KARMA

紺坂紫乃

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第一部 V.S.クルセイダーズ篇

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五、

【第一のカルマ】

 十二世紀初頭、イングランドを治めていた勇猛果敢な王がいた。
 第三回十字軍を率いたリチャード一世である。「中世ヨーロッパに於ける騎士の模範である」と称えられるほど勇壮なる姿から「獅子心王クール・ド・リオン」の異名を取る。しかし、政治面での彼は十年の在位の中で、本国に滞在したのは僅か六カ月と言い伝えられるほどに戦争と冒険に明け暮れた。
 父王との確執、宿敵・エジプト王サラディンとの対決、自由な宗教的概念など彼に関する逸話は多く遺されている。



「で、リチャードはその獅子心王の生まれ変わりだってか?」

 埃と血塗れだったシャツを脱ぎ捨て、シャワーから上がった左文字は四人掛けのソファを占領してまだ目覚めないリチャードをちらりと見て、真っ白なタオルで頭を拭いていた。

「そう。彼が『第一のカルマ』よ。前世で犯した大量殺戮が彼の『業』として贖罪の為に能力者となった」

 アーヤは「まさかあれだけ傲慢な性格なのに戦闘が未経験とは初耳だったけど」と付け加えて、デュークから手渡された淹れたての紅茶を一口啜った。

「彼の能力は獅子の姿をした念動力だと言ったわね?」
「おう。最初はアンリと同系統かと思ったが、こっちに矛先を向けた時に回避した感覚で
アンリの斧ほどの密度が感じられなかった。しかし……かつての王様か。道理で態度がでかいわけだ」

 左文字は、やっと髪を拭き終わって、着替えの白い開襟シャツに袖を通しながら納得、と嘆息する。

「それは『今生』の彼の生まれ育った環境の問題よ」

 アーヤはティーカップを持ったまま、くすりと笑った。そこへ、今度はデュークが冷静に口を挟んだ。

「アーヤ、確か以前の貴女の話では『業』は数字が大きくなるほどに『業』が深く、強くなると言っておられた」
「ええ、そうよ」
「『第一のカルマ』であるリチャードがかつてのイングランド王であったという『業』が一番軽く、弱いと言うのならば……やはり『第七のカルマ』を担う刹那の『業』とは一体どれほど恐ろしいものなのだね?」
「……戦いが進めば、嫌でも解るわ。デュークからすれば、彼はどう見えて?」
「初対面から、彼は悪魔ディアボロだと感じていた。あれは魔界の産物だと」
「なら、今はそれを信じていれば良い。別に『業』は殺した人間の数で決まる訳じゃないということはアンリや貴方が最もよく知っているでしょう?」

 アーヤの言葉にデュークは静かにティーカップに口を付けた。左文字もまだ湿っている髪を掻いた。

 その時、玄関が騒がしくなる。

「セツナ、早く!!」
「ま、待て……このミシンとやらは中々に重いのだぞ」

 アンリの高い声とルイーズの忍び笑いに急かされる刹那の震える声で、場の空気が一変した。

「おかえり、三人とも。お目当ては見つかったの?」
「うん。ありがとう、アーヤ。シンガー社製のミシンが使えるなんて夢みたい」

 刹那の衣服の修理や自身の服を自作するというルイーズの為に、アンリと刹那が同道してミシンを買いに行かせたのだ。
 この時代のミシンは手回し式と足踏み式が主流であるが、ルイーズが選んだのは手回し式のようだ。アンリやルイーズは布地も買い込んできたようで、応接室の一角に置かれた小さな机の周囲は一気に荷物でいっぱいになった。

「セツナとアンリもありがとう」

 ルイーズが小さな声で礼を告げると、一息吐いた刹那もアンリも和やかに笑った。

「私の着物を直してくれるというのだ。安いものよ」
「僕の服も作ってね!! フリルが少ないものが欲しいの」

 楽しそうに歓談する三人に、左文字が「ガキは平和で良いよな」と三人を見守る。

「おや、リチャード。また気を逸したのか? コンコルド広場の方で騒ぎがあったと耳にしたが……」
「まさしく俺らが応戦してたんだよ。で、初めての戦いにお坊ちゃまは暴走して、俺が気絶させた」
「リチャード……」

 舞い上がっていた気持ちも、横たわるリチャードを発見すると、ルイーズは顔色を変えてソファに駆け寄り、不安気にリチャードの顔色を確認する。それをアーヤが「傷は治癒したから夕方には目を覚ますわよ」と諭した。

「二日連続で気絶するなんて、大丈夫なの? 万博は十月いっぱいまであるのにさ」

 さすがにアンリまでもが苦言を呈する。悪気がない分、左文字よりもタチが悪い。

「そうそう。ルイーズに訊きたかったんだが、こいつ、今日が初めての戦いだったんだぜ? 偉そうなくせしてよお。一応、念動力の使い手ではあるようだが、イギリスに居た頃はどうしてたんだ?」

 左文字のやや棘のある質問を「こらこら」と刹那が相棒を諫める。

「……リチャードは、本家に居た頃は怒ったり、感情が昂ったりすると周囲の物を浮遊させたり、投げつけたりしていた。周囲は神童だなんて囃し立てて、私がお仕えしていた離宮を与えられたけど、その実は旦那様や奥様からも気持ち悪がられていたわ。変にプライドが高くて、人を見下すのはそのせい。『僕は神に選ばれたんだ』って自分で自分を鼓舞していたの」

 哀し気に語るルイーズの言葉を継いだのは刹那だった。

「離宮にはルイーズも居た。自分と同じ異能使いが居ることで安心する反面、歪んだ矜持も君を召使いにすることでなんとか保たれていた、というところか? 君はリチャードよりも高い異能力を持っていながら、彼に順じているのはリチャードの矜持を傷つけない為であろう」

 刹那の言葉にルイーズは小さく頷いた。欧米人でない刹那と左文字、アーヤはリチャードのみならず、欧米列強国の上流階級者独特の差別的な言葉や視線には慣れてはいるものの、当然ながら気分がいいものではない。
 だが、リチャードもまた上流階級の家にありながら、成人するまでルイーズ以外の理解者を得られず、仲間と称されるチーム内でも戦闘経験の無さゆえに、見下していた左文字や刹那から屈辱的な恥をかかされたとあっては目覚めてからが面倒だと同情半分、面倒くささが半分と複雑な心境だった。

「……まあ、目が覚めたら残りの二日間は全員で彼が能力を平常心で使えるようになるまでスパルタ特訓ね」
「えー」
「……俺はもう勘弁してくれよ……。第一、その間にまた奇襲があったらどうするんだ?」
 アンリと左文字は露骨に嫌がる。リチャードの自業自得とは言え、さすがにルイーズは少し哀しくなった。
「カードには残りの二日に奇襲は無いと出ているわ」
「ならば、私とデュークが先鋒となろう。アンリと左文字が渋る気持ちも解らなくはないが、次の戦いまでにせめて自我を保てる程度にはなってもらわねば、一般市民や共に戦う我らの身も危ういというもの」
「吾輩に異論は無い。なにより誉れ高き獅子心王の今生の姿が自制もできぬとあってはルイーズだけでなく英国民も嘆くであろう」

 刹那とデュークの言葉にルイーズの目から小さな雫が零れた。「ごめんなさい、ありがとう」とうわずった声で礼を述べる彼女に、アンリと左文字も顔を見合わせる。

「……ったく、女を泣かすなっての」
「本当だよねー」

 あれほど嫌がっていた左文字とアンリも重い腰を上げて、眠っているリチャードを容赦なくべちべちと叩いて起こした。

「痛いじゃないか!!」
「そんだけ元気なら問題ねえな。ほれ、刹那とデューク。屋上でしばいてこい」

 起き上がったばかりで首をきょろきょろと忙しなく動かすリチャードの胸倉を掴んで、左文字は柔道の一本背負いの如くリチャードを刹那の方へと投げた。

 叫ぶ間も無いリチャードを受け止めて、刹那とデュークは「さあさあ、時間が惜しいゆえさっさと参ろう」と「なんなんだ!!」と吼えるリチャードを引きずってドアの向こうに消えて行った。

「だ、大丈夫かな……」

 おろおろとするルイーズに、アーヤは「あの二人なら加減の仕方もちゃんと心得ているから問題ないわよ。怪我をしても私が治せば良いだけなんだから」ととりつくシマもない。
 左文字とアンリに至っては疲れたからと昼寝を始める。仕方なく、ルイーズは買ってもらったばかりのミシンを調節して、刹那の着物を直し始めたが屋上からは絶え間なくリチャードの悲鳴が聞こえていた。



 刀も構えずに薄笑いを浮かべるだけの刹那と、リチャードが暴走し始めたら腹に痛烈な一撃を入れるデューク――二人はなかなかに厳しい教師であった。
無我夢中でなんとか念動力の獅子を保つところまでは可能になったリチャードは、汗だくになりながら、何とか刹那に獅子をぶつけようとするが、なかなか思うように力が働いてくれず焦れるばかりだった。

「くそっ!!」

 二人からの課題は簡単なものだ。「獅子に刹那を攻撃させろ」と言うものだったが、今のところ十回に一回、獅子はリチャードの意思のとおりに動いてくれれば良い方だった。他はてんでバラバラの動きをするので、刹那が片手の拳打で念動力を粉砕するか、デュークの血の棍棒で腹を殴られるかで一向に進まない。

「ふむ。リチャード、まずは呼吸を整えよ。獅子の形は安定してきておるゆえ、あとはそなたの気概だ」
「左文字と刹那、アーヤ以外の武器や徒手空拳でなく、物質を操る能力者は精神に強く左右される。昨日と昼で恥はかききっておるのだ。精神さえ不動の物となれば、獅子をもう一段階高みへと引き上げることもできよう」

 刹那とデュークの言葉に、座り込んだリチャードは「もう一段階の高み……」と呟いた。

 深呼吸を数度――再び立ち上がったリチャードに刹那は「デューク」と小さな声で囁く。

「……まこと、お主は性格が悪い」
「はは、今更ではないか」

 リチャードが獅子を作る為に、両手に力を込め始めた途端、突如として懐に刹那が飛び込んできた。デュークの棍棒よりも遥かに強烈な掌底が入った肺が潰されたかのような痛みに、リチャードは呼吸もできず、サンドバックにされる。まるで反撃の暇がない。昼間に戦ったアリシアよりも刹那の一撃の方が命の危険性を感じた。

(……こ、殺される……!?)

 助けを求めた視線をデュークに送るも、彼も血を凝固させて深紅の「鋼鉄の処女アイアン・メイデン」を作りだした。

「な、にを……!?」
「先に申した時間が惜しい。反撃せねば、次の一撃であそこに入ってもらおう」

 酷薄な笑みを浮かべた刹那の言葉にリチャードは目を見開いた。

「や、やめてくれ……!!」
「命惜しくば力で示せ」

 正面からリチャードを攻撃していた刹那が大きく踏み出した右脚を軸に身体を反転させてリチャードの背面に回り込み、背骨が軋むような一撃を打ち込んだ。

「う、わああ!!」

 迫りくる拷問器具にリチャードは死を覚悟する。しかし、土壇場で生来のプライドが勝った。

 ――こんな修行で死んでたまるか!!
 
 爪の先からも念動力を引き出そうと眼前にありったけの力を込めた。
 
するとそれは一匹の獅子の形を取り、リチャードの身体から離れて「鋼鉄の処女」と共に粉砕した。

「おお、見事!! やはり最終的には火事場の馬鹿力に限る」

 尻餅をついて呆然としているリチャードに刹那は拍手喝采を贈る。デュークも丸眼鏡を押し上げてあっけにとられているリチャードに白手袋をはめた右手を差し出した。

「言いたいことがあれば刹那に言えば良い。吾輩は多少協力しただけだ」

 抑揚のない声でリチャードを立ち上がらせたデュークは、徐々に顔を赤らめるリチャードにそう耳打ちした。

「……な、な、虚偽で俺を殺そうとしたのか!?」

「なにを言う。昨日も土壇場で力を発揮したのであろう? それに倣ったまでよ。安堵せよ。リチャード、自信を持て。虚勢を張って仲間を見下げるでなく、まずは己の弱さをと向き合い、受け止めよ。己の弱さも知らず、矜持だけでは私にもデュークにも反撃すらできぬと痛感したはず。お主には獅子という最高の味方がおるではないか――これで明日は左文字とアンリの拷問紛いの特訓で獅子を飼いならせようぞ」


 刹那はそう言うと言葉を探して俯くリチャードの肩を叩いて「帰ろう。腹が減った」と帰宅を促した。

「……結局、あいつは一度も刀を抜かなかったっ!!」

 ぎりっと歯噛みするリチャードにデュークはすれ違いざまに忠告する。

「もし、仮に刹那が抜刀していたら君は死体となったことにも気づかなかっただろう」

 そう言い残して、デュークも屋上から部屋に続く階段を下りて行った。

「そうか……俺は、弱いのか……」

 リチャードは不意に頬を流れた一滴を急いで拭って、既に見えない大きな背中の男二人を追った。
 銀の砂を零したような群青の空で、星が一つ流れたことをリチャードは知らない。



 部屋に戻ると、ヨーグルトと数種のスパイスに付け込んでいた鶏肉を豪快に焼いたタンドリーチキンと数種のサラダとコンソメスープ、ライ麦パンに白米、フルーツの盛り合わせが食卓に並べられている途中だった。

「リチャード、おかえりなさい。お疲れ様」

 アーヤが今にも食事に喰らいつきそうな左文字を椅子に鋼鉄のケーブルで縛り付けていた。その様子を刹那が猫でも相手するかのように左文字をおちょくって遊んでいる。

「あの、大丈夫……?」

 おどおどとフルーツを運ぶルイーズがリチャードに尋ねると、リチャードは面映ゆい表情で「問題ない」と返してソファにどっかりと座った。その様子に、ルイーズはふ、と笑って料理を手早く作っているデュークの手伝いに回った。

 十五分後、全員が食卓に付いたら左文字も解き放たれた。そして、猛獣さながらにチキンにかぶりつく様にリチャードとルイーズは息をのんだ。

「……優雅じゃない」
「左文字は戦闘があった日はこうなる。正気ではないゆえ急いで食わねば、お主らの肉も取られてしまうぞ」

 刹那が自分の皿に手を伸ばしてきた左文字から、素早くタンドリーチキンを死守して食事を進めていく。
 ようやくさっき左文字がアーヤに椅子に縛り付けられていた理由が解った。食事すら戦いであるとは、とリチャード達は一体どこで息を抜けばいいのやらと思いを馳せる。

「そう言えば、リチャード、刹那から聞いたけれど修行は順調なんですってね。なら、明日の先生はアンリと左文字だから、英気を養っておきなさい。刹那達のように大人な対応はしてくれないわよ」

 先刻、殺されかけたリチャードだが、アンリは「思いっきり殺るのが相手に対する礼儀なんでしょ? よろしくねー」と一撃で戦車五台を壊す少年は、華麗に左文字の攻撃を避けながらリチャードに最高のスマイルを送った。なぜかナイフとフォークを持つリチャードの顔が蒼くなり、カチャカチャと小刻みに震えだしたことに、刹那とデュークだけが「哀れ」と口にした。

★続...
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