玲眠の真珠姫

紺坂紫乃

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序章

壱、三龍大戦の爪痕

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壱、「三龍大戦の爪痕」


 三部族に分かれた『龍』が統治する世界では、古来より小さな諍いが絶えなかった。特に空の神龍族と地上の龍人族は国境争いが深刻な問題であり、双方を見かねた仙人界の長「東方王」が、三人の龍の長を集めて暦を作った。
 これを「統一歴」と呼ぶ。暦が成文化され、龍の特徴である「風水火土」を操る力を持たない者を差別せず、仙人界に招き入れることが決定された。
 残る問題はやはり領土問題である。こればかりは統一歴が制定されて五千年が経過しても解決には至っていない。

 ――そして、忌まわしい惨劇が勃発する。

 統一歴五千二百年、空域と地上は一触即発の空気だった。ところが、龍人の男が空を飛んでいた神龍の母娘に火を吐いて焼死させたのだ。神龍の母娘は、龍人族が主張する領域のぎりぎりの箇所を飛んでいた。まだ飛行に慣れない幼子が誤って領域の境目を超えたがゆえに焼き殺した、というのが龍人族側の主張である。
 ところが、この母娘が神龍族の高官の縁者だったので、当然のように二者の間で戦争が始まった。これには、仙人界も、海の龍王の意見も聞き入れられず、戦争は長期化。中にはこれを機に、海もどちらかの領土にしてしまおうなどという過激派まで出てきた。

「……どうしたものか……」

 竜宮の長老らはこちらも討って出るべきだと王に強く進言したが、「海の賢者」と称えられる現龍王・エイシャは防衛以外の攻撃を絶対に許さなかった。
 しかし、兵士は疲弊する一方だ。エイシャも頭痛が収まらない。
 ついに地上の龍人族が海底の大地を揺さぶり始めた時、エイシャの姪であり、宰相でもあったセツカが名乗り出た。

「わたくしが単騎で出撃致します。さすれば、わたくし一人が罪科つみとがを負い、王や一族には被害が及びません」

 エイシャや長老は強く反対したが、セツカ姫の決意は固く、彼女は女鎧おんなよろいを身に纏って竜宮を離れた。
 最強にして最高の水の操り手である彼女は、海底を支えながら、大気中の水気を、地中の水脈を我が物のように操り、二年で三龍大戦を停戦の講和へと持ち込んだ。
 だが、セツカの疲弊は著しく、講和会談を見届けると同時に倒れた。彼女は魂を真珠に、身体を水晶の中に閉じ込めて再び海底が揺らがぬよう自らが人柱となり、現在に至る。

「地上は後回しだな。先に仮眠を取って、仙界経由で空の久遠くおん城に行くか……」

 黒の眼帯を付けた龍の姿で、ロンは仙界に繋がる水脈を泳いだ。龍が支配する世界で、仙界だけはどういう仕組みで成り立っているのかを知る者は限られている。
 ロンが顔を出したのは、かすみに包まれた小さな泉だ。仙界は泉や井戸に飛び込めば水の流れが勝手にここまで運んでくれる。

 泉から人の姿で出てきたロンに「やっときたか」と呟く男が居た。見れば、泉を囲む縁石に長い黒髪を纏めようともしない青年が座っている。

「エリン!! あ、いや、エイル王子……ここで何をしてらっしゃるのです?」

「今更、敬語なんかやめろ。気持ち悪い。お前が竜宮に帰ったって聞いたから待っていた。どうせ義姉上のところだろう? それで、父上はお前に何を命じられたんだ?」

 エイシャ王の一人息子で皇太子であるエイルは、亡くなられた龍王妃の生き写しである。ずっと女顔であることがコンプレックスで、ロンの仙界留学に同行し、今は遊学中の身だ。

「空と地上の秘宝を取りに行く。姫の代わりになる魔力を秘めた石があれば、姫は封印から目覚めるはずだから」

「……相変わらず父上と義姉上に心酔しているな。お前、それがどれだけ困難なことか、自覚はあるのか?」

「解っているさ。たとえ命と引き換えになろうとも、姫には目覚めて頂き、再び王の支えに――」

 エイルは足元にあった小石をロンに投げつけた。ロンはそれをあっさりと避ける。エイルは大きな舌打ちと、これ見よがしにわざとらしいため息を吐いた。どうやら不機嫌の極みらしい幼馴染に、ロンは「なんだよ」と尋ねる。

「龍よりも猪に鞍替えした方がいいんじゃないのか? 馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが、これほどとは……呆れて何も言えない」

「……しっかり悪態を吐いているだろうが」

「あのなあ、義姉上が目覚めたところで、お前が居なければ意味がないと言っているんだ。足し算よりも簡単なことがなぜ解らない?」

「しかしだなあ……」

「うるさい。もういい。俺も同行する。もう決めた。拒否しても付いていくからな」

「お、おい……自分が皇太子だという自覚をもっているのか!? 王子の身になにかあったら、俺は龍王様にも姫様にも顔向けできん!!」

「自殺行為をしようとしている馬鹿を野放しにする方が厄介だ。義姉上は、お前を心から愛していた……忘れたとは言わせないぞ!?」

 こうなったら梃子でも動かないエイルの気性は、ロンが一番よく知っている。幼い頃から、ロンとセツカの後ろを、子犬のように付いてきていたエイルはまだ若いが、聡明な青年となった。
 エイルと話しているとセツカが隣で笑ってくれていた日々を嫌でも思い出す。

『ロンはわたくしを見つけるのが上手ね』

 政務が終わればこっそりと竜宮の屋根の上でお茶をしていたり、軍議でけちばかり付けてくる長老の顔にお茶を吹きかけたりと、養女であることを臆さず、飾らない姫だった。

 だからこそ――惹かれた。民にも愛される姫だった。陰では王の隠し子なのではないかという噂も一蹴するほどの才覚を見せつけて、黙らせる。

「……義姉上は、いや、義姉上だからこそ、先の大戦も海底竜宮は最低限の損失で済んだんだ。空の雷雲を発散させたり、地上の水脈を操って地震を起こしたり、最低限の魔力で二国と一人で戦えたのは、あの方の賢さだ。戦の発端だって、過激派思考の若い龍人一派の計画だったと、いち早く王に進言して、海底が防衛だけで済んだのもあの方のおかげだ。尊敬する義姉上の曇った顔なんか、俺は見たくない――!! だから命知らずには付いていくぞ」

 ロンは一気にまくし立ててきたエイルに、ふと笑って「わかった。だが、お前も無茶は絶対にするな」と肩を叩き、隣を通り過ぎる。

「もう仙界を出るのか?」

「いや、東方王様に一言お断りをしてからだ。借り物の香炉も返さねばならん」

 ひらひらと背中越しに手を振るロンの後ろを、飛び跳ねるようにエイルが付いてくる。



 

「……お前はまた龍王の無茶な命令をほいほいと請け負いおって……しかも、エイル王子まで共に行くと言う。儂の胃痛は治まらんわい」

 茶室に招かれたロンとエイルは、東方王の軽いお叱りに耳が痛いまま、正座をしている。
 数百人の仙人を束ねる東方王は、雪のように真っ白な髪を団子にした穏やかな翁だった。
 軍人である龍王とは違う風格を放つ仙人の長は、渋茶色の茶碗を揺すりながら、キッとロンとエイルを睨む。

「……師父、誠に申し上げにくいのですが、髭に抹茶が――っ……!!」

 空気を読まないエイルの足の裏を、ロンがつつくと、エイルはもんどりうって畳に倒れた。痺れていたらしい。

「やれやれ……これが世継ぎとは、エイシャの心労が手に取るように解るわ。まったく二十年経っても、精神がまるで成長しておらん。ロンよ、まこと、この調子者を供にするのか?」

「……この方は言い出したら聞きませんので……それに王子にとって姫様は亡くなられた王妃様の代わりのような存在ゆえ」

「そうか。ならば、儂からお主の責が少しでも軽くなるよう、これを授けようかの」

 東方王が茶碗を置いて、ロンに差し出したのは一本の古い巻物だった。紙が劣化して端々が破れている。

「師父、これはなんです?」

「お主らも周知の通り、まだ三龍大戦から五百年しか経ってはおらん。セツカの尽力で停戦になったが、停戦は終結とは違う。まだ戦の爪痕は大きく残っておる。それは『天地開闢廉かいびゃくれん書』という三龍王と儂、そして女仙を纏める我が妻・西王母だけが有する巻物じゃ。それにはなぜ龍を三つに分かたれたのか、仙人という力なき龍の存在理由も明記されておる。統一歴が制定されるよりはるか昔から、我ら五人だけが持つことを許された巻物。あいにく原本は渡せぬが、写しのそれを持つものは必ず各界の王に謁見できる。五人のうちの一人に許された証ゆえ、まあ、通行手形とでも思うがよい」

「そんな大切な物を……私に、よろしいのですか?」

「エイルは海底龍王の世継ぎじゃ。そんな者を停戦中の世界に連れて行くのならば、露払いは必須。なにせエイルは人質としては最適ゆえなあ」

 なんとか再び正座に戻ったエイルは、東方王からふいと顔を逸らした。エイルはお調子者だが、愚か者ではない。自身の危険性を知りながらも、やはり義姉に逢いたいのだ。ロンにも痛いほどに解る気持ちを無下にはできない。

「師父、ご厚情ありがたく受け取らせて頂きます」

 ロンは畳に三つ指を付いて、東方王に頭を下げた。

「うむ。道中は苦難の連続じゃ。特にお主は左眼にも難物を抱えておるゆえに、心が折れれば飲まれるぞ」

「自戒しております――それでは、師父、我らはこれにて」

「気を付けよ。おお、言い忘れるところであった。西王母にも逢ってから行け。旅に役立つものはあちらの方が揃っておる」

「はい、ありがとうございます」

 ロンとエイルは立礼をし、東方王の茶室を辞した。廊下の鳴る音が遠ざかると「やれやれ」と東方王はすっかり冷めた茶をくるりくるりと回す。

「龍はいずれも曲者よ……エイシャめ、『あの眼』の持ち主に空と大地の秘宝を持ち帰らせるとは……何事もつつがなく済めばよいがのお……」

 東方王の独り言を聞くものは、今はここにはいない。

続...
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