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第一章
act.15 僕と若葉がようやく家に帰った話 その1
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◇ ◇ ◇
翌日の朝、またも若葉に揺さぶられて僕は目を覚ました。
「……なに若葉、もう朝? 何時?」
「六時半過ぎ」
目をこすると夏の日は既に昇っていて、周囲は明るくなっていた。少しざわざわとした館内に朝のテレビのニュースが流れている。
東京都内や首都圏北部の電車は、多少の間引き運転ながらも走り始めたらしい。ただこの辺の電車はまだ止まっている様子。
東海道線・横須賀線の東戸塚駅以南から茅ヶ崎駅まではまだ点検と復旧に一両日かかる見通しで、小田急の江ノ島線も同じようなニュアンスだった。
相模鉄道やブルーラインは今日中に復旧と言っていたけれど、それが何時頃になるかは確定していない。根岸線を使ったり、三浦半島をグルっと南回りで行くのはもっと厳しい感じで、結局は電車が動いているどこかの駅まで歩く必要があった。
今朝から電車が動いている駅で、なんとか千葉まで帰れそうなのはJRの東戸塚か東急の中央林間。
ガイドブックに載っている地図でここからの距離をみてみると、東戸塚までが十五キロくらいで、中央林間だと二十キロ程度。ここからなら東戸塚駅までのほうが若干近かった。
「十五キロかあ……、四時間歩くのか。八時に出ても東戸塚に着くのはお昼すぎだな。それにしても真夏の十五キロかあ」
僕は昨日の残りのパンを食べながらひとりでボヤいた。真夏に十五キロも歩こうと思ったら水分補給をしっかりして、休憩だってこまめにしないといけない。はたして四時間で着くだろうかとさえ心配になる。
「なあ若葉、確実に動いてる駅まで行こうと思ったら十五キロだってさ。若葉より俺のほうが先にバテそうだよ」
「うん……」
そういえば、なにか朝から若葉の様子がおかしい。パンを食べていても少し元気がない感じがする。
さすがに昨日から今日にかけての激動で、やっぱり疲れも出たのかと僕は思った。なにしろ家に帰れていないし、小六の女の子には相当なストレスになっただろう。
「若葉? 元気ないな、大丈夫か。やっぱり眠れなかったのか?」
僕の問いかけに若葉は曖昧に頷いて、そして深いため息をつく。
「はぁ……、ごめん綾兄。もしかしたら生理かも、うん、多分そうだと思う」
「へっ?」
それを聞いた僕は、思わず間抜けな声を出してしまった。先月からそういうのが始まったとかなんとか最近聞いたけど、まさかそんな。
「始まってすぐは定期的に来ないとか、飛び飛びになるとか、お母さん言ってたのになあ……」
そう言ってまた若葉がため息を吐き出す。
「で……、若葉。その、そういう用意って持ってきてるのか?」
「持ってきてない……」
「ああ、そうか」
これは大変なことになったと僕は慌てる。こういうことは男の僕にはわからない世界。それどころか、こんなときに十五キロも歩かせていいのだろうかと頭を悩ます。
いろいろと考えて、結局僕は昨日の紺野さんに相談することに決めた。ところが館内を探しても紺野さんは見当たらない、昨夜から一旦自宅に帰ってしまっているようだ。他の役員さんに聞こうとしても全員男性、いまのことを話しても全然役に立ちそうもない。
オロオロとしていると時間は朝の七時になった。と、そこへ紺野さんが公民館に入ってくる姿が見えてくる、地獄に仏とはまさにこのこと。
「紺野さん、おはようございます」
僕は一目散に駆け寄った。紺野さんもにこやかに「おはよう神村君、よく眠れた?」と挨拶をしてくれる。
「はい、おかげさまでさっきまで寝てました。ただ、若葉がちょっと……。すいません、ちょっとだけ若葉の話を聞いてやってもらえますか?」
紺野さんを若葉のもとに案内して話を聞いてもらう。僕が少し遠巻きに二人の姿を見ていると、紺野さんが「まあ!」と言ったのが聞こえてきた。
若葉は紺野さんの質問に、首を縦に振ったり横に振ったりして答えている。やがて紺野さんは手を振って僕を呼んだ。
「あんまりお薬とか飲むのも良くないんだろうけど、お腹も少し痛いみたいだし、私の家からいろいろ持ってくるから。まあ、これは男の子にはわからないよねぇ」
そう言って紺野さんは、いま来たばかりの入り口へと消えていった。
△
「そうか若葉、お腹が痛いのか?」
「うん、ちょっとね」
それを聞いた僕は『無理をするなよ』と言いたかったけれど、どう考えても今日は無理をする日なのだ。かといっても『頑張れよ』とも言えず、僕はなんとも言えない気持ちになった。
「今日の計画、考え直そうか。十五キロの歩きは辛いだろ、若葉」
「でも綾兄。電車が動いてる駅まで行かないと帰れないでしょ」
「たしかにそうだけどさあ……」
確かに現実は若葉の言っている通りなのだ。帰ろうと思ったら電車が動いている駅まで行かないといけない。そこまで行くには歩くか、タクシーか、バスか。
近くの国道がどれだけ混んでいるかまだ見ていないけれど、車やバスがスイスイと走っていたり、手を挙げて簡単にタクシーがつかまるとは思えなかった。
「わたし十五キロ歩くよ、しょうがないもん」
口を尖らせて若葉が言う。
「じゃあ若葉、体調が悪くなったらすぐに言えよ」
僕と若葉は避難所の片隅で紺野さんの帰りを待った。
△
紺野さんは痛み止めの薬や生理用品、それから経口補水液などを持って来てくれた。さっそく若葉は痛み止めを飲んでから手洗い所に向かう。
僕は自分から相談しておきながら、紺野さんに頼ってしまったことを申し訳なく思った。何度も何度もお礼を言ったけれど、逆に僕が紺野さんに励まされる結果となる。
「頑張って! って言うのは簡単だけど、若葉ちゃんにとって十五キロはキツイいよね。何かいい方法はないかしらねえ」
紺野さんは頭をひねる。
「もう一日電車の復旧を待つ手もありますけど、さすがにそれはちょっと若葉の両親も心配するでしょうし。でも、十五キロ歩くのも心配するかもしれませんね」
僕も何かいい手がないかと考えたけれど、十五キロ歩く以外にアイデアが思い浮かばなかった。
そのとき紺野さんが何かに気づいた様子で、「そっか、そっちの方が早いかも」とつぶやく。
「神村君、茅ヶ崎まで歩いたらいいんじゃない? 茅ヶ崎だったら十キロも無いんじゃないかな、たぶん七~八キロじゃない?」
「えっと、茅ヶ崎ってここから西向きですよ。千葉と反対ですからそんな方に歩いてもダメですけど」
僕は紺野さんが思い違いをしたのだと思った。電車の動いてる一番近い駅は確かに茅ヶ崎駅だった。でもそこに行っても熱海方面の西向きにしか電車は動いていない。東向きはストップしていて、どう考えても千葉へは行けそうもない。
「だからね、茅ヶ崎から東海道線を西向きに小田原まで電車で行って、小田原から新幹線で東京に帰るの。新幹線はもう動いてるから」
「ええっ、新幹線ですか!?」
僕は思わず大きな声をあげてしまった。
小田原まで西に戻って新幹線を使うなんて、そんな発想はまったく無かった。
「そう、小田原から小田急で新宿でもいいかもしれないけど、若葉ちゃんの体調を考えたら新幹線で東京駅のほうがいいと思うよ」
「そうかもしれませんね、新幹線なら座れなくても東京までの時間はすぐですよね」
ただ大回りして新幹線を使うとなって、僕は財布の中身が気になった。
お金を数えてみると自分の財布には八千円くらい残っている。多分なんとかなるだろうと思って顔をあげると、なぜか紺野さんも自分の財布を確認しているところだった。
「お金足りてる? これを持っておきなさい」
紺野さんが自分の財布から一万円札を差し出す。僕は一瞬固まってしまう。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。避難所に入れてもらっただけでも感謝しないといけないのに、一万円って!」
「勘違いしないで、あげるんじゃなくて貸すだけ。万一のため。あとで振り込んでくれるか現金書留で送ってくれたらいい。借りるんだったら神村君も気が楽でしょ」
確かに借りるだけならに少し気が楽。僕は紺野さんと携帯電話やアドレスの交換をして有り難く一万円を借りることにした。これは本当に感謝してもしきれないくらいの恩だ。
ちょうど洗面所から帰って来た若葉に経緯を説明し、僕たちは西向きに戻ってから千葉を目指して帰ることになった。
翌日の朝、またも若葉に揺さぶられて僕は目を覚ました。
「……なに若葉、もう朝? 何時?」
「六時半過ぎ」
目をこすると夏の日は既に昇っていて、周囲は明るくなっていた。少しざわざわとした館内に朝のテレビのニュースが流れている。
東京都内や首都圏北部の電車は、多少の間引き運転ながらも走り始めたらしい。ただこの辺の電車はまだ止まっている様子。
東海道線・横須賀線の東戸塚駅以南から茅ヶ崎駅まではまだ点検と復旧に一両日かかる見通しで、小田急の江ノ島線も同じようなニュアンスだった。
相模鉄道やブルーラインは今日中に復旧と言っていたけれど、それが何時頃になるかは確定していない。根岸線を使ったり、三浦半島をグルっと南回りで行くのはもっと厳しい感じで、結局は電車が動いているどこかの駅まで歩く必要があった。
今朝から電車が動いている駅で、なんとか千葉まで帰れそうなのはJRの東戸塚か東急の中央林間。
ガイドブックに載っている地図でここからの距離をみてみると、東戸塚までが十五キロくらいで、中央林間だと二十キロ程度。ここからなら東戸塚駅までのほうが若干近かった。
「十五キロかあ……、四時間歩くのか。八時に出ても東戸塚に着くのはお昼すぎだな。それにしても真夏の十五キロかあ」
僕は昨日の残りのパンを食べながらひとりでボヤいた。真夏に十五キロも歩こうと思ったら水分補給をしっかりして、休憩だってこまめにしないといけない。はたして四時間で着くだろうかとさえ心配になる。
「なあ若葉、確実に動いてる駅まで行こうと思ったら十五キロだってさ。若葉より俺のほうが先にバテそうだよ」
「うん……」
そういえば、なにか朝から若葉の様子がおかしい。パンを食べていても少し元気がない感じがする。
さすがに昨日から今日にかけての激動で、やっぱり疲れも出たのかと僕は思った。なにしろ家に帰れていないし、小六の女の子には相当なストレスになっただろう。
「若葉? 元気ないな、大丈夫か。やっぱり眠れなかったのか?」
僕の問いかけに若葉は曖昧に頷いて、そして深いため息をつく。
「はぁ……、ごめん綾兄。もしかしたら生理かも、うん、多分そうだと思う」
「へっ?」
それを聞いた僕は、思わず間抜けな声を出してしまった。先月からそういうのが始まったとかなんとか最近聞いたけど、まさかそんな。
「始まってすぐは定期的に来ないとか、飛び飛びになるとか、お母さん言ってたのになあ……」
そう言ってまた若葉がため息を吐き出す。
「で……、若葉。その、そういう用意って持ってきてるのか?」
「持ってきてない……」
「ああ、そうか」
これは大変なことになったと僕は慌てる。こういうことは男の僕にはわからない世界。それどころか、こんなときに十五キロも歩かせていいのだろうかと頭を悩ます。
いろいろと考えて、結局僕は昨日の紺野さんに相談することに決めた。ところが館内を探しても紺野さんは見当たらない、昨夜から一旦自宅に帰ってしまっているようだ。他の役員さんに聞こうとしても全員男性、いまのことを話しても全然役に立ちそうもない。
オロオロとしていると時間は朝の七時になった。と、そこへ紺野さんが公民館に入ってくる姿が見えてくる、地獄に仏とはまさにこのこと。
「紺野さん、おはようございます」
僕は一目散に駆け寄った。紺野さんもにこやかに「おはよう神村君、よく眠れた?」と挨拶をしてくれる。
「はい、おかげさまでさっきまで寝てました。ただ、若葉がちょっと……。すいません、ちょっとだけ若葉の話を聞いてやってもらえますか?」
紺野さんを若葉のもとに案内して話を聞いてもらう。僕が少し遠巻きに二人の姿を見ていると、紺野さんが「まあ!」と言ったのが聞こえてきた。
若葉は紺野さんの質問に、首を縦に振ったり横に振ったりして答えている。やがて紺野さんは手を振って僕を呼んだ。
「あんまりお薬とか飲むのも良くないんだろうけど、お腹も少し痛いみたいだし、私の家からいろいろ持ってくるから。まあ、これは男の子にはわからないよねぇ」
そう言って紺野さんは、いま来たばかりの入り口へと消えていった。
△
「そうか若葉、お腹が痛いのか?」
「うん、ちょっとね」
それを聞いた僕は『無理をするなよ』と言いたかったけれど、どう考えても今日は無理をする日なのだ。かといっても『頑張れよ』とも言えず、僕はなんとも言えない気持ちになった。
「今日の計画、考え直そうか。十五キロの歩きは辛いだろ、若葉」
「でも綾兄。電車が動いてる駅まで行かないと帰れないでしょ」
「たしかにそうだけどさあ……」
確かに現実は若葉の言っている通りなのだ。帰ろうと思ったら電車が動いている駅まで行かないといけない。そこまで行くには歩くか、タクシーか、バスか。
近くの国道がどれだけ混んでいるかまだ見ていないけれど、車やバスがスイスイと走っていたり、手を挙げて簡単にタクシーがつかまるとは思えなかった。
「わたし十五キロ歩くよ、しょうがないもん」
口を尖らせて若葉が言う。
「じゃあ若葉、体調が悪くなったらすぐに言えよ」
僕と若葉は避難所の片隅で紺野さんの帰りを待った。
△
紺野さんは痛み止めの薬や生理用品、それから経口補水液などを持って来てくれた。さっそく若葉は痛み止めを飲んでから手洗い所に向かう。
僕は自分から相談しておきながら、紺野さんに頼ってしまったことを申し訳なく思った。何度も何度もお礼を言ったけれど、逆に僕が紺野さんに励まされる結果となる。
「頑張って! って言うのは簡単だけど、若葉ちゃんにとって十五キロはキツイいよね。何かいい方法はないかしらねえ」
紺野さんは頭をひねる。
「もう一日電車の復旧を待つ手もありますけど、さすがにそれはちょっと若葉の両親も心配するでしょうし。でも、十五キロ歩くのも心配するかもしれませんね」
僕も何かいい手がないかと考えたけれど、十五キロ歩く以外にアイデアが思い浮かばなかった。
そのとき紺野さんが何かに気づいた様子で、「そっか、そっちの方が早いかも」とつぶやく。
「神村君、茅ヶ崎まで歩いたらいいんじゃない? 茅ヶ崎だったら十キロも無いんじゃないかな、たぶん七~八キロじゃない?」
「えっと、茅ヶ崎ってここから西向きですよ。千葉と反対ですからそんな方に歩いてもダメですけど」
僕は紺野さんが思い違いをしたのだと思った。電車の動いてる一番近い駅は確かに茅ヶ崎駅だった。でもそこに行っても熱海方面の西向きにしか電車は動いていない。東向きはストップしていて、どう考えても千葉へは行けそうもない。
「だからね、茅ヶ崎から東海道線を西向きに小田原まで電車で行って、小田原から新幹線で東京に帰るの。新幹線はもう動いてるから」
「ええっ、新幹線ですか!?」
僕は思わず大きな声をあげてしまった。
小田原まで西に戻って新幹線を使うなんて、そんな発想はまったく無かった。
「そう、小田原から小田急で新宿でもいいかもしれないけど、若葉ちゃんの体調を考えたら新幹線で東京駅のほうがいいと思うよ」
「そうかもしれませんね、新幹線なら座れなくても東京までの時間はすぐですよね」
ただ大回りして新幹線を使うとなって、僕は財布の中身が気になった。
お金を数えてみると自分の財布には八千円くらい残っている。多分なんとかなるだろうと思って顔をあげると、なぜか紺野さんも自分の財布を確認しているところだった。
「お金足りてる? これを持っておきなさい」
紺野さんが自分の財布から一万円札を差し出す。僕は一瞬固まってしまう。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。避難所に入れてもらっただけでも感謝しないといけないのに、一万円って!」
「勘違いしないで、あげるんじゃなくて貸すだけ。万一のため。あとで振り込んでくれるか現金書留で送ってくれたらいい。借りるんだったら神村君も気が楽でしょ」
確かに借りるだけならに少し気が楽。僕は紺野さんと携帯電話やアドレスの交換をして有り難く一万円を借りることにした。これは本当に感謝してもしきれないくらいの恩だ。
ちょうど洗面所から帰って来た若葉に経緯を説明し、僕たちは西向きに戻ってから千葉を目指して帰ることになった。
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