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転ぶ作法に転ばぬ作法
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寮監である雨森の部屋の風呂はもう何度も利用させてもらっていた。
遅く帰った時や、まだ三階にも寮生がいて浴場が混雑していた時によくお世話になった。
いつもは何も聞かない雨森が、月城くん嫌い?と聞いてきた。
嫌い、と言うと苦笑いで悪い子じゃないよと言った。
良い子とか悪い子とかの話ではないのだ、予想もつかないとこが嫌なのだ。
固まった鼻血も湯に溶けて排水口へ流れていく。
おでこがヒリヒリして触ると少し腫れていて逆立った皮膚の感触がするので擦りむいたんだと思う。
「お風呂ありがとうございました」
「いいよ、今日ここで寝る?」
「いいんですか?」
「明日、病院行くならね」
思わず顰めた顔に雨森はふふふと笑うだけだった。
あの部屋に戻るのは気がすすまない、どうせおでこに絆創膏を貼られて終わりだ、と思いながら病院行きを了承して眠った。
稜美館から歩いて十分程の『田中医院』は矍鑠とした爺さん医師と若い看護師が一人しかいない小さな診療所だ。
「転ぶ時には、こうだ、こう!ちゃんと手を出すんじゃ」
両手を突き出す爺さん医師になんと言えば良いのやら。
そんなことはわかってる、と呆れた隙におでこにぺたんと絆創膏を貼られた。
吐き気や目眩がするならもっともっと大きい病院に行くことじゃ、とホッホと笑われた。
転ぶ時に手を付くなんてことは重々承知だ。
けれど予期せぬことに咄嗟に反応できないこともあるだろう?
そう、目の前のこの男にはペースを乱されっぱなしだ。
口にしたプリンを美味いと言いながらペロと唇を舐める仕草なんて見ていられない。
人とは学習する生き物なのだ、一人目は人生経験、二人目はゲイと偽ったバイで既婚者になった。
何食わぬ顔で関係を続けようとしたので糾弾したところ、返り討ちにあった。
曰く、後腐れないのが男同士のいいところだという。
そして三人目はノンケ、きっとまた人生経験だろうと思う。
自分の男運の悪さにほとほと呆れてしまう。
確かに悪い奴ではない、限定プリンというなかなか手に入れられないものも用意してくれた。
だけど、もう、絶対に、騙されない。
そう思っていた時もありました、つい昨日のことだけど。
なのに、なぜ今僕はまたこいつと差し向かいでいるんでしょう。
『トマト料理専門店』というありそうで無かった、無さそうで存在した店のテーブルの一角に陣取っている。
テーブルクロスは赤と黄と白のチェックで、トマト坊やという人形がテーブルの上でゆらゆらと首を振っていた。
「なち、なに食べる?このトマトパフェにする?俺はこのピザがいいと思うんだけど」
「・・・なんでもいいよ」
「じゃ、このパフェとピザとトマトシチューと、デザートはトマトパンナコッタにしよう。トマトジュースも飲む?」
「それは嫌い」
「あそ、じゃ何する?」
「・・・ジンジャーエール」
午前だけだった授業を終えてから捕まった。
正直、色々と油断していたと思う。
今朝は起きた時にはもういなかったし、大学で会ったこともなかった。
それがまさか、大学最寄りのバス停で待ち伏せしていると誰が予想できただろうか。
「なちはどこで服を買ってるの?」
Tシャツを弁償するという名目でやや強引に連れ出された。
一緒に買いに行く、そんなことは露ほども思わなかった。
もうなんでもいい、さっさっと食べてユニクロンでも行こう。それで終わりだ。
「安いとこ」
「だったら今日は色んなとこ見に行こう」
にんまりと上がる口角に、裏目ったと思ってももう手遅れだった。
運ばれてきたジンジャーエールは瓶入りで、冷えたグラスに注ぐとパチパチと炭酸が弾けた。
トマトパフェは背の高いガラスの器に真っ白なチーズとトマトが幾重にも重ねてあって、てっぺんのバジルがアクセントになっていて思わず写真を撮ってしまった。
ピザはテーブルの半分を占めるほど大きなものだったのに、目の前の男はこちらが一切れ食べる間に二切れ食べてしまった。
トマトシチューはトマトの水分だけで作られていて、チキンは口に入れるとホロリと崩れ落ちた。
何から何まで美味しくて、半信半疑だったトマトパンナコッタはトマトのジュレと濃いミルク味が癖になりそう。
「気に入ってくれたみたいで良かった」
こういうのは良くないと思う、こちらの気持ちを優先するような喜ばせるような、あの言葉を本気にしてしまうような。
どうして男というだけで簡単だと思うんだろう。
どうして少し優しくすれば落ちると思っているんだろう。
それでどうしてころりと引っかかってきたんだろう。
一度目は無知だった、二度目は同類に出会えた嬉しさからだった。
三度目はもうない、だって臆病だから。
遅く帰った時や、まだ三階にも寮生がいて浴場が混雑していた時によくお世話になった。
いつもは何も聞かない雨森が、月城くん嫌い?と聞いてきた。
嫌い、と言うと苦笑いで悪い子じゃないよと言った。
良い子とか悪い子とかの話ではないのだ、予想もつかないとこが嫌なのだ。
固まった鼻血も湯に溶けて排水口へ流れていく。
おでこがヒリヒリして触ると少し腫れていて逆立った皮膚の感触がするので擦りむいたんだと思う。
「お風呂ありがとうございました」
「いいよ、今日ここで寝る?」
「いいんですか?」
「明日、病院行くならね」
思わず顰めた顔に雨森はふふふと笑うだけだった。
あの部屋に戻るのは気がすすまない、どうせおでこに絆創膏を貼られて終わりだ、と思いながら病院行きを了承して眠った。
稜美館から歩いて十分程の『田中医院』は矍鑠とした爺さん医師と若い看護師が一人しかいない小さな診療所だ。
「転ぶ時には、こうだ、こう!ちゃんと手を出すんじゃ」
両手を突き出す爺さん医師になんと言えば良いのやら。
そんなことはわかってる、と呆れた隙におでこにぺたんと絆創膏を貼られた。
吐き気や目眩がするならもっともっと大きい病院に行くことじゃ、とホッホと笑われた。
転ぶ時に手を付くなんてことは重々承知だ。
けれど予期せぬことに咄嗟に反応できないこともあるだろう?
そう、目の前のこの男にはペースを乱されっぱなしだ。
口にしたプリンを美味いと言いながらペロと唇を舐める仕草なんて見ていられない。
人とは学習する生き物なのだ、一人目は人生経験、二人目はゲイと偽ったバイで既婚者になった。
何食わぬ顔で関係を続けようとしたので糾弾したところ、返り討ちにあった。
曰く、後腐れないのが男同士のいいところだという。
そして三人目はノンケ、きっとまた人生経験だろうと思う。
自分の男運の悪さにほとほと呆れてしまう。
確かに悪い奴ではない、限定プリンというなかなか手に入れられないものも用意してくれた。
だけど、もう、絶対に、騙されない。
そう思っていた時もありました、つい昨日のことだけど。
なのに、なぜ今僕はまたこいつと差し向かいでいるんでしょう。
『トマト料理専門店』というありそうで無かった、無さそうで存在した店のテーブルの一角に陣取っている。
テーブルクロスは赤と黄と白のチェックで、トマト坊やという人形がテーブルの上でゆらゆらと首を振っていた。
「なち、なに食べる?このトマトパフェにする?俺はこのピザがいいと思うんだけど」
「・・・なんでもいいよ」
「じゃ、このパフェとピザとトマトシチューと、デザートはトマトパンナコッタにしよう。トマトジュースも飲む?」
「それは嫌い」
「あそ、じゃ何する?」
「・・・ジンジャーエール」
午前だけだった授業を終えてから捕まった。
正直、色々と油断していたと思う。
今朝は起きた時にはもういなかったし、大学で会ったこともなかった。
それがまさか、大学最寄りのバス停で待ち伏せしていると誰が予想できただろうか。
「なちはどこで服を買ってるの?」
Tシャツを弁償するという名目でやや強引に連れ出された。
一緒に買いに行く、そんなことは露ほども思わなかった。
もうなんでもいい、さっさっと食べてユニクロンでも行こう。それで終わりだ。
「安いとこ」
「だったら今日は色んなとこ見に行こう」
にんまりと上がる口角に、裏目ったと思ってももう手遅れだった。
運ばれてきたジンジャーエールは瓶入りで、冷えたグラスに注ぐとパチパチと炭酸が弾けた。
トマトパフェは背の高いガラスの器に真っ白なチーズとトマトが幾重にも重ねてあって、てっぺんのバジルがアクセントになっていて思わず写真を撮ってしまった。
ピザはテーブルの半分を占めるほど大きなものだったのに、目の前の男はこちらが一切れ食べる間に二切れ食べてしまった。
トマトシチューはトマトの水分だけで作られていて、チキンは口に入れるとホロリと崩れ落ちた。
何から何まで美味しくて、半信半疑だったトマトパンナコッタはトマトのジュレと濃いミルク味が癖になりそう。
「気に入ってくれたみたいで良かった」
こういうのは良くないと思う、こちらの気持ちを優先するような喜ばせるような、あの言葉を本気にしてしまうような。
どうして男というだけで簡単だと思うんだろう。
どうして少し優しくすれば落ちると思っているんだろう。
それでどうしてころりと引っかかってきたんだろう。
一度目は無知だった、二度目は同類に出会えた嬉しさからだった。
三度目はもうない、だって臆病だから。
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