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第四章

act.36 僕が若葉に将来を誓った日の話 その5

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 電車が水道橋駅のホームに停まるやいなや、僕は開いたドアから飛び出した。時間は午後六時半、若葉との待ち合わせには完全に遅刻をしている。

 一応遅れるという連絡をLINEでは流しておいた。それに対して若葉から帰ってきたスタンプは金棒を振り回して怒っている赤鬼。以前バイトで一緒だった関さんが使っていたものと同じだ。

 自分から誘っておいて大きなことは言えないけれど、いくら金曜の夕方とはいえ六時の待ち合わせは時間が早すぎる。『いいなあ~、デートか?』と先輩社員に冷やかされながら、やっとの思いで着いたのがこの時間だった。

 東京ドームへ向かう人混みをかき分けながら、僕は西口の改札へと小走りに走る。改札を出たところに若葉の姿は無い。

「どこだよ、まったく……」

 僕は荒くなった息を整えながらスマホを取り出した。若葉からのメッセージが届いていないのを確認し、通話ボタンをタップする。

 一回、二回、三回。コール音がなっても若葉は出ない。

 十秒くらい経って、もうすぐ留守電に切り替わるかと思ったその時。

「遅い! 綾兄!!」

 と、突然、僕の真後ろから若葉の声が響いた。驚きのあまり思わずスマホを落としそうになる僕を見て、若葉はプクッと頬を膨らます。

「驚かすなよ、これでも急いで来たんだからさあ」

「チケット二枚貰ったから野球でも観に行くか? って誘ってきたのは綾兄でしょ?」

「いや、だからさすがに六時は無理っぽいって言っただろ」

 軽く口喧嘩をする僕たちを見て、中年のオジサンがニヤニヤ笑いながら通り過ぎていく。僕も若葉もそれに気づいて口喧嘩はやめた。確かに改札口を出たところで口喧嘩などするものではない。犬も食わないってやつだ。

「じゃあ行こうか?」

「うん!」

 東京ドームへと向かうスロープを歩きだすと、若葉が腕を組んでくる。

 小走りで急いだ後の僕は、ちょっと自分が汗臭くないかと気になった。

「若葉、あんまり近づくなよ」

「え、なになに? 綾兄照れてるの?」

 ニヤニヤと笑う若葉の顔が、僕にはちょっと小悪魔のように見えた。

 △

 あのプロポーズの日からもう一ヶ月が経つ。お互いの家族は僕たちの将来に対して誰も反対しなかった。ただし、おばさん、つまり若葉のお母さんが諸手を挙げて満足そうに迎え入れてくれたのに対して、おじさんが少し寂しそうな顔をしたのを、僕はちょっと申し訳なくは思った。

 彼女みたいな存在から、一足飛びに将来の婚約者となった若葉だけれど、実のところ僕との関係が特に変わったという部分はほとんどない。

 若葉のアルバイト帰りが遅くなった時には一緒に家まで帰ったり、時間がある時には夕食を共にすることは前からあった。休日に買い物につきあわされるところも以前から同じだし、若葉の手料理が炭水化物過多というのも変わってはいない。

 この一ヶ月を振り返っても、あの夜、アルコールの助けを借りたとはいえ、よく若葉と僕がそういう雰囲気になれたものだと自分でも不思議になる。

 あの日だけが特別だったのか、あの日だけ何か世の中が違っていたのか。つまり――あの日以来の一ヶ月という間、僕と若葉は二度目のそういう関係をもたないまま時間が過ぎていった。

 そうなると奇妙なもので、いったいあの日は何が違っていたのかが気になった。先に言うと僕はオカルトが好きなわけではない。けれど僕がたどり着いた仮説はちょっとオカルトじみたものだった。

 僕と若葉が結ばれたあの日、特に僕が気になった変わったこと。それはカズとよく遊んだゲーム機が壊れたことしかない。

 そしてオカルトじみたこととは、カズの墓参りから帰った夕方には、壊れていたはずのゲーム機の電源がいつも通りに入ったことだった。

 △

「あれ? 綾兄。ゲーム機が無いよ」

 あの日、お墓参りから帰った夕方、僕の家に来た若葉がリビングのテレビ台の下にゲーム機が無いことを見つけた。

「ああ、それな。昨日さあ、電源入れようと思ったら入らなかったんだ。もう十五年くらいになるからな、寿命だろうな。ほら、若葉が来た時にガムテープ持ってただろ? あの時ダンボール箱にいれて物置に仕舞ったんだよ」

「ふ~ん、叩いてみた?」

「はあ?」

 ゲーム機を叩いてみたら動くんじゃないかと、若葉は僕に言った。まさか昭和時代の電気製品じゃあるまいし、叩いて直るなら電気屋さんもいらないだろうと、僕は鼻で笑ったのだけれど。

「やってみないとわからないじゃない! 持ってきてよ、叩いてみるから」

 と、若葉が譲らないので、僕は再びダンボール箱からPS2を取り出してコンセントとテレビに繋ぐ。

「いくよ! ホラッ」

 若葉がバンバンとゲーム機の筐体を軽く二度三度と叩く姿を、僕は冷めた目で見つめる。

「ゲームセンター◯X、課長、スイッチ、オン!」

 そして、大げさなアクションで若葉がスイッチを入れると――

 なんと信じられないことに、ブーンというファンの回る音ともにゲーム機が動き出してしまったのだ。

「ほらね! 叩いたら直るんだよ、お兄ちゃんもやってたもん」

 ドヤ顔で胸を張る若葉に対して、ただ僕は「ああ、そうか」としか言えなかった。

 決して僕はオカルトじみたものが好きな訳では無い。けれどあの日だけ、ゲーム機の電源が入らなかった。もしかして、あの日だけ僕と若葉の関係が進むのをカズが目を瞑ってくれたとか……。

 まさかとは思う。僕の甲斐性がないだけだとは思う。けれど、あの日だけ特別だったのは事実なわけで。

 △

「二度目は手を貸さないから自分のチカラで若葉を口説け、っていうカズのメッセージとか……」

「え、なに? 綾兄、なにブツブツ言ってんの?」

 球場内で食べるお弁当を選びながら、若葉が僕の方を覗き込む。

 不思議そうに見開かれた目はクリっとしていて、贔屓目に見なくても美人だと思う。少し気が強いところもあるけれど、明るくてこんなに魅力的な女の子が、なんで僕のことを好きになってくれたのか。二十四年を生きてきた自分の人生でも、それが一番の謎。

「え、いや、べつに。弁当は決まった?」

「うん、これを二つ買う」

 若葉が選んだのは、値段でいえば下から二番目のちょっとお安い弁当だった。

「これでいいの?」

「いいよ、だってこれから綾兄には結婚資金を貯めてもらわないといけないから。無駄遣い禁止!」

 いつぞやのように人差し指をビシッと立てて、無駄遣い禁止を僕に宣言する若葉。

 そうなのだ。あの日以来若葉は倹約家に変身した。何年先になるかわからない新婚旅行で贅沢をしたいと言って、僕に倹約令を敷いたのだ。それ自体は僕もいいことだとは思う。けれど、何年先になるかわからない旅行のパンフレットを次々と持ってきては、「いいなあ、いいなあ」と言う若葉には少し閉口する。

「それより若葉、何年か先に結婚しても、俺のこと綾兄って呼ぶのか?」

「はあ? ほかになんて呼べばいいの? いまさら綾彦さんなんて言えないよ。アナタとかは絶対に無理! 百歩譲って綾クン。でもこれなら綾兄のほうがいいでしょ?」

 綾クン、綾くん、綾君……。何度か心のなかで繰り返してみるけれど、確かになにか違う感じがする。それも若葉に言われるとなると、なおさらくすぐったい感じだ。

「まあ、たしかに、綾クンよりは綾兄のほうがマシかも」

「でしょ! でもそのうち赤ちゃんができたら『お父さん』って呼ぶようになるから、綾兄って呼ぶのもそれまでの間だって」

 僕の背中をバンバンと軽く叩きながら若葉がそう言う。

 なるほど。どうやら若葉は僕の子どもを産んでくれる意志はありそうだ。二度目のをどうしよう、などと考えている自分がなんとも情けなくなった。オカルトっぽいカズの導きがなくても、やっぱり自分でなんとかしようと心に誓う。

 そういえばいつだっただろう、『子どもを産むかどうかなんてわからない』なんて若葉が言っていた遠い記憶がふと甦る。

 思い返せばカズがいなくなって、若葉と僕だけで過ごしてきた時間が十二年。これから先の十二年後には、小学生くらいの子どもがいても、何もおかしくはない。

「ねえ綾兄? 何人欲しい?」

 ぼんやりと将来の考え事をしながら球場のゲートをくぐったところで、若葉が質問をしてきた。ニコニコしながら「何人欲しい?」と聞いてくる。

「子ども?」

「当たり前でしょ、ネコの話なんてしてないんだから!」

「そうだなあ……」

 僕は考えた。男の子も欲しいし、女の子も欲しい。それも僕には似ないで、カズと若葉に似ていたほうがまだ見ぬ息子や娘も人生でトクをしそうだ。

「そうだな、じゃあ野球チームができるくらい作ろうか?」

「バカッ!! そんなのわたし死んじゃうって! なに考えてんの」

 僕の脇腹にパンチを繰り出す若葉。小学生の頃に比べると、パンチにも手加減というものをしてくれていて有り難い。

「二人か三人でいいんじゃないか? 兄弟や姉妹がいたほうがいいだろうし」

「そうだよね! わたし、男の子が出来たら結構甘やかすと思うから覚悟しててね、綾兄!」

 笑顔でそう宣言する若葉を見て、僕は自分のことに置き換えて想像してみた。女の子が出来たら甘やかすだろうか、将来は先日の若葉のおじさんのように少し寂しい表情になる時が来るのだろうか。

 まだ始まってもいない未来のことを話す僕と若葉の耳に、球場の大きな歓声が聞こえてきた。誰かがヒットを打ったか、それともホームランでも出たか。

「ね、早く行こう! 点が入ったかも」

 スポーツをするのも観るのも大好きな若葉が、僕の手を引っ張って階段を上る。

「ちょっと、俺弁当持ってるんだから、そんなに引っ張るなよ若葉」

 僕は将来のお嫁さんに手を引かれながら、球場の階段を上ったのだった。
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