あくまでも淳吾の力量による感想なので、プロの野球選手には当てはまらないかもしれない。だが上ばかり見ても仕方ないので、今の自分の実力を基本に対応を考えなければならなかった。

 プロではなく初心者も同然の淳吾がツーストライクに追い込まれると、相手投手に手も足も出なくなる。完全な決め打ちでは、狙ってないボールが来たら対応のしようがない。先ほどの2球目を見逃した状況を考えれば明らかだった。

 狙い球を絞ったバッティングをするのであれば、追い込まれるまでにどうにかする必要がある。ツーストライクになってしまったら、三振を防ぐために全球種へ対応しなければいけなくなる。

 今の淳吾の打力は無理難題もいいところだが、あとワンストライク取られれば三振になる現状ではチャレンジするしかない。真っ直ぐと変化球の中間くらいでタイミングをとって、両方をなんとかしなければ三振するだけだ。

「次で4打席目も終わりだな。いい加減に空振り以外の音を聞きたいと思ってたら、見逃しをするくらいだ。どうせ今度も三振だろ?」

 挑発しまくる安田学に、小笠原大吾が「いいから早く投げろ」と怒鳴るように要求する。それを受けて投じた3球目はスライダーで、対応できないままに淳吾は打席の中で一回転をしてしまった。

 しりもちこそつきはしなかったが、大勢の人が見てる前で間抜けな姿を晒したのは事実だった。だからといって、必要以上に悔しがったりはしない。

 あるとすれば、何打席もチャンスを貰っておきながら、一向にものにできない自分自身への怒りくらいのものだ。不甲斐ない、情けないと心の中で叫んでも4打席連続三振の結果はなくならない。

 やはり両方の球種を追いかけた結果、まともなバッティングはできなかった。一様にすべての球種を待つのではなく、真っ直ぐを待ちながら変化球に対応するなどの方法を選ぶべきなのだろうか。ひとり悩んでも、初心者の淳吾には正解を導き出せる知識もない。

 誰かに聞くのは簡単だが、せっかくだから安田学との5打席勝負を自分なりに終えてからにしようと決める。それにこれまでの対戦で、すでに幾つものヒントを貰っている。

「それじゃあ、5打席目だ。とはいっても、これだと勝負にならねえな。最後の打席だけは、前に飛ばせたらお前の勝ちでいいぜ」

 あまりにも淳吾が打てないので、すっかり安心しているのだろう。今までになく調子に乗りまくりの安田学が、こちらに有利すぎる勝敗の条件を出してきた。

 最初から淳吾は勝ち負けをあまり気にしてなかったので、小躍りして喜んだりはしない。どうやって自分のタイミングでスイングできるかが問題だった。

 追い込まれるまでは狙い球を細かく設定して待ち、追い込まれてからは真っ直ぐのタイミングで待ちながら変化球に対応する。初心者の淳吾には難しい注文になるが、せめてこのくらいはできないとピッチャーと勝負できそうもない。

 とにかく、今持っている実力を全部出し切って、対戦してくれている投手の安田学にぶつけたかった。その上で5打席連続三振で終わったとしても、きっと納得できる。

   *

 5打席目の勝負が開始される。淳吾が初球の狙い球に決めたのは、一番打つ練習をしてきたと断言できるストレートだった。

 遅い球――つまりは変化球を狙っている状態で、速い球を投げられたら対処できる自信がなかった。それよりは、逆パターンの方がなんとかできるような気がした。

 間違っているのだとしたら、勝負が終わったあとの教訓にすればいい。すべてが勉強なのだ。極端に結果を恐れる必要はない。

 投じられた安田学の1球目は、狙っていた真っ直ぐでなく、スライダーよりも遅い変化球のカーブだった。

 真横へ滑るように移動していくスライダーと違って、安田学のカーブは綺麗な曲線を描いてキャッチャーミットまで到達する。真っ直ぐとは速度も軌道も違うので、そう簡単に対処できるようなボールではなかった。

 このまま見逃そうかとも思ったが、スイングができる準備だけは整っていたので、淳吾は空振り覚悟――というか、空振りをしようと全力で両手に持っている金属バットを振った。

 もとより当てるつもりはなかったので、5打席内の中でもっとも豪快な空振りが発生した。自分では覚悟の上だったので、淳吾に戸惑いはまったくない。だがマウンド上にいる安田学の反応は、これまでとは少し違った。

「ヤケクソで大降りしても、絶対に当たらないぞ。自分の実力に見合ったスイングをしやがれっ!」

 本気で怒ってるようでいながら、どことなく困惑してるような様子も見られた。そこに違和感を覚えた淳吾は、立っている打席内で小首を傾げた。

 捕手をしてる男性が、小声で「意外とピッチャーには、豪快にスイングされるのを嫌う奴も多いんだよ」と教えてくれた。どうやらマウンドに立っている安田学も、そうした感情を持ってるみたいだった。

 打者である淳吾の立場からすると、大振りはなかなかボールを捉えられる感じがしないので避けたくなる。それぞれのポジションで大きく考え方が異なるのだなと、変に感心する。

 そういえば初めてホームランを打った体育の授業でも、何も考えないで豪快なスイングを全力で披露した気がする。大振りが好結果を生むかどうかは不明だが、下手に当てにいくだけのバッティングよりはいいのかもしれない。

 そこらへんも考慮しつつ、淳吾はこの最終打席での2球目を待つ。1球目で狙ってもない変化球を大振りしたのは、別に安田学の隠されていた感情を露にするためじゃない。自分の待ち球を誤魔化すためだった。

 変化球を待ってましたと言わんばかりに大振りしたら、相手投手が勝手に警戒してくれて、ストレートを投げてくれる確率が上がるんじゃないかと単純に思った。

 追い込まれたら、ほとんど終わりな状況なのはわかっている。全部の球種に合うようなタイミングをとるべきじゃないかという考えも浮かんできたが、大急ぎで邪念も同然の弱気な提案を追い払う。

 迷えば迷うほどに打席での対処は遅れ、結局どっちつかずのまま不本意な結果に終わる。そうなるくらいなら、覚悟を決めて一か八かの賭けに出るべきだ。

 そもそも淳吾は全部の球種を待って、器用に対応できるほどの打者じゃない。どちからといえば不器用なのだから、狙い球を絞る現在の作戦が一番性に合ってるような気がする。

 マウンドで振りかぶる投手の安田学をじっと睨み、相手の投球フォームに惑わされないようにしながら、左足で自分のタイミングを探り続ける。

 腕の振りが極端に揺るんだりすることもなく、マウンドから安田学がボールを放つ。狙いはストレート。相手が投じたのも、待っているのと同じストレートだった。

   *

 ――来たっ! 心の中で強く叫んだ淳吾は、金属バットを握っている両手に力を込める。上げた左足はすでに打席内の土を踏みしめており、スイングをするための準備は着実に進行していた。

 変化球を投げられていたら途中で修正しなければならないが、向かってくるのは直球なだけに、このまま打撃動作を完了させればいいだけだった。

 コースは真ん中よりやや高めだが、感覚的にはこれまでの打席で振らされてきた釣り球よりも低く感じられる。ストライクかボールかは迷うところだが、コントロールの良い安田学が淳吾を相手に、わざわざ2球目でボール球を使用するとは思えなかった。

 終えてきた4打席の対戦でも、無駄球は一切使わずに淳吾を追い込んできた。その点を考慮すれば、今回のボールもストライクコースを通過する可能性が高い。スイングの途中で迷いを消し、全力で安田学のストレートを狙い打つ。

 この球を打つ。心の中で決めると同時に、淳吾の両手に力が入る。グリップをギュっと握り、向かってくるストレートボールに対してバットを出す。アッパー気味なのを考慮したスイングだ。

 ――キィン! 渇いた音が響いたと思ったら、淳吾の両手にズシンとした衝撃が伝わってきた。これまでにない感覚を味わってるうちに、バックネットからガシャっという音が聞こえた。

 急いで背後の様子を確認すると、淳吾が打ったと思われる硬球が、キャッチャーをしてくれてる男性の後ろを静かに転がっていた。今も揺れているバックネットを見れば、どこにファールを打ったかは明らかだ。

 狙った球がきて、思い描いたとおりのスイングはできたはずだった。バッティングセンターでの経験を活かし、どうすればボールにバットが当たりやすいかも考えて振った。

 おかげで確かに打つことはできたが、結果はファール。空振りよりはマシかもしれないが、カウント的に追い込まれたのは間違いない。淳吾は心の中で「くそっ!」と自分自身への怒りを吐いた。

 ツーストライクになってからの対応もある程度は考えていたとはいえ、可能なら追い込まれるまでになんとかしたかった。最高のチャンスも得られたのに、みすみすその機会を逃してしまった。

 苛立ちをどこかへぶつけたい気持ちに支配され、地面を睨みつけながら下唇を強く噛む。痛みなんて感じない。悔しさだけが淳吾の中に広がる。

 誰の声も聞こえなくなりそうな精神状況に追い込まれた淳吾の耳に、突然、場の空気をすべて切り裂くような怒声が届いてきた。

「まだ三振したわけじゃないでしょ! 気持ちを切り替えて、次に望みなさいよ! 男でしょ!」

 バッティングセンターで初めて会った時に、ボールを打ちながら「係長のバカヤロー」と怒鳴ってたシーンが思い出される。小笠原茜は、淳吾の態度に本気で腹を立てているみたいだった。

 おかげで冷静さを取り戻せた。直前までの自分の姿を、客観的に想像できるようにもなった。先ほどの2球目を打ち損じた事実よりも、ずっと情けなくなる。

 淳吾はまだ初心者で、最初からすべてが上手くいくはずもない。理解していたはずなのに、絶好のチャンスを逃したせいで、周りどころか自分すら見えなくなってしまっていた。

 あんな状態で安田学との対戦を再開しても、納得できる結果なんて得られはしない。自分の態度が、せっかくこういう機会を設けてくれている人たちに失礼だったんじゃないかと思えるようになった。

 キャッチャーをしてくれてる人や、見守ってくれている小笠原大吾に源さん。3球目を投じようとせずに、マウンド上でこちらの準備が整うまで待ってくれていた安田学へ丁寧に頭を下げて謝罪する。

 最後はベンチで叱ってくれた小笠原茜に頭を下げた。おかげで目が覚めましたと伝えるために苦笑いを浮かべる。

 それでいいのよと言いたげな小笠原茜の微笑みに安堵してから、改めて淳吾は打席内でバットを構える。安田学がこれから投じる3球目を待つために。
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