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第一章

act.12 僕と若葉が地震で家に戻れない話 その3

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 避難所の中にはテレビがあって、地震の被害状況がニュースで流れている。

 どうやら震源は三浦半島の付け根の部分、横浜南部、鎌倉、逗子、そういったあたりが一番揺れたらしい。落ちてきた物に当たったり、高いところから落ちたりして、けが人も多数にのぼっている様子で、時間が経てば犠牲者の情報も出てくるかもしれない。

 電車が止まっているのは首都圏を中心に広範囲だけど、どうやら東京のほうは今夜中に運転が再開される見通しだという。ただし、神奈川県南部のこのあたりの復旧はわからないという話。明日の朝から少しでも動けば御の字といったところだろうか。

 携帯電話も多少繋がりにくくなっていて、メールで“避難所に入れてもらえたから安心して”、とだけ連絡はしておいた。電池の残量は七十%、明日中までは持ってくれるはずだと信じるしかない。

「綾兄、こんな時でもやっぱりお腹って空くんだね」

 隣に座っていた若葉が、少しため息混じりに言う。時間は午後七時を過ぎていて、お腹が空き始めてもおかしくはない。

「コンビニがあんな感じだったからなあ、何か買えたら良かったんだけどな」

 ここに来る途中、コンビニに立ち寄ってパンや水などを買おうとは思った。けれど地震直後のコンビニの中は商品が散乱していて、まだ物が買える状態じゃなかったのだ。

 あれから一時間半くらい。自動販売機で飲み物は買えたけど、僕も若葉も食べ物は口にできていない。

 もっと被害の大きかった場所にいる人にしてみたら、食べ物の話などまだまだしている場合ではないかとは思う。けれど、そんなことは十分理解できていても、やっぱりお腹は空いてくる。

「もう一回買いにいっても一緒かなあ、綾兄」

「そうだなあ、一緒かもしれないし……、ただ俺が気になるのはそっちよりも――」

 僕が気になるのはコンビニに行って買えないことよりも、せっかく好意で入れてもらった避難所からホイホイと外出して、呑気にコンビニかスーパーで食料を調達していいものかと考えていた。

 考えすぎといえば考えすぎかもしれない。それでもやっぱり気になる。気になってもお腹は減る。結局、僕はさきほどの紺野さんに尋ねてみることにした。

「すいません紺野さん。一回外に出て、食べ物を買ってきてもいいんでしょうか?」

 それを聞いた紺野さんは実に不思議そうな顔になる。

「なんでそんなこと聞くの?」

「いえ……、せっかく避難所に入れてもらったのに、呑気に食料調達に出るなんて、余所者よそものなのに不謹慎かなと思って」

 すると、不思議そうな顔から一転、紺野さんはゲラゲラと笑いだした。

「ちょっと神村君、あなた高校生にしては気を回しすぎなんじゃない? お腹が減るのは当たり前でしょ。炊き出しとかする予定なんてまだ無いし、買ってきたらいいよ。もう碌なものは残ってないかもしれないけど、二人で行ってらっしゃい、気をつけてね」

 と、紺野さんに背中を叩かれ、僕と若葉は食料調達へと向かった。

 △

 三十分後、避難所に帰ってきた僕たちは、なんとか少しだけの食べ物を確保できた。紺野さんの言っていたとおりに碌なものは残っていなかったけれど、パンやお菓子でお腹を満たすことはできた。

 明日朝の分も少し残して僕たちの夕食は終わる。そんな夕食とは言い難い内容でも、食べずに空腹でいるよりずいぶんとマシだ。

 テレビではずっと被害報告がされている。日が暮れて暗くなっている場所からの中継では、帰宅難民と呼ばれる人たちが映し出されていた。

「綾兄、ホントに良かったよね。ここだと横にもなれるし、トイレだってあるし、安全だし」

 遠くに映る画面を見ながら若葉がポツリと漏らす。

 ――安全。

 そう、安全なのが僕には一番有り難い。おばさんから若葉の身を頼まれた僕にとっては、ここで過ごす一番の利点はその安全だった。

「そうだよな、コンクリートやアスファルトの上よりフローリングの床なんて贅沢だし、夜露の心配もないし、運が良かったよ」

 もし地震が起きた時に電車に乗っていたら、まだ江ノ島にいたら、エレベーターの中に閉じ込められていたら、いろんなもしもを想像をしてみても、今の状態はまだ幸運なように感じられる。避難所に入れてくれた紺野さんの親切が身に沁みた。

 その紺野さんが、しばらく経って僕たちのところにやって来た。どうやら僕たちの様子が気になるらしい。

「あなたたち、相談があるんだったら言いなさいよ。私の家にも高校生の息子がいるけどね、神村君に比べたら全然頼りにならない。若葉ちゃんも良かったよね、頼りになるお兄ちゃん代わりがいて」

 完全に子ども扱いをされたものの、世話になっている空気を読んだ若葉は微妙な笑顔を見せる。

 その後、紺野さんとの話題は自然とお互いの家族の話になった。お互いの家族といえば避けて通れないのはカズの話。本当の妹でもない若葉をどうして海水浴に連れてきたのか、その理由を説明しているうちに亡き親友、亡き兄の話を紺野さんにした。

 
「そうなの、それは残念だったねえ若葉ちゃん。神村君、あなたも親友を亡くして辛かったでしょうね……」

 目にうっすらと涙を浮かべて紺野さんは何度もうなずく。そんな根が優しい人だから僕たちを公民館に入れてくれたのだと実感する。

「ねえ若葉ちゃん、お兄ちゃん代わりだから優しくして貰ってるけど、普通の高校生の男の子はこんなに頼りにならないからね。神村君を大事にしないとだめよ」

 紺野さん、実にいいことを言う。僕としては正直、もっと言って欲しい。

 というか、いままで逆のパターンは何度もあった。「若葉のことを大事に」という言葉は何度も聞いた。僕を大事にしろなどと言ってくれる人は、もしかしたら初めてだった。

 △

 紺野さんが去ったあと、僕は若葉に向けてニヤリと笑ってみせた。すると、想像したとおり若葉が真っ赤になって反論を始める。

「綾兄が調子にのってる! わたしだってわかってるよ、綾兄が頼りにならないなんて思ってない。ちゃんとわかってるよ、だから今日だって綾兄の言うこと聞いてるじゃない」

 思い切り憎まれ口をたたきながら、僕のことを分かっているという若葉。分かっているならもう少し普段から素直になって欲しいものだけど、素直すぎる若葉なんてちょっと想像がつかない。

「分かってるならそれでいいよ、別に若葉に感謝してもらおうって思ってる訳じゃないし」

「だったらそんなにニヤッと笑うことないでしょ!」

 ああ言えばこう言う小六の女子。まあそれでも泣かれるよりはずっとマシだし、確かに今は素直に言うことは聞いてくれている。避難所で夜を明かさないといけない時に、必要以上に落ち込まれてしまっては大変だし、このくらいの若葉で丁度いいのかもしれない。

 △

 そうするうちに避難所の夜もいつの間にか十時を過ぎた。室内はどうやら不測の事態に備えて、電気は点けっぱなしで夜を明かす様子。

 僕たちは風通しのいいところで干していたタオルケットを持ってきて、仮眠の準備をすることにした。フローリングの上で寝転ぶのはちょっと辛いけれど、コンクリートや地面の上に比べたらまだ天国。

 とにかく今日は疲れたし、部屋の中が明るくても眠れるだろう。明日はどこまで電車が動くかわからない、もしかすると徒歩での移動も考えたほうがいいかもしれない。そんなことを考えると、体力を回復させるためにも寝るに限る。

 僕も若葉も自分の手荷物を枕にして眠る。夏だから寒くは無いけれど、乾かしたタオルケットが布団がわり。

「若葉、トイレに行きたくなったり、何かあったら起こしていいからな。一人にだけはなるなよ。ここは安全だとは思うけど、小学生の女の子一人だと危ないからな」

「わかってるよ綾兄。それよりもわたしが起こしたら、ホントに起きてくれるの? そっちの方が不安なんだけど」

 若葉はそう言いながらも、おやすみ! と反対側を向いて寝てしまった。

 △

 眠ってから何時間経っただろう。疲れてすっかり熟睡してしまった僕を揺するやつがいる。どう考えても若葉しかいない。

 目を開けると、案の定不満げな顔をした若葉がこっちを見ている。

「なんだ……トイレか? 若葉」

「少し眠ったら目が覚めちゃったの。そしたら今度は眠れなくて」

「そうか……、じゃあとりあえずトイレに行っておくか。いま何時だ」

 携帯の時計を見ると午前一時すぎ。時間にすると二時間ちょっとは寝たことになる。携帯の画面には着信もメールのお知らせも無いので、僕は少し安心する。

 館内のテレビは音量を下げてつけっぱなしで流れていた。まだ起きている人もいて、ひそひそ声で話をしている。

 僕は先にトイレを済ませて洗面所前の長椅子で若葉を待った。そういえば寝ている間にも何度か余震で揺れた気がする。若葉にとっては少しの揺れでもやっぱり怖くて眠れないのだろうかと思う。

「綾兄、おまたせ」

 トイレから出てきた若葉が隣に座った。

「若葉、余震で起きちゃったのか?」

「うん、よくわかったね、綾兄」

 少し見直した、とばかりに僕を見る若葉。

「そうだな、家じゃないし、若葉も不安だろうなと思ってさ」

 僕が少し手を延ばしてノビをしながらそう言うと、若葉はため息混じりにちょっと笑った。

「ふふっ、綾兄って昔からお兄ちゃんよりも、わたしのことに気がついてたよね。なんでかなあ、って思うこともあったけどさあ、結局お兄ちゃんは普通で、綾兄が気がつき過ぎだってわかったの。お兄ちゃんが死んでからだけどね」

「カズが普通で、俺が気がつき過ぎって……。あったのかなあ」

「あったよ!」

 そんな会話を若葉としたあと、もう一度寝るまで僕はカズとの記憶を思い返していた。

 それこそカズと僕には色々な想い出があったけれど、やっぱりカズとの別れの部分になると、今でも少し胸に痛みが走ったのだった。
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