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台風

第1話

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 ――その日は暴風雨だった。

 時速20キロで北上する台風13号の所為で、美里みさとふみ雨合羽あまがっぱ登校を余儀よぎなくされていた。折角セットした髪も、横殴りの雨と風でボサボサだ。
 時刻は午前6時を少しまわったところ。台風の影響によっては休校になる可能性もあるが、学校が決断を下すよりも早く、ふみ香は校門をくぐっていた。部活の練習に参加する為である。

 美里ふみ香は私立時計ヶ丘とけいがおか高校の一年生で、将棋部に在籍している。子どもの頃から将棋が好きで将棋部に入部したのではない。同じ高校に通う兄に無理やり入部させられたのだ。そしてその兄はというと、自分だけさっさと退部届を出して、今は気ままな帰宅部生活を謳歌おうかしている。
 後で知ったことだが、兄と部長との間では何らかの取引きがあったらしく、要はふみ香は身売りされたのだった。

 ふみ香は将棋部の面々から熱烈に歓迎された。時計ヶ丘高校将棋部の長い歴史においても女子部員が入ったことは初だったようで、先輩部員たちはルールもろくすっぽ知らないふみ香を甲斐甲斐しく世話した。そして一学期が終わり、夏休みが終わる頃には、ふみ香はすっかり将棋中心の生活を送っていた。

 そんな先輩たちの期待に応える為に朝早くに登校したふみ香だったが、雨の中、校舎を見上げたまま呆然と立ち尽くしていた。

 ――何故なら、そこに死体があったからだ。
 ――それも時計塔から伸びた長いロープにぶら下がる、首吊り死体。

「……浜地はまじ先輩?」
 ふみ香はポツリと呟いた。時計塔から首を吊って死んでいるのは将棋部の部員だった。

 二年の浜地光男みつおは肩までの長髪で、色白のぽっちゃり体型の男子だった。元々白かった顔が今は青みがかって見える。

 次の瞬間、ふみ香は駆け出していた。気が付くと体が勝手に動いていたのだ。ふみ香が警察や職員室に知らせるより早く向かったのは、四階の家庭科室である。下から見上げたときに家庭科室の窓だけ開いているのが見えた。恐らく、浜地はロープを首にかけ、そこから飛び降りたのだろう。今更向かったところで手遅れなことは明らかだ。それでも、ふみ香は自分の感情を割り切ることができなかった。

 家庭科室の扉は鍵がかかっておらず、するりと開く。
 すると、薄暗い教室の中に一人の女子生徒がたたずんでいた。ベリー・ショートの黒髪がボーイッシュな印象で、身長153センチのふみ香より小柄だ。

 ふみ香は少女の名前を知っていた。

 ――小林こばやしこえ

 時計ヶ丘高校の二年生で、探偵事務所で助手としてアルバイトをしている。実際の殺人事件を解決したこともあり、警察から何度か感謝状を贈られていたのを覚えている。とはいっても、知り合いというわけではない。
 小林声は名探偵として校内で知らぬ者はいない程の有名人だった。

「……仏さんの知り合いか?」
 入口の前で立ったままのふみ香に小林声が話し掛ける。

「…………」
 ふみ香には無言で頷くのが精いっぱいだった。

「そうか」

 小林声はふみ香から視線を逸らし、どんよりと曇った窓の外を見ている。開いたままの窓からは強風に乗って雨粒が大量に入り込み、床や机はびしょ濡れになっていた。特にカーテンは教室にあるもの全て、水滴がポタポタ滴り落ちる程濡れている。
 雨と風の音に混ざって、水道の蛇口から出る水がシンクの流しに落ちる音が聞こえている。

「じきに警察がここに来る。私が既に呼んでおいたからな。知り合いなら捜査に協力してやって欲しい」

「…………捜査?」

「ああ。残念だが、これはただの自殺ではない。殺人事件だ」

「……浜地先輩は自殺したんじゃないんですか!?」
 ふみ香は混乱した頭で、何とかそれだけ言う。

「違う。これは何者かによる殺人事件だ。それも、かなり計画的に練られたものだろうな」
 小林声が再び窓の外に視線を向けると、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。

「……小林先輩がそう考える根拠は何ですか?」

「それはまだ言えない。現段階で、100%お前が犯人ではないと断定することはできないからな。お預けを食らわせるようで申し訳ないが」

 気が付くと、背後に背広姿の二人の刑事が立っていた。一人は鷲鼻の中年で、もう一人はオールバックに眼鏡の若い男だ。

「詳しい事情を聞かせてくれるね?」

「……はい」

 ふみ香は刑事たちに別の教室に連れられ、そこで小林声と別れた。

 ――その日の授業は当然、中止となった。
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