KARMA

紺坂紫乃

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第三部 影喰み-shadow bite-篇

3-4

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四、


 先日の雨の日の暇つぶしである組み手をしてから、刹那とリチャードは晴れれば屋上で、左文字命名である『技殺し』の練習をしている。
 相手は刹那だけでなく、左文字だったり、アンリだったりとローテーションで変わる。
 今の相手はアンリだ。

「あいつ、本当に変わったな。相変わらず俺らの中では弱いけど」

「リチャードか。根が悪い訳では無い。ただ世間知らずと名家という閉塞した環境で、自身の弱さを認められなかっただけであろう。そうでなくば、あのルイーズがフランスまで付いてこぬ」

 今日はやや風が強い。温度自体は爽やかで枯れた木々が放つ独特の香りがする。風向きからして、サクレ・クール寺院のマロニエの樹が発生源だろう。過ごしやすい季節になったものだ、と考えながらも、二人はあのルィアンに攻撃を仕掛けてきた幻影の式鬼から、動きのない『夢幻泡影』を警戒している。

「セツナ、交代だよー」

 アンリから声がかかって、刹那ははっと現実に戻ってきた。汗だくになっているのは、なかなか技がうまく決まらないリチャードだけだった。

「異能の制御よりも難しいな」

「お前、変に身構えているからだって。敵の攻撃を『いなす』方が力んでどうすんだよ」

「むう」

 また左文字との口喧嘩が始まりかけたので、刹那はタオルを差し出して喧嘩が勃発する前にストップをかけた。

「相手が私だけでは肝心の実戦では使えぬ。顔も知らぬ相手がどういう動きや癖を持っていて、どこを突けば倒せるかは、数をこなすしかないな」

 「相手の癖か」とリチャードはタオルに顔を埋めながら漠然と考える。頭の中でのイメージはできているのだが、やはり実践するのとは大違いだ。刹那にそれを話せば「頭で理想を描くのは悪いことではないぞ」と笑って返してくれた。
 今はひたすら経験を積むことかとリチャードが考えていると、屋上のすぐ下にあるZEROの部屋が騒がしい。窓を開けているからか、声がだだ漏れだ。

「揉め事か? おなごの声が聞こえるが……」
「あのおっさんの痴話喧嘩なんか御免だぞ」

 昼食も近いということで、本日の特訓はまた夕方に再開することとして、四人は階下に降りて行った。

「何度も言わせんな!! お前らをここの護衛にしたのはボスの決定だって!!」

「だから!! なんでそのボスがあたし達の到着前に帰っちゃってるの、って訊いてるのよ!!」

「知らねえって!!」

 ZEROが言い争っているのは、二人の少女だった。もっとも騒いでいるのはZEROと一人だけでもう一方は置物のようにつったっている。
 一八八〇年代の流行であった首から腹まで大きくV字型に入ったブラウス生地、袖は肩の部分が膨らみ、絞られたウエストから膝丈まで広がる赤い小花柄のワンピースとレースアップブーツと、見た目はごく普通の町娘であった。年齢はルイーズよりも少々上だろうか。編み込みのされた腰まであるややくすんだ金髪だった。

「おっさん、近所迷惑だから騒ぐな……って、あれ……?」

 左文字が二人の仲裁に入ろうとしたら、廊下で黙って立っていた少女とまったく同じ顔の少女が顔を出す。大きな黒い目をくりくりとさせて、双方、顔を合わせた途端に動きが数秒止まる。

「あー!! あんた、サモンジ!!」
「……誰だっけ?」

 見覚えはあるんだが、と言いかけた左文字の横顔に騒がしい方の少女から繰り出されたビンタにより、乾いた音が廊下に響いた。



 隠れ家に戻り、頬に冷たいタオルを当てている左文字に、今にも噛みつきそうな少女の蛮行をなぜかZEROが平謝りしていた。

「いつもの痴情のもつれじゃないの?」

 アーヤが訝しげに尋ねると、ZEROが「それも半分」と渋面を作る。

「こいつらは『インフィニ』の幹部で、やかましい方がサンク、大人しい方がシス。見ての通り双子。普段はシテ島に住んでいる。ボスに心酔しているせいか、自分達が来るよりも先にボスが帰っちまって呼び出したのが俺なのが心底気に入らないらしい」

 ソファの上で左文字を威嚇し続ける少女と、同じ顔で半目しか開けずに紅茶と茶菓子に夢中な二人はなんとも対照的だった。

「それで? アーヤ達の護衛にルィアン殿が『インフィニ』のメンバーを派遣して下さったのは解るが、左文字はなにをやらかしたのだ……?」

「……お姉ちゃんと年増女、二股かけていた」

 紅茶を飲んでいたシスが琥珀色の水面を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「それは……擁護できぬ」

「やっぱり痴情のもつれなんじゃない」

 刹那とアーヤを始め、全員が左文字を冷たい目で見る。
 左文字は皆の視線に痛みを感じながら、必死に記憶の糸を辿った。だが、どう記憶を掘り返そうとも二股をかけた覚えはない。
 
 ――ひらめきは突然やってくるのだ。

「あ、思い出した。二年くらい前に、酒場でウエイトレスをしていたこいつに絡み酒したおっさんを殴ったら、金魚のフンみたいにどこにでも付いてくるようになってよお。無視したまま、放っておいたら、待ち伏せするようになって……。それでも無視していたら、前にアルバイトしてた食堂の女将さんが久しぶりに飯奢ってくれるって言うから入っていったら、なんでか平手と蹴りとアッパーカットの三連コンボを決めて涙ながらに走って行った女だ」

 左文字の説明を聞いたら全員が沈黙に包まれる。真の被害者は左文字の方だった。だが、サンクとシスに態度を改めるようすは皆無だ。
 真実は正反対もいいところだ。とうとう堪忍袋の緒が切れたのはZEROだった。

「やっぱりお前らの方が迷惑かけてんじゃねえか!! いつも話を歪曲わいきょくして話すなって言っているだろうが!! お前らの誤報でボスに叱られるのは俺なんだぞ!!」

「……ちょっとした誤解じゃない。肝っ玉の小さい男はやだ」

 ZEROのお叱りに爪の先ほどの反省が見られない。この二人とアーヤを、デューク一人に任せて大丈夫だろうかと刹那達の不安は募る。

「……くっそ、人選を恨むぜ。左文字、悪かったな」

「いや、俺も忘れていたし、もう二年経っているから時効だ」

 拝み倒すように部下の過ちを謝り続けるZEROに「中間管理職って大変なんだな」とリチャードが呆れながら呟いた。

「異能だけは保証する。シスの『千里眼』はレーダーよりも正確だ。但し、こののんびりした性格のせいで時差があるが。サンクの『同調シンクロ』は褒めちぎらないと発動してくれんが『夢幻泡影』のボスだろうが幹部だろうが、バリアをすり抜けて意識を同化させられる。つまり、いつこちらに攻めてくるかが解るから!!」

 要するに異能力は優れているが、発動が条件付きで面倒であることは非常によく伝わった。ルィアンからこの二人の名前が出された時にZEROが頭を抱えていた理由が、ようやく理解できた。
 どうにも扱いづらい二人がいつまで居座るのか、それだけが心配だ。刹那は「早々に決着をつけないとZEROの胃に穴が空くな」と考えた。

「ま、異能の発動に難はあれ……『ルィアンの命令』での縁だけれど、よろしくお願いね。二人とも」

 にっこりと笑ったアーヤの笑みに、まだ冬は早いと言うのに全員がぶるりと悪寒に身を震わせた。
 うちには魔女が居たのだったと痛感した刹那は、顔色を悪くしているサンクとシスに「いい牽制になった」と紅茶を飲み干す。いくら協力者と言えど、無法地帯になっては困るのだ。
 アーヤはルィアンとは違うが、いずれも曲者である異能者を纏め上げているのだ。少々騒がしい小娘が二人程度、彼女には羽虫に等しい。ルィアンもそれを見越してこの二人を預けたのだろう。 あの思慮深いルィアンが異能だけで人を選ぶ訳がない。
 今日はアッサムのストレートだ。ほどよい濃い目の苦みが口の中に広がった。



 アーヤの隣部屋を与えられたサンクとシスは、シングルベッドが二つあるにも拘わらず、一つのベッドで身を寄せ合って沈黙していた。

「お姉ちゃん、どう?」

 シスがひっそり尋ねると、サンクは夢遊病のように口を開いた。

「――奇襲は三日後。狙いは……」

 シスはむくりと起き上がると、まだ目の焦点が定まっていないサンクの手を引いて、部屋をでた。

 時刻はもう夜中の二時を過ぎている。時刻の配慮など無く、アーヤの部屋をノックし続けるが、反応はない。

「あの、こんな時間にどうしたの?」

 アーヤの部屋ではなく応接室を越えた方角から、肩に薄手の白いカーディガンを羽織って髪を下ろしたルイーズが目を擦りながら現れた。
 ルイーズにシスは予言を夜陰に溶かせて呟いた。

「『敵』来るよ。三日後。狙いは――」

 シスの抑揚のない声に、ルイーズは眠気も忘れて、満月が放つ青白い月光の下で立ち尽くした。

★続...
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