不香の花の行く道は

谷絵 ちぐり

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遠藤晃

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遠藤晃には父がいない。
晃を産んだのは男オメガで、彼が一人で晃を育てた。

「晃のお父さんはね、アルファの社長さんなんだよ」

それが彼の口癖でその後に必ずこう言うのだ。

「だからね、晃もきっとアルファだよ。お父さんみたいに立派なアルファになってね」

立派なアルファは子を孕んだ彼を捨てはしないだろう。
彼は父のことを立川たちかわさんと呼ぶ、フルネームを尋ねると彼は人が変わったように晃を罵倒した。

「意地悪な子だね!なんでそんなこと言うの!名前なんてどうだっていいでしょ!立川さんはね、立派な人なの!いつか迎えにくるって言ったんだよ!なんで待てないの!」

キンキンと甲高い声に晃は耳を塞ぎ蹲ったが、彼はその小さな背中を容赦なく叩いた。
そして、その背中に覆いかぶさって涙を流すのだ。

「ごめんね、ごめん、寂しい思いをさせてごめんね。でもきっと迎えに来てくれるからね」

濡れていく背中にまだ幼かった晃は、二度と父のことを口に出すのは止めようと思った。
そして彼のために良い子であろうとした、立派なアルファになって彼を支えようとそう思った。
一生懸命勉強し、家事を手伝い、彼の語る父の話をよく聞いた。
学校でも家でも明るく振る舞い、彼が過ごしやすいように努力した。
晃が父についてなにか尋ねることはない、父のことを語るのは彼の特権なのだ。

「晃はね、目元が立川さんに似てる」

ふふふと笑いながら目元を撫でる彼の指がこそばゆかった。

そして、バース検査ではアルファと診断された。
晃がアルファと確定したことを彼は大層喜んだ。

「晃、立川さんが迎えにきてくれるよ!」

けれどアルファとオメガの関係を学んだ晃は、彼の綺麗な項に色んなことを察していた。
いつまでも頑是無い子どもではない、彼がなんだか小さく見えた。
もちろん彼が縮んだとかそんなことじゃない、それだけ晃が体も心も大きくなったのだ。
父は迎えになんて来ないだろう、むしろ彼のことなんて忘れているだろうと思った。
彼は若い頃は大きな繁華街の高級クラブで働いていたが、歳を重ねるにつれ店のランクはだんだんと下がり、今では商店街の場末のスナックへと働きにいく。

「いつ来てくれるかなぁ」

うきうきと綺麗に化粧を施して出勤していく彼、父と出会ったのは高級クラブだという。
そんな場所で出会ったものだから彼は水商売から離れられない。
いつか、きっといつかという思いは彼を蝕んでいった。
一年経ち、二年経ち、歳を経る事に彼は憔悴し、鏡の前でブツブツと希望のような恨み言の様なものを呟いていた。
それは父に向けて、それは晃に向けて。

「晃がね、立派になったら立川さん来てくれるかもしれない」

哀れだと思った、写真の一枚もない人をずっとずっと思い続けることを。

ある日、中学校から帰宅した晃を待っていたのは久しぶりに見る彼の笑顔だった。

「立川さん、おかえり」

彼は晃のことを立川さんと呼ぶようになった。
学校に行く晃を仕事に行くのだと思い、帰宅するとお仕事お疲れ様と通学バックを受け取った。
夜も仕事に行くことはなくなり、急に仕事を辞めた彼を心配して店のママが訪ねてきた。
そして、晃を立川に見立てて生活する彼を見てママは顔を覆ってしまった。

「おかしいと思ったのよ。立川が迎えにきたって、そんなことあるわけないのに…」

彼はママの手によっていわゆる病院に連れていかれ、そのまま入院した。
知らなかったが、ママは立川のことを彼から聞かされていたらしい。
夢見る少女のように立川を語る彼、ママはちゃんと現実を見ていた。

「当事者にとっちゃ酷だけどね、こんなのはどこにでも転がってる話なのよ。だからね、腐っちゃ駄目よ。ただ、あの子はほんの少しだけ他人ひとより脆かっただけなのよ」

それからママは彼の世話を、晃の面倒を見てくれた。
彼はその後、夢の世界に生き続けてそのまま夢の世界へと旅立った。
最後まで晃のことを立川さんと呼び続けた彼、晃が最後に彼にかけた言葉は──

「俺は晃だよ」

見開かれた彼の目を、晃は一生忘れることはできない。




※夏バテ気味ですみません。

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