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第四章

act.32 僕が若葉に将来を誓った日の話 その1

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「ごめんな、若葉……。痛かったか?」

 僕はそんなありきたりな言葉しかかけられない自分自身を恨んだ。そんな僕の腕の中で若葉が愚痴をこぼす。

「当たり前でしょ、初めてだったんだから」

「ホントに、ごめんな……若葉」

 もう一度謝る僕の方へと若葉はグイッと顔を向ける。

「綾兄、べつに悪いことしたわけでもないのに、謝らないで。わたしは痛かったって言ったけど、嫌だった訳じゃないから。それにもうわたしだって二十歳越えてるんだし、綾兄に謝られても困るし……」

 薄暗い部屋の中でも、若葉の瞳が濡れたように光っているのが見える。お互いにもう大人になったんだから、いずれは男女の関係になってもおかしくはなかった。それでもやっぱり僕の中には、なんとも言えない罪悪感が少なからず残っている。

「うん、そうだな。もう若葉も大人だし、ごめんな」

「もう! また謝ってる。バカじゃないの、綾兄!」

 そう言って怒りながらも、やがて腕の中でクスクスと笑い出す若葉。それにつられて僕もつい笑ってしまう。

「フフッ、でもまさか今日だとは思わなかった……。それに最初にプロポーズされてから始めるなんて、想像もしなかったし! まあでもそれが綾兄らしいといえば、綾兄らしいよね。いままでキスも何もしなかったのに、いきなりこうなっちゃうんだもん」

「だからごめん、若葉。反省してるからさ、もう言うなよ」

「また謝ってる! もう笑っちゃうからやめて」

 また若葉がクスクスと笑い始める。僕はそんな若葉の髪を優しく撫でたのだった。

 △

 それは八月の最後の土曜日だった。お盆休みが終わってからもう二週間が経っていた。そんな何でも無い日の今日、朝から少し気になることが起こったのは事実だった。

 その気になることとは、長々とリビングに置きっぱなしだったゲーム機がついに動かなくなったことだった。もしかしたら今日壊れたのでもなくて、もっと前に壊れていたのかもしれない。なにしろ最後に電源を入れたのが去年の年末だったような気もする。

 そのゲーム機は、ウチの兄貴から貰った時点で既に旧型になっていたPS2。カズと一緒に遊んだ思い出がそこそこ詰まっていたPS2。そんなPS2が動かなくなったことは、僕にはちょっとしたショックだった。

「しょうがないな、買ってから十五年もよく頑張ったよな」

 僕は独り言をいいながらPS2のコンセントを抜く。最初にカズと遊んだゲームは何だっけ? と、大昔のことを思い出す。

 もうカズが死んで今年で十二年も経っていた。

 あの時十二歳だった僕はいま二十四歳、すでに働き始めて二年目。カズが生きた年数の倍を生きたことになる。

「ちょっと、簡単には捨てられないな、これは」

 動かなくなったゲーム機を小脇に抱えて物置へと運び、僕はそれを大事にダンボール箱に仕舞った。

――僕と若葉が呆気なく初めて結ばれたのは、そんな何でもない日の夜のことだった。

 △

 僕が就職して都内の会社に勤め始めた二年前、時を同じくして若葉も女子大生になった。僕はこの時ほど、若葉とまだ歳の差が四歳で良かったと思ったことはなかった。もし五歳差だったら働き始めた僕が、ジョシコーセーと付き合う事態になっていたからだ。

 だいたい大学時代の四年間、なにかというと飲み会だの何だので『こいつのカノジョはジョシコーセーだからな』と冷やかされ続けた。世間様から見れば羨ましい身分だったのだろうけれど、僕と若葉の間柄は普通の彼氏彼女とは違うと感じ続けていた。

 とにかく妹のような存在だったり、彼女のような存在だったりとしても、大切にしないといけない女性であることに違いはなく、今から思えばそんな宙ぶらりんな状態でよく何年間も若葉は付き合ってくれたなとは思う。『若葉が大人になるまで待つよ』なんてカッコつけて言っていた僕だけれど、なんのことはない、僕が踏ん切りをつけるのを若葉がずっと待ってくれていただけだった。

 若葉が高校生の間、大人でもない子どもでもない若葉をどう扱ったらいいのか、僕はこの世にいる誰にも相談できずに頭の中でカズに聞くこともあった。頭の中のカズは当然小学六年生。大した返事をしてくれるはずもなく時間が過ぎる。そんなとき、昔々にカズが言っていた言葉が不意に甦ったことがあった。

――『綾彦、知ってるか? おまえと若葉が結婚したら、オレとおまえは兄弟になるからな。その時はちゃんとお義兄さんって呼べよ』

 義理の兄弟についての知識を知ったときだから、あれは小学校の四年か五年くらいの時だっただろうか。若葉がまだ小学校に上がってもいなかったような覚えもある。カズは得意げに僕にそう言って、義理の兄弟についての解説をしてくれた。

 それを聞いた僕はその時どう思ったのだろう。今となっては思い出すこともできないけれど、たぶんあんなに小さくて可愛い若葉ちゃんと結婚するなんて、と想像もつかなかったはずだ。

 そんなこんなで若葉が高校を卒業するまでの間、僕と若葉の間柄は特に進展することもなく時間は過ぎた。決して疎遠になった訳じゃない。若葉が行きたがっていたシーワールドには連れて行ってやったし、高校総体の予選にも応援に行った。大学の学祭に行きたいと若葉が言った時には一緒に学内を回ったし、大学の受験勉強も見てやった。

 ただ、結局若葉を特別な異性として見ることを、僕は心の奥底で拒否していたのだった。それはもう兄代わりの呪縛といってもいいかもしれない。若葉のことは好きだし、彼女として一緒にいて楽しい。けれどもう一歩そこから踏み込んでしまったら僕たちの関係はどうなるのだろうと、その先を考えるのが僕は怖かった。

 そこまで踏み込んだあと、子どもの頃から知っている若葉と僕との関係が万が一破綻してしまったとしたら、なまじ家が目の前にあるだけに僕も若葉も心の傷つきようが半端ではないと思った。だから僕は『大人になるまで』と言った自分の過去の言葉に逃げていた。もう本当のところは若葉のことを誰にも渡したくない、という自分の本心に気づいていながらも、ただ逃げていたのだった。

 そして、もう逃げないと決意したはずの若葉の二十歳の誕生日。雨模様の梅雨空の下で、この先は本気で付き合っていいか、と僕は若葉に告白するつもりだった。けれど、結局そんな雰囲気にはならずに、僕の勇気も雨と一緒に消えてしまった。

 そんな若葉の誕生日から二ヶ月半、その時は本当に不意にやってきた。

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