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第16話 姉妹喧嘩

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 昼から出勤する奏は透を自宅まで送ると会社へ向かった。行きと違い、帰りに会話はなかった。

 気まずさを抱え、昨夜の残りで昼食を済ませた透は散歩に出かけた。

 会社の近くには公園があり、そこから北に数分程度の距離に姉妹が通う小学校がある。

 立ち寄った緑化公園に遊具はないが、その分だけ落ち着いた雰囲気を味わえる。考え事をするには適した環境だった。

 夏を意識させるようになってきた太陽から隠れるように日陰へ移動すれば、逆に少し肌寒い風が吹く。春も終盤のこの季節ならではだった。

 ベンチに座り、ボーっと考え事をする。

 少しは打ち解けられたと思った奏が、以前よりよそよそいくなったのは何故なのか。

 悩んでも答えが見つからない。

 いつまでもため息をついていても仕方がないので、立ち上がって透は帰宅することにした。

 スマホで確認した時間が、そろそろ姉妹の帰宅する頃を示していたからだ。

 ゆっくりした足取りで戻ると、すでに家には里奈が帰宅していた。一人だった。

 ドアを開けた透がただいまと言えば、すぐにおかえりなさいと返ってくる。

 家の中では日課とばかりに里奈が箒で掃き掃除をしていた。畳が多いので、掃除機を使わずに箒と雑巾で毎日家を綺麗にしているみたいだった。

 テキパキと動きつつ、慣れた動作で洗濯機を回す。この家に越してきてまだ一ヶ月も経過していないのに、手際のよさはすでに透を上回っている。

 置いてもらうお礼に家事をするのは当然とばかりに、里奈は自分たちのだけではなく透の分も洗ってくれる。

 当初は別にしようと言ったのだが節約に加え、手伝いを拒否されると里奈は露骨に不安そうにするので今は好きなようにさせていた。

 おかげで透は女児に働かせ、居間でゆったりしている駄目兄貴そのものだ。

 最近では透がいる時に限り、里奈は料理も少しだが行う。女性だからではないだろうが、手先は器用でやはりすぐに透の腕前を追い抜いた。

 今度は肉じゃがに挑戦すると言っていたのが思い出される。

 手伝おうかと声をかけては、お兄ちゃんは座っていてくださいと言われること数回。

 ゲームをする気にもなれず、ひたすら座り続けている透に救世主が現れる。奈流が帰宅したのである。

「ただいまー」

 いつもの元気な声と共に、笑顔の少女が飛び込むように玄関へ上がる。三人ともに家の鍵を持っているので出入りは自由だ。

 昨夜の件から学校を経て仲直りしてくれてるのを期待したが、あろうことか里奈は帰宅したばかりの奈流に近づくといきなり頬をつねった。

「い、いたい。お姉ちゃん、いたいよ」

 涙目になる奈流の頬から手を離したあと、今度は大きな声で怒鳴りつける。

「こんな時間まで何をしていたの!? お家の手伝いはどうしたの!?」

「ご、ごめんなさい。み、みっちゃんとあそんでて……」

「みっちゃんじゃないでしょ。すぐに帰ってきて手伝いをしなきゃ駄目じゃない!」

 いつになく本気で叱る里奈。

 最初は奈流も素直に謝罪していたが、そのうちに様子が変わる。

「だって、みっちゃんとあそびたかったんだもん! はじめてできたともだちなんだもん!」

「友達を作るのは悪くないわ。でもね、手伝いをしなきゃ駄目なの! そうしないと私たちは置いてもらえないの! 奈流は神崎のおばさんのところに行きたいの!? 私と離れ離れになりたいの!?」

 今度は里奈が泣き出した。両目から涙をボロボロこぼし、奈流の肩を何度も叩く。

「だって、だってぇ!」

 奈流も号泣する。

 二人に間近でワンワン泣かれると耳が痛くなる。

 落ち着かせたいが、こういう場合にどうすればいいか透にはわからない。

 スマホで綾乃の番号を呼び出そうとするも、途中でやめる。ずっと彼女に頼りっぱなしでは、姉妹との共同生活を続けていくのは不可能だと思った。

「お姉ちゃんといっしょがいいよぉ。でも、みっちゃんともあそびたいよぉ。奈流、どうすればいいかわからないよぉ」

 しゃくりあげる奈流に対して里奈は、

「もう知らない!」

 悲しみと怒りに満ちた一言をぶちまけて二階へと駆けていった。階段を上る足音は荒々しく、すべてを拒絶するみたいだった。

 いまだ泣きやまない奈流だけが玄関に取り残される。すぐに姉を追いかけられず、子供特有の甲高い鳴き声を家中に響かせる。

 二階からは里奈のと思われる嗚咽も聞こえてくる。初めて見る姉妹喧嘩だった。

 奈流に手を伸ばそうとしては引っ込める。昨夜、里奈と交わした余計な真似をしないという約束のせいだ。

 兄という立場でありながら、定めた非干渉を理由に傍観する。楽といえば楽だが、人間としてこれでいいのだろうか。

 ちらりと横目で仏壇を見たあと、透は両手で自分の頬をおもいきり引っ叩き、思い悩むより行動しようと決めた。

「奈流、泣くな。まずは家に上がるんだ」

 号泣中の奈流の手を引き、座布団へ座らせる。

「ひっく、ひぐ。うああ。奈流、お姉ちゃんにきらわれちゃった。わああん!」

 この状況ではどんな慰めも効果を発揮しないだろう。

 とりあえず透はコップに水を入れて奈流の横の食卓に置く。

 それから正面に座って、彼女の気持ちが落ち着くのを黙って待った。

 そのうちにこぼれる涙を何度も手の甲で拭いながら、奈流は一言ずつ発し始める。

「ごめ、んね、お兄ちゃん。奈流、こんどから、みっちゃんとあそばないで、ひくっ、あうっ、おうちのおてつだいするね」

 その言葉は鉄球みたいに重く、透の心の中を転がる。

 お手伝いさんが欲しくて、姉妹を引き取ったわけではない。父の子で、透の妹でもあるというから同居を決断したのだ。

 だからといって何もするなといえば、少女たちは余計に遠慮するかもしれない。

 時間が解決してくれる可能性もあるので、このへんはゆっくり考えればいいと簡単に考えていた。

「……気持ちはありがたいが、子供の仕事は遊ぶことでもある。それに夜遅くまで遊んでいたわけじゃないしな。友達は大事にしろ」

「え? う、うん。でも……」

「俺が今から里奈と話してくる。奈流はテレビでも見てろ」

 立ち上がろうとする透の袖を、せっかく泣き止んだのにまた涙をこぼしそうな顔の奈流が引っ張る。

 姉の説得をお願いするというより、引き止めたがっている。

 理由に思い当たった透は、軽く手を奈流の頭の上に乗せた。彼女の顔を見てるうちに、無意識にそうしていた。

「大丈夫だ。喧嘩をしにいくわけじゃないし、叱ったりもしない」

「ほんと?」

「ああ、約束する」

 ようやく安心したらしい奈流が手を離した。

 透はリモコンでテレビをつける。奈流に見せるのはもちろん、流れる音声で二階からの声を聞き辛くする狙いもあった。

 透が来たのは階段を上る足音で気が付いていたみたいで、ノックをすると中からどうぞという可愛らしい声がした。

 透の荷物を一階に運んだだけで、家具の配置はまるで変わっていない。

 閉まっている窓の障子が光を遮り、日中でも薄暗い室内を橙色の豆電球だけがぼんやりと照らしている。

「何かお話ですか?」

 続き間のうち奥を姉妹は寝室にしており、手前のスペースには透が使っていた机などがそのまま置かれている。

 上に教科書などが乗っているのを見れば、姉妹が勉強机に利用しているのだろう。

 寝室の方へはいかず、手前の勉強部屋の方で腰を下ろす。

 敷かれた布団にくるまっていた里奈も起き出し、透の正面に座った。布団に入っていたからか、彼女は就寝用のパジャマ姿だ。

 話をすると決めたものの、どのように切り出せばいいかわからない。こんな経験はこれまでにないからだ。

 自分事であれば解決の方法も見つけやすいが、姉妹間の喧嘩を仲裁する上手い術がなかなか頭に浮かんでこない。

 お互いに積極的な干渉はしないと最初に決めたはずなのに、気がつけば姉妹の仲直りを願って頭を悩ませている。どうにもおかしな状況だった。
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