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二人目の兄

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紫の刺繍糸が鮮やかにすいすいと真っ白な生地の上を泳いでいく。

「カーラは本当に上手だねぇ」
「奥様、このエマが仕込んだのですから当たり前でございます」

エマがお茶を淹れながら言う。
茶菓子は『甘美な瑠璃色茶屋』のキャラメルショコラタルト。
甘いショコラとほろ苦いキャラメルがしっとりしたタルト生地の中で渦巻き模様を作っている。

「奥様、休憩が終わったらまた練習ですよ」
「はーい」

エマを師匠にカーラを手本にリュカは目下、刺繍の練習をしている。
あのよれよれのリボンではなくもう少しマシな物をアイザックに贈りたいから。
今は四葉のクローバーの図案を四苦八苦しながら練習している。

休憩と言ってもタルトに舌鼓を打ちながら刺繍の図案や、刺繍糸についての教義をエマから受ける。
エマはなかなか厳しい先生だ。

「奥様、第一騎士隊より副隊長様がお尋ねしたいことがあると参られてますが」

ノックと同時に入室したソルジュの顔が緊張している。
騎士隊が何用だろうか、まさかアイザックになにかあったのでは?とリュカは慌てて玄関ホールに走った。

「あ、エバンズ夫人。突然の来訪申し訳ありま・・」
「あ、アイク、アイクになにかあったの?」
「へ?いや、違います!」

副隊長はブンブンと顔の前で手を振った。
ホッとすると共にリュカの体から力が抜け、追いかけてきたエマとカーラに支えられる。

「実は、コックスヒルの銘が入ったペンダントを持った男を保護しておりまして」
「ペンダント?」
「はい。花のような形の金地にトルマリンをあしらったものです。ご存知ですか?」
「・・・亡くなった母のものです」


副隊長はニコラス・ペンブルックと名乗り、ペンブルック伯爵家の次男だ。
騎士団へ向かう馬車の中でニコラスが言うには、今朝方行き倒れている男を憲兵が保護したのだという。
男は昼過ぎまでこんこんと眠り続け、医者を呼ぶかと言う段になって目を覚ました。
しかし、どういうわけか男は自分が何者かもどこにいるのかもわからないと言う。
けれど、首から覗くペンダントは宝石があしらってありなかなか高級そうに見える。
それを足がかりに男の身元を探ろうとした結果、コックスヒルの銘を見つけた。
コックスヒルといえば伯爵家、憲兵ではなく騎士団の方が良いだろうと男は騎士団預かりになったそうだ。

騎士団本部はまさに砦といった感じの無骨な建物だった。
ぐるりと堀が巡らされており、内部に入るには跳ね橋を渡るしかない。
興味深く眺めるリュカにニコラスは、ふふと小さく笑った。

「あ、申し訳ありません」
「いえ、いいんです。夫人は騎士団本部は初めてですか?」
「はい」
「あ、着きましたよ」

大玄関という騎士が二人がかりで開ける大きな扉を潜って、濃紺の絨毯を踏みしめながら奥へと歩く。

「実は、夫人をお呼び立てする前に城の財務部へ行ったのですよ。ですが、ジェラール殿は本日は休みをとっておられるそうで」
「そうですか」

まさかこうなると先読みして休みをとったわけではあるまい。
では、偶然か。
あの真面目一筋の兄が休みをとるなど滅多なことではない。
記憶喪失の男よりよっぽど気になる。

「ここです」

ニコラスは二回力強くノックし扉を開けた。
中にはリスベル隊長ともう一人。
椅子に腰掛けるレッドブラウンの髪をひとつに束ねた痩せた男。

「やぁ、夫人。久しぶりだね」
「お久しぶりでございます。騎士隊長様」
「これに見覚えはあるかな?」

ハンカチに包まれていたそれは紛れもなく父から母への贈物のペンダントだった。
こくりと頷いてから男に目をやる。

「知っているか?」
「いえ、存じあげません。この者はなんと?」
「なにもかもを覚えていない、とそう言うばかりでな」

男は目を見開きリュカを見つめている。
なんで?とでも問いたげなその顔にリュカは言い放った。

「母のペンダントを持つこの者の素性を是非明らかにしてください。縛りあげて水責めなどいかがでしょう」
「ふむ、夫人が知らないとなると強盗の線も有り得るな」

──リュカ!!

ガタンと椅子を倒しながら立ち上がった男。
その手はリュカに届く前にリスベルによって拘束された。

「お前、リュカ!この兄の顔を忘れたか!?」

食ってかかるのにリスベルもニコラスも驚き、男の顔をまじまじと凝視した。

「・・・記憶が戻られたのですね?小兄様?」

上目遣いでニタァと笑うリュカは不気味で迫力があった。
聴取室の小さな窓の向こうの空にはもくもくと暗雲がその領域を広げている。
きっと、今から雨が降る。
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