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夜明け

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ガタガタと揺れるのにふと目が覚めた。
いつの間にか眠っていたらしい。
隙間からこぼれる光が白んでいる。

「朝になったんだ」

しょっぱいような生臭いような匂いが鼻につく。
なんだろう?そっと麻袋の囲いから抜け出て
ガタガタと音を立ててコンテナの扉を少しだけ開ける。
飛び込んできたのは目が冴えるくらいの青。
吹き込む風で目が痛い。

「空を飛んでるみたい」

ディアドリはその光景に目を奪われた。
キラキラと光る青は海だった。
貨物列車は今、海沿いを走っている。
初めて見る海は大きくて空との境目がなくて、ただただ圧巻だった。

「海かぁ、どこか港町に落ち着くのもいいな」

細い隙間の前に座って鞄を開く。
カチコチに硬くなったパンを出してきて食べる。
喉が乾くからほんのちょっぴり齧ってよく噛んで食べる。
吹き込む風はしょっぱくて冷たくて頬が痛くなった。
列車は海沿いを進んで行く。
どこに行くんだろうな、とディアドリは思ってふふっと笑った。
どこへたどり着こうともそこは知らない場所だ。
あの街から出たことがなかったのだから。
父はいつか母が帰ってくると信じてずっとあのオンボロアパートに住んでいたのだ。

列車は緩いカーブに差し掛かり速度を落としていく。
隙間からぽつぽつと家が見える。
そのままゆっくり進む列車。
駅が近いのかもしれない。
ディアドリはマフラーを外して、それで自分の体に大きな鞄を括りつけた。
細く開けた扉を今度は思い切りよく開けた。
吹き込む風が強く冷たくて、煽られて倒れそうになる。

「駅に着く前にいかなきゃ」

大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせて、えいやっとディアドリは飛び降りた。
ボスンと落ちた先は柔らかい草の上でそのままごろごろと転げる。
白い煙を吐きながら列車はガタゴトと地に音を響かせて、何事もなく去って行く。
ぷッと吹き出してあははと大声で笑う。
膝はガクガク震えて、心臓は痛いほど高鳴っている。
寝転んで見る空は澄んだ青。
あの街はいつも曇天で青空なんて滅多になかった。
なのに、ここの空は雪なんて降りそうもない青。

「南の方に来たのか?」

震える指先を空にかざして震えが止まるまで空を見つめた。


初めて訪れた海は大きかった。
先が見えない、空との区別がつかない。
ピィーーと鳴きながら旋回する鳥の名前も知らない。
ディアドリが転げ落ちた場所からさほど遠くない場所。
潮の匂いにつられてふらふらとここにたどり着いた。
白い飛沫をあげながら迫ってくる波。

「・・・冷たいのかな」

考えるよりもディアドリは靴を脱いで靴下に手をかけていた。
脱いだ靴に靴下を突っ込んで波打ち際へ歩く。
初めて歩く砂浜は思ったより固くて湿っていた。
ぼこぼことつく足跡がそのままくっきりと残っている。
ざあぁっと大きな音をさせて寄せる波はあっという間にディアドリの足を飲み込んだ。

「・・・冷たい。めっちゃ冷たい」

波が運んだ砂に埋もれた足が少し重い。
引いていく波間にピカリと光るものを見つけて、吸い寄せられるようにその光るものに手を伸ばしたその時──

「死んじゃ駄目だ!!」

突如かけられた大声と共に腕を強い力で引っ張っられた。
ドサッと音を立てて尻もちをついて背後のその人を見る。

「君!何があったか知らないが死んでは元も子もないないだろう」
「いや、誰よ、あんた。死ぬつもりなんかないし」
「あ、そうなの?」
「じゃ、なんで・・・」

先程ピカリと光ったもの、それはディアドリの手の内にある。
女神の横顔が掘られたカメオのネックレス。
金で縁どりされたそれは高価そうだった。
光ったのはちぎれた鎖の部分だろうか。

「これ」
「あ、それは・・・」
「あんたの?」

ほらよ、とディアドリがネックレスを投げた瞬間、尻もちをつく二人に波が襲いかかる。
ディアドリはびしょりと全身濡れてしまい、その人は足元だけが濡れた。
はぁー、と大きく息をついてディアドリは立ち上がり重くなったコートを脱いだ。

「あ、そのすまない」
「いいよ、べつに」

砂浜に置いた鞄からタオルを出して頭をガシガシと拭いた。
おろおろとするその人にもタオルを投げ渡して、ディアドリは鞄を持って歩き出した。
口の中がしょっぱくてすすぎたくてしかたない。

「ちょ、ちょっと待って」
「なに?あれ、あんたのこと探してんじゃないの?早く行けよ」

砂浜の向こうから、おーいおーいと叫ぶ声がしている。
二人組の黒い影が遠くで手を振りながらこちらへ駆けて来ていた。


ディアドリはこの出会いを後々悔いることになる。
どこまで遡って悔いればいいのか。
光るものを手にした時、靴下を脱いだ時、海に向かって歩みを進めた時、列車から飛び降りた時、乾燥とうもろこしを見つけた時、そして父から逃げた時──
どこまで戻ればなにも知らないままでいられたのか、それは誰にもわからない。


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