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はじまりのお知らせ
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リースは『歌うカナリア亭』に来ていた。
本日二度目の来店である。
「あれ?リースどうしたの?配達忘れあった?」
「・・・ない。無いけど、厄介なことになった」
なにが?と首を傾げるのはカナリア亭の雇われコックのサミュエル。
リースがこの店の飯が美味いと言うのは、ひとえにこのサミュエルが作っているからだ。
初めて配達に訪れて自己紹介がてら店主にご馳走になった。
その飯に惚れた。
女将が作った飯も美味かったが、それを超えて美味かった。
挨拶をしたサミュエルが男でもやっぱり惚れた。
そう思った自分の感情に驚いた。
恋愛なんて自分から一番遠いものだと思っていたから。
「それ、買い出し途中じゃないの?それ置いてまた夜に来なよ。話聞いたげる」
朗らかに笑うサミュエルにリースはまた惚れた。
警戒しながらドルマン酒店の勝手口を開ける。
ドタドタと床が抜けそうな足音を鳴らしてやってくる女将。
「すみませんでした!」
「まだ何も言ってない」
思わず頭を下げたリースに女将は呆れたように答えて、ペシリとその頭を張った。
ほれ、と目の前に差し出された手紙にリースはおずおずと手を伸ばした。
「あんたの弟、よく似てる。何があったか知らないけど、ちゃんと向き合いな」
そう言って女将は手に持った買物を取り上げ、尻を振りながら台所に戻って行った。
それを見送ってリースはその場から動けなかった。
手の中にある手紙が重くて痺れそうだ。
その夜、リースはサミュエルと二人でカナリア亭の裏口にある石段に並んで座っていた。
「サミュ、この手紙を読んでほしい」
「なんで自分で読まないの?」
「・・・怖いんだ」
リースはサミュエルに全てを話した。
到底信じられないような話をサミュエルは相槌を打つだけで、話の腰を折るようなことはしなかった。
「それを読んでまた自分が自分で無くなるのが怖い。ここへ来て、あそこから逃れて、初めて自分の体に空気が入った気がしたんだ。もうあんな砂を噛むような思いはしたくない。サミュのご飯が食べられなくなるなんて嫌だ」
ぎゅうと膝を抱えそこに顔を埋めるリース。
裏口のある路地裏には月明かりが一筋、それは二人を照らしている。
サミュエルはそんなリースの肩を抱いて、コツンと頭を合わせて手紙を開いた。
サミュエルの密やかな声が路地裏に浮かんでは消えていく。
『ルナ兄様へ。僕は知っています。遠くから僕を見るルナ兄様の瞳が優しさで溢れていることを。遠くから父上と母上を見る瞳が切なげに揺れていたことを。知っていてなにも出来ませんでした。ルナ兄様、ごめんなさい。押しかけるように会いに行ってごめんなさい。一目会って謝りたかった。けれど、もう会いに行きません。ルナ兄様、どうかお幸せになってください。貴方の弟ヒルローズより』
リースは泣いた。
膝に顔を埋めたまま声を押し殺して泣いた。
「リースのことわかってくれてた人がいたね」
「怖かったんだ。ローズの顔を見てまたあの日のように頬を張ってしまうんじゃないかって。大切な人を傷つけてしまうのは辛い。それが自分の意思じゃなくても」
サミュエルは肩に回した手でリースの頭を撫でる。
「リースは今、リースでいられてるかな?」
「・・・うん、自分の言葉で話してるよ」
「じゃ、もう大丈夫だよ。もうルナリースの鎖は切れたんだ」
顔を上げるとサミュエルの微笑む顔がすぐ傍にあって、その瞳にはリースが映っている。
ルナリースではなく、いがぐり頭の髪が少しだけ伸びたリース。
「俺、今やっとリースになれた気がする。サミュが、言ってくれたから」
「誰かの為に廻る世界なんてないよ。みんなそれぞれ自分で自分の世界を廻してる。誰かの犠牲の上に立つものなんてまやかしだよ」
ふふ、と月明かりの中で笑うサミュエルにリースはまた惚れた。
「俺、サミュが好きだ」
思わずリースが吐露した心境にサミュエルはびっくりして、その顔を嬉しそうに綻ばせた。
クスクスと笑いながらリースの耳元に口を寄せる。
言葉は月明かりに吸い込まれて消えて、リースはサミュエルに抱きついた。
二人の世界はまだ始まったばかりで、サミュエルが何を言ったか知っているのは空に浮かぶ少し欠けた月とリースだけ。
𓅿𖤣𖥧𖥣 おしまい 𓎤𓅮 ⸒⸒
読んでいただきありがとうございました(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
本日二度目の来店である。
「あれ?リースどうしたの?配達忘れあった?」
「・・・ない。無いけど、厄介なことになった」
なにが?と首を傾げるのはカナリア亭の雇われコックのサミュエル。
リースがこの店の飯が美味いと言うのは、ひとえにこのサミュエルが作っているからだ。
初めて配達に訪れて自己紹介がてら店主にご馳走になった。
その飯に惚れた。
女将が作った飯も美味かったが、それを超えて美味かった。
挨拶をしたサミュエルが男でもやっぱり惚れた。
そう思った自分の感情に驚いた。
恋愛なんて自分から一番遠いものだと思っていたから。
「それ、買い出し途中じゃないの?それ置いてまた夜に来なよ。話聞いたげる」
朗らかに笑うサミュエルにリースはまた惚れた。
警戒しながらドルマン酒店の勝手口を開ける。
ドタドタと床が抜けそうな足音を鳴らしてやってくる女将。
「すみませんでした!」
「まだ何も言ってない」
思わず頭を下げたリースに女将は呆れたように答えて、ペシリとその頭を張った。
ほれ、と目の前に差し出された手紙にリースはおずおずと手を伸ばした。
「あんたの弟、よく似てる。何があったか知らないけど、ちゃんと向き合いな」
そう言って女将は手に持った買物を取り上げ、尻を振りながら台所に戻って行った。
それを見送ってリースはその場から動けなかった。
手の中にある手紙が重くて痺れそうだ。
その夜、リースはサミュエルと二人でカナリア亭の裏口にある石段に並んで座っていた。
「サミュ、この手紙を読んでほしい」
「なんで自分で読まないの?」
「・・・怖いんだ」
リースはサミュエルに全てを話した。
到底信じられないような話をサミュエルは相槌を打つだけで、話の腰を折るようなことはしなかった。
「それを読んでまた自分が自分で無くなるのが怖い。ここへ来て、あそこから逃れて、初めて自分の体に空気が入った気がしたんだ。もうあんな砂を噛むような思いはしたくない。サミュのご飯が食べられなくなるなんて嫌だ」
ぎゅうと膝を抱えそこに顔を埋めるリース。
裏口のある路地裏には月明かりが一筋、それは二人を照らしている。
サミュエルはそんなリースの肩を抱いて、コツンと頭を合わせて手紙を開いた。
サミュエルの密やかな声が路地裏に浮かんでは消えていく。
『ルナ兄様へ。僕は知っています。遠くから僕を見るルナ兄様の瞳が優しさで溢れていることを。遠くから父上と母上を見る瞳が切なげに揺れていたことを。知っていてなにも出来ませんでした。ルナ兄様、ごめんなさい。押しかけるように会いに行ってごめんなさい。一目会って謝りたかった。けれど、もう会いに行きません。ルナ兄様、どうかお幸せになってください。貴方の弟ヒルローズより』
リースは泣いた。
膝に顔を埋めたまま声を押し殺して泣いた。
「リースのことわかってくれてた人がいたね」
「怖かったんだ。ローズの顔を見てまたあの日のように頬を張ってしまうんじゃないかって。大切な人を傷つけてしまうのは辛い。それが自分の意思じゃなくても」
サミュエルは肩に回した手でリースの頭を撫でる。
「リースは今、リースでいられてるかな?」
「・・・うん、自分の言葉で話してるよ」
「じゃ、もう大丈夫だよ。もうルナリースの鎖は切れたんだ」
顔を上げるとサミュエルの微笑む顔がすぐ傍にあって、その瞳にはリースが映っている。
ルナリースではなく、いがぐり頭の髪が少しだけ伸びたリース。
「俺、今やっとリースになれた気がする。サミュが、言ってくれたから」
「誰かの為に廻る世界なんてないよ。みんなそれぞれ自分で自分の世界を廻してる。誰かの犠牲の上に立つものなんてまやかしだよ」
ふふ、と月明かりの中で笑うサミュエルにリースはまた惚れた。
「俺、サミュが好きだ」
思わずリースが吐露した心境にサミュエルはびっくりして、その顔を嬉しそうに綻ばせた。
クスクスと笑いながらリースの耳元に口を寄せる。
言葉は月明かりに吸い込まれて消えて、リースはサミュエルに抱きついた。
二人の世界はまだ始まったばかりで、サミュエルが何を言ったか知っているのは空に浮かぶ少し欠けた月とリースだけ。
𓅿𖤣𖥧𖥣 おしまい 𓎤𓅮 ⸒⸒
読んでいただきありがとうございました(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
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