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日常

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太郎は今、食洗機に食器を入れている。
大きさの違う皿を順に並べてコップを入れて茶碗を入れて、と楽しそうだ。
退院してからこっち、食欲もあるようで残さずなんでも食べる。
清掃のバイトは週2回にした。
本当は辞めさせたかったのだが、安野達に反対された。

「閉じ込めたらきっと逃げますよ」

安野はたまに恐ろしいことを言う。
楽しげな太郎を見つめながら鷹野は考える。
鴨井のことも狐塚蘭子のことも、あの話を最後に聞かれない。
太郎は鴨井のことをと呼んでいた。
それはもう過去のものとなりなんらかのけじめがついたからあの人なのか。
それとも、もう決して手の届かない心に刻まれたあの人なのか。
ぼんやりとテレビを見ている時にむにむにと唇を触っている時がある。
表情から無意識だとわかる。
無意識の中にあるものはなんなのだろう。

あの時、熱に浮かされふうふうと言いながら『好き』と呟いたのは誰に向かってだったのだろう。
てっきり自分だと思っていたが今となってはよくわからない。
熱に浮かされて覚えていないのかもしれない。
聞けばいいが、もし、もしも違うかったらと思えばなにも聞けずに日々過ごしている。
肌も合わせていない。
病み上がりだからと自重していたのがそのままズルズルと続いている。
求めればきっと応えてくれるだろうが、求めてほしいと思うのは我儘だろうか。
先の見えないトンネルに入ってしまったような感覚に自分でも驚いている。
求めて手に入らなかったもの等なかったのに、手段を選ばず手にしてきたのに。
自分はこんなにも臆病だったのか。
あの鴨井の太郎への苛烈な想いを前に尻込みしてしまう。

食洗機のボタンを押して意気揚々とソファに座ってくる。
躊躇せずに隣に座るのは変わらない。
キツめの三白眼は少し和らいでいて、

「乾君は、表情がまた柔らかくなりましたね。胸のつかえが取れたのでしょうか」

とは安野の弁だ。
それが自分がもたらしたものだったらいいのに、と思う。

「あ、明日、上田さんと映画行ってくる」

物思いに耽っていると突然明るい声で言われた。

「それは、俺もついて行っていいやつ?」
「んなわけあるか」
「俺も明日は休みだ」
「好きなことすればいいと思う」

お気に入りのクッションを抱きしめてへへへと笑うのを見て何も言えなくなる。





最近、鷹野がおかしいと太郎は思っている。
少しだけ距離ができた。
以前のように優しいし、食事もつくってくれる。
けれど、なにか考え込むことが増えた。
あれから、あの人の話もしない。
あんな過去を知られてしまったら呆れてしまうのも仕方ない。
もう抱かれることもなくなった。
ただ唇を合わせただけの軽いキスが最後になってしまった。
いつかここを出ていくのだろうな、とぼんやりと思う。
色んなことがいっぺんに起こりすぎて、昂った気持ちが冷めてきたのかもしれない。
好きだ、と自覚した途端に離れてしまわないといけないなんてなんて無様なんだろう。
やっぱり自分の最後はこうなるんだな、わかっていたけれど痛いなと思う。
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