BLUE BLOOD BLOOM

紺坂紫乃

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Ⅶ, SOL y SOMBLA (後)

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七、「SOL y SOMBLA」(後)



 性別を持たずに産まれてきた雪とユーリの子供は、朝の授乳を終えてすら須屋と眠っている。到着した桐嶋夫妻とユーリの両親とジャンヌが病室に通され、雪は姉夫婦にこれまでの事情を包み隠さず話した。

「……じゃあ、ヴィンセントは人間じゃなくて、リリィは特別な力を持った人間で、二人の間に生まれたユーリは人間じゃないから、この子にも性別が無いの?」

「月、明光、今まで黙っていてごめんなさい……」

 さすがの月も驚きが隠せず、親友であるリリィの謝罪にもどう笑えばいいのかわからない。とても複雑な表情をしていた。

「今、その話は置いておこう。問題は、なぜこの子が無性で生まれたのか――しかも、星と白十字の痣を持って……」

 ヴィンセントが「憶測の域を出ないが、心当たりがある」と椅子に腰かけたまま、呟いた。

「パパ?」

「ユーリ、子供が生まれる直前になにか『ヴィジョン』を見なかったか?」

 どくりとユーリの心臓がはねた。うろ覚えだが、大量の銀粒を群青のキャンバスにちりばめた夜空、宗教画のようなアルフォンス・ミュシャの黄道十二宮図、そして――消えゆくドゥルガーの声。夢だと思っていたのに、どうやら父の様子からそうではないらしい。

「……落ちてくる満天の夜空と、ミュシャの絵画とかが、見えた」

「なら、憶測は確定事項になったな――その子は、リリィの守護天使であるメタトロンの双子の片割れであるサンダルフォンの生まれ変わりだ。しかも黄道十二宮に位置する十二柱の神々が数千年間隠してきた最後の砦。星を支配し、やがてはリリィに代わって『神殺し』の大役を運命づけられた新たな熾天使」

「ちょうどミカエルが死んで熾天使の座は空位だ。そこへ犬神にアグニ以外の四大元素の神々を食われた。そのせいだろう。天使なら性別がないのも説明が通る」とヴィンセントは語る。

 ヴィンセント以外全員が置いてけぼりだ。ユーリが熾天使を生んだなどと、にわかには信じられない。ましてや、親友夫婦すら人間だと信じていた桐嶋夫妻は完全に蚊帳の外にいる気分だった。

「ね、ねえ……待ってよ。ついていけない。今度は弟の子供が天使だなんて言われて、どう反応を返したら……雪、あんたまでなんで話してくれなかったの? そんなに私たちは信用できないの!?」

「月、雪くんは悪くない。ユーリちゃんもだ。混乱する気持ちは俺も同じだけど、ここに居る人達は全員が神様とやらに振り回されたんだから」

 興奮する月を、冷静に明光がなだめる。明光もこんらんしているはずだろうに、雪やユーリを擁護しようとしてくれるのがありがたく、同時に申し訳なかった。ユーリは謝罪すべきか否か、迷っていると抱いている赤ん坊がぐずり始めた。

「あ……授乳は終わったのに、おしめかな? えっと……」

「落ち着いて、ユーリ。私達の刺々しい空気を感じたのかもね。天使なら、きっと聡い子だもの」

 母のリリィがふくふくと赤い頬を右手でさすると、赤ん坊はゆっくりと瞼を開けた。ユーリが恐れていた『BLUE ROSE』の色ではなかった。代わりに見たこともない金色のキャッツアイをしている。

「金の瞳……?」

「金目か。なら、熾天使であることが証明されたな」

 父の言葉に、ユーリは手を差し出してくる赤ん坊にぺたりと頬を触られた。小さな手。――だが、温かい。ユーリは耐えきれずに涙を流した。

『母なる其方の姿を、天より見守っておりますぞ』

 ドゥルガーの遺言が、聞こえる。

「月さん、明光さん、私は神様でも人間でもありません。でも、この子は天使だとしても、雪くんとの間にできた宝なんです……。見限られても仕方がないけど、私は、雪くんに遺せるのは、この子だけなんです……!! 認めろだなんて口が裂けても言えなないけど、この子を否定はしないでください……!!」

 吸い込まれそうな青い眼から流れる涙は、天使に降り注ぐ。まるで洗礼をみているような気にさせられた。

「まだ頭の整理が追い付かないんだけど、ユーリ私たちこそお祝いの前に責めちゃって悪かったね。『この子』じゃなくてさ、ちゃんと名前を決めてあげなよ。雪は、もう考えてるんじゃないの?」

「うん。男の子でも、女の子でも使える名前がいいと思ってたから『星(セイ)良(ラ)』ってどう? ユーリ」

「セイラ……」

「星に良いで、星良。天使だろうと、僕たちの子供なのは事実だから。生んでくれてありがとう、ユーリ」

 ユーリはふるふると首を横に振った。現状にふさわしい言葉が見つからないのだ。

 ――ドゥルガー、見えますか? この子が、私の子供です。私と雪くんの、血を受けた天使でした。
 もしも神の手で操作された子供でも愛しくてたまらない、新しい命。





 星良が新生児室に戻され、リリィ達も帰ってしまった午後のこと――。
 全身血まみれになったベルフェゴールが雪の影の中から現れた。

「ベルフェゴール!!」

「……ごめん、ね……お嬢さん。聞いたよ。お子さんはサンダルフォンの、生まれ変わりだってね……うっ!!」

「無理に喋っちゃダメだ。君ほどの使い手がここまでやられるなんて、どうしたの?」

 枕元にあったミネラルウオーターのペットボトルを口に当ててやると、ベルフェゴールは雪の補助を借りながら、少しずつ水を飲み、ふうと一息吐いた。

「はあ……王様の命令でずっと黙ってたけど、『異界侵攻』は始まっている。もう八か月くらいかな」

「な、そんなに前から!?」

 なぜ黙っていたのかを問うのは愚問だろう。妊婦のユーリに配慮してのことだ。しかし、ベルフェゴールは『魔界』でも三番手の使い手のはず。そんな彼がここまでの深手を負うとは、いったいどうなっているのか。先日のドゥルガーの死も気になる。

「ベルフェゴール、ゆっくりでいいから、今回の『異界侵攻』について教えて」

「……ちょっと刺激が強いかもしれない。大丈夫なの?」

「ユーリ、聞くだけだからね」

 いつになく厳しく雪が釘を刺してくるので、ユーリは小さく頷いた。

「第三次異界侵攻は、今のところ、標的は『魔界』だけ。しかもお嬢さんと王様が殺したノラの死体に犬神が入っているせいで、殺しても死なない。王様が単騎で塵も残らないくらいに吹き飛ばせればいいんだけど、そうしたら『魔界』まで無くなってしまうからできない。やっぱり『神殺し』の力じゃないと犬神を殺せないみたいでね……悪戦苦闘中。面倒なことに、傷もメフィスト様の治癒術が効かないときた」

 最悪の事態になっている。今すぐにでも飛び出していきたいが、まだ帝王切開の痕も完治していないユーリには何もできない。行ったところで邪魔にしかならないことは目に見えている。
 ジレンマだけがたまっていく。苦しそうなユーリの表情を見たらベルフェゴールが「だから来たくなかったんだけどね……」と苦笑する。

「……お兄さん、この部屋、お香でも焚いているの? なんだかいい匂いがして、傷の痛みが軽くなった……気がする」

「お香なんて焚いてないよ。病院だし、僕らは何も匂わないけど……強いて言うなら、さっきまで星良――新生児独特の匂いがするかな?」

 「ああ、それかも」と、横になっていたベルフェゴールはむくりと起き上がった。あれほど傷だらけだったのに、ものの数分で首を動かしたり、ストレッチができるほどに動けるようになった。

「え、星良の匂いだけで傷が治るの……?」

「いや、たぶんそれだけじゃないと思うけど。聖女様も居た?」

「ママ? うん、来てたよ」

「聖女様は香水を付けてる?」

「ううん。ああ、でもパパとか人間以外はママからは百合の匂いがするって聞いたっけ」

「百合の匂いか。うん、甘い花の匂いが心地いい。たぶんお子さんとの相乗効果じゃないかな」

 ベルフェゴールは雪の影に手を突っ込む。相変わらず、行動が読めない。

「あった。この部屋の匂いを俺達用の傷薬にできないか、メフィスト様にお願いしてみるよ」

 ベルフェゴールが手に持っているのは小さな貝殻だった。

「『魔界』特産アイテム、暴食の貝殻。これは別世界の産物だろうが、何でも閉じ込めることができるんだ。こんな身近で薬の原料が取れるなんて思いもよらなかった」

「……なんだろう……子供の頃に見たアニメと既視感がする」

「私も」

 雪とユーリを無視して、貝殻が小さな口を開けると立っているのがやっとなほど強雨風が吹き荒れる。
 よろめいたユーリは雪に支えられて、なんとかベッドに座り込んだ。

「よし」

「……あんたねえ……」

「助かったよ、お二人さん。これがあれば、お嬢さんが復帰してくれるまで持つと思う。ベリアルがさ、やっぱり元気ないんだよね。やっぱりスペアじゃ駄目みたいだ。じゃあ、今度はお祝いを持って来られるようにするから――またね」

 マイペースを極めているようで、その実、誰よりも仲間思いなベルフェゴールは、最後にゆるく笑って『魔界』へと帰っていった。

「……複雑だけど、いい仲間を持ったね。ユーリ」

「……うん」

 雪にベッドに横たえられて、頭を撫でられながらユーリは夢の中に落ちて行った。
 傷薬があれば大丈夫だというベルフェゴールの言葉を信じて、ユーリは穏やかな夢に浸る。

 半年後、ユーリは戦線に復帰する。犬神との最後の決戦に向けて、脇差を手にした。

to be continued...
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