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第31話 ほかほか、なのです

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「ぐ、うう……ナ、ナナ……」

 ようやく手の届く距離まで近づけたカイルは、腕を伸ばして土と埃で汚れたナナの頬を優しく撫でた。

「じーじが……来て、くれたな……」

「うん、なのです……でも、じーじ、勝てない……のです……」

 仰向けに倒れているナナが見つめる先では、空を埋め尽くさんばかりに巨大なドラゴン同士が激突している最中だった。

 炎で仕掛けるだけでは埒が明かないと判断し、爪や尾を使った直接戦闘に切り替えられている。

 人間の姿だったじーじに聞いて、カイルは知っている。以前にブラックドラゴンが、一体だけで多くのレッドドラゴンを倒したという話を。

 ナナも聞いていたからこそ、先ほどの発言になったのだろう。今にも泣きそうな目で、ブラックドラゴンに押されるじーじを見つめる。

「このまま、では、じーじも……おとーさんも、おかーさんも、皆、ブラックドラゴンに、殺されて……しまうの、です。そんなのは……駄目、なのです……」

 途中途中で咳き込みながらも、懸命にナナが声を絞り出す。

「皆を……ナナが、守る……のです。大好きだから……守るの、です……」

 にっこり笑ったナナが着ぐるみ姿のままで体勢を変え、すぐ近くまで来ていたカイルを目指して這ってくる。

 何をするのかと思っているカイルの背中へ必死に上り、おんぶをする時みたいな体勢になる。

「おとーさんは、どらごんないとに、なるのです。ナナは……おとーさんの、力に……なるの、です……」

 また肩車して戦うのかと思ったが、どうにも様子が違う。ナナの異変を察したのは、カイルだけでなかった。

「ナナちゃん……何を、するつもり、なの……? 駄目よ、やめて。皆で、一緒に……生きるの……」

 サレッタが口にした生きるという単語で、唐突にカイルはじーじが言っていたブラックドラゴンを倒せるかもしれない唯一の方法を思い出した。

「まさか……やめろ、ナナ!」

 叫ぶカイルの背中に、ナナが頬を押しつける。伝わってくる体温を確かめるかのように。

「ナナは……誇り高い、どらごんだから……平気、なのです。ちょっとだけ、おとーさんの武器と鎧になるだけ、なのです……」

 やっぱりか。カイルは心の中で叫んだ。ナナは自らの命を犠牲にして、カイルを正真正銘のどらごんないとにするつもりだった。

「駄目だ! その話は、じーじから聞いている。一度変化したら、もう戻れないんだろ!?」

「……じーじは……お喋りなのです」

「言ってたじゃないか。人間の世界で暮らすのが楽しみになったって! 美味しい料理をもっと食べたいって!」

「今でも、楽しみ……なのです。だから、おとーさんと、おかーさんのいる世界を……守りたいのです」

「守ったって! お前がいないと意味ないだろうが!」

 肉体に負った傷もダメージも忘れて、カイルは叫んだ。

「おとーさん、駄々っ子みたい、なのです……」

「何でもいいさ。ナナが生きててくれるなら……!」

「不思議なのです。出会って……間もない、ナナの……ために、どうして、そんなに……泣いて、くれるの、です?」

「ナナだって、そうじゃないか。たった数日一緒に過ごしただけの俺たちを守るために……自分の命を……」

「そうだったのです。えへへ。ナナは……とっても温かかったのです。おとーさんと、おかーさんと過ごした数日、ほかほかだったのです」

 だから……とナナは言葉を続ける。

「そのお礼……なのです。一生分のほかほかをくれた、おとーさんとおかーさんに、生きていて、ほしいのです……」

「ナナちゃん……体が……光って……」

 カイルがナナをさらに言葉で制止しようとした時、驚愕で目を見開いたサレッタが呟くように言った。視線はカイルの背に乗っているナナに向けられている。

「何を……している!? やめるんだ、ナナ!」

「お願い、なのです。おとーさん、どらごんないとになって、じーじを守って……ほしいのです。里では辛い思いもしたけど、じーじは優しかったのです。ドラゴンにはなれない、どらごんのナナだったけど、ほかほかを……た、たくさん、くれた……のです。死なせたく……ないのです」

 うつ伏せのカイルが見れるのは、ナナの様子を両目で確認していると思われるサレッタだけだった。

 同じくうつ伏せで、地面に倒れているサレッタは号泣していた。ナナを見ながら、鼻水まで垂らしそうなほどに。

「うぐっ、うえ……ナナちゃん……光に包まれて……こんな、お別れって、ないよ……」

「ごめんなさい、なのです、おかーさん。夜の町で、ナナを見つけてくれて……ありがとう、なのです……大好き、なのです」

「私もよ……ナナちゃん……」

 そう言うと、サレッタはもう見ていられないとばかりに顔を伏せた。

 もう一度だけサレッタに「ありがとう、なのです」と言ったナナは、次に軽くカイルの髪の毛を撫でた。もう片方の手は、しっかりと服を握り締めている。

「おとーさんにも、ありがとう……なのです。最初は怖かったけど……すぐに、いい人だと、わかった、のです……」

「俺も……最初は、変な子供だと思ったよ」

「えへへ。不思議……なのです。でも、今は……大好き、なのです……」

「ああ……俺もだ」

「ナナ、生まれ変わったら、おとーさんとおかーさんの……本当の子供に生まれたいのです。いいのです?」

「当たり前だろ。そうじゃないと、許さないからな」

「えへへ……約束、なの、です……えへへ……ほかほか、なのです……えへ、へ……」

 微かな笑い声がどんどん小さくなっていき、そしてカイルの背中にあった愛らしい少女の体重とともに消えた。残ったのは、ナナが愛用していた着ぐるみだけだった。

 カイルは着ぐるみを手に取り、立ち上がる。ダメージの影響はほとんど残っていない。

 着ぐるみを持った右手を見る。真っ赤なガントレットを装備していた。

 真紅に光り輝く鎧がカイルの全身を包んでいた。同じく真紅のマントが背中ではためき、左手には槍。腰元にはロングソードもある。両方とも刃まで赤い。

「それが……ナナちゃんの、鎧……なんだね……」

 うつ伏せのまま顔を上げたサレッタが、カイルの姿を見て言った。

「ああ。サレッタの瞳と同じで綺麗な赤色をしてる。やっぱり娘だよな」

「そう……かも、しれないね」

「そうだよ。悪いけど、少しだけ待っててくれ。すぐに片づけてくるよ」

「大丈夫なの?」

「そのために、ナナは俺に力をくれたんだ。それに頼まれてもいる。じーじを助けてほしいってな」

 適当な建物の近くにサレッタを運ぶ。地面に下ろしたサレッタの背を壁に持たれさせ、一度だけ笑いかけたあとでナナの着ぐるみを預けた。

 立ち上がったカイルの見据える先にいるのはブラックドラゴンだ。殺戮の衝動に瞳を輝かせ、じーじの翼を食い破ろうとしている。形勢は圧倒的にじーじが不利だった。

「まずは逃げられないように、翼を奪っておくか」

 自分の能力、戦い方は頭の中にある。まるで昔からどらごんないとだったかのように理解できていた。

 左手に持っていた槍を右手に持ち替え、全力を込めて投げる。

 真紅に輝く槍が光の軌跡を残し、一直線にブラックドラゴンを目指す。

 目の前のレッドドラゴンを殺すのに集中していたせいで、ブラックドラゴンの反応が遅れた。

 気づいた時にはもう遅い。あっさりと片翼を槍に貫かれたブラックドラゴンは、バランスを崩して驚愕に目を見開きながら地面に降り立つ。

「今のは貴様が……? そんな力はなかったはずだ。それにその鎧は……まさかっ! 混血の娘はどこへ行った!?」

 続いてレッドドラゴンが大地に降り立つ。真紅の装備に身を包んだカイルを目撃し、やはり驚きを露わにする。

「お、おお……ナナ……やはり、お前は……」

 嘆きとも諦めともとれる嗚咽を漏らすじーじに、もはや戦闘を継続する意欲はないみたいだった。

 カイルには理解できる。ナナを守ろうと、じーじは里全体を敵に回す覚悟でブラックドラゴンと相対した。にもかかわらず、ナナはもういない。自らの身を犠牲に、カイルへ力を与えたがために。

「伝説のドラゴンナイトか。確かに恐るべき存在かもしれぬが、それは通常のドラゴンが命を懸けた場合だ。混血でも変化できたのは驚きだが、所詮は我の敵ではないわ!」

 吠えたブラックドラゴンが、巨大な炎を吐き出す。ナナにぶつけていたのよりずっと大きくて勢いも強い。

 それをカイルは、当たり前のように突き出した右手で止めた。手のひらに当たる火炎を熱いとも思わず、無造作に握り締める。破裂するような音が周囲に木霊し、ブラックドラゴン渾身の炎は四散して消えた。

 あまりにも予想外すぎたのか、先ほどまで余裕たっぷりだったブラックドラゴンが愕然とする。その様子を見て笑うでもなく、カイルはゆっくりと近づく。

「間違えてくれるなよ。怒られるぞ? ドラゴンナイトではなく、どらごんないとなのですってな」

「ぐ、ぐぐ……ありえんっ! たかが人間ごときに! 混血の力を与えられたとはいえ、我が押されるなど!」

 狂ったように撒き散らされる黒炎が煩わしい。マントを振るい、手で跳ねのける。漆黒の炎をカイルが避けるには、それだけでよかった。

「調子に乗るなよ、人間がァァァ!」

 炎を吐きながら、ブラックドラゴンが尻尾を使った攻撃を加える。

 迫りくる尻尾を当たり前のように左手で受け止め、カイルは腕に力を入れて、尻尾ごと相手の巨体を持ち上げた。

 狼狽えるブラックドラゴンが何か言うより先に、力任せに地面へ叩きつけた。尻尾を離して軽く跳躍し、地面に埋まりかけていた敵の頭を踏みつける。

「本当はもっと痛めつけてやりたいところだが、ナナの命を無駄に使うわけにはいかない。決着をつけさせてもらうぞ」
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