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卯花さんの事情 前

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卯花敬二には双子の兄敬一けいいちがいる。
一卵性双生児で産まれた彼らはほぼ同じように育ったが、ほんの少しだけ敬一の方が優れていた。
寝返りをうったのも、歩き始めたのも、ママと言葉を発したのも、字が書けるようになったのも、足の早さも、九九を覚えたのも、数えあげればキリがない。
生まれながらに敵わない、というのはこういうことかと漠然と敬二は思った。
兄が先にできるだけで敬二にそれができないわけではない。
兄を支えて二人で卯花グループを盛り立ててほしい、父の口癖だった。
兄がほんの少し優れていただけで、敬二もまた優秀だったのに。
なんとなく腑に落ちない思いを抱えながらも、双子はすくすくと成長した。
高校にあがる歳になると兄は海外へ留学し、敬二は名門高へと入学する。

そして敬二に運命と呼ばれる、いやそう呼ばれていた相手が出来た。
出会ったのは高校生の時、名家の子息子女が通う名門校。

「あなたは私の運命の人」

そっと手を握られて微笑んだその人からは、欲情を掻き立てる匂いがした。
華やかな、咲いたばかりの大輪の薔薇のような匂い。
バースで別れた校舎、月に一度ある交流会。
彼は華奢で線が細く笑んだそれは儚げで、庇護欲を大いにそそった。
それが本当に運命だったのかその時はわからなかった、だって経験したことがないから。
彼が運命というならばそうなんだろうと、纏う空気にクラクラとしてそれを受け入れた。
すぽりと胸に収まってしまう体も、伏せると影ができてしまうような長い睫毛も、自然と赤みがさす頬も何もかもを好きになった。
合わせた素肌はこの上ない快感で、性に目覚めた敬二は夢中になった。
世界一好き?と問われると、世界一愛してると返した、事実そうだったから。
二人の交際は順調で大学を卒業したら番になろう、結婚しようと誓いあった。
名門校だけあって相手もまた良家の子息だったので両親からの反対もなかった。
それが呆気なく崩れたのは、敬一が海外留学から帰ってきた時だった。

「間違えた」

兄を紹介した時、彼はそう言った。
そう、間違えたのだ、兄と弟を、運命とそれ以外を。

「敬ちゃんのこと、好きだよ…。だから、これからも仲良くしてくれるよね?」

自分は生まれた時から二番目だった、そこが自分の指定席。
だから、だから、だから……

──もちろん

それ以外の答えなど許されない。


卯花が編集長をしているファッション誌『Mignon』は卯花グループの傘下にある出版社から出版されている。
いずれ、卯花が社長になる出版社だ。
兄からは編集長なんて辞めて早く経営側にまわれ、と言われているが現場仕事の方が好きだった、それに…

「敬ちゃん、今回の表紙も良かった?」
「あぁ、すごく綺麗だったよ」
「私が一番だよね?」

うふふと笑うのは歳を重ねてもなお綺麗な人、好きな人、愛しい人、の人。

「ねぇ、新しい企画聞いたよ?ウェディングモデルやってあげようか?」
「いや、モデルは使わない」
「えぇー、もう一度着てみたかったなぁ」
「主役は作品だから」

え?と不思議そうな顔に自分が何を言ったのか気づいて、大いに焦ると共に驚いた。
今、自分は何を言った?こんなのはおかしい、いつだって主役は彼だったのに。
じわりと浮いてきた汗を拭くために取り出したハンカチ、青い鳥が菫を咥えて小首を傾げている。
ふと過ぎる在りし日の光景、社員食堂でそれを見なければこんな失態を犯すことはなかったのに。

──いいハンカチだな
──編集長!わかります!?この方の刺繍、すっごくすっごく素敵ですよね!?繊細なのに色運びとかが力強く感じるんです!フリマアプリでも人気の作家さんなんですよ!
──高木がそこまで言うなら、なにか企画を立ち上げたらどうだ?
──いいんですか!?
──会議で通るかはわからないがな

どうして入社二年目の新人にそんなことを言ったのかわからない、ただ濃く青い羽を持つ鳥に惹かれた。
編集長にあげます、ともらったそれはいつも胸ポケットに入れている。
どうしてかはわからない、ただ見ているとなんとなく安らぐのだ。
けれど、糸に触れると胸がずくんと疼く。
奇妙な、でもどこか手放したくない感覚。

「敬ちゃん?そのハンカチがどうかした?」
「いや、なんでもない。広海ひろみにはこんな素朴なものじゃなくて、もっと華やかなものの方が似合うよ。だって、一番なんだから」

主役で一番、間違えてはならない。
そう?とにんまりと笑う華美な笑顔、美しいと自負しているその表情。
あぁ、正解だったと胸を撫で下ろす。
握りしめたハンカチはしわくちゃになっていた。





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