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プレミアムな時間

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頬を撫でるような風が、鼻腔を擽る微かなラベンダーの匂いに深く深く沈む。

──今まで通りでいいじゃない。敬ちゃんがいないと寂しいよ。
──広海、俺もずっと寂しかったよ。ずっと見て見ぬフリしてたのは、広海が好きだったから。
──今はもう違うみたいな言い方やめてよ。
──あぁ、今も好きだよ。兄さんの伴侶として家族の一員として。もうそういう好きになったんだ。
──一番じゃなくなったってこと?
──俺の初めては全部広海だった。恋をしたのも唇を重ねたのも体を繋げたのも。そういう意味では広海はだ。ただ、最後にしたい相手ができたんだ。
──刺繍の子?その子は敬ちゃんを一番にしてくれるの?
──いや、意識もしてもらってない。

ずっと硬い表情だった広海がふっと笑う、大好きだった艶やかな笑みに同じように返した。

──敬ちゃんのこと本当に好きだった。運命だと思えるくらい、運命だったらいいのにって思ってた。敬ちゃんを失いたくなかった。私にとっても初めては全部敬ちゃんだったから。
──もっと早くに話し合うべきだったんだ。きちんと終わらせるために、だからお互い拗れて厄介な思いだけを抱えてしまったんだと思う。

意識の底から掬いあげられるように目が覚めた。
瞼には折り畳まれたハンカチが乗っていて、陽射しを遮っている。
触れると柔らかく、鼻にもってくるとラベンダーの匂いがした。
視線を動かすと、神妙な顔で競馬新聞を読んでいる大和がすぐ傍に座っている。
むむむ、と口を真一文字に結んでいる横顔は凛々しい。
けれど、その顔が柔らかく笑むのをもう知っている、心が温かくなるような表情を知っている。

「あ、起きました?なにか飲まれます?」

目尻の下がったその表情、ドキリと跳ねる心臓を抱えて卯花は起き上がった。
トポトポと水筒から微かに湯気のあがる茶が注がれ、手渡されたそれはほうじ茶だった。

「ありがとう。松下君ひとり?」
「え?そこに二人寝てます」

指さした自分の反対側では、周平と武尊が顔にタオルをかけて眠っていた。
気づかなかった自分が恥ずかしい、大和ばかり意識していた。

「あっくんは和明君とパドック行ってます。あっくん、馬を見るの好きだから」
「そうか、いつの間にか眠ってしまってすまない」
「気持ちいいでしょう?天気も良くて開放的で、心も体も洗われるような気分になります」

夏のギラギラとした陽射しではなく、透き通るように降りてくる秋の陽射しと穏やかにそよぐ風。
のんびりと穏やかに流れる時間からは随分と遠ざかっていた。

「気持ちいいね」
「はい」

ここは競馬場で持ってるのは競馬新聞で、食べたのはラーメンで飲んだのは家で沸かしたほうじ茶で、全然ロマンチックでもなんでもないのに心が浮かれている。
つい顔が緩んでしまうが仕方ない、だって開放的になってしまうのだから。

「卯花さんはお誕生日いつですか?」
「えっと・・・5月28日だけど」
「では、5-2-8の三連単を買いましょう」
「え?」
「お誕生日馬券ですよ?僕は12月5日なので12-5の馬単を買います」

当たり前でしょ?と言わんばかりの顔がおかしくて笑ってしまう。
だけど、誕生日が知れたのは僥倖だったかもしれない。

「買うのはそれだけ?」
「いえ、あと800円分買います」
「800円?」
「はい、ここで遊ぶお金は3000円と決めてます。1000円が馬券代で、もう1000円はターフショップでユキミヅキのポストカードセットを買って、500円でプレミアムソフトを食べます!」

ふんっと鼻息が聞こえるくらいに気合いを入れて語る大和に、卯花は面食らいそしてぷッと吹き出した。

「残りの500円は?」
「予備費です。あっ、卯花さんもプレミアムソフト食べますか?」

3000円の予算から500円も割いてくれるという、卯花にとっては500円など取るに足らない金額だ。
俺が払うよと言ってしまえばいいし、そちらの方がたかだか500円だが甲斐性も見せることができるしかっこいい。

「じゃあ、ご馳走になろうかな」
「はい、後で行きましょう」

にっこりと深くする笑みに、あぁ間違ってなかったと思う。
艶やかな大輪の花のような笑みではなく、どこにでも咲いてる花のような素朴な笑みに魅せられてしまう。
あとはなにを買うの?と顔を寄せあって新聞を見ていると、周平達の目が覚めた。

「やまち、腹減った」
「あっくん達がまだ帰ってきてないよ」
「いいじゃん、先に食べよ」

しょうがないなぁ、と大和はバスケットから次から次にタッパーを取りだした。
俵型のおむすびといなり寿司、アスパラの豚肉巻に唐揚げ、色とりどりの野菜がふんだんに入ったスパニッシュオムレツ。
蓮根と鶏肉の煮物とかまぼこも入っていた。

「卯花さんは嫌いなものありますか?」
「あぁ、梅干しとか」
「当たらないといいですね」

紙皿と箸を渡されながら言われたそれ、それがなんだかおかしくてついつい笑ってしまう。
当たらないといいなぁ、と卯花が箸をつけたおむすびの中身は梅干しでやたら酸っぱかった。

「当たりですか?」
「・・・うん」
「卯花さん、馬券買いましょう、当たるかもしれません!」

そうだそうだ、と周平が茶々を入れて武尊もそれに乗っかり手を叩く。
笑い声が高く澄んだ空に広がって、風がそれをさらっていく。
あー!先に食べるなんでずるい!と侑が乗り込んでくるのはこの数分後の話である。

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