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据え膳の兄

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ジェラールはギシギシと軋む階段をよっこらよっこら上る。

「えっと、春の間は・・・」

宿の女将は無愛想な年増で擦り切れそうな紐がついた鍵を寄越しただけだった。
それも、くいっと顎をしゃくって二階に視線をやりながら。

「春の間」
「はぁ、どうも」

宿に泊まることなど無いジェラールは、これが普通なのかどうか知らないが客商売としちゃあ落第ではないかと思った。
春の間は二階の一番奥にあった。
背中のニコラスはチラチラと辺りを窺いながら確信する。
狭い間口に奥行の長い宿、連れ込み宿で間違いなかった。
だが、ジェラールは知らない。
知らないので、こんなにあっさりと連れ込むのだろうとニコラスは思う。
よいしょと、ジェラールは鍵を開けた。
これまたキィと嫌な音が鳴る。
 室内にはベッドしかない。
テーブルも椅子もないのか、とジェラールはキョロキョロしながらベッドにニコラスをおろした。
ゆっくりと衝撃を与えないように寝かして、自分も隣に寝転がる。
シーツだろうか、ジャスミンのような爽やかなのに体の芯が疼くような匂いがする。
ぼろ宿だがちゃんと洗濯はしているんだな、とジェラールは感心して大きく息をついた。

「はぁー、体力が無さすぎる」

そういえば以前腰を抜かした時は、ニコラスに抱きかかえられたなぁと思い返す。
それなのに自分はこの体たらく。
なんとも情けない、α以前に男として情けない。

「・・・あ、の?」
「あぁ、ニコラス君。ごめんね、ちょっと休んだらすぐに送っていくからね」
「・・・えっと」
「ん?」

ニコラスを見ると真っ赤な顔で視線が腹の方を向いている。

「うわぁっ、ごめん!ついうっかり」
「うっかり?」
「弟達が腹が痛いの、頭が痛いの言う度に撫でてやってたもんだから・・・本当にすまない!」

そう、ジェラールはニコラスの腹を撫でていた、無意識に。
ベッドに寝転がった瞬間からくるくると円を描くように。
あわあわと起き上がり万歳して、もう触りませんと意思表示する。

「あ!あぁ、頭も痛いなぁ」
「え?」
「い、痛いなぁ」
「えーと、薬屋行ってこようか?」

違う!とニコラスは起き上がり正座で万歳するジェラールの前に同じく正座して頭を差し出した。
撫でろということか?とジェラールはおずおずとその髪を撫でた。
見た目よりごわごわとして硬く、指通りもあまり良くない。

「ニコラス君、髪の石鹸は何つかってる?」
「さっき買ってもらった石鹸です」
「弟がね、バセットに行った時に気に入ったって、大量に持ち帰った液体石鹸があるんだけどそれ使ってみない?」
「なぜですか?」
「ん?良い匂いがするし、ニコラス君は綺麗な顔してるからそれで髪を洗うと艶々になってもっと魅力的になるよ、きっと」

リュカが気に入った液体石鹸は我が家にもお土産としてやってきた。
だが、まだ使ったことは無い。
使用人総出で、いざと言う時に!ここぞという時に!と止められてしまうから。
いざもここぞも、自分にやってくる気が全くしない。
ならば有効活用してもらえる人に贈った方がいいだろう。

「・・・心臓が痛い」

涙声でぽつりと落ちた言葉をジェラールの耳はちゃんと拾った。
腹に頭に心臓って、なにか重大な病気では?とジェラールの血の気が引いていく。

「ニコラス君!医者を呼んでこよう、待ってて」

ベッドから飛び降りようとするジェラールをニコラスは力強く引き寄せた。
ニコラスの胸から溢れるように香るのはジャスミンで、いつか嗅いだ淡い匂いとは違う。
強く濃く香るジャスミンの官能的な香り。
心臓は激しく脈を打っていて、ジェラール自身の心臓も激しく動悸している。

「・・・恥をかきたくありません」

掠れた声が頭上から聞こえてくる。
恥とは?と回らない頭でジェラールは必死に考える。
考えて、考えて、まさかなぁとそっと見上げてみると頬を赤く染めてぎゅうと目を瞑る顔があった。

「えーっと・・・据え膳?」

小さく頷いたのを確認してからそっとそっとその背中に手を回してみる。
背中に触れた瞬間、一際強く抱きしめられその弾力のある胸に顔が埋まった。

ジェラールが酸欠で目を回して倒れ込むのはあと数秒後──
なんとも情けない話である。

 
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